第4話 ドワーフに本の知識を与えるとこうなります
「この武器が欲しいんだ!」
ネロリさんの一件を解決して、ひと月後のこと。
姫騎士さまことベルが、武器防具大全を片手に突然そんなことを言い出した。
「これ! これが欲しいんだユーイチ! このシャーッていうやつ! 欲しい!!」
「はあ。そんなこと言われましてもね」
相変わらず雑な説明の姫騎士さまだった。シャーッていうような言葉で表せる武器なんてたくさんありすぎて分からない……
……と思ったら、『シャムシール』という武器だった。名前、惜しい。
ベルが、るんるんしながら両手を差し出した。
「おくれ♥」
「はあ?」
「これが欲しいんだ! ものすごく! ユーイチ、おくれ♥」
そんなハートを飛ばして可愛らしく言われてもですね。求められているものは、武器ですからね……僕はため息をつかざるを得ない。誰かこの子にきれいなアクセサリーとか可愛い洋服とかのよさを教えてやってくれないかと思う……無理か。
「どれくらい欲しいんだよ。その気持ちを喩えてみて」
「そうだな……この武器をくれるなら、どんな命令でも今なら聞くッ!」
「そのスカートめくって見せて」
冗談で言ってみたのだが、ベルは「これでどうだ!」と恥じらいの欠片もなく、ぺろーん、とめくってしまった。しかもめくったままドヤ顔である。
「……あのねえ、マジでやるんじゃありませんよ」
軽率なことを言ったと後悔しながら額に手を当てた僕は、その白くて無駄に高級感のある下着を早くしまうように手で払うようにした。恥じらいのない下着には、これほど価値がないのかと、ちょっとがっかりしました。
しかし、こんなことしてこの子、お姉さん《リーネさま》に叱られたりしないんだろうか。アホの子だし、危機予測がなってないだろうし……著しく不安だよね。
「言われた通りにしたぞ、これでくれるんだろう!? なあ、ユーイチ!」
「いやあ、今のはちょっと価値的にさ……」
ぷくーっとベルが頬を膨らませている。子供か。
「ユーイチ、これが手に入らなかったら、わたしは、わたしは――今後一切ユーイチの給料を持ってくるのをやめるぞ!」
「申し訳ございませんでした善処いたします」
いま唐突に命のセーフティーネットをあっさり外されたよ、びっくりした……。
こいつ恐ろしいやつだな。さすがあのリーネ女王陛下の妹だ。何のためらいもなく、もの凄い強権を発動してきやがった。
「じゃあ、じゃあ、これをくれるのかっ!」
「いや、僕には無理だよ。作れないから。でも……どうしたら手に入るかの提案はすることができる」
「本当かっ! どうしたらいいんだユーイチ! 教えてくれ!」
「ドワーフに頼んでみたらどうだ?」
……本当に、軽率なことを言うものではないなと思う。後悔しかないからだ。
いま、僕はドワーフの集落に来ていた。
言わずもがな、我が図書館に毎日居座っている姫騎士さまに連れて来られたのだ。言わずもがな、例の怪しいゲートを使って。
ドワーフの集落にも、到着は一瞬だった。一体あのゲートはどんな文明のあれこれが関与して生み出されたのだろう。
「なあ、ベル。あのゲート、一体誰が作ったんだ?」
「ドワーフたちの始祖と言われているな」
「始祖? ご先祖さまってことか」
「ああ。その始祖の直系の子孫が、いまドワーフたちの職人工房の工房長をやっている」
本当にゲームの設定のようだが、この世界では、ドワーフ族は職人の代名詞のようなものらしかった。曰く、この世界にある人工物は、たいていドワーフが作ったものだとか。
ドワーフ族の集落は、人間族のアットホームな集落とも、ドリアード族の緑溢れる集落とも違っていた。軒を連ねる家々は頑強な石造りで、集落全体がどこか要塞じみている。
と、「ふぁっ!?」と声を上げてベルが目の前から消えた。
どこ行った、と周囲を探せば……ベルはとある店の陳列窓にへばりついていた。
「はあああ、よいではないか~よいではないか~」
どこぞの殿さまのような言葉を呟いているベルの肩越しに、その陳列窓を覗き込む。
彼女の反応に納得した。
そこには、ベルがいかにも好きそうな武器や防具が陳列されていた。キラキラしている……というよりは無骨な武具なのだが、こいつはこういうのの方が好きなのだろうか。女性への偏見かもしれないが、女なのに変わった趣味をしていると思わんでもない。
「……ベル、目的を忘れないでくれ。武器をオーダーメイドしてもらいに来たんだろ」
「はっ、そうであった!」とベルは名残惜しげに陳列窓を離れる。
「ふむ、いい品だった……ドワーフ族には、わたしも大変お世話になっていてな。彼らがいなくてはああいった武器も防具も手に入らん」
「オーダーメイドはしなかったのか?」
「うむ。その発想がなかったのでな。ユーイチにはいいことを教えてもらった」
……僕はこいつに余計な知恵を付けてしまったのではないだろうか。ドワーフさんたちの仕事の邪魔にならなければいいが……
そんな一抹の不安を抱えて、やって来ました職人工房。
正式に言えば、職人工房ギルドのようだ。いくつもの工房が寄り集まっているらしく、石造りの建物は思いのほか大きかった。
「ここには、ドワーフ族の中でも選りすぐりの職人たちが集っておるのだ。武器防具職人もここにいる。ではまいろうか……たのもぉー!!」
まるで道場破りのような挨拶をしながら、ベルが職人工房の扉を潜った。
小さいおっさんがいた。
「うおっ!?」
僕は驚いて一歩後ろに飛び退く。
目の前に突如立ちふさがるように現れた、推定身長一四〇センチの口髭ふさふさな小さいおっさんが、僕を愛嬌よく見上げていた。小さいものは可愛いなんて誰が言ったんだろう、小さいおっさんは可愛くないと思う。
「職人工房『エウレカ』へようこそ、お客さま。ご用件をどうぞ」
「ええと……武器職人さんに、武器のオーダーメイドをお願いしたいんだ、こいつが」
「わたしが! そう、わたしが!」
ノリノリで挙手をしたベルを見て、小さいおっさんは何やら石版を差し出した。「こちらにお名前を」と言われたので、ベルがさらさらと僕の読めない文字で名を記す。
来客簿か何かのようだ。字が書けない場合は代筆してくれるらしい。
僕は普通に「寺沢優一」と書いた。この名前を書くのも久々だった。久しく書くことがなくても、なかなか名前っていうのは忘れないものだなと思う。さすがに僕の名前はこのドワーフも読めないようだった。だが、
「おやおや、これはこれは、姫騎士ベルフローリアさまでございましたか」
「へえ、ベルのことを知っているんだ?」
「我々ドワーフが丹精込めて作った剣の破壊本数、その記録保持者として名を馳せておいでですから」
あんまりいい知られ方ではなさそうだった。
「こちらへどうぞ」と受付ドワーフのおっさんに案内されて、僕とベルは工房の奥へと向かう。
思いのほか大きい工房。だがその中は、思いのほか狭かった。
通路に所狭しと、いろいろなアイテムが転がっていたからだ。
「これは一体何なんだ……?」
「我らが職人たちの試作品です。置いておく場所がなくて、そこに」
なるほど。もはや“職人”という言葉とイコールであるドワーフたちとはいえ、試行錯誤の末に道具を生み出しているのだなと感心した。
発明家で有名なエジソンは、確か『私は失敗したことがない。一万通りの上手くいかない方法を見つけただけだ』なんて名言を残してるらしいが、ドワーフたちもそういうことをしているのかもしれない。
なお、僕がなぜこんな名言を知っているかというと、博識で~とか言うつもりはない。寺澤文庫図書館の中に『世界の偉人名言集』なんて本があったので、最近読んだのだ。
この世界に来てからというもの、スマホやパソコンがないせいで、電子機器による娯楽に慣れきっていた僕にはすることがなかった。最初の頃こそ「ゲームやりたいネットやりたいネトゲェェェェェあああひゃああ!」と禁断症状が出たが、それが落ち着いてきた頃「どれ本でも読んでみましょうか」となったのである。
リーネさまやベル、そして住人たちに中身を翻訳して伝える以上、仕事として本を読まなければならなかったのだが、おかげで本の読み方というか、読書体力がついたようだった。そういう体力の存在を聞いたことはあったが、鍛えることができるのだなーと実際に読めるようになって気づいたのだ。
本についてあまり興味がなかった僕だが、まあ、そんな感じで最近は少し楽しく読書をしていたりしてます。
「こちらが武器工房です。お入りください」
試作品だらけの通路の奥、受付ドワーフのおっさんに促され、僕らはその扉を開けた。
小さくて厳ついおっさんがいた。
今度はさすがに驚きの声は上げなかった。
というか、上げられなかった。声を上げようものなら「出て行け!」と言われそうな、強面のおっさん相手だったからだ。
「我が職人工房の誇る武器職人にして工房長ドンドールです。では、あとはそちらで」
言って、受付ドワーフのおっさんは部屋から出て行った。
……さて、司会進行がいなくなってしまったのだが、どうしたものか。
ドンドールと呼ばれた工房長のドワーフのおっさんは、僕たちがやって来たのを確認すると、「フン」と鼻息を荒く鳴らして作業に戻ってしまった。何やら炉のようなものの前にある作業台で武器らしきものを作っている。
頑固親父っぽいなー、と何となく遠巻きに見ていると、ベルが意気揚々とドンドールさんに笑顔で近づいていきながら、
「ドンドールどの、このペルムにその名を轟かせている、名高き武器職人であるあなたに折り入って頼みが――」
「それ以上近づくんじゃねえ」
一言。
接近を制されたベルが、歩く姿勢のまま硬直した。僕の位置からは見えないが、恐らく笑顔も硬直しているに違いない。
「こっからは俺の聖域だ。むやみに足を踏み入れたら容赦しねえからな」
ドンドールさんは、握った工具を武器のように突き出して、ベルを睨みつけていた……いや、正確な情報を伝えるために、敢えて族(俗ではない)っぽい言葉を使おう。
ガンくれていた。
眉とか凄い角度になってるし、顎をしゃくった髭面が超怖い。
ベルは大人しくその場で足を止めた。さすがにドンドールさんに気を悪くされたら、武器が手に入らなくなるかもしれない、ということは分かっているようだ。
さて、このドンドールさん。
見た目は、おっかないおっさんだ。髭はドワーフ流のおしゃれなのか、リボンでチャーミングに結わえてあるが、いかんせん小さくていかついので、特段可愛くなどはない。機嫌を損ねようものなら、傍らのハンバーで場外に叩き出されそうだ。
などと僕が観察していると、勇猛果敢に攻め込んでいく我らが姫騎士さま。
「ドンドールどの、実はだな、その、あなたに武器を作って欲しいのだ!」
「………………」
ベルが一生懸命、身振り手振りで話しかけるが、無視されている。
「こう、シャーッてなってる武器なんだがな」
「………………」
「よく切れそうなやつで」
「………………」
「すごくかっこいいんだ」
「………………」
「それで、わたしはそれが欲しくて、いても立ってもいられなくてだな」
「………………」
「心がぴょんぴょんするんだ」
「………………」
「それでな、それはこんな――」
返事を返さないドンドールさん相手に、ベルは必死に説明を続ける。
めげないなあ、と呆れを通り越して僕は感心してしまった。こいつには『突撃』以外のコマンドはないのかと。
……あと、心ぴょんぴょんって、絶対日本にいただろお前。
そうこう、完全に傍観者として二人の様子を見ていた時だった。
「ユーイチぃ~……」
ベルが眉をハの字にして戻ってきた。
「ドンドールどのが話を聞いてくれぬぅ~……」
目元に涙を浮かべてベルは訴えた。子供か。というか、そんなに悲しかったか。リーネさまにひと睨みされた時ですら、こんな顔にならんだろうに。
多分相手が武器職人さんってのがハートに響いたんだろう。普通の人に無視されたところで、多分こいつは気にするたまではない。むしろ無視されたことに気づかないタイプだ。
どうして分かるのかって? 僕が普段無視してるからさ……
「いや、聞いてはくれてるんじゃないか? 無視されてるだけで」
「どっちも同じではないか……うう、どうしたらよいのか……」
泣き言を言い始めたベルをよそに、僕はドンドールさんの様子を見た。
真剣そのものといった感じで、作業に熱中されていた。
工具を使って、炉に突っ込んで赤く燃えた金属を、捻ったり叩いたりして。僕にはそれが何かは分からないけれども、確かに何かを作っていた。
職人さんなのだなーと思う。
僕は職人さんという存在に、ちょっとした憧れもあった。日本にいた頃に、そういう将来も少し考えたことはある。職人さんが全て好きなことを仕事にしているわけでもないだろうが、いわゆる趣味を仕事にするというのもいいなと思ったのだ。
だが、自分の腕だけを頼りにその道でご飯を食べていくというのは、並大抵の苦労ではないだろう。早々にそう判断した僕は、あっさりと、というか目指すこともなく諦めた。
修行とかも必要なはずで、僕自身がそれに耐えられるとは思えなかったのだ。
あと、これ大事なことなんだけど……そこまで趣味や好きなこともなかった。
まあ、そんな風に何かを熱く語れる気持ちがなかったから、アピールできなかったから、就活の面接もだめだったのかもしれない。心のどこかで自信のない自分が顔を覗かせた瞬間、自己PRをしている自分が途端に冷めていったのだ。恐らく、そういうものも見破られていたに違いない。分からないけどさ。
それを考えると、このドンドールさんは、すごい人なんじゃないかなと思えた。
職人として名を馳せ、さらに職人たちをまとめ上げているという工房長だ。
つまり、僕みたいな仕事にありつけなかっただめ人間からすると、誰からも必要とされなかった人間からすると、この小さくていかつい髭面のおっかないおっさんは、それはもう、炉の火の明かりよりもずっとずっと眩しい存在なのだ。
あれ、どうしてだろう、視界が涙で曇って見えないや……
「……坊主、どうした。目にゴミでも入ったか」
僕ははっとした。
ドンドールさんと目が合った。どうやら話しかけられたらしい。
「これは違うぞ、ドンドールどのが無視するから――」
「姫騎士さんには聞いちゃいねえ」
会話に横入りを敢行しようとしたベルが、あっさり強制退場させられた。
「えっと……すごいなと思って。作業しているところ、かっこいいな、と」
僕は眼鏡を外して目元を拭いながら、素直にこの涙の理由を説明した。
「近くで見るか」
「え、いいんですか」
「見る見る!」
「姫騎士さんには言っちゃいねえ」
ベルがお預けされた犬のようにきゅんきゅん言っているその横を通って、僕は眼鏡をかけ直し、ドンドールさんの近くに行った。
「そこの椅子に座るといい」
「ありがとうございます……」
それから、ドンドールさんは無言で作業を続けた。
僕は、その間じっとドンドールさんの作業を見ていた。食い入るように見ていた。その光景がすごく面白くて、何だか子供に戻ったようだった。
炉の火がぽかぽかして、気持ちよくて、何だか夢心地になる。
そのせいだろうか。晴れた日、家の縁側で、じいさまの隣で本を読んでいた頃のことを思い出した。本の内容について、じいさまに熱く語っていた頃のことを。
遠い遠い、もう自分の中から消えかけていた記憶だったのに。
心に湧き上がるような熱を、胸の奥に感じた。
こういうの、案外残ってるもんなんだな。
「……で、用事はなんでい」
ドンドールさんは、完成した
ベルも、もう急き込んで答えたりはしなかった。さすがに横槍は効かないと学習したらしく、僕に一騎討ちならぬ、回答を任せようと思ったらしい。
「ええと、ベルが……そこのベルフローリアが、ドンドールさんの武器が欲しいそうで」
ドンドールさんは、その時になってようやくガンくれた以来の視線をベルに向けた。
ベルはというと、殊勝な態度で正座している。武士か何かのようだった。
「……どんな武器が欲しいんでい」
ドンドールさんの問いに、ベルが切実な視線を僕に送ってくる。『頼んだぞユーイチ!』『分かっているだろうユーイチ!』『愛してるぞユーイチ!』などという思念が飛んでくる。はいはい、分かった分かった……うん? 愛してる? いやいや、いま変なの受信した。忘れよう。
「ええと、作っていただきたいのは、“シャムシール”という剣です」
「……初めて聞く」とドンドールさん。「ドワーフの作った武器じゃねえのか?」と首をかしげている。
「ええ。というか、この世界ではまだ誰も作っていないと思います」
その言葉に、ドンドールさんの眼光が鋭くなった。
「……どういうこってい」
僕は「話せば長くなるんですが……」と、僕が異世界人であること、作ってもらいたいのは異世界で作られた武器なのだということを、かい摘んで説明した。
ドンドールさんが、厳つい表情のまま硬直した。ですよねー。
「ええと……で、その武器の写真ならあります。これなんですが」
誤魔化すように言って、僕は「ああ~」と情けない声を上げるベルから『世界の武器防具大全』を取り上げ、その該当ページを開いてみせた。
「これは……なんでい? 知らねえ武器や防具がたくさん……」
「これは本です。僕のいた世界の知識や知恵が詰まってる」
ドンドールさんが「ホン?」と首を傾げた。
みんな揃って同じ反応をする辺り、本当に本が存在していないようだ。
羊皮紙のようなものはあれど、紙はないらしいし。
さっきの受付ドワーフが持っていた来客簿も、石版だったし。
紙がないと不便だと思ったが、案外、世界はちゃんと回っていた。
ちなみにこの世界でのトイレはどうしているかというと、葉っぱだ。この世界にはお尻に優しいふかふかした植物の葉っぱがあるのだ。それに関しては本当に助かったと思う。発見したのはドリアード族らしいが、感謝の気持ちしかない。
さて。
ドンドールさんは、武器防具大全をまじまじと見ていた。ページをめくってもまじまじと見ていた。超集中している。
だが……心なしかその表情に変化があった。
何というか、ドンドールさんの目がきらきら輝いていた。先程まで眼光で鳥でも射落とせそうな感じだったそれが、すごくつぶらな目に見えた。
一瞬可愛いかも、などと思いそうになって、いやいや落ち着け、相手はおっさんだぞ、と踏みとどまろうとした時、
「……作りたい」
ドンドールさんが、恋にでも落ちた乙女のような浮ついた声で、そんな風に呟いた。
くっ……耐えられなかった。
おっさん相手に可愛いと思ってしまいました。悔しい。
「……お前、名前何てぇんだ?」
僕がそんな風に敗北に嘆いていると、ドンドールさんが本から顔を上げずに訊いてきた。
形式じみた就活スタイルの必要はもうなさそうだったので、僕は当たり障りなく「寺沢優一です」と答えた。
「ユーイチ…………ユーちゃん、か……」
小さいおっさんに愛称で呼ばれた。くっ、可愛い女の子だったらよかったのに……
などと思っていると、ドンドールさんが会話を続ける。
「このホンとやら、借りれるか?」
「待てだめだそれはわたしのアイドクショなのだ誰かに貸すなどもってのほか――」
「いいですよ」
喚くベルの言葉を遮って、僕は答えた。
「ゆ、ユーイチ……そんな……後生だ……ユーイチぃ~……」
ベルがこの世の終わりみたいな顔で僕のところに駆け寄ってきて、膝立ちになり、服の裾に縋り付いてきた。どんだけこの本を気に入ってるんだよ、こいつ。
「ベル、黙って……ドンドールさん、それは作ってくれるってことでいいですよね?」
地に這いつくばりかけていたベルが、僕の言葉にはっとして顔を上げた。
大きく見開いた青い目でドンドールさんを見る。
「ドンドールどの……ほ、本当によいの、か……?」
姫騎士さまの懇願に似た声に、ドンドールさんが「フン」と鼻を鳴らした。
「……欲しけりゃ一週間後に取りに来い」
その言葉に、ベルが狂喜乱舞した。抱きつかれた僕は、首の骨が折れかけた。
……さすが姫騎士さまです、伊達に騎士の名を冠しちゃいない。強い。
さて、一週間が経過した。
寺澤文庫図書館は、今日、ベルの厳命によって閉館している。ドンドールさんの提示したシャムシールの受け取り時間に間に合わせるためだ。
いや、間に合わせると言ったら、語弊がある。
工房で受け取り待ちするためだ。
「図書館を休館させます」と進言したベルは、リーネさまにめちゃくちゃ渋い顔をされたようだが、そんなことでへこたれる我らが姫騎士さまではない。
武器が絡んだ時だけは、超強気で前向きだ。
「あれ~、今日はトショカン閉まってるにゃ?」
図書館を出たところで、ミーナに呼び止められた。
「ああ、おはようミーナ。そうなんだ、今日はちょっと用事があって……」
迎えに来たベルに、ぐいっと裾を引っ張られた。いいから早く行くぞということらしい。
「そうかにゃー。ホンを読むの楽しみにしてたんにゃけど、それにゃら仕方にゃいね。いってらっしゃい館長にゃん、またにゃん♪」
猫耳娘さんにひらひら手を振り見送られて、僕は出かける。
うん、可愛い女の子に見送られるの、悪くないな。
「何だその『悪くないな』みたいな顔は」
肩越しに振り返ったベルが、じとーっと僕を睨む。
「いや、悪くないよ。僕はああいう風に、出がけに誰かに見送られるなんて久しぶりだ」
家から大学へ向かう時、家から就活へ向かう時。見送ってくれる人はいなかった。この世界に来た時だってそうだ。誰も僕を見送ってはくれなかった。
まあ、この世界には気づいたらいつの間にか来てしまったので、「見送ってやるぜ!」という奇特な人がいたとしても、見送ってもらうことは不可能だったのだろうけれど。
「見送りなんていらんだろう? わたしが一緒に行ってやるのだから」
ベルがそんなオトコマエなことを言った。かっこいいな……だが、いま一緒に行ってやっているのは僕の方である。全く、一人で行かせてやろうか。
……それにしても、この世界の住人は、好奇心が旺盛なのだろうか。
ミーナを筆頭に、図書館に来る人が少なくなかった。
連日のように相談者たちはやって来ているし、大繁盛と言ってもいい(当社比)。認めてくれないのは、社長ならぬ女王陛下だけだ。
開館時の館内には、いつも人間族、獣人族、ハルピュイア族が数人ほど滞在している。ウンディーネ族は資料が濡れるので水浴び後はご遠慮いただいているのだが、人間族のことが嫌いなドリアード族も、最近は来るようになっていた。ネロリさんの口添えがあったのかもしれない。
とりあえず、みなさん、数日前に突然現れた得体の知れない建物だというのに、警戒心が足りないのではないかと心配になる。
実際、武器を振り回しているのなんて、いま僕の裾を破れるんじゃないかってくらいに引っ張っている脳筋姫騎士さまくらいで、騎士団はほぼ開店休業状態。街も世界も平和極まりないようなのだが。いいことだよね。
……脱線した。
何が言いたいかというと、住民に本が、そして図書館が好かれているようなのだ。
必要とされている、ということなのかもしれない。
この図書館の管理者である僕としては、そういう事態が嬉しくないわけはなかった。
何となく、図書館の館長を任されている僕自身も、住人たちに、そしてこの世界に必要としてもらえているのではないか、なんて思ってしまいそうになる。
あの女王さまは、認めてくれなさそうだけどね。
「どうしたのだ、ユーイチ。歩みが遅い! ちゃきちゃき歩かんか!」
ベルが服の裾をパッと手放した。
服が破れる前でよかった、なんて安心していると……不意に、ぐいっと腕を取られた。
そのまま僕を引っ張って、ずんずん大きな歩幅で歩き出すベル。
「うむ。こちらの方がいいな!」
それは僕の歩く速度を上げるためだろう。それ以外にいい理由が思い浮かばない。
もしかしたら、上司に「飲みに行くぞ!」と肩を抱かれるのってこんな感じなのかな、とふと思った。実際になったら面倒くさくて嫌だなーとか思ってたんだけど。
……まあでも、こういうのも悪くはないな、と思った。
腕を組まれて気づいたのだけど、思いのほか姫騎士さまの胸は大きゅうございました。
これ、胸の甲冑だけが大きくて、外したらぺったんこ、なんてことはないよね?
日本の巷ではベッドインした時にがっかり、なんて現象があったりするらしいけど、そんなことないよね?
そんな疑問を覚えつつ、再度やって来ました職人工房。
「ほらよ、完成品だ」
ドンドールさんは、出来上がった武器をベルに手渡した。
鞘に入ったそれを、生唾をごくっと飲み込んだベルが引き抜く。
それは剣先が反るように曲がった、ベルの愛読書にあった通りのシャムシールだった。
「ふおおおおおお、おおおおおおお」
ベルが感激に打ち震えている。青い瞳をきらっきらさせて、それだけでついて来てよかった、なんて思ってしまった。
ベルは大変ちょろいが、そういう僕も結構ちょろいのかも。
「ほら、こいつも返す」
「ああっ、わたしの半身! よくぞ返ってきた!」
いつから半身になったのかは分からないが、ベルはドンドールさんから返された愛読書こと武器防具大全を胸に掻き抱いた。
「ありがとう! お代……お代はいくらなのだ! 言い値をお支払いしよう!」
「金はいらねえ……けど、その代わり……」
ドンドールさんが、ちらりと僕を見た。
なんだなんだと身構えていると、ぽっ、とドンドールさんの頬が赤らんだ。
……重ね重ねになるが、何度でも言おう。ドンドールさんは、小さいおっさんだ。
なのに、どうして可愛く見えてしまうのか。
僕には全くもってそっちの属性はないのだが。断言しよう、ない……はずだ。
ドンドールさんが、頬を染め、瞳を潤ませて僕を見つめてくる。
なお、相変わらずの上目遣いだ。
「ユーちゃん……///」
「は、はい……っ」
……ど、どうしよう。
これはもう、お金の代わりにナニを求められる覚悟をせねばならないのでは――
「このホンとやらを、もっと見せてもらえねえかっ!」
恋愛フラグの乱立に内心慌てふためいていた僕をよそに、ドンドールさんが興奮気味にそう言った。肉体的な警戒をしてしまった自分が恥ずかしい。そんな可能性あるわけないだろう、あってはならない。
「このホンってやつは本当にすげえよ! 俺の知らねえ武器や防具ばっかりだった! 武器や防具以外のホンも、あるんだろう!?」
「ま、まあ、ありますけど」
「ユーちゃん、お願いだ! 見せてくれっ! この通りだ!」
ドンドールさんの職人らしい無骨な手に、僕の苦労を知らなそうな手が掴まれる。
別に、断わる謂れはない。
承諾した僕は、ドンドールさんを連れて、ベルと共に図書館へ戻ることにした。
「何てこった……これ、全部ホンなのか……」
ドンドールさんは図書館の中を見回して、そんな呟きを漏らした。
小さなドワーフの目の高さからすると、恐らく僕らが見ているよりも本の量に圧倒されるのかもしれない。
「汚したり壊したりしなければ、好きに読んでいいですよ」
そう許可すると、ドンドールさんは工房の炉の前で工具をいじっていた時以上の繊細な手つきで、棚から取り出した本のページをめくる。その度に「はー」とか「おー」とか感嘆の声を上げた。子供のようだ。
「文字は全然読めねえけど……けど、すげえや……こんなもんがあるとは」
ドンドールさんが、本を眺めながら僕の傍にやって来た。
「ユーちゃんのいた世界の知識や知恵が書いてあるって言ってたな……これは、ユーちゃんの世界にはあったもんなのかい?」
「そうですね、館内の本を全部把握してるわけじゃないですけど、失われてしまったものとか想像上のものもあるかもしれませんけが、基本的にはあったものなんじゃないかと」
「そうか……ユーちゃん。実は、相談があるんでい」
ドンドールさんが、上目遣いで見上げてきた。きゅん、としちゃう僕の胸。
……分かった。この身長差がいけないのだ。
ドワーフ族は、みな小学校低学年の子供くらいの身長だ。だから、僕の中の庇護欲が駆り立てられてしまうのだろう。可愛いなどと思ってしまうのだろう。
相手は髭モジャのいかついおっさんだというのに……
「ええと……相談、ですか?」
納得しながら尋ねると、ドンドールさんは首を大きく縦に振った。
「いや、実はな……俺が工房長してる職人工房っていうのは、てめえで言うのは大それたことかもしれねえんだが……ドワーフ族の顔みたいなもんなんだ。ゲートを知ってるだろ?」
「はい、あのどこでもドアですね」
「どこでもドア? ユーちゃんの世界ではそんな風に呼ぶのか」
余計なことを言ったな、と反省した。説明がややこしくなる。
「すみません、続きを……」
「ああ……で、ゲートを作ったのも職人工房の初代工房長だった。ゲートは偉大な発明だ。文明を一歩も二歩も進めたって言われてる。それだけのもんをドワーフ族は作れたんだ。けどな、最近、俺も含めたドワーフ連中の仕事がマンネリ化してきてなぁ……どうにか刺激が欲しかったんだ。そこに、これよ」
ドンドールさんが、本の表紙を軽く叩いた。
「刺激なんてもんじゃねえ、これは概念の破壊だ! 他のドワーフたちにも見せてやりたいと思ったんだ。それで、ユーちゃん、こいつは俺たちに刺激的なんじゃねーかっていう本をいくつか見繕ってもらいてえんだ。頼めるか?」
「なるほど、そういうことですか。構わないですよ。用意しておくので、後日取りに来てもらえれば」
「明日にでも取りに来る。頼んだぜい!」
僕の腕を軽く一叩きして、ドンドールさんは言った。
ドンドールさんが図書館から帰ったあと、僕はさっそくドンドールさんのお眼鏡に適いそうな本を探すことにした。
再び、館内案内図の前で腕組みする。
「発明するための刺激が欲しいっていうことだと……やっぱりこれかな、“500 技術”」
僕は該当の棚に向かった。
技術の棚には、工学関係の本がたくさん並んでいた。ビンゴである。
建築工学やら、機械工学やら、電気工学・金属工学などなど、職人であるドンドールさんが好きそうな本ばかりだ。それらの本は建築工学なら建築工学で集まっていたので、やはり種類によって並びが分けられているようだった。
文字は読めないだろうと、僕は絵や写真、図のある本を重点的に選び、十冊ほどピックアップ……で、カウンターまで運ぶと、仕事が終わってしまった。
これなら待っててもらってもよかったな、と思った時だ。
ふと、もう少しおまけを付けてあげられないだろうか、という気持ちになった。つまり、もう少し役に立ちそうな本を探せないだろうか、と。
勤労意欲なんて僕にはないと思っていたのだが……まさか、誰かに対して何かをしてあげようだなんて思うようになろうとは。サービス業の素質、あったんだろうか。
そういえば以前に抱いた「図書館運営は何業なのか」という疑問だが。
ここの図書館に限ってはサービス業だな。
そんな風に結論を出した時だ。
「ユーイチ、そう言えばこの辺の棚はよく見ているが、奥の棚は全然見ておらん。どんなホンが並んでるんだ?」
ベルが僕の服の裾をくいくいっと引っ張ってそう尋ねてきた。
本当に服の裾を引っ張るのが好きなやつである。
「あー、じゃあ、見に行くか」
ドンドールさんの役に立つ本も見つかるかもしれない……そう思って、僕はベルと共に奥の棚を見に行くことにした。
この寺澤文庫図書館は、私設図書館の割に広い。
見た目は立派だなんて言ったが、実は中も立派だ。
そんじょそこらの公立図書館に引けをとらないくらいの広さだ……と、じいさまが言っていた。僕はそんじょそこらの公立図書館に行ったことがないので、本当かどうかは知らないが、嘘ではないと思う。それくらい広いのだ。
一階部分には本が並んでいるのはもちろんのこと、吹き抜けというのだろうか、低めの二階部分にも本が並んでいて、それが一階部分からも見えた。
ベルが奥と言っているのは、この二階部分のことだ。
階段を上らなくてはならないということもあって、僕もあまり行かないし、図書館に来ている人たちがそこにいるのを見たこともあまりない。
館内案内図では、そこには『000 総記』『100 哲学』『900 文学』などが置いてあるらしい。階段を上って右手が文学、左手が残りの総記と哲学のようだった。
住人たちの足が向かないのも、何だか文字が多そうな棚だからかもしれない。
そして、実際に、文字が多い本ばかりだった。
「うぬう~、ユーイチ。全く読めんぞ。あれも、これも、それも全部文字ばかりだ」
ベルが顔を、ぐにょーん、と歪ませて呻いた。かなり綺麗な顔をしているのに、こういう残念な百面相をするから本当にもったいないなと思う。
「まあ、哲学に文学だからな。そうなるだろう」
なお、総記が何者か僕もよく分かってなかったのだが、辞書で調べたら『どの分類にも収めないもの』のようだ。要するに、分類する側もよく分かってないものってことなんじゃないかな。
「テツガクにブンガクとは何なのだ?」
「この世界にはその概念すらないのか……ええと、哲学は昔の偉い人の人生観かな。文学は物語」
改めて聞かれると、なかなか一言で答えるのが難しいものだが……合ってるだろうか?
「ほう、では後世、ここにわたしの人生観が並ぶかもしれんのだな」
「いや、それはないな」
「なぜだ!?」
「お前の人生観、武器サイコー! とか、そういうのだろ?」
そんなの哲学書じゃなくてジョーク本じゃないか。
僕の皮肉には全く気づかない様子で、ベルが屈託なく笑う。
「さすがだ、ユーイチはわたしのことをよく分かっているな! いいやつめ!」
……この子、ちょっと最近、僕のことを過大評価しすぎなんじゃないかなって思うんだよね。結構バカにしっぱなしなんで、何だか心が痛んだりしないこともない。
「うーん……やっぱりドンドールさんの役に立ちそうな本はこの辺にはないかな」
「ユーイチ、これは何を表しておるのだ?」
棚を眺めていると、僕の先を行くベルがくいっと裾を引っ張り、棚を指差す。
棚のところに、見出しが挿してあった。
その見出しには、電球マーク。
そして一緒に【未来の発明家たちにオススメの『人生訓』分類の本】などと書いてある。
「何だこれ……?」
僕は見出しを見る。じいさまの字だ。
館内の備品なのだからちゃんと印字すればいいものをと思いながら、その見出しの先の本を見る。
何やら人生訓についての本が並んでいた。
本についたシールの記号を見ると、一五〇番台の本が並んでいる。エジソンの名前なんかもタイトルに入ってたりした。一六〇の手前で、『ここまで』の見出しが挟んであった。
「ふーん……人生訓か」
僕はそこにあった一冊の本を手に取って、中を見る。
「ふむふむ、っと……へえ。これ、いいかも」
人生訓の分類などというから、「こうするべき!」とか押し付けがましいもっと肩肘の張った内容の本だと思ったのだが、どちらかというと「こうすると捗るよ?」みたいな発想の転換を促すような内容らしい。
ドンドールさんの役に立つかもしれないと思った。
文字は多いかもしれないが、僕が内容を説明すればいい。
「いいホンがあったか? なんという名のホンなのだ? そのホンにも我がアイドクショのように名があるのだろう?」
ベルが僕の手元を覗き込んで尋ねてきたので、僕は表紙を見せてやりながら教えた。
「『あなたもこれで発明家!~発想の転換法~』ですって」
翌日、やって来たドンドールさんは僕が選んだ本を見て目を輝かせた。
特に、僕が哲学の棚で見つけた本をいたく気に入ってくれたようだ。最初は文字ばかりの本に眉間に皺を寄せていたが、僕が内容を読んで聴かせると、どんどん目がキラキラしていって、「どうにかこの文字を読めねえかなあ」などと言ってくれるまでになった。
ドンドールさんは、計十一冊の本を図書館から借りて行った。動物の皮を
あの鞄いいなぁ、いつか手に入れられるくらいに稼げる日が来るだろうか、リーネさま次第かな、などと思いつつ僕は見送った。
それが、かれこれ二週間以上前のことである。
貸出期限は、図書館が元の世界にあった時に準じて二週間にしてあった。
この世界でも日にちの概念は日本と同じだったので、ドンドールさんは、恐らく返却期限を忘れているのだろう。
電話やメールなんてものはこの世界にはないので、返して欲しかったら直接訪問するしかない。返却依頼を直接伝えに行くかは、初めてのことだったので迷うところだった。
そんな風に迷っていた日の、翌日。
またしても僕は、我が雇用主リーネさまに早朝から城へと呼び出された。
しかも、今日は休日のはずだった。
そう。まさかの休日出勤ならぬ休日登城である。
「何ですかリーネさま……僕、今日休みで、まだ寝てられるはずの時間なんですけど」
「わたくしは政務で忙しいのです。あなたと話をするには、この時間しかありません。それに、あなたが本日休みだから呼び出したのです」
「……と、おっしゃいますと?」
「あなたを呼び出したのは、今日、ドワーフ族の集落に行って来て欲しいからです」
「ドワーフ族の? 何のために?」
「最近、何やら起きている様子で。側近たちからも『ヤバいことになっている』と聞いています。ですので、何が起きているのか、あなたに確認してきて欲しいのです」
「そんなの、ベルに頼めばいいじゃないですか」
「他種族の集落にあの子を一人で行かせることには不安が残ります。外交的な意味で」
リーネさまがため息をつくように言った。
妹のことを、よく分かっていらっしゃるようだった。
「……分かりました。行って、見てきます。けど、もちろんいただけるんですよね?」
「何をです」
「休日出勤手当とか、出張手当的な」
「報告次第ですね。楽しみにしています」
おお、と僕は内心ガッツポーズした。
リーネさまが前向きに手当を検討してくれようとしている。
奇跡じゃないかな?
そんなわけで、ドワーフの集落を確認してくることになった僕は、ついでにドンドールさんに本の返却を依頼しに行くことにした。
「ヤバいって、どうヤバいんだろうな」
図書館からゲートへと向かいながら、同行するベルにそう話を振った。
「我が騎士団の者たちの話だと、『神がジェリービーンズをぶちまけて潰したホールケーキ』だとか『あの世とこの世のミックスパフェ』だとか」
「何だその喩えは……騎士団の人たちは甘党か何かか」
「いや、最近、城の料理人が図書館からホンを借りただろう?」
ベルの言葉に、僕は思い出す。
確かにそれらしき人が本を借りて行った。料理や菓子作り関係の本だったはずだ。僕が読み上げたものをメモしてらっしゃった。
僕は口外していないので、ベルは恐らく本人から聞いたのだろう。誰が何を借りたか、図書館の人間は人に言ってはならないとじいさまが言っていたので、一応僕も守っていた。
「料理人が、そのホンを元にいろいろ作っているのだ。材料はドリアード族に手伝ってもらって、それっぽいものを用意してな。それが、どうやら騎士団員たちのお気に召したらしいのだ」
なるほど。寺澤文庫図書館の本は、そういう風にも活用されているのか。
「まあ、それでもホンにあって、ここにない道具も多いようでな。“おーぶん”、とか“でんしれんじ”があればいいのだがと料理人がドワーフ族に漏らしておったわ」
「ああ、確かにそういうのはあれば便利だよな」
このファンタジックな世界でそういったものがあっても、すごく違和感な気がするけど。
それに、ファンタジックっていうのもあるんだけどさ……
……僕は周囲を見渡す。
この世界、植物はやたらとデカイし、恐竜っぽい鱗肌の動物とか多いし、何となく“太古の世界”ってイメージがちらつくんだよな。まあ、太古の世界にドリアードとかドワーフとかいたなんて話知らないけど。
そう言えば、エルフもいるとは聞くけど見ないなぁ……結構憧れがあるんだけど。
やっぱり美人さんばっかりなんだろうか――
――そんなことを呑気に考えながら、ゲートを通ってドワーフ族の集落へ到着。
僕は、そこに広がる光景に……絶句した。
「ゆ、ユーイチ、これは……」
何事にも動じなさそうなベルも、さすがに唖然として呟く。
集落が、山のようなビビッドカラーの謎の物体に埋もれていたのだ。
その、目に鮮やか過ぎる光景は、まさに『神がジェリービーンズをぶちまけて潰したホールケーキ』であり、『あの世とこの世のミックスパフェ』だった。
というか、一見すると、言い方は悪いが色とりどりのペンキをぶちまけた産廃場のようだ。しかし、集落の奥の方には、この世界に似つかわしくない謎の高層建造物が立っていたりもする。太陽の塔のようなものも立っていた。ドワーフさんたちの芸術が爆発でもしたのだろうか。
「何なんだ、これ……」
僕は恐る恐る近づいて、物体の一つを確認した。
「ちょっと待て……これ、冷蔵庫じゃないか!?」
冷蔵されてないけど、冷蔵庫だった。
何を言っているか分からないと思うが、僕も分からない。
ただ、形的には、まごうことなき冷蔵庫だったのだ。
「こっちは、テレビ? こっちは車か!?」
物体の山々を眺め回して、僕は驚愕する。アレンジされているのか何なのか、根本的に何かが違っているものの、ぱっと見は日本で普通に見た文明の利器ばかりだ。
動きはしないか……だが、そう思っていた時、
「ふおおおっ、ユーイチ、なんだこれはっ!」
ベルが突然大声を上げた。
ベルが手にした物体から、歌が流れ始めた。歌、と言っても、そんなに上手くはないし、バックミュージックもない。だが、はっきりと歌だと分かる。
「すごいぞユーイチ! これは中に誰か入ってるのか声が聞こえる!」
「ああ、すごい、な……」
「愛してるって言われた! いや、すまない、わたしには心に決めた人が」
「ベル、それ音楽プレイヤーか何かだから、返事はしなくてよろしい。相手はいない」
「へっ、おんがくぷれいや? そうなのか、いないのか?」
ベルがきょとんとした。
だが、頬を染めて音楽プレーヤーに返事をしていた彼女の発言に、気になる単語が一つ。
「お前、心に決めた人なんていたんだ?」
「……みなまで言わせる気か、ユーイチ?」
「いや、別に」
「そうかー言わせたいのかー仕方ないのうー」
「言ってもいいけど、聞かないからな」
「な、なぜ……!」
「そこまで興味ないし?」
今のは、『僕』とかいうオチはさすがにないだろう。だって、ここまででフラグ立つ要素皆無だったし。何のイベントも経ずに僕を好きになる女の子なんているわけがない。
僕くらいのフツメンだったら、俺TUEEEならぬ僕TUEEEイベントの一つや二つ軽く起こさないと。
「むう、興味くらい持ってもよいではないか……」
ベルが頬をぷくーっと膨らませながら、歩き出した僕についてきた。
「興味なら一つあるぞ」
「おおっ、なんだなんだ?」
「ベルはいつも防具をつけてるけど、リーネさまみたいなドレスとか着ないの?」
騎士団長とはいえ、一応、彼女も一国のお姫さまだ。
リーネさまが身に着けているような裾の長いドレスくらい着てもいいものだが、こいつはいつも防具着用のミニスカートである。常々疑問ではあった。
「ほほう。見てみたいのか?」
「いや、別に」
「見せてやってもよい。今度見せてやろう」
「いや、あの……ええ、じゃあ、お願いします」
別に見たいと思ったわけではないが、ベルが見せたいようだったので頷いておいた。
どうせ一日経てば武器や防具のことで脳内が書き換えられて、こうして約束したことも忘れるはずだ。
しかし……ドワーフ族の集落はすさまじい様相だった。
ここだけ文明のレベルがおかしい。
進めども進めどもガラクタ(失礼)の山である。僕はドンドールさんの職人工房へと向かっていたのだが、そちらに近づけば近づくほどその数が増えてゆく。まさかとは思ったが、どうやらこのガラクタ(失礼)の出処は職人工房のようだ。
「うーわー……」
工房に到着した僕は、思わず棒読みでそんな声を上げてしまった。
予想は何となくしていたのだが、ここが一番潰れたホールケーキの様相を呈していた。謎アイテムたちに埋もれていたのだ。工房の入り口すら見えない。
何とか道らしきものを発見して、入り口に辿り着いた僕らは、工房の中へと入った。
工房の中にも、比較的小さなアイテムたちがみっちり詰まっていた。恐らく工房内に収まりきらなくなったものが、街に溢れて、あのようになったのだろう。
「いらっしゃいませ~」
受付ドワーフが何事もなかったかのように積み上がった物体の陰から出てきた。
何だか派手になっていた。頭には浮き輪のような物をかぶり、髭からはカラフルなカラーリボンのようなものが飛び出している。失敗したパリコレのようだ。
「ど、ドンドールさんのところに用が……」
「ああ、工房長ですね。どうぞどうぞ」
前来た時と同じように来客簿らしき石版へ記名させられて、僕らは工房の中を進む。だいぶ通路が狭い。
「ユーイチ、助けてくれ、挟まった!」
振り返れば、大きな胸が物体につっかえて、ベルが進めなくなっている。
引っ張ってやると、物体の山が崩れて、道がなくなった。
「片付けておきます~」と受付ドワーフ。「気にせずに奥にお進みください」。
僕とベルは、通路に転がった謎アイテムを半ば踏みつけるようにして進んだ。
そうして何とか僕らはドンドールさんの工房にたどり着いた。
「おお、久しぶりだなユーちゃん、姫騎士さま!」
歓迎してくれるドンドールさん。
だが、その格好がおかしい。
何というか……スチームパンク風とでも言うのだろうか?
歯車仕掛けの片眼鏡をかけて、腕とかにも工具が一瞬で切り替えられるような金属製の作業補助用アームがついている。
正直に感想を言おう……かっこいいっす。
「あの、ドンドールさん、どうしたんですか? この前来た時にはなかったものが、工房や集落にたくさん……」
「ああ、あれは俺たち職人が作ったんでい」
やっぱりね……そんな気はしてました。
「どうしてあんな……いや、ああいう物を?」
「ホンにあったもんをとりあえず作ってみるかーって職人連中と話してたら、みんな超ノリ気で作り始めちまってなぁ……けど、俺に一番影響を与えたのは、このホンだな」
そう言ってドンドールさんが差し出したのは、僕が最後に追加した一冊だった。
「お前さんが解読して読んでくれた言葉がなぁ、こう、胸に響いたというか、視界が開けたね。あれから何でも作れる気がしてな、気づいたらこんな感じだったんだ」
「そう、だったんですね。あの本が……」
極力笑顔を心がけたつもりだったが、内心では頬が引きつる思いだった。
……そうか。この文明爆発の犯人は、僕自身か。
「何か、すみませんでした……」
「何で謝るんでい、ユーちゃん。いやーしかし、これまでは作るだけ作ったが、まだまだ動かないものとかもあるからな。改良していかにゃーならん。そこでユーちゃん、また新しいホンを――」
「ええと、返却期限過ぎてるんで新しく貸出できません。とりあえず最初の十一冊返しに来てください話はその後で。それじゃ」
「おいおいユーちゃん。来たばっかりなのに、もう帰るのか?」
ドンドールさんが引き止めるのを「仕事があるので~」と言って躱す。
……言ってから、ちょっと仕事があるってかっこいいなと思う。僕、日本では無職だったけど、いま図書館の館長やってるんだよな、そう言えば。
館長……ちょっと艦長と同じ響きで、かっこよくないですか。
そんなことはさておき。
「ユーイチ、すごいな。これはここを押すと花が咲くんだ」
「ベル、いいから帰るぞ」
アイテムを面白そうに観察していたベルの襟首を引っ掴んで、僕は工房からそそくさと退散した。
ダンジョン工房から出て、そこで一旦立ち止まる。ベルが不思議そうに振り返った。
「どうしたのだユーイチ? こんなに急いで出てくることもなかっただろうに」
「いや……あれ以上ドワーフに本を見せたらまずいと思って……」
あれ以上、本――というか知識を与えてしまうと、さらに文明の進化が加速しそうだった。僕はもうこれ以上、この世界の生態系を変えるような真似はしたくない。
まあ、言っても、もう住人たちにはある程度の本の知識は広がってしまっているし、ドンドールさんだってまた図書館へと来るだろうから、僕が非協力的になったとしても、焼け石に水なんだけど。
何となく、心情的な問題だ……急激な変化というのは、心理的に大きなストレスになるのである。自分が原因の一端を担っているとなれば、なおさらだろう。
しかも、これが僕のせいだとバレては、リーネさまに何を言われるか……
……考えるだけで、気が滅入る。
うーん。何て報告しようかなぁ……
せっかくの休日出勤手当だとか、出張手当だとかの話も、なしになりそうだ……
「そうなのか? わたしは面白かったがな」
脳天気な姫騎士さまがそう仰せられた。
「気楽に考えられる人はいいですね……」
「ユーイチも発想の転換をすればよいのだ。そういったホンを読めばよい」
……まさか、ベルから本を読めと言われるとは思わなかった。
しかし、発想の転換とはすごいものだ。
こうして一集落の景観というか、世界観すら変えてしまうのだから。
改めて見渡しても、ビビッドカラーにまみれた世界が強烈である。目が痛い。
「……とりあえず今回、一つ勉強になった」
「何だ?」
ベルの問いには答えず、僕はドワーフ族の集落を後にした。
今回の一件で、熱意ある人たちが得るべきものを得ると、質的にも量的にも、もの凄いものが生まれるということが分かった。
文明すら軽く進めてしまうほどの化学反応が起きるということが分かった。
僕のいた世界の人たちだって、宇宙にロケットを飛ばしてしまうような熱意ある人たちがいたのだ。この世界でも不可能ではないのかもしれない。
つまり、僕が学び得た結論はこうだ。
……ドワーフたちに本の知識を与えると、本当ヤバいです。
異世界図書館へようこそ/著:三萩せんや 角川スニーカー文庫 @sneaker
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