第3話 ドリアードの憂鬱はこの本で解決でしょう
人間族の集落に面白い建物が現れた。
どうやらその場所へと行けば、天から啓示を与えられるがごとく、どんな悩みもあっという間に解決するらしい。
そんな噂が、この世界ペルムの住人たちの間でまことしやかに囁かれるようになった。
すごい場所じゃないか、と思うだろう?
そんな場所があったら、確かにすごいと僕も思う。
でもね、驚くことなかれ。
……それ、どうやらこの図書館のことらしいんですよ。
「ユーイチユーイチ、ズシャーッて切れそうだ! 敵の血がブシャーッてなりそうだ!」
もの凄く物騒な効果音を上げた姫騎士さまことベルが、開いた本のページを指差してうっとりと目を細めながら言った。
もちろん本は武器防具大全。
うん、ハタチ前後の女の子の見せる反応じゃないね。
服とか宝石とか、そういうのだったら分からなくもないんだけどね。
ベルは、リーネさまに僕の仕事ぶりを報告するためだとか言って、もう毎日のように図書館へやって来ていた。一応、僕の上司的な立場の人である。
だが、武器防具大全を開いて今のように黄色い悲鳴を上げているだけなので、きちんと仕事ぶりを見てくれているかというと、怪しいことこの上ない。
実際、僕の方を見てる時間、皆無だし。
この人、この国の騎士団長らしいんだけども、騎士団って暇なんだろうか。
「なあなあ、見てくれ。これ、これこれ、すごくないか!? すごくない!?」
「はいはい、すごいねー。よく分かんないけどねー」
暖かい空気に満ちた昼下がりの図書館。その棚と棚の間を歩きながら、僕は生返事をした。季節は春か……いや、この世界は常春のような気候なのかもしれない。
図書館と共に異世界生活を始めてから、かれこれひと月が経っていた。
最初にリーネさまから、前払いということで生活費を支給された僕。
驚いたことに、食料の現物支給だった。
給料とか言いつつ金を寄越さないとはとんだブラック企業だな! などと思ったのだが、なんと、この世界には貨幣というものが存在しないらしい。まさかの物々交換制なのだ。
不便だと思うのだが、まあ、本も紙もないなら、そういうこともあるだろうか。
だが、最低限の生活を保証するとリーネさまは言っていたな。
……あれは嘘だ。
数日分しか渡されなかった。「足りない分は来館者から対価として徴収しなさい」などと言われた。
ひどすぎるよね、あんまりだよね……
さて。嘆いていても雇用主や待遇は変わらない。
その支給品と来館者からの対価を切り詰めて細々と糊口をしのぐギリギリの底辺生活をしながら、僕はベルに付き添ってもらい、この世界が(とは言え図書館周辺だけの話だが)どんなものかを見て回った。
そのおかげで、少しずついろいろと分かってきた。
まず、住んでいる住人。
どうやらこの世界では“なんとか族”のように種の名に“族”をつけてそれぞれの種族を呼んでいるらしい。
いくつかあるが……まず、ベルや僕のような人間族。
それから最初、城に連行される時に見かけた種族――小さくてずんぐりむっくりなのはドワーフ族、羽の生えたのはハルピュイア族だ。人型だが獣に近い姿を持つ獣人族や、常に水で濡れているウンディーネ族にも会った。彼らは、この人間族の集落リクリウッド王国に住んでいるだけで、故郷というか、種族の集落が別にあるらしい。
実際に会ったのはその四種族だけだが、他にもエルフ族やドリアード族、それからウィスプ族なんて種族もあるとか。主な種族はその八つだが、他の人口の少ない希少な種族を含めると、いくつの種族が存在するのかを性格に把握するのは困難なようだ。
何というか、剣と魔法のRPGの世界みたいだった。
ところで、剣はベルや兵士さんが持っていたが、魔法なんかもこの世界にも存在しているのだろうか。あるなら、見てみたいものだ。
「これはザシュッって感じかな! ギャルンッてなりそうだ!」
そんなことを考えていたら、ベルが再び物騒な効果音を上げた。
……ごめん。先鋭的すぎるというか、独創的すぎて、もう全然分かってあげられない。ザシュッはまだ分からなくもないけど、ギャルンッてどんな感じですかそれ。
「なあ、ユーイチ! 何て書いてあるんだこれは! 名を何というんだ!」
僕の雑な対応にもめげずというか気づかず、後ろをついてきていたベルが僕の服の裾をくいくいっと引っ張った。
なお、いま現在、僕はこの世界の衣服を着ている。来た時に着ていた服は、さすがに三日も着ているうちに要洗濯となったので、なけなしの給料で手に入れたのだ。訊けば、どうやらあの街中に生えていたゼンマイ状の植物の綿毛で作った服らしい。
「えーと……『
「セイリュウエンゲツトウ!? 何それかっこいい!! 何それ!! ユーイチ何それ!?」
「ええとちょっと待て、参照ページが書いてある……これだな」
そう言って、青龍偃月刀の写真が載っているページを見せてやる。
写真を指で示せば、それを見たベルが目をキラキラさせて周囲に星屑を振りまいた。
「ふああ、かっこいい……かっこいいな、ユーイチ!」
「はいはい、そうですね。かっこいいですね」
「むう……なぜおぬしはそんなにツレない反応しかせんのだ。つまらんぞ」
「あんたのお姉さまに頼まれた仕事してるんでしょうが」
リーネさまから直々にされた依頼だった。
依頼と言っても大したことではない。
それは昨日、リーネさまに玉座の間に呼びだされ、「ひと月も経ってまだ利益皆無のようですが、言い訳を聞きましょうか」と超怖い笑顔で説教を食らった時のことだ。
――「別の世界から来たからですかね。勝手がまだ分からなくて」
利益が出せていないことの言い訳としてそんな風に答えたところ、リーネさまは興味をお持ちになられたらしい。そして、僕がいた世界がどんな世界だったか、それをリーネさまは知りたいと言った。
口頭で説明してみたのだが「分かりづらい」、「もう一度」、「伝える気があるのですか」とプレゼンの駄目出しもかくやというような感じで指摘されてしまい。かと言って、わざわざ図書館までご足労願うわけにもいかず。
というわけで現在、ざっくり『元の世界は、こんな感じでした』と、絵か写真で紹介できる本を探していたのだ。
「リーネさま、異世界について、何だかやけに興味持ってたな」
目についたタイトルの本を手に取って中を見てみるが、コレジャナイ感がすごかったのでそっと棚に戻す。テキトーに渡してもいいのだが、またあのおっかない顔で怒られては敵わない。
しかし、図書館の本って、何順で並んでるんだこれ。タイトル順でもないし、著者順でもない。何となく似たような種類の本が並んでる気はするんだけども……
「姉上は、異世界というのに憧れていたようだからな」
武器防具大全を読みながら、ベルが言った。
あの
「――って、じゃあ、この世界の他にも世界があるって、リーネさまは知ってたのか?」
「さあ、どうだろうな。わたしは詳しく訊いたことがない。武器防具の話なら詳細を乞うていただろうが、それ以外は別にどうでも」
お前さんは武器防具以外のことにも興味を持とうな……
まあ、言っても無駄なのはここ十日で十分理解したからもう言わないけども。
リーネさまに詳しく話を聞いてみたいが……いや、訊いたら「そんなことより働きなさい」とか平気で言ってきそうだ。やめよやめよ、わざわざあの人に接触したくない。
「こにゃにゃちわ~」
その時、図書館の入り口の方から声がした。
ベル以外の人が来るのは、これで今日は三人目だ。
何用か予測しながら、僕は手ぶらのまま棚の間から出て、図書館の入り口へ向かった。
入り口には、猫耳娘さんが立っていた。
耳や髪、尻尾が茶色い。手には籠をぶら下げている。
「こにゃにゃちわですにゃ、トショカンの館長にゃん」
挨拶を再びして、猫耳娘さんが頭を下げた。尻尾も生えている。
どうやら獣人族のようだ。中学生くらいだろうか、小さくて可愛らしい。
「ここでお悩み相談をしてるって聞いたんにゃけど」
「あー、まあ、お悩み相談ね……うん、まあ、そう」
僕の歯切れ悪い返事に、猫耳娘さんが猫目をぱちぱちさせた。
僕は、お悩み相談なんて始めたつもりはないのだ。だが、どうからどう噂が流れたのか、そんなことになっているらしい。
つまり、「あそこでお悩み相談をやっている」と。
さらにやって来た先客の悩みを実際に解決してしまったりしているせいで、どうやらここ数日で「あそこで悩み事を相談すると解決する」に噂がグレードアップしたようだ。
そのおかげで、一週間前には一日に一人冷やかしの人が来るか来ないかというような感じだったのに、今では一日に二人は必ず来るようになっていた。
今日は三人目なので記録更新。実際に来館者から対価を貰っているので、繁盛していると言っていい。
この状況で「利益皆無」なんて言ってくるんだから、リーネさまはお厳しいお方だと思いますよ本当に。昨日そんなことを思わず零したら「トショカンの中に人を溢れさせてから言いなさい」と、にべもなく一蹴されましたけど。
「お代は持って来たにゃあ。先払いにゃ」
言って、猫耳娘さんは手に持った籠から、なんとネズミを出した。
しかも生きているやつだった、チューチュー悲鳴を上げている。
「そ、それを僕にどうしろとっ……!?」
「食べろにゃ。ごちそうにゃ。丸焼きにするといいにゃ」
「いやなんかもう本当ごめんなさいお断りします」
郷に入らば郷に従えとは言うが、いきなりハードル高すぎでしょう。まあ、昨日イモムシ持ってきたハルピュイアの少年よりはマシか……
「ユーイチ、食わず嫌いはいかんぞ」
「じゃあお前にやる」
「わたしは、いい。遠慮しておく」
「なんだ、お前さんも食わないんじゃないか」
「わたしは、一度は食べた上で断っている。ただ好き嫌いが激しいだけだ」
「それ胸張って言うことじゃないからな? 偉くないからな?」
「ふむ。館長にゃんはネズミが嫌いかにゃ。じゃあ、こっちでどうかにゃ」
猫耳娘さんが同じ籠からドデカいラグビーボールみたいなものを出してきた。カカオの実に近いというか、味もチョコレートっぽいのは既に先日食べて知っている。ただし、中に種がなかったので、もしかしたらこれ自体が実ではなく種なのかもしれない。
「それでいいよ。引き受けよう」
「にゃった! ええと、相談にゃんだけど、簡単にノミ対策ができんかにゃと」
「ノミ? ああ、あのぴょんぴょんする」
「そうにゃ、あの忌まわしい寄生虫にゃ。健康な獣人は大丈夫にゃんだけど、ちょっと疲れた獣人はノミに憑かれちゃうのにゃ」
何だか幽霊みたいな扱いである。
「ノミに憑かれたら手で取るしかにゃいんだけど、それが面倒でにゃあ。しかも同じ獣人だとうつされちゃう可能性があるから、ノミ取りをするのもにゃかにゃか大変で……」
「というと、予防したいってことかな」
「そうにゃ!」と猫耳娘さんがこっくんと頷いた。
僕は猫耳娘さんをその場に残し、本棚に向かった。確かさっきこの辺に動物関係の飼育書の類があった気がしたんだけど……
「うーん、ここじゃない。こっち……でもない」
そうこう行ったり来たりして、ようやく動物関係の本にたどり着いた。
今回もたまたま辿りつけただけで、館内はそこそこ結構広いし時間がかかる。
やっぱり探しにくいんだけど、何か法則とかないのだろうか。
「……いや。待て待て。あったぞ、確か……」
前にじいさまが教えてくれた気がする。何だったかな、本の背表紙についてるこのラベルの数字が関係していた気がするんだけど……
……まあいいや。とりあえず今は猫耳娘さんの相談だ。
猫飼育の本を見つけて、棚から引っこ抜いて何冊か確認する。それらに書いてあったのは、『シャンプーやら薬を使う』、『獣医に相談』などの方法だった……何か違う気がする。そういう方法を選べる世界なら、猫耳娘さんはここに来ていないだろう。
と、その付近で『犬猫にやさしい自然派治療』という本を見つけた。
ページをめくってみると――あった、“手作りするノミの忌避剤について”。
これが一番近いかも……とりあえずその本を持って猫耳娘さんのところに戻る。
「どうかにゃ? 全部まるっと解決しそうかにゃ?」
「うーん……この本に書いてある材料がこの世界に存在するのか分からないし、この世界のノミが僕の世界のノミと同じか分からないから、断言はできないんだけど」
僕は図書館入口にあるカウンターの、対面して座れる席に猫耳娘さんを座らせた。僕も向い合って座り、手元を明るくするためにテーブルランプのスイッチを入れる。
不思議なことに、ここには電気が通ってないはずなんだけど、このランプは点くのだ。先日からきちんと点灯している。
「ええと、『ティートゥリー、シトロネラ、ラベンダー、ゼラニウムなどの精油でノミ避けスプレーが作れる』らしいんだけど」
「ティー……にゃにゃん? 分からにゃあ……にゃにかにゃ、それ?」
「植物の名前なんだけど」
「ならドリアードに訊くにゃ。この葉っぱの絵を見せれば分かるにゃん?」
「なるほど、それはいい案だな。ドリアードならば、植物に関してはエキスパートだ」
「ホンとかいうそれ、借りてもいいかにゃ?」
「いいけど、返してくれよ。あと、ここに名前書いて」
貸すのはいいが、一応ここの本はこの図書館の財産でもある。なので、本来の図書館がやっているように、貸出の記録をとっておくことにした。業務マニュアルのようなものがカウンターに残してあったので、それを参考にすることにしていた。
さて。
何でも、最近では非常に珍しいとは聞いていたが、この寺澤文庫図書館は未だに貸出カードと言われる紙製のカードで本の貸出管理をしていた。
本の裏表紙の内側にポケットが作られていて、そこにカードが挟まっている。貸出者に名前を書いてもらったそのカードのみを、本が貸し出されている最中、図書館側で保管するというアナログな管理方法だ。
じいさまが言っていたのだが、昔は一般的なやり方だったらしい。だが、今はコンピュータで管理されているところがほとんどだとか。実際、中学、高校、大学と、僕も図書館を使う機会は微かにあったわけだが、そこでもコンピュータ管理のようだった。
とりあえず、僕は本を貸し出す上で、この図書館にあったシステムをそのまま転用することにした。未使用のカードもたくさんあったので、当分の間はそれを使えばいい。
しかし、初めての貸出希望者を相手に、一つ問題が発覚する。
「あのう、館長にゃん……名前というか、字が書けないにゃん……」
猫耳娘さんが耳と尻尾を垂らしてションボリと言った。
しまった。この世界の識字率を考えていなかった。
本や紙に記録する習慣がないのだ、書けなくとも仕方ない。
「ええと、それじゃ君が書いたって分かるような……そう、サインを書いてくれないか?」
「さいん、にゃ?」
「どんなものでもいいよ。簡単な絵とか……似顔絵でもいいし」
と、猫耳娘さんはピンときたらしい。「書くにゃ!」と言って、僕が渡したペンを幼い子供のように握った。そうして一心不乱に何かを書き――
「できたにゃ! さいんにゃ!」とカードを見せてきた。
ええと、この○と△を組み合わせて描いたようなこれは……
「似顔絵にゃあん。可愛いにゃあん♪」
……なるほど。可愛いかどうかは別として、そう見えなくもない。
「これで館長にゃんは、ミーナが借りたって分かるにゃ?」
「君、ミーナって名前なのか」
「そうにゃ」と猫耳娘さんが頷く。
「うーん。確かにこれじゃ結局誰のか分からなくなりそうだから……いいや、こうして、」
僕はミーナのサインの横に『=ミーナ』と捕捉を書いておいた。今後、他の人たちに貸す時も、とりあえずサインと僕が名前を代筆したものとで記録を取っていこう。
カードに必要なのは、あとは貸し出した日の日付だ。
この世界にも何月何日という概念はあるようなのだが、“ふくら鳥の月”やら“狸の寝待月”やら名称がよく分からないことになっていた。なので、僕は暫定的に、この世界に来た日を一月一日にした。
なので、今日は一月十一日(何となく数えておいたのだ)。それを猫耳娘さんの名前脇に記入した。とりあえずこれで貸し出してから何日経ったのかは把握できる。連絡先とかもあればなおいいのだが、あいにくこの世界には電話なんてものはない。
「ありがとにゃ! ドリアード族のところに行ってみるにゃ!」
にゃにゃーん! と手を振って、本を受け取った猫耳娘さんなミーナは、カギ尻尾をふりふり、足取り軽く図書館から出て行った。
「今日はもう誰も来ないか……っていうか、さすがにこう毎度迷うとなると、図書館内のどこに何の本があるのか把握しておきたいな……うーん、何かないだろうか」
「ユーイチユーイチ! これは何だ! 盾か!?」
「図書館に盾なんてあるわけないからなー」
うちのご先祖さまの収集癖は、本に対してだけだったはずだ。盾などあるわけない。
ベルを無視して何か館内を把握する術がないか本棚の方を見て考えていると、くいくいっと服の裾が引っ張られた。もちろん犯人はベルだ。
「ユーイチ、ではこの金属の板は何なのだ?」
「……金属の板?」
「何か彫られている。あと、何か、文字が書かれたカミがくっついてるぞ」
僕は振り返ってベルが示すものを見た。
そこにあったのは、館内案内図だった。
そんなものあったのかという感じだ。しかもご丁寧に注釈が、手書きで貼られている。
見覚えのある文字……どうやら、じいさまの字のようだった。
日本十進なんたら法がうんたら~というざっくりした説明書きと、その他、案内図の棚を示すところに、数字と単語がセットで書かれた小さなシールがいくつか。
シールの方は、説明書きよりも
「『000 総記』『100 哲学』、『200 地理』……ベル、ちょっと本貸してくれ」
「ちょ、ちょっとだけだぞ? 本当に……ちょっとだけ……」
下着を見せてくれそうな感じでベルが言った。だが、そんなイベントはない。
さて、今生の別れか離れがたしというような表情のベルを脇目に、僕は武器防具大全の背表紙のラベルを見た。
『559.023』
館内案内図のシールを見ると、『500 技術・工学』とあった。
ついでにカウンターに置いておいた、ここに来た時に光った例の『恐竜のほん』を見る。
『457』
再び館内案内図のシール数字を見ると、『400 自然科学』と書いてある。
……なるほど、少し理解できた気がする。
つまり、背表紙のラベルが000~099の番号は“総記”という括りの本、100~199の番号は“”哲学・心理学“という括りの本で、この武器防具大全は500~599の番号に含まれるので『技術・工学』の括りの本なのだ。
十の位以下とか、小数点以下が何かとかさっぱりだけど。だが、とりあえず大まかにはこの館内案内図を頼りにすれば目的の本の目星がつけられるだろう。
しかし、図書館ユーザーはこんなの熟知してるのだろうか。僕も図書館をちょっとでも使ってたら、「こんなの常識だぜ」って言って少しは楽に本が探せてたんだろうか。
……まあ、そんなことを考えても仕方ない。もしかしたら他にもヒントが転がっているかもしれないし、もう少し館内を物色してみよう。
「ユーイチユーイチ!」
「うん? 何だベル、そんなに必死こいて」
「返しておくれ! そのホンを返しておくれ!! お願いィ!!」
ぐいぐい引っ張られた。切実に引っ張られた。眼鏡がズレた。
「はいはい……まったく、すっかり愛読書だな」
「そうだとも、アイドクショだ!」
絶対に意味が分かっていないベルが、武器防具大全を胸にぎゅっと抱いて言った。
……まあ、ある意味間違ってなさそうだし、今回は別に説明も不要かな。
「うーん。それにしても、何だか大層な噂が広まってるみたいだな」
「噂とな?」
「この図書館に来ると悩みが解決するっていうやつ。今朝、ご近所さんに言われた」
すごいねえ、頑張ってねえ、とご年配の女性たちに言われた。
あんな風に期待を込めて言われては、いえその噂は誤解です、とは言えなかった。
「どっから流れたんだか」
「ああ。それならわたしが流しておいた」
「お前か、風説の流布の犯人は……しかしまた何でそんなことを」
「『新しく店を開いたら宣伝が必要でしょう。ベルフローリア、存分におやりなさい』と姉上に言われた」
ベルがリーネさまの真似をして言った。さすが姉妹、似ている。
しかし、あの女王さまが主犯か。まったく、手を回すのがお早いことだ。
「いや、ここ店じゃないし、あの噂、すごいチート感満載だったんだけど」
「はて? “ちーと”とはなんだ?」
「んー。何ていうか、“反則的に強すぎる”とか“ありえないくらいに万能すぎる”とか……つまり、あれだ、“すごすぎる”ってこと」
我ながら残念な語彙力だなとは思うが、これ以上の説明をしてもきっとベルには伝わらないだろうと思う。
「トショカンはちーとではないと、ユーイチは申すのか?」
「ただの図書館だよ。強くもないし、万能でもなければ、別にすごいってことも……」
図書館が異世界でチート生活できるなんて聞いたことないし、図書館
「何をいう。トショカンはすごいではないか」
あっさりとベルが言った。
いや、武器防具大全をヨダレ垂らして見ながらの発言なので、説得力がまるでない。完全にその一冊に心掴まれただけで言ってるだろう、それ……
「うーん。すごいかねえ……僕にはすごさが全然分かんないけど」
「実際に住人たちの悩みを解決もしているではないか。もう十人近く」
「あれ、そんなに?」
「パッと思い出すと、ハルピュイア族から『いい声で歌うための発声法が知りたい』、ウンディーネ族から『最近乾燥肌がひどくて』、人間族から『夫婦喧嘩したが仲直りしたい』、『あの人を振り向かせるには』、『強くなる方法』なんかがあったな」
「あー、あったあった」
それにしても人間族の相談事が俗っぽすぎる気がするのだが。
あと最後のは、この姫騎士さまからのご相談です。とりあえず筋トレ本を渡して少し解説というか翻訳しておいたのだけど、どうやら兵士さんたちにやらせているらしい。兵士さんたちもご苦労さまです。
「でも、解決してるかまだ分からないものもあるし、リーネさまにも満足されてない」
「よいではないかよいではないか。姉上にはこれからご満足していただけるだろうよ」
悪い殿さまみたいなセリフを言いながら、ベルが無責任なことを言う。武器防具大全を舐めるように見ながら。
うん、全く真剣に考えてないな。
――それから数日後。
「にゃにゃーん!」
カウンターの中に何があるのか物色していた僕は、その元気な声に顔を上げた。
猫耳娘のミーナが図書館に再びやって来た。
「館長にゃん、先日はありがとにゃん!」
「お、おおう、どういたしまして?」
「ノミ予防のお薬、ちゃんと効果あったにゃ!」
「ほお……材料見つかったんだ?」
「ドリアードにホンの絵を見せて相談したらすぐに見つかったにゃ。植物のことはドリアード族に訊けば一発にゃ!」
ドリアード族とは、ベルに聞いたところ、植物と人生を共にしている種族らしい。
植物を愛し、植物を友とし、植物を家族として過ごしているのだという。それなら植物についてエキスパートにもなって当然かもしれない。
「これはお礼だにゃあ!」
どさっ、とミーナは籠をカウンターに置いた。
例のカカオっぽい実がたくさん入っていた。
「また頼むにゃん。あ、あと、ドリアード族の族長がトショカンに興味持ってたにゃん」
「ドリアード族の族長とは、ネロリどののことか?」
毎日毎日飽きもせず、今日も今日とて武器防具大全を眺めていたベルが、ミーナが来てから初めて反応した。
「そうにゃ」とミーナが猫耳をぴょこんと動かして頷いた。
「ベルの知り合いなんだ?」
「ああ、一応、族長同士の会議で、姉上のお供を
「何か相談したい悩み事があるんじゃないかにゃ?」
「ふむ……だが、よほどのことでなければ、あの方は相談になど来ないだろうな」
「そうなんだ? 集落が遠いとか?」
「いや……ドリアード族は、人間族のことをあまりよく思っていないようなのだ。というより、人間族を下等種族だと思っているらしい」
おお、何かあまり芳しくない雲行きの言葉が出てきたぞ。
やっぱり異世界にも種族間問題みたいなのはあるんだな。
「それは姫騎士にゃんが脳筋だから……」
ミーナがベルに聞こえないくらいの声で言った。
……うん。人間族が見下されている理由はこいつか。理解した。
「うん? 何か言ったか?」
「言ったにゃ。姫騎士にゃんは高貴っていったにゃ。にゃあ、館長にゃん?」
「ああ、そうだね。剛気だって言った気がしたけどね」
「ふむ。高貴も剛気もいい言葉だな。褒めてくれてありがとう!」
キリリとドヤ顔を決めてベルが誇らしげに言う。
うん、本当は二人で揃って馬鹿にしたんだけどね。ミーナもなかなか腹黒い子である。
そんな風に「ドリアード族の族長が~」などと噂をしていたせいかもしれない。ミーナが帰った直後だった。
「失礼するぞ」
低く厳かな声音が、突如、図書館入り口から聞こえてきた。
続いて、背の高い男の人が、ぬっと入ってきた。肌が木肌のように浅黒く、髪は樹木のような艶のある緑色――
「ネロリどのではないか」とベルが驚いたように言った。
どうやらドリアード族族長さまご本人が来館されたようだった。
……本当、噂をすれば何とやらである。
さて、僕は現在、いかめしい顔をさらに難しい表情でコーティングしたネロリさんと対面してカウンターテーブルに座っていた。
ミーナやその他の住人たちと同じように座っているのに、プレッシャーが半端ない。リーネさまといい、就活の面接と言っても、重役との最終面接くらいの緊張感だ。
まあ僕、最終面接まで行ったことないんだけどね。
「そなたが、異界からの訪問者か」
「は、はい」
何ですかそのカッコいい呼ばれ方。僕、巷でそんな風に呼ばれてるのか。
しかし、そこで会話が途切れた。
……沈黙。
「ええと、本日はどのようなご用件で……」
図書館の中を悠然と見渡していたネロリさんに、僕は緊張に耐えかねて尋ねた。と、ネロリさんがこちらに気づいたように眉を上げて視線を向けてきた。
「ああ……ここで、悩み事を解決できると聞いて来たのだ」
ため息のような憂いを帯びた声で、ネロリさんは言った。
「何か悩み事が」
「……あるから来たのだ」
ですよねー。質問間違えました。
「ど、どんな悩み事が」
「………………ううむ」
おや? おやおやおやおや? この反応、多分あれだ。
『人間なぞに頼んで解決するものだろうか』とか悩んでいるやつだ。
「人間なぞに頼んで解決するものだろうか……」
大正解でした。うーん、人間族かなり嫌われてるなぁ……
「ネロリどの、それは人間族に対する無礼ではないか! 人間なぞとは、我々はそんなに頼るに値しない種族かってこれは素晴らしい武器だなユーイチ♥」
諸悪の根源がログインしたので、文化的な方法で黙らせました。
武器防具大全開いて見せただけなんだけど、チョロすぎじゃないですかねこの姫。多分いま話していた内容、頭からスッポ抜けてるぞ。
僕は武器防具大全をベルに預け「向こうで読んでおいで」と言った。ベルは本の中を見つめたまま素直に無言で頷いて、勉強机が並ぶ閲覧席の方に行った。まるで聞き分けのいい子供だ、助かった。僕はいま一国を救ったかもしれない。
「……女王以外で、あの脳筋姫を一瞬で黙らせる者がいるとは」
ベルを見送った僕は、背後から聞こえてきたそんな言葉に振り返る。
発言者のネロリさんは、僕を見て眉を上げてみせた。
「そなた、なかなかやるな」
「え、ええ……お褒めいただき光栄です」
ネロリさんの空気が若干和んだことにホッとする。
しかし他種族の間でも脳筋で通ってるのか、あいつ……一体これまで何やらかしてきたんだろう知るのが怖い。
「女王ならばともかく、あの姫相手では徒労になるやもと思ったが……あれを手玉に取っておるそなたになら、まあ、相談してみるのも悪くない」
「はあ……手玉にですか」
真面目に相手してないだけなんだけど、他人からはそう見えるのか……なるほど。
「さて、相談だがな。実は我が集落に生育している植物についてなのだ」
植物、と聞いて驚いた。植物のエキスパートであるドリアードが、植物の素人である僕に、一体何を相談しようというのか。
言っておくけど、僕は植物をまともに育て上げたことがない。小学校の時に育てた朝顔も枯らしたし、雑草と間違えて花壇の花を引っこ抜いてしまったこともある。そんな植物の天敵みたいなやつが僕ですけど、いいんだろうか……
僕が身構えていると、ネロリさんは懐から畳まれた布を出した。それを開く。
中に、葉っぱが数枚入っていた。
「これが、我が集落の植物において、問題が見つかった葉だ」
「問題ですか」
「この葉の、この部分だ」
樹木の枝のように節のある指で、ネロリさんが葉っぱの表面を示す。
「部分部分に白く粉をふいているだろう。これは本来の、正常な葉にはないものなのだ。こっちが正常な葉だ」
「確かにこっちは普通の葉っぱですね」
「この白い粉が現れてから、植物に元気がないのだ。枯れ始めているものもある。こんな風に、我が集落の植物に異常が出るのは初めてのことでな。集落の外でも植物がこんな風になっているのは、これまで見たことがない」
「なるほど、それで
「植物と共に生きるドリアードが、植物のことを分からぬのだ……笑いたければ笑え」
「いえ、笑いませんけど」
ネロリさんがピクリと眉根を寄せた。
めちゃめちゃ怖いのでその表情ご遠慮願いたい。
「ええと……だ、だって、知らないことだったから、ネロリさんはどうしたらいいのか知りたくてここに来たんでしょう? ここは、元々そういう調べ物のための場所なんです」
確かそうだ。図書館は、そういうところ。
僕は知らないけど、じいさまが生前にそんなこと言ってたし、間違ってないはず。
「だから、ここに来たことは別におかしなことじゃないですよ」
ネロリさんは、めちゃめちゃ怖い顔のまま僕を睨んでいたが……
やがて一つ深く息を吐き出して、テーブルの上の葉っぱに視線を落とした。
「……ならば、相談させてもらおう。単刀直入に聞く。これは何なのだ? 我らの植物に何が起きているのだ? ……そして、どうしたら元の状態に戻せる?」
ネロリさんの明確な質問に、だが当然、僕はすぐには答えられない。
僕はネロリさんにその場で待っていてもらうことにした。急ぎでなければ一度帰ってもらってじっくり本を探そうと思ったのだが、急ぎでないはずがない。
誰だって、家族が身体の異常で苦しんでいるのに、悠長にはしていられないだろう。ネロリさんにとって、植物はそういう家族みたいなものだと思ったのだ。
僕はまず、先ほどベルが発見した館内案内図を見ることにした。
「ええと、植物っぽい本がありそうなのはどこだろう……」
館内案内図のじいさま手書きの注釈に、それらしき項目がないか探す。
「『400 自然科学』これか?」
試しに棚に行ってみた。
棚に並ぶ本は、数学……物理学……化学……あかん違う、と思い始めたが、そのまま棚を見ていくと、やがて生物学らしい本が出てきた。少し進むと植物学の本もあった。
「おお、ビンゴじゃないか!」
……と、思ったが、甘くなかった。
植物学として分類されているらしい棚に並んでいる本は、あくまで学問の本だったのだ。
いわゆる植物の構造がークロロフィルがーみたいな本。
探しているのは、そういう本じゃないのだ。もっと、こう……
「ユーイチ、あったのか?」
その時、本棚の入り口からベルが話しかけてきた。
「いや。これは勉強のための本だ。探してるのは、もっと、こう……」
……だめだ。なんて表現したらいいのか。
適切な言葉が見つかれば、本ももう少し探しやすくなるかもしれないのに。
「ふむ? よく分からんが、とりあえずあの葉っぱの持ち主である植物は病か何かか」
「そうだろうな。病……となると、医学とか?」
……いや、それもこの400の棚の最後に並んでいるけど、違う。
ここには人間の病に関するものしかない。
「ベル、ちょっと考えよう」
「ふむ。何をだ? 武器のことなら得意だが、そうではあるまい?」
僕はベルを連れて館内案内図のところへと戻った。再度、案内図と睨み合う。
「植物……病気……」
考えても『自然科学』以外の項目でこれといった項目は思いつかない。
あと可能性があるとして、意味が分からん『000 総記』か、それっぽい雰囲気のある『300 社会科学』、『500 技術』、『600 産業』か。
まあ四つまで棚が絞れているし、ミーナの時のようにぶらついていれば、時間はかかるかもしれないが見つかるだろう。
そう結論を出し、僕が再び棚のところに行こうと思った時だった。
「まだ分からぬか」
ネロリさんにそう声をかけられた。僕は振り返り、頷く。
「すみません、お時間を取らせて。まだどこに何の本があるか把握しきれてなくて……」
「そうか。いや、急に来て葉の一部だけを見せて答えをすぐに寄越せというのも勝手な話だとは分かっている。もし可能であれば、我が集落の植物を直接診てはもらえぬだろうか」
「え。構いませんけど、僕が見ただけじゃ分からないですよ」
「いや、それによる鑑別や治療は期待していない」
「と、申しますと……?」
「一時的に集落の者たちを安心させたいのだ。病に対して手だてがないわけではないことを周知したい。そなたが来てくれれば、それができる」
なるほど。きっと集落の人たちは不安で混乱もあるかもしれない。
「そういうことならいいですよ。でも、ここからドリアードの集落って、お遠いんでしょう?」
敬語を使い慣れてないせいで、通販番組のお高いんでしょう的な口調になってしまったが、「それがなんと~」みたいな返事は全然、誰からも期待してなかった。
「それがなんと一瞬で行けるんだ」
ベルの答えに、僕は耳を疑いました。
異世界という所には、時々想像もできないような謎の技術があったりする、らしい。
「ええと、これは?」
図書館を出て街の中心部へとやって来た僕は、目の前にいくつも並ぶ門のようなものを見て悩んだ。
尋ねれば、ベルが門をぺしぺし叩いて説明する。
「ゲートだ。ここを通ると、
「一瞬で行けるって……お手軽すぎるわ」
どこでもドアか何かですか。
門の中に空間の揺らぎが見えて、すごく不安になるんですけど、これ、もしかしなくてもやっぱり、
「ユーイチ、そこへ入れ」
やっぱりそうだよね。そうやって使うんだよね。
けど、これすごく勇気いるぞ……などと思っていると、ベルに手を掴まれた。
「え」と声を上げた時には、その手を引かれて、僕はベルと二人で門の中だった。
ぐにゃぐにゃした十センチ幅ほどのこんにゃくのような空間を突き破るように抜けると――そこは、緑溢れる森の中だった。
「ようこそ、ドリアード族の集落へ」
ネロリさんが、そんなに歓迎していなさそうな顔で言った。
人間族の集落と比べ、植物はずっと大きく太く、その緑も濃い。住居も木の洞の中に作られているようだ。とは言え、窓から見える中は、ログハウスのようで快適そうである。
そんな集落に住むドリアード族の人たちは、人間族の僕らの訪問にざわついていた。とはいえ、木の影からこちらを窺うような視線を感じるだけで、目の前に来てくれたりはしない……人間族嫌われすぎでしょ、これ。
「というか、到着早すぎやしませんか」
「いやいや、一瞬だと言ったではないか。さて、ネロリどの。さっそく件の植物の場所に案内してくれ」
「それには及ばない。そこだ」
ゲートの脇をネロリさんが指差した。
そこには花壇があった。ゲートからの来訪者歓迎のために植えてあるのかもしれない。
僕はその植物に近づく。
葉っぱに白い粉がふいていた。左右に十ばかり並んでいる花壇の過半数がそんな状態になっている。枯れ始めているものもあった。
「私がそなたに見せたのは、その花壇の花の葉だ」
花壇の傍らに目を向ければ、その付近にある植物の葉にも白い粉が見られた。花壇から範囲が広がろうとしているようだ。
「ネロリどの。この植物は病なのだろう?」
僕の隣にやって来て植物を見たベルが、ネロリさんに話しかけた。
「恐らくそうだろうとは思うが」
ネロリさんはベルのことが嫌いなのだろうな。めっちゃ話しかけんなオーラ出てる。
傍から見ているこっちが怖いほどだ……だが、ベルは空気が読める聡明な姫ではない。
「そうか……だが、この植物が病だと、何か不都合があるのか?」
うーわー地雷っぽいの踏みに行ったよこの姫騎士さま。
不都合があるから僕のところに来たんじゃないのかな、その人?
植物大事だって、植物は人生だってその人言ってたじゃん?
その人生な植物が病気って、つまりものっ凄い不都合だと思うんだけど……
ネロリさんの表情が途端に強張る。オーラが一気に黒々しくなり、まるで「てめえの血は何色だ」と問うているようだった。ええ、僕も同感です。
すわ種族間抗争勃発か、と思ったが……
「……我が集落の植物は、この世界の植物と繋がっている。我が集落の植物たちが病となれば、いずれ世界中の植物が病となろう」
ネロリさんはベルに、淡々と、怒りを抑え込んで、まるで子供に教えるように丁寧に『どうして不都合なのか』を説明していく。
ネロリさん、超大人だった。僕ならあのポニテ引っこ抜いてたかもしれない。
「あの病になれば、植物が弱る。枯れるものも増えるだろう。そうなれば……そうだな、お前たち人間族にも不都合が出よう」
「な、何だと? それはどういうことか?」
「そうだな……例えば、人間が口にする野菜や穀類の収穫量が減るだろう。そうなれば食糧問題が生じ、ひどければ飢饉にも繋がる」
「それはひどい! もの凄い不都合ではないか!」
「あ、もしかして」
ネロリさんの言葉に、僕は思わず声を上げた。
ベルとネロリさんが僕を見て、目を瞬く。
「どうしたのだ、ユーイチ?」
「本棚、どこを探せばいいのか、分かったかも」
ネロリさんの狙いである『住人たちを安心させる』という目的も果たせたので、僕らは滞在もそこそこに図書館へ戻った。まあ、また何かあっても、あのゲートはどこでもドア……つまり一瞬で戻れるので、問題ない。
というわけで、管内に戻った僕は、さっそく案内図で棚を確認してそこに向かった。
該当の棚を見て――あった。
植物の病気と治療法に関する、いわゆる園芸関係の本が並んでいる。
本のラベル番号は『623』――6から始まる数字の棚は『産業』だった。
「おお、見つけたのか」とついて来たベルが言った。
「ああ。ベルのおかげだよ。あっさり見つかった」
「なんと。わたしのおかげとな。それはよかった――が、わたしは一体何をしたのだ?」
「ベルの質問に、ネロリさんが“野菜や穀類の収穫量”って言ったから、もしかして“農業”が関係あるんじゃないかって思ったんだ。そこから連想して“産業”の棚かなって」
「ほお、おぬしは頭が回るな!」
「お褒めに預かり光栄ですな」
「我が騎士団に軍師として迎え入れてやってもよい」
「……え、遠慮しておくよ」
たとえ僕に軍師の才能があったとして、騎士団長のベルが『突撃』コマンドしかないから無理ゲーだと思うんだよね。
まあ、『農業の本』かなって思ったけど、『農業』のコーナーも別にあったから、若干予測は外れたのだろう。見つかったので結果オーライだが、その辺どうして違ったのか、いずれ分かるとすっきりしそうだ。
さて、僕とベルは本を数冊持ってネロリさんの元へ戻った。
「それが、噂に聞くホンというものか」
「そうです。で、ちょっとあっちで中身を見てきたんですけど、この病気の植物の写真が、ネロリさんが持ってきた葉っぱそっくりだなと」
「本当だ……やはり病なのだな。で、これは何なのだ?」
「これは『うどん粉病』という病みたいです」
「ウドンコ病……?」とネロリさんが呟く。
うどん粉って言葉、この世界にないよね、さすがに。
「僕がここに来る前にいた世界では、ありふれたよくある植物の病気だったみたいです。カビが――」
ネロリさんが「カビ……?」と再び呟いた。
これは、本の言葉を噛み砕いて説明しないとだめだな……
「――ええと、目に見えないくらい小さい生き物――が原因で、その生き物が植物たちに取りついている状態です。この白い粉もそれ。で、植物は葉っぱで生きるための力を作ってるんですが、この白い粉に覆われると力が作れなくなって、結果、元気がなくなったり枯れてしまったりする、みたいですね」
「なるほど……そういうことか」
よかった、納得してもらえる説明ができたみたいだ。
「では、その小さな生き物とやらを、どうやったら追い払えるのだ?」
言われて、僕は本に書いてある対策と治療法を見る。
……人工的な薬剤はだめだ、この世界にはない。
となると、ごく身近な自然にある物質を散布する方法になる。
「ええと、この世界に、“重曹”とか“酢”とかってある?」
「ジュウソウ?」
「ス?」
ベルもネロリさんもキョトーンだ。うん、通じないの予想はしてた。問題ない。
「水に溶かすとシュワシュワ~って泡が出る石とか、舐めると酸っぱい、ツンとした匂いの液体」
「ふむ。わたしは知らんぞ?」とベル。
「私もだ」とネロリさん。
「ないか……じゃあ、これだ。“木酢液”。これを作って、希釈したものを散布しよう」
当然二人から「モクサクエキ?」と呪文のような言葉が発せられた。
酢と重曹は日本では当たり前に家庭にもあるものだから、これらの本にも当たり前に揃えられる前提で書いてある。
だが、それ以外の方法として挙げられている木酢液は別のようだった。
そもそも僕が「モクサクエキ?」と首を傾げそうになったくらいなので、一般的な物ではないはずで。だから、本には入手方法や作り方も書かれていたりするようだ。
酢や重曹の作り方はないし、そうなると選べる手はこれだろう。
「作るとな? 作れるものなのか、ユーイチ?」
「たぶん作れるはずだよ。基本的に木材があればいい。それを燃やして出た煙を集めて冷やすらしい」
「木を燃やすのか……?」
「? まずいですかね……? 木材とか軽く言っちゃいましたけど……」
「……いや、我々も木材を得るために頃合いの木を切ったりはする。ただ、燃やすのに少し抵抗があってな……」
「あ……そうか。大切な植物を燃やすとか嫌ですよね……すみません、別案を考えます」
「……いや、いい。道具となった木を燃やすことを憂うよりも、これから未来ある植物たちを生かす方が大事だ……その方法を試したい」
ネロリさんは、どうやら木酢液での治療を前向きに検討してくれるらしい。
「そのモクサクエキを作る具体的な方法を教えてくれ」
「理論的にはいま言ったように、木材を燃やして煙を集めて冷やすだけみたいです。ただ、そのための装置が必要ですね。こういうのなんですけど」
言って、僕は本に書いてあった装置を指で示した。
するとネロリさんは一つ頷き、
「この装置、私にはさっぱりだが、ドワーフならば形にしてくれるだろう。彼らを頼ってみることにする。この本を借りてもいいだろうか?」
「ええ、もちろんです。では、このカードにサインを……」
ミーナたち先の来館者と同じく、ネロリさんにも貸出カードを書いてもらった。
当然読めないが、文字のようだ。さすが族長クラスになると、字も書けるらしい。しかし、読めないけれど、ネロリさんが達筆なのは伝わってくるから不思議だ。
「植物たち、元気になるといいですね」
対価として珍味らしい実の入った葉の包みを置き(チマキや笹団子のような小さな包みだ)、図書館をあとにしようと出口へ向かうネロリさんの背に、僕はそんな言葉をかけた。
ネロリさんが振り返り、僕を一瞥して――「では」と一言残して去っていった。
「ふむ。礼も言わずか」
問題を解決してしまった本に「意外と本って使えるかも?」と感心していた僕の傍らで、ベルが不満気にそう言った。
「まあ、まだ植物が治ったわけじゃないしね。それに、僕はこの世界の人にとってまだまだ不審者みたいなものだし、一朝一夕に信用しろってのは無理な話だよ」
「だが、おぬしは手間暇をかけたではないか。感謝や労いの言葉をかけられて然るべきだろうに」
「まあまあ。労働の対価は貰ったしさ。ネロリさんは人間族が嫌いみたいだし……頼ってくれただけでもいいんじゃないかな」
「ふむ。おぬし、随分と前向きな考え方をするのだな」
「前向き、か……単純に、頼られたのが嬉しかっただけだよ」
前いた世界――日本には、僕に仕事を任せようとする企業は、人は、なかった。
だから、こうして僕にしかできないことができ、その仕事ぶりに誰かが頼ってくれるというのは、誰かの役に立てるというのは……案外悪くないものだと思う。
「ほほう。頼られるのが嬉しい……その奉仕の心は感心であるな。では、わたしが頼ってやろうではないか」
「対価もらうからな?」
「友情割引にしておくれ♪」
「そんな制度はないし、一国の姫が値切るんじゃありません」
他の住人に示しが付かないでしょうが、全く。
「では、姉上に報告しておこう。ユーイチが、ドリアードの族長に恩を売るという国益を上げた、とな」
何ともいやらしい言い方ではあったが、そのように報告してもらえれば僕としてもありがたい。あの高圧女王さまも、これで少しは僕を認めてくれるかもしれない。給料上げて、ボーナスも支給してくれちゃったりするかもしれない。やったね。
「ところで、ネロリどのが対価にと置いていったものは何だろうな、ユーイチ? 開けてもよいか?」
「こらこら、人のものを勝手に開けないの。あと切らなくても開けられるから剣しまって」
シャラ、と抜いた剣をしまうようにベルに言って、僕はネロリさんが置いていった包みの紐を解いた。葉っぱの中身を見て、ベルが「おお」と声を上げる。
「これはすごい、ピネの種ではないか」
「何それ」
「栄養価の高い高級珍味だ。小さな包みだから、ネロリどのもケチったかと思ったのだが、これだけの量があれば、外で十日ほどは飲み食いできるぞ」
「マジですか。ちょっと外行ってくる」
「ちょっと待てユーイチ。仕事中だ。わたしの依頼を聞け」
「依頼って言ったって、どうせその本読めってやつだろ?」
「よう分かっておるではないか」
ベルがもうおなじみ『世界の武器防具大全』を見せて、にっこり笑った。いい笑顔をするものだ。剣を握っているよりよほど可愛らしいし、安全である。
そんなこんなで、その後は他に来館者はなく。僕はベルのために彼女の愛読書を翻訳して読んでやり、その日の図書館は閉館となったのだった。
翌朝、まだ空が白み始めたばかりの時間に、城の兵士さんが図書館へとやって来た。
リーネさまが僕を呼んでいるらしい。「すぐに登城せよとのことです」と言われた。
普段は夢の中のこの時間。まだ眠っていたかったが、せっかく呼びに来てくれた兵士さんに迷惑をかけるわけにもいかない。
そんなわけで寝ぼけ眼に眼鏡をかけて登城し、玉座の間へ行くと、
「何ですか、その嘆かわしい頭は」
リーネさまに開口一番で寝癖を指摘された。
「責任者たるもの、もっと身だしなみに気を使いなさい。まったく……」
「すみません、以後気をつけます」
「次、わたくしの前に寝ぐせ頭で現れたら、減給しますから」
恐ろしいことをさらっと言われました。慌てて頭を撫でつける僕。
「さて、ベルフローリアから報告を聞いています。ネロリどのの依頼に応えたとか」
「ええもう、ババーンとお悩み解決ですよ。人間族の評価だだ上がりですよ、多分」
「それはよかったですね。今後も励みなさい。以上」
「……いじょう?」
「ええ。話はおしまいです。下がってよろしい」
「…………給料アップとか?」
「ありません」
「ボーナス支給とか?」
「いえ、特に」
リーネさまが、相変わらずの見下す角度で、ソロバン片手に笑顔で言った。
「そういうわけで、下がってよろしい」
……まったく、恐ろしい女がいたものだと思う。
従業員を朝っぱらから叩き起こし、ちょっと話をしただけで「下がってよろしい」。
何のために呼んだんだよ、と。嫌がらせかよ、と。そんなんだから城のばあやさんが嘆いてるのに結婚相手も見つからないんだバーカバーカ!
この理不尽な仕打ち、僕の嘆き憤り……一体どこに訴えればいいんだろう。労働基準監督署かな。どこにあるんですか、それ。異世界にもありますか。
そんな風に、図書館開館後にカウンターで悶々としていた時だった。傍らでベルが「ユーイチ、ユーイチ! …… …… ……!」と何やら言っているが、あの高圧女王に腸が煮えくり返っているので何も聞こえな――
ドササッ
目の前のテーブルに積まれた謎の丸い物体に、僕は我に返り目をぱちくりさせた。
植物の実のようだ。メロンに似ている。それが、五つ。
「え、な、何これ……?」
「ぬおお!? これは超激レア高級果アールスの実ではないか! それをこんなに!!」
ベルが叫んだ。何やらこれ一つ売れば、一ヶ月は飲み食いできるとか。マジですか。
テーブルの向こう側には、昨日ぶりに顔を見せたネロリさんが立っている。
「あの、ネロリさん、これ」
「礼だ。人間相手とはいえ、恩人には礼を尽くさねばならぬだろう」
「ってことは、」
「集落の植物たちの病が治ったのだ。そなたのおかげだ……ありがとう」
ネロリさんがお礼を言って、口の端を上げた。
目を細めて……はっ。これはまさか、笑っている……?
おお……まさかのツンデレってやつですかね、これは。
そんなことを考えていると、ベルが「おお、ネロリどのが笑っている!」と声を上げた。
「ほら見ろユーイチ! ネロリどのが! 笑っている! 笑っているぞ!」
ネロリさんを指差して、ベルが興奮気味に言う。
やめろバカ、いらんことを……!
ヒヤヒヤしていると、ネロリさんの笑みが一瞬で消えた。ほら言わんこっちゃない。
「ああ……ネロリさん、すみません、本当に」
「いや、そなたが謝ることはあるまい。そなたが、謝ることは」
めちゃめちゃ後半強調してる……ああ、ネロリさん大人だな。
全く、僕の隣でキョトーンとしているどこぞの姫騎士さまにも爪の垢を煎じて飲ませてやりたいですよ本当。いや、「では誰が謝るのだ?」じゃないよ、お前だお前。
「では、世話になった。何かあれば、こちらも力になろう」
そう言って、ネロリさんは図書館を出て行った。
「はあ~……よかった、ちゃんと役に立てたみたいで」
今朝のリーネさまの仕打ちで就労モチベーションだだ下がりだったんだけど、ネロリさんのおかげで持ち直した気がする。僕、ドリアードになりたい。図書館が移動できるなら、ドリアードの集落でネロリさんの下で働きたいです。
「ネロリどの、嬉しそうだったな」
そんな僕の考えなど知るよしもないベルが、アールスの実を撫でて言った。
「ああ、だな……しかし、まさかネロリさんにツンデレされるとはなー。どうせならおじさんじゃなくて、可愛い女の子にされたかった」
「ふむ。ではわたしがツンデレとやらをやってみよう……ええと、ツンとやらは剣で突けばいいのかな?」
「やめろ死ぬ」
喜々としたベルによって鞘から抜かれた剣に、僕は即座に退場を願った。
何度も言うが、これは真剣なのだ。ツン♥なんてされただけで流血必至です。
「ツンってのは素っ気なくて冷たくてツレない……敵対的な態度をするってこと」
「敵対的ならば、剣でツンも正解ではないか」
「はい、不正解。全然違います……でもって、デレっていうのはデレデレすることだよ。ツンの反対で好意的な態度っていうか」
「『べっ別に人間族のことなんて好きじゃないんだからねっ』みたいな感じか?」
「みたいな感じじゃなくて、そのものですね。日本にいたことあるだろお前」
「いや、突然いま降ってきたのだ」
どこから謎電波を受信してるんですか、あなた……
「いやしかし勉強になったぞ。教訓を得た」
「ほー。どんな教訓を?」
「ドリアードをデレさせたければ植物を大事にする、これだ!」
「お前さんの場合、もっと他に大事にすることがあると思うぞ」
今回のことで、ネロリさんも少しは人間族のことを見直してくれたのではないかと感じたが、しかし、原因の姫騎士さまがこれである。キョトーンである。
リーネさまも、僕にどうこう言う前に少しこの妹姫について教育すべきである。
いや、そもそもリーネさま自身が、もっと愛嬌よくするべきなのかも。
……まだまだ二種族間の距離は縮まりそうにないなぁ、と僕は思いました。残念。
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