第60話 エピローグ:とおりゃんせ。
冬の最中(さなか)の比較的暖かな朝だった。
あまり上等でない二階建てアパートの、薄い鉄板一枚の外階段を、ポニーテールを揺らしながらフラフラと下りて行く娘がいた。
日の昇りきらない早朝の事もあり、防音もろくにされていない部屋に住む、隣人達の苦情が怖かったので、カンカンと鉄板を鳴らす靴音が大きくならないようにと気を使ってはいたが。
両手に下げて運ぶ、はちきれそうに膨らんだ大きなゴミ袋のせいで、踏み出す足取りはおぼつかないものとなり。
自然と、意に反して足音は、要領悪く、最悪の余韻を伴い高く鳴り響く。
まったく予測できないほど、暖かな日が続いた後で、いきなり寒い、冬らしい気候に戻ったせいもあり、朝のゴミ出しをサボりにサボったその結果。
それが、彼女の両手に持った大きなゴミ袋だった。
だから、今の自分のこの境遇は自業自得。
とは言え、やはり少しばかり不幸を感じるのは、人として自然な心の思いと言うものだろう。
などと、慰めにもならない理屈をこねて自分を正当化したりしてみたが、空しさが込みあげ、ため息をつく。
「とおりゃんせとおりゃんせ、ここはどこのほそみちじゃ。てんじんさまのほそみちじゃ」
落ち込んだとき、彼女はいつもこの歌を歌った。
通りなさい、通りなさい、と言うこの歌の、まるで自分の夢に向かって続いている道へと仲間達が招いてくれている、そんな情景が浮かぶやさしい歌詞がとても好きだった。
「どうぞとおしてくだしゃんせ。ごようのないものとうしゃせぬ」
(御用はあるから通してくだしゃんせ)
それが夢へと続く道ならば、彼女には『通してもらいたい』夢があった。
今、お勤めしているケーキ屋さんで認めてもらい、いつの日か腕を上げて独立し、自分のお店を出店する事。
そのために彼女は、早朝の出勤や遅くまでの後片付けは言うに及ばず、どんなことでもすべて勉強と考えて率先して引き受けた。
もちろん、その事は何一つ辛いとは思わなかった。
ひとつ勉強するたびに、夢に一歩近づいていく。
心にそんな未来への想いを描きながら、嬉しいとすら思っていた。
嫌味無く、何事にもハツラツと仕事をこなすその姿は、まわりの人間に好印象を与えたし、夢を追いかける、希望に満ちたその心の輝きは、彼女の内面からの人柄となってにじみ出ていた。
そのため、彼女のまわりの人達は、みな彼女を大切にしてくれたし、そのことは、彼女も充分理解していた。
だから、彼女は幸せだった。
「このこのななつのおいわいに、おふだをおさめにまいります」
すっかり気分が良くなって、階段を下りきったその時。
「お姉さま!」
突然、少女の声に呼び止められた。
振り向くと、そこには亜麻色のショートカットをした小柄な女の子が立っていた。
瞳の色が、カラーコンタクトでも入れているのか、異様なくらいに緑色をしており、瞳孔は猫のそれを連想させた。
日本語で呼び止められなければ、異国の娘さんと思ったかもしれない。
「お姉さま、私がお持ちしますね!」
初対面のハズのその少女は、尚も彼女を『お姉さま』と呼ぶと、彼女が部屋から運んで来た大きなゴミ袋を手から2つとも取り上げてしまい、いとも軽々と両手に持って、少しはなれたゴミの集積箱へと走り去ってしまった。
「申し訳ありません」
呆気に取られ、少女の後姿を目で追っていた彼女の耳に、今度は大人の女性と思しき声がした。
声のする方へ首を回らすと、そこには黒いロングコートに身を包む女性が立っていた。
さらさらと流れる腰まである濡れ羽色の黒髪。
どこか闇をまとう切れ長な瞳。
無垢な輝きを燻す肌。
艶やかな唇は知的に赤く、愛嬌のある口元をしていた。
「お気を悪くなさらないで下さい」
黒髪の女性はそう言って続けた。
「あのこは、自分の気に入った女性を見ると、みんな『お姉さま』にしてしまうのです」
女性はそう言うと少女の方へ視線を移した。
ちょっと不思議な取り合わせだと思った。
会話からすると、非常に親しい間柄のようだった。
相手の性格の話をこうもあっさりと他人に話すところから見て、血のつながった間柄の様な雰囲気もあった。
血縁だとすれば年恰好から見るに親子では無さそうだし、姉妹かも知れない。
だが、少女とこの女性は、顔も、雰囲気もまるで違う。
正反対だと言ってもいいかもしれない。
まるで……。
ふと、彼女は、自分が女性に見つめられているのに気がついて慌てた。
「か、かわいい妹さんですね!」
とっさに頭の中の憶測が言葉に出てしまう。
「ええ。私の自慢です」
女性がそう言って微笑んだのを見て、彼女は内心ほっとした。
思いもかけない事態を、いい加減な憶測で取り繕いはしたが、相手に対して非常に失礼なことであったらどうしようと、少しばかり不安だったのだ。
「お姉さまぁー!」
声のする方を見ると、集積箱の前に立った少女が、ゴミ袋を箱の中に収めた後らしく、誇らしげにニコニコと大きく片手を振っていた。
何んとも愛らしく、微笑ましい。
「姉妹(きょうだい)は良いものですよね」
ロングコートの女性が、再び口を開いた。
「あなた、ご兄弟はいらっしゃるの?」
「え?ああ……」
答えて、少しの間、遠い目をする。
「姉が……。お姉さんが『いました』」
「?」
女性が訝しげな視線を向ける。
「七年前に、北海道にオートバイで旅行に行って、交通事故で亡くなりました」
「それは。申し訳ないことを聞いてしまいましたね」
「いいえ、いいんです。もう、心の整理はすっかり着きましたから!」
そう言って彼女は明るく微笑んだ。
「そうですか。それはよかった」
女性はそう言うと、唐突に、少女を集積所に残したまま、反対の方向へ歩き出す。
「ほんとうによかった」
女性は、振り向きもせず再びそう言うと、何事も無かったようにゆっくりと彼女から遠ざかって行く。
あまりに意外なその行動に、彼女は呆気にとられ、女性の後姿を見つめ、只、たたずむことしか出来ないでいた。
「お姉さま!オワリましたデスよ!」
ふと、前を見ると、目の前にはあの少女が立ち、晴れやかな笑顔で彼女を見ていた。
「あ、……、ありがとう……、えっと……」
続く言葉が見つからず戸惑う。
少女は、うれしそうにニコニコと彼女を見つめ続けている。
「風小!来なさい。帰りますよ」
女性に、風小と呼ばれた少女が口を開く。
「姫さまがお呼びなのでもう行きますデスよ」
そう言って緑色のくるくるとした美しい瞳を彼女に向けた。
「それじゃ、お姉さま!……、さようなら」
少女はぺこりと頭を下げると『姫さま』のもとへと駆けて行く。
街に、流れる様に朝日影が広がって行き、セピア色だった風景が色を持ち始めようとしたほんの一瞬、白一色に輝いた街の風景に包まれるようにして、遠ざかる二人の姿は溶けて行く。
「さようなら」
そう言って、ふと、彼女は……。
「そういえば」
そういえば、ずっと昔、妹が欲しかったような気がする、と思った。
「さようなら、ふうちゃん」
なぜか、涙が溢れそうになったが。その理由は、わからなかった。
捜査完了。
コワクナイカラ、トオリャンセ、トオリャンセ。
鬼追師の姫緒 とおりゃんせ 漆目人鳥 @naname
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます