第59話 ACT17 戦慄9

「さ、さぁ、終わりよ、オワリ!早く帰ってお酒呑も!」


 そう言ってレンレンが踵を返して歩き始める。


「風小」


 姫緒の声。レンレンの歩みがギクシャクと止まる。


「風小。私の声はもう綾子に届かないみたい」


 見詰め合う、姫緒と風小。


「あなたなら、出来るかしら?」


 姫緒が言うが早いか、風小の両腕から紅の篭手が外れ、騒々しい音を立てて地面に落ちた。

 次の瞬間、風小は駆け出していた。

 漆黒の空間に身を委ね、そのほとんどを飲み込まれている綾子の下へ!


「ちょっ、ちょっとお!」


 慌ててレンレンが姫緒に駆け寄る。


「ナニ考えてんのよぉ!ヤバイんだってばぁ!この空間だって何時まで持つか。それにぃ那由子が『あいつ』になって帰って来るかも知れないのよぉお!」


 レンレンにとって、『あいつ』、『ななつさま』はついさっきまでは伝説でしかなかった。

 しかし、今となっては。

 その発生のプロセス、そしてその正体を知ってしまった今となっては、その分野に精通するがうえに、理論的にその正体を理解できる今となっては。


『完全超越体』


 神そのものとも呼べるそのような存在が、己の意思を持って存在すると言う脅威。

 しかし、姫緒が、忠告にも微動だにしないでいるのを見て、彼女は大きく一つ溜息をつき、再び腕を組むと、駆けて行く風小の後ろ姿を見守った。


「先に帰っていいわよ」


 姫緒が呟く。


「あんたがいなくちゃ意味無いもの」


 レンレンはそう言うとあははと笑った。


「お姉さまぁあー!」


 綾子の下へたどり着いた風小が綾子を呼ぶ。


「お姉さまー!帰りましょう!帰って北條さん達と一緒にごはん食べましょう!」


 自分が何を言いたいのかよくわからなかった。

 よくわからないが『そうしたい』と風小は思った。

 そう思った気持ちが言葉になった。

 叫びになった!

 風小の叫びを聞いた綾子が、少しずつ漆黒の中に消えながら口を開く。


「ありがとう。まだ、私をお姉さんと呼んでくれるのね。わたし、嬉しかった、本当に、妹が出来たみたいで嬉しかった。ほんとに、短い間だったけど……」


 風小は、綾子の心が離れていくのを感じた。

 何かの感情が湧きあがってくる。


「一緒に!いつもいっしょにいてくれるって言ったじゃないデスか!」


「ごめんね……、わたしは一緒にいられない」


「うそつき!」


 綾子の姿は最早、影だけとなっていた。


「お姉さまはうそつきデスよ!私の手を離さないって!ずっと離さないって言ったじゃないデスか!」


 言って風小が両手を差し出す。その両手に手を差し伸べてくれる者は最早いなかった。


「ごめんね。私、帰れない。だって、私は……、『あやかし』だから……」


 綾子の姿がすっかり消えてしまった漆黒の空間の前に、唖然と立ちすくむ風小。


「ふッザケンなあ!」


 切れた。


「あやこぉー!!!!!」


 綾子の消えた空間の前で仁王立ちになり、身体をびりびりと振るわせるほどの大声で風小は叫ぶ!


「わたし!わたしだって!」


 怒りに『全心』が振るえ、流れる涙で風小は、目の前の漆黒がわずかに震える幻覚を感じる。


「わたしだって!『あやかし』デスよ!」


 漆黒が震えた。それは風小の幻覚。か……?


「ふ・う……」


 暗闇の中から浮き上がってくる影。


「ふう、ちゃん……」


 その影は、二本のしなやかな女性の腕。

 『ふうちゃん』

 自分をその名で呼んでくれるべき人は、風小の知っているその人はただひとり!


「お姉さま!」


「ふ・う・ちゃん……」


 腕に続いて、漆黒からは徐々に人影が浮き上がってくる。


「おねぇさまあぁ!」


 そこには、漆黒の空間から上半身を具現化した綾子の姿があった。

 やさしいその眼差しで、しっかりと風小を認めると、宙をまさぐっていた指先が、風小に向けて、風小を求めるかのように差し伸べられる。


「お姉さま、帰ろう!」


 風小は駆け寄り、綾子の差し出された両の手を力強く握る。

 風小の両手に、暖かい温もりと共に、綾子が風小の存在を確認するかのように、力を込め握り返して来るのが感じられた。

 綾子がにこやかに笑った。


「風ちゃん、帰ろう」


「!」


 風小が小さく頷く。

 どちらからとも無く、「いっしょに」と言いかけた……、そのとき。

 二人の間に、丸い、鞠のような影がころころと転がって来て、ピタリと止まった。

 綾子と風小は不意に現れたその物体の姿を確認しようとして目を凝らす。


 それは……。


 人の首。

 血に塗れ、千切れて転がっていった綾子の首。

 首は眼球のつぶれた眼差しを二人に向けて口を開いた。


「みぃつけたぁ」


 すると、その言葉に誘われるように、まだ綾子の下半身が覆われていた漆黒から、一本の青白い手が現れたかと思うと、次から次に湧き出し、綾子の身体に指を食い込ませるほどの力をこめて絡みつき出した。

 無数の手が、彼女を漆黒の空間の中に引き戻そうと蠢きだす!


「あなたは記憶。終わった記憶。あなたの帰る場所はこっちなの」


 首はそう言うと、ころころと闇の中に消えていった。


 『そのモノ達』が何モノかは分からなかった。だが『それ』は、辛みと、恨み、嫉み、憎しみの感情に溢れ、綾子を羨んでいた。

 漆黒の世界に落ちてもなお、生きようとする心の光に満ちている綾子を羨み、呪っている亡者の群れだ!


「いやぁーー!」


「お姉さま!!!」


 風小は慌てて、握っていた手に力を込めると、綾子を引き戻そうと抗った。

 しかし、白い手は尚も増殖を続け、その無数に蠢くモノ達の、綾子を引き戻そうとする力が急激な勢いで大きくなっていく!

 それでも綾子を取り返そうとする風小は、その力に張り合い逆らうが、亡者達の無数の手は風小を押し退け、綾子と繋いだその手を引き離そうと手向かって来た。

 風小の全身を亡者の白い手がかきむしる。

 髪を引っ張る。そして、押し返そうと繰り出してくる。

 次々襲ってくる亡者の手を、首を振り回し、歯を立てて撃退しながらも、風小は耐えた、両腕の使えない風小は耐えるしかなかった。

 この両手を、両手を離してしまったら。

 いや、たとえ片手でも、愛しい人の『欠片』たりとも離す事など出来るわけが無い!

 しかし、じりじりと、それでもじりじりと、引き離され出す風小と綾子。


「ちっ!」


 舌打ちして飛び出す姫緒!


「あしはらえ。よしはらえ。満ちたる混沌……」


 アイパッチをむしり取り、魔眼を剥き出したレンレンが宙に印を切る!

 符術の札が、空間を埋め尽くすほどに出現し、宙に張り付ついた!


「離さないデスよ!絶対に離さないデスよ!」


 亡者達にもみくちゃにされながら、風小が叫ぶ!

 風小の叫びを聞いて、苦悶の表情で怯えていた綾子の顔が微笑を取り戻した。


「わたしも!わたしも絶対離さない!うううん!」


 綾子の瞳が、愛しみの輝きを湛えて風小を見つめた。


「離してあげないよ!風ちゃん!」


 モゥ、ハナサナイデネ。

 闇が、二人を包んだ。

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