第3話「俺は異世界初体験」

 例えるなら、水の中で息を止めているような感覚だった。

 酸素は有限。消費されていくにつれ、段々苦しくなってくる。そんな感覚。

 転移の光の中、魔力を消費していく感覚というのを俺は理解していた。

 ――なるほど。今流れ出ている「これ」が、魔力。

 体の中から、何かが減っていくのが分かった。


 祖父曰く、俺の魔力は全盛期の祖父に勝るらしい。

 そんな俺の魔力ですら、ごっそりと削られていくような感覚。

 そして、魔力が消費されていくにつれ体が重くなってくる。

 重ねて、体の上に重石をの乗せられたかのような圧力が俺を苛む。

 確かに年を食ったらこれは辛いかもしれない。


 そろそろ苦しくなってきた――そんな時、光が消え始める。


「っだっはぁっ!」


 光が消え、空が見えた。

 自分の足が地面を踏みしめていることを確認して、俺は息を吐き出した。

 ちなみに息を止める必要性は全く無い。無いが、光に包まれるうちに止めていたらしい。未知の体験に緊張していたのだろうか。

 俺は魔力と一緒に失ってしまった酸素を取り戻すべく深呼吸をし――そして肩にかけた巾着袋の重さに引きずられ、コケた。


「あたっ! っあー……マジかぁ……」


 足に力が入らなかった。人間、自分の理解を超えたものを目の当たりにすると、こうなるらしい。

 コケたその勢いのままに寝転がったため後頭部を打ったが、それも気にならない。痛いけど。

 視線の先には木々の緑と青い空。背中に感じるのは草と土の感触。

 先ほどまで確かに俺は祖母の屋敷の一室にいた。

 けれども今はどうだ? 大自然の真っただ中。先ほどまで一緒にいたはずの祖母もいない。


 俺は本当に異世界に来たのだ。











 立ち上がって辺りを見回してみるが、意外にも奇妙な植物といったものは見当たらなかった。

 地球にだって人を食べそうな凶悪な植物があるのだから、さぞかし不可思議な植物が生えているのだろうと思っていたのだけれども。

 とはいえ、そんな植物があったら俺の心は早々に折れていた可能性もあるので、そういう意味では少し安心である。


「で、こっからどうすればいいんだったっけ?」


 昨日簡単に目は通しているのだが、どうも聞きなれない単語が多かったので、あまり内容が頭に残っていない。

 もちろん、基本的な旅の指針は覚えている。祖父の娘と孫娘、つまり俺にとっては叔母と従妹にあたるに人を探し出し、地球に拉致することだ。

 というのはもちろん冗談だけれども、良く考えてみれば相手にも都合があるだろうし、簡単についてきてくれるのだろうか。


 ……まあ、解らないことを考えても仕方がない。

 今はともかく、叔母と従妹――メアリ・シュルズベリーとクレア・シュルズベリーを探し出して、手紙を渡すことだけを考えよう。


 俺はもう一度腰を下ろして、コケた時に地面に転がった巾着袋を開き、中から「行動計画書」と書かれたノートを取り出してページをめくった。

 そして「転移点がなかった場合」と見出しが書かれたページを見つけ、手を止める。


『○転移先がなかった場合


 この場合は相当困難な旅になる。


 まず、お前が転移した先は王都の遥か北西に位置する森だ。わしが旅を始めた場所でもある。

 王都までは「順調に行けば」15日ほどの旅になる。お前は意外と運が悪いから多分無理だろう。

 ひとまずは、ベリルという辺境の都市を目指せ。そこから3日ほどの距離になる』


「3日とか」


 いきなりの野宿コースだった。今時の若者たる俺にはきつい仕打ちである。


『だがその前に、森を抜けにねばならん。

 西へ向かえ。太陽が東から昇って、南を経由して西に沈むのはそっちでも一緒だから、昼間ならひとまず方角は解るはずだ。

 そうしたら小川に突き当たる。日が沈むまでには着けるはずだ。

 川に突き当たったら、川の流れに沿って下れ。森を出られる。


 いいか、森は危険だ。魔物も少なくない。用心して動け。

 あと足元にも気をつけろ。動きづらいから怪我をしやすい。足でも挫くと大変だぞ』


 その後には、森に出てくる魔物や森で気を付けるべきことがつらつらと書き連ねられていた。

 それらに軽く目を通して、俺は立ち上がった。


「しかし、西ね……」


 簡単に祖父から聞かされた話によると、太陽の動きはもちろん、時間も日本とほぼ変わらないらしい。

 そのくせ方位磁石は役に立たないというのだから面倒な話だ。

 祖父は昔、時計で方角を知る方法を教えてくれたが、もしかしてこのことを想定していたのだろうか


 時計で方位を知るのに必要なものは、アナログの時計と太陽だ。

 まず太陽の位置を確認する。次に時計の短針を太陽の方向に向ける。

 そうすると、短針と文字盤の12時の間で作られる小さい角の、ちょうど真ん中が南になるのだ。

 つまり朝8時にこの方法を使えば、文字盤の10時の方向がちょうど南になる。


 まあ本当のところ、ちょっとした誤差は出るのだが、だいたいの方角をいることが出来れば十分だろう。


 俺は転移する前、鎧をつける際に邪魔になって仕舞った腕時計を巾着袋から取り出して、短針を太陽に向けた。時刻は9時50分だ。

 ちなみにこの腕時計、14歳の時に親からもらった誕生日プレゼントである。数字も描かれていないアナログ時計だが、その落ち着いた雰囲気が気に入っていた。俺の宝物の一つである。


「んーっと、南がこっちだから、西はこっちか」


 偉大なる先人の知恵に感謝しつつ、俺は荷物を担い歩きだした。











 で、歩くこと3時間。


「っざけんな! 疲れるわ!」


 小学校や中学校で、山登り遠足をしたことはあるだろうか? 俺はある。

 最初のうちは、結構楽しい。山なんて普段はなかなか入らないから見るもの全てが楽しいし、空気も何だか澄んでいて、さわやかな気分だ。

 ――しかし、段々と疲れてくる。


 するとどうだろう? 先ほどまで素敵だと思っていたものが全く目に入らなくなってくる。

 自分がかいた汗をシャツやらパンツやらが吸い、べたべたして気分が悪い。荷物は重いし足は上がらない。

 休みたいのに「もうちょっとだから頑張れ!」と声をかけてくる教師。周りが黙々と歩いているのに自分だけ駄々をこねて休むことはできないとかいうプライド。

 色んなものに苛まれて、口数が少なくなり、ひたすら不満だけを溜め込んでいくのだ。


 状況的には大差ない。

 自分のペースで歩けるし、文句を言っても誰も咎めないのが幸いか。

 地面の状況は遥かに悪いあたり、トントンといったところだが。


「はぁ……あー、休憩だ休憩」


 さすがに3時間ぶっ通しで山を歩くのは疲れた。

 ちょうどいい具合に開けている地面の上で、俺は座り込んだ。


 というか、これだけ歩いたというのに魔物に出くわさないというのはどういうことなのか。

 いや、会いたいかと言われると会いたくはない。危険な目には合いたくないからだ。

 しかし、せっかく異世界に来たというのに、それらしいものを全く見かけていないのだ。


「よいしょっと……何ページだったかな……」


 ポーチから取り出した魔導書のページをめくり、魔法を探す。

 探しているのは水である。というか、水を生み出す魔法。

 どこかにあったはずなのだが。というか無いと困る。なぜなら水を持ってきていないからだ。

 水というのは結構重いし、幅をとる。いくら大きめとはいえ、俺が巾着袋一つで旅が出来るのも、魔法で水を生み出すことが出来るからだ。

 しかし、一通り見たにもかかわらず見つからない。あれ? と思いながら、もう一度読み返す。

 人間、水がないと数日で死ぬと聞く。

 逆を言えば数日は持つのかもしれないが、それを自分で試したくはない。


 そんなことを考えているうちに、それらしき魔法を見つけた。

 他の項目に比べて記述が少なく1ページの半分程度しかない、そのせいで見逃していたらしい。


「【湧水】」

 強いのどの渇きに促され、深く考えずにその安直な魔法名を読み上げた。

 そしてふと思った。いったいどこから水は出るのだろうかと。

 次の瞬間、勢いよく出てきた水が魔導書に当たって飛び散り、座り込んだ俺の下半身を濡らしてから、記述の中に「右手の人差し指から出る」という解説を見つけたのだった。

 慌てて魔導書を閉じたおかげで水は止まったが、既に手遅れという感は拭えない。

 

「……乾かす魔法ってあったかな」


 たしか生活魔法とかいうヤツの中にあったような、と考えながら、再び魔法を使って今度は頭から水を被る。どうせ濡れてしまったのだから、いっそ涼しくなった方が良い。

 べたつく汗と違って、冷たい水は火照った体に心地よい。ついでにそのまま水を飲み、のどの渇きを癒す。

 

 そういえば魔導書も濡れてしまったか、と思ったが、不思議なことに全く水を吸い込んだ様子はない。

 濡れてないわけはないのだが、何かしらの魔法でもかかっているのだろうか。


「ふぅ」


 のどの渇きも癒えて、ようやく人心地ついた俺は水を止めた。


「しかし、あとどのくらい歩きゃ良いんだよ……?」


 歩き始めてから3時間、もう昼の1時だ。

 そういえば昼ご飯食べていないな、と思いだし、巾着袋から携行食を取り出して齧る。

 携行食とはいっても、黄色いパッケージでコンビニとかでも売られている有名なアレだ。栄養バランスも割と良く、かさばらず、手軽に食べられるということでチョイスされたそうだ。

 俺が持たされた巾着袋の中身のほとんどは食糧だ。祖父曰く、食えりゃ死にゃあせん。他の何が足りなくても、少なくとも死ぬことはない。なら食糧だけ持っていけばいい、ということらしい。

 最悪、地球に戻ればいいのだからそれは正しい。とはいえその場合、また来るのにどれだけ時間がかかるか分からないから、それは避けたい。


 転移魔法はかなりの魔力を消費する。

 使用してみて理解したが、だいたい自分の持つ魔力の5分の3ぐらいだろうか。

 「湧水」を使っても、全く自分の魔力が減った感覚がないあたり、やはり相当な量なのだろう。

 祖父が話してくれたところによると、これだけの魔力を回復するには2日ほどかかるらしい。だが地球では魔力の回復が遅く、2週間ほどかかるそうだ。祖父の余命のことを考えると、そんな悠長なことはしていられない。


「うっし! 歩くか!」


 4本のブロックと魚肉ソーセージを食べ、気合を入れて立ち上がる。

 少々物足りない気もするが、満腹になっても歩くのに差し障る。この程度でいいだろう。

 食べながら魔導書をめくって見つけた「乾燥」という魔法で全身を乾かし、準備は万端だ。。


 祖父の書いた行動計画書によると、日が沈むまでには着けるだろう、と書いてあった。

 これは祖父が初めて来て森をさまよった時にかかった時間らしいので、実際にはもっと早くつけるのではないか、と考えていたけれども、少々甘い見通しだったようだ。

 それでも水の音でも聞こえてくれれば、と思い耳を澄ませてみる。


 静かにしていると、森の木々が風に揺れ、葉の擦れる音がする。

 時折、鳥の鳴き声らしきものも聞こえて、がさっ、と藪をかき分けるような音も――


「――ん?」


 藪をかき分ける音がすると言うことは、それをかき分けて進む何かしらの動物がいるはずである。

 そしてここは森。まして道も無いこんな場所で、他の人間と会うとは思えない。

 段々と近づいてくる音。更に、ぱきっ、と枝を踏みつけ折る音も聞こえて、これは不味いかもしれないと思った。


 俺はポーチに戻していた魔導書を引き抜き慌ててページをめくる。何かしらの攻撃手段が必要だ。

 炎の球を出す魔法とかあったはずなのだがページ数を覚えていない!


「攻撃魔法攻撃魔法……あった!」


 焦りながら適当に開いた魔導書のページには「雷撃」の文字。まさかこれで体をほぐして疲れを取る、なんて魔法ではなかろう。

 そしてその瞬間、数メートル先の藪から現れる黒い影があった。


 グルルルルル、と腹まで響く重低音。

 俺を見るなり立ち上がったその姿は4メートルほどだろうか。見た目の印象は超デカい熊だった。

 特徴的なのは、頭に付いたツノである。それほど鋭くなさそうだが、あれがもし頭から突っ込んで来たら、そんなの関係なく腹を突き破るだろう。

 発見したら即座に魔法を叩き込もうと考えていた俺だったか、恐怖で竦んで声が出なかった。


 しばしの間、にらみ合う。

 逃げたかった。逃げたかったが、それをすれば間違いなく死ぬ。追いつかれて食われる。

 だから魔法を叩き込むべきなのだが、この魔法が通じるのだろうか。この魔法がどの程度の威力を持っているのか見たくても、怖くて目の前の魔物から目を離せない。


「グルォオアアアアアア!!」

「ひぃぁああああああっ!!」


 殺らなきゃ食われる!

 ひときわ強く魔物が吠えた瞬間、俺の中で何かが切れた。


「ら、【雷撃】っ!」


 轟音と衝撃。視界は光で埋め尽くされた。






 強い光に焼かれたせいか、目が良く見えない。その上頭がくらくらするし、一瞬意識も飛んでた気がする。耳鳴りがして耳も聞こえない。

 そのせいか、上下感覚までおかしくなって、俺は倒れそうになった。倒れられなかった。もう倒れていたらしい。

 こいつはやばいかもしれない、と思っていたが、しばらく悶えていると視界が徐々に回復してきた。


 目の前には熊の顔があった。


「うぉわああっ!」


 思わず地面を転がって逃げる。

 土に塗れながら転がってぐるぐると回る視界の中、ふとその熊のサイズが異様に小さいことに気が付いた。

 転がるのを止めて良く見て見ると、そこにあったのは熊の頭だけだった。引きちぎれたように首から下はない。


「お、おーい。死んでんのかー?」


 多分死んでる。自分でも馬鹿なことを言ったと思う。

 自分で言っておいて何だが、これで死んでなかったら俺は地球に帰る。

 これで死んでないような化け物がいる世界なんか旅してられるか。


 声をかけても反応は当然なく、俺は転がったせいか微妙に痛む体を起こす。

 見ると、辺りは爆発でも起きたかのような惨状だった。

 一番ひどいのは熊である。先ほどまで熊がいた場所には吹き飛んだ跡あるだけで、熊だったものは辺りに散らばっていた。


「おえ……」


 その惨状は、ちょっと目を背けたくなるものだった。だがあまりにも跡形もないせいか、生き物を殺したこととかについて精神的なダメージはあまりない。

 何はともあれ、俺は危機を乗り越えたらしい。本当に良かった。

 安堵とともに辺りを見回すと、火がくすぶっているところがあったので、立ち上がって「湧水」で消火しておいた。

 そんなあたりの様子と、先ほどの光。加えて轟音。


「『雷撃』って、雷落とすのかよ……」


 しかもただの雷ではないのだろう。それなら熊も爆散はすまい。相当な威力の魔法だったらしい。

 あまりに近距離に落ちたため、俺にまで被害が及んだのだろう。説明をろくに読まないまま使用した俺も悪いのだが、さすがに予想外だ。

 転移魔法とは比べるべくもないが、全く魔力が減った気がしなかった「湧水」に対して、今の「雷撃」では確かに魔力が減ったのが解った。それだけ魔力も消費したことになる。


 そういえば今更だが、祖父の行動計画書に書かれていた森の魔物の中に、ホーンベアとかいうそのままな名前の魔物がいた。

 頭にツノを持つという特徴をこいつは持っているし、間違いないだろう。

 弱点は意外にもツノ。これが折れると死ぬらしい。

 ――そんな情報、パニックになって忘れ去っていたが。まあ、覚えていても活用で来たかは怪しい。


 ともかく、嫌な臭いのするこんな場所からはさっさと離れたい――が、その前に。


「もっと普通の攻撃魔法を探そう……」


 俺は少し離れたところに座り直し、魔導書を開くのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シュルズベリーを探せ! @forget-me-not

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ