第2話  姫騎士さまは武器防具大全が愛読書のようです



 目が覚めた時、僕は寺澤文庫図書館の中に倒れていた。

 後頭部がズキズキしていた。地震の時にぶつけたのが、どうやらその部分らしい。

 まあ、そんなことはどうでもいい。生きてるっぽいし。死ぬこと以外かすり傷っていうし……いい言葉だよね、ツイッターで知ったんだけどさ。就活で座右の銘を聞かれた時に答えたら「は?」って言われた思い出がある。

 さて、問題はその後だった。

 何だか外が騒がしかった。

 地震が結構ひどかったのかもしれない。幸いこの図書館に被害はなかったが、外に出るのがちょっと怖かった。でも、床に落ちていた眼鏡をかけ直し、恐る恐る外に出た。

 いい天気だった。空が快晴で、空気が気持ちいい。

「うん?」

 しかし思わず疑問の声を上げてしまったのは、でっかい疑問が目の前にあったからだ。

 ここ、世田谷? その前に東京?

 待って、その前に………………………………日本?

 快晴の空の下――目の前に、日本の街中では見たことのない建物と、見たことのない植物と、見たことのない動物と、見たことのない格好の人たちがいた。

 その人たちが、外に出てきた僕を見ていたので……僕は居たたまれず、頭を下げた。

「えっと………………どうも?」


「引 っ 捕 ら え よ ー ー ー ッ ッ ッ !!」


 そんな女性の声が高らかに響いた途端。

 たくさんの兵士っぽい格好の屈強な男たちが、ドドドッと地鳴りのような足音を鳴らして僕の元に押し寄せる。え、何ですかこれお祭りですかうわー楽しいかもーなんて一瞬でも思った僕が馬鹿でした。んなわけあるかい。

 捕まってしまいました。引っ捕らえられてしまいました。

 おかしいな、挨拶しただけなんだけど。


 ……おかしいと言えば、全てがおかしい。

 図書館前で捕まった僕は、ロープというか植物のツタっぽいのでぐるぐる巻きにされて、馬っぽい動物に乗っけられて(鱗がざらざらで、何か恐竜っぽかった)、城っぽい建物に連れてこられた。およそ体感で一キロくらい移動したんじゃないかなと思う。

 その間、周囲をお上りさんのようにキョロキョロと見回していたのだが……やっぱり日本の街中では見たことのない建物と、見たことのない植物と、見たことのない動物と、見たことのない格好の人たちしかいなかった。

 中世のヨーロッパの街並みに近いだろうか。

 だが、それよりも緑が多く、その緑は――シダ類ってやつだろうか。でかいゼンマイみたいなぐるぐるした植物が、普通に街路樹のような感じで生えている。

 考えてみて欲しい。ヨーロッパの街並みに巨大シダ類。

 見たことないはずだ。僕はない。

 さらにそこを、こんな鱗だらけの馬が歩いている。

 道を横断していった鶏っぽいのとかも、すごい毒々しい色してたし。

 ……何なんだろう、ここ。

 最初、図書館の回りだけ舞台装置が用意されたのかと思ったのだが、その線は消えた。範囲がさすがに広すぎる。

 東京ではなさそうだ。そもそも日本でもなさそうだ。

 どちらかと言うと、ゲームの中の世界がこんな感じではないだろうか。

 だって、なんかドワーフっぽいのとか有翼人ハーピーっぽいのとかもいたし。


「……異世界………………なの、か?」


 石壁と鉄格子で隔離された、暗くてじめついた牢屋の中。

 ロープっぽい植物のツタでぐるぐる巻きにされて放置されていた僕は、思わず呟いた。

 いやいやまさか、とも思うが、そう思うとここまで見た全てのものに説明がつく。

 もう、ここは異世界ってことでいいや。その方が楽しい。

 ……今は、まったくもって楽しさの欠片もないけどね。

 頬に当たる石畳の床が冷たい。眼鏡はズレっぱなしだし。

 ここに放り捨てられてから、かれこれ一時間は経っている気がする。身体はもうとっくに痺れて、腕や足の感覚もなくなってきていた。

 これ、そろそろやばいんじゃないかな?

 ……っていうか、牢屋に突っ込まれるなんて生まれて初めてなんですけど、手続きとか皆無だったんですが。問答無用だったんですが。

 こういう時、「弁護士を呼べ!」って言えばいいんだろうか……弁護士、いるかな。

 どうなるんだろう、これから。誰かが助けに来てくれるイベントとか発生しないかな、助けてくれそうな知り合い、誰もいないけど。

 殺されたりしないよな……痛いのは、嫌だなぁ。

 あー、太勝軒のラーメン食べたかったなー……いや、こんなことになるなら寿司でも奮発して昼のうちに食べておくんだった。

 目を閉じて、夕飯に食べる予定だったラーメンやら寿司の味を思い出し、口いっぱいに涎を溜め込んでいた時だった。


「おい、不審者。起きているか」


 凛とした女性の声に、不審者とは失礼なと思いつつ、僕は目を開けた。

 鉄格子の向こうに、きれいな女の子が立っていた。

 その姿を見て、“女騎士さん”という言葉が思わず浮かぶ。

 金髪を赤いリボンでポニーテールにして、赤いミニスカートのドレスに、銀色の甲冑をつけて、帯剣している。

 そんでもって、えらく美人だった。僕よりちょっと年下だろうか。

 腰に携えた剣とか、コスプレにしてはよく出来ているなーと思ったが、


 ……ちょっと待とう。

 ここがもし本当に異世界なら、これはコスプレなんかじゃ――

 ガチャガチャ……ギイッ。

 女騎士さんが、そんな耳障りな音を立てる鉄格子の扉を開けて、中に入ってきた。

 そうして僕を見下ろす形で、目の前に仁王立ちする。

「立て、話がある」

「はぁ? 立てるわけないでしょ、こんな風に身体を拘束されてて。身体も痺れてるし」

「そうか。無理なら、致し方ないな」

 シャラン、と涼やかな音が鳴り、その音より涼し気な顔をした女騎士さんの鞘から長剣が抜かれる。

 すっ、と鼻の下にその剣の先が。

 誰の鼻かって? はは、僕のだよ……

「すみませんごめんなさい立ちます死力の限りを尽くして立ち上がりますからどうかお願いです命だけは――」

 死んだらかすり傷とか言ってられない!

 命乞いの最中に目の前から剣先がシュッと消えた。

 次の瞬間――スパッと小気味いい音がして、パラッとツルが解け、身体が自由になる。

「あれ? ……もしかして、もしかしなくても、切ってくれたの?」

 尋ねるも、女騎士さんは答えず、己の右手の長剣をなぜかうっとりと見つめ、

「ふふ、素晴らしい切れ味だ……」と呟いた。

 僕の話、全然聞いちゃいなかった。

「……あのー。何か話があるんじゃないですかね?」

「ああ、そうだった!」

 痺れが治ってきた僕がやおら立ち上がって尋ねれば、「すっかり忘れてました」みたいな反応をされた。

 ……大丈夫だろうか、この人。

「おぬしに会いたがっている方がいる。ついて参れ」

 僕の手だけを再びツルで縛り、女騎士さんはそう言ってツルの端っこを持って歩き出した。僕は散歩される犬のようにツルに繋がれたまま後を追う。

 牢屋を出て、石の階段を上ってゆくと、周囲が明るくなった。どうやら外に出たらしい。

 僕は、城っぽい建物の中を移動して、何やら立派な赤い絨毯が敷かれた回廊を歩かされ、そうして大きな扉の前に連れてこられた。

 扉を守護する番人二人が、扉を開けてくれた。

「入れ」

 女騎士さんに命令のように言われ、僕は訳がわからないまま、中に入った。

 玉座の間のようだった。

 いや、たぶん玉座の間で間違いない。天井が高くて広い空間の中、赤い絨毯が続くその先に、立派な玉座があった。

 そこに、綺麗な女の人が座っていた。

 ドレスを着ていて、頭に王冠。高貴な感じがこれでもかとしてくる。

「進め」

 女騎士さんに剣を突きつけられて再び命令のように言われ(いや、これもう命令だね……)、僕は玉座に向かって進んだ。ここまで来れば、さすがにあの玉座の人に面会させられるために連れてこられたのだということは理解できた。

 立ち止まり、数段高い所にある玉座を見上げる。

 女騎士さんに似た綺麗な金髪碧眼の女の人が、僕を見下ろしていた。

 ……いや、訂正しよう。見下されていた。超目つき悪いです、この女の人。

「ベルフローリア、この者ですか。街中に現れた謎の建造物から出てきた男というのは」

「はい、そうであります。姉上」

「女・王・陛・下、でしょう」

「そ、そうでありましたご無礼をっ……!」

 マジ睨みされて、あわあわと玉座の女性に向かって慌てて頭を下げる女騎士さん。

 なるほど、似ていると思ったけれど、つまり彼女たちは姉妹らしい。女騎士さんの方が妹か……確かに女騎士さんの方が若い気がする。ちょっとピチピチ感があるし、

 そして、目の前の玉座に座る目つきの悪い女性は、この国だか世界だかの女王さまか。どうりで人の見下し方がサマになっているわけですね。僕より結構年上っぽいし、何だか視線にぞくぞくしなくもない。

「あなた、名を何と申すのですか?」

 女王さまが、顎先をくい、と上げて訊いてきた。

 にこりともしないし、名乗りもしない。

 ……ふう、まったく困ったものだ。人に名を尋ねる時はまず自分からだと親に教わらなかったのだろうか。

 彼女の尊大で横柄な態度に、僕はふと、就活の面接を思い出した。

 うん、きっと面接の時のように答えれば間違いないだろう。

「はい、寺沢優一と申します」

「テラサワ・ユーイチ? 変わった名前ですね。あなたはどこから来たのです?」

「世田谷区から参りました」

「……どこですか、そこは」

「東京二十三区の南西部です」

「トウキョウ……ベルフローリア、知っていますか」

「いえ、全く……おい、貴様。トウキョウ何とかとは何だ。まさか怪しげな呪文か!」

 女騎士さんに剣を突きつけられ真顔で言われた。

 まさか東京二十三区が呪文認定される日が来ようとは思いませんでした。慌てて「違いますよ」と否定する。呪文は呪文でも、これでは滅びの呪文だ。自分の身が滅びるの。

「セタガヤ……こちらも聞いたことがありませんが…………まあ、いいでしょう。質問を変えます。あの巨大建造物……あれは、あなたが召喚したのですか?」

「巨大建造物? 召喚とかよく分かりませんけど……図書館のことですか?」

「トショカンと言うのかあれは。城塞ではないのか」

 女王さまに目で問われた女騎士さんが、真顔で訊いてきた。

「城塞」

「違うのか? なら何だ。武器庫か」

「いえ、ではなく」

「ふむ……では、防具庫か!」

「いいえ、そうでもなく」

 現実でそんなタクティカルな言葉を使う女の人、初めて会いました。さすが女騎士さんだ、大層な武器防具を身に着けているだけはある。

「……となると、一体何なのです。何のための建造物なのです」

 女王さまが眉間に皺を寄せ、元から悪い目つきをさらに悪くした。

 身体が勝手に震え上がるくらい、おっかない。

「本が保管してあるんですよ。その本を貸し出す施設なんです、あそこ」

「ホン? ホンとは何です?」

「え? 本、知らないの?」

 今度は僕が驚いた。驚きのあまり、敬語を忘れたほどだ。

 敬語じゃなかったからか、それとも馬鹿にされたとでも思ったのか、女王さまの眉間の皺がさらに深くなる。女騎士さんを見れば「うんうん」と真剣な顔で頷く。

 二人とも、知らないらしい。

「本って、こう、紙が何枚も集まってできたような、冊子なんだけど」

「カミ? サッシ? ……ベルフローリア、この者は何を言っているのです?」

「申し訳ありません、わたしもさっぱりです。どんな危険物が潜んでいるかわからなかったので、トショカンの中には入っておらずでして」

 超睨んでくる女王さまと、目をぱちぱちと瞬いている女騎士さん。

「ユーイチとやら。そのホンとやらは、トショカンとやらの中に行けば見られるのですか?」

 どう伝えたらいいか迷っていると、女王さまがそう訊いてきた。

「まあ、置いてあるからね」

「ではベルフローリア。その者と共に行き、確認してきなさい」

 女王さまの命令に、女騎士さんが「かしこまりました」と畏まって応じた。



 恐竜に似た馬っぽい生き物に、ベルと二人で乗って移動する。

 ベルとは、姫騎士さまのことだ。

 本名は、ベルフローリア・ファナ……何だったかな。

 東京二十三区よりもよっぽど呪文みたいな長ったらしい名前で覚えられなくて。それで、愛称で呼ぶことを許してもらえたのである。

 意外と気さくな人だった。結構な頻度で剣を振り回すのはどうかと思うけど。

 そして女王さまの名は、リーネストーリア・何とかかんとか。こっちも呪文だったので覚えられなかった。女王さまとかリーネさまとでも呼んでおけばいいだろう。

 さて、ベルは「ちょっと頭大丈夫かな?」と不安になる人ではあったが、それさえ目をつぶればとても見目麗しい女性ではあったので、この二人乗りは彼女いない歴=年齢の僕が、少しばかりときめきを覚えたのも仕方のないことだと思われる……まあ、手はツタで縛られたままなんだけどさ。

 そんなこんなで、戻ってきました寺澤文庫図書館。

 何やら周囲に、兵士さんたちによる厳重な警戒網が敷かれていた。

 ベルはそこを顔パスで通過していく。

 一緒に図書館の中へ入ると、中にも兵士さんたちがいて見張りをしていた。

「さて、と……これが本だよ。はい」

 図書館の本棚から一冊本を取って渡す。

「これがホンか………………よし」

「……待ってベルさん。何をやろうとしているのかな」

「何って、剣で切り開いて中身を露わにしてやろうと――」

「待ってね。そうやって使うものじゃないからね」

 床に置かれて切り裂かれそうになっていた哀れな本を僕は拾い上げた。まさかこの本も自分が剣を突きつけられることになろうなど夢にも思うまい。僕も思わなかったです。

「ほら、こうして中を見るんだよ」

 ペラペラめくってみせると、ベルが「おおっ」と感嘆の声を上げた。

 本をめくるだけで驚かれるとも思わなかったです。

「……まさかと思ったけど、本当に本を知らないんだね」

「こんなもの、生まれてこの方、見たことがない。ほほう、で、これは絵と文字か?」

「絵と文字の概念はあるんだ、ここ」

「一応あるに決まっているだろう。馬鹿にしてるのか」

 馬鹿にはしてない。けれど、本とか紙が通じない時点で、それらもないかもしれないとは思いました。あと、一応なんだね……

「ちなみに、絵とか文字ってどこにあるの?」

「壁とか地面とか」

 なるほど壁画と地上絵か。

「石にだって刻まれているぞ」

 石版ですかね。やっぱり紙はないらしい。

「しかし、このホンとやらは何だ。絵がまるでその場を写し取ったようではないか」

「あ、そっちは写真」

「シャシン???」

 あ、これは姫騎士さまの脳内許容量がオーバーした。

 知らない言葉を聞きすぎたせいか、目がぐるぐるしている。容量少なくないかな?

「そ、そもそも、文字とはいうが、ここに記されているものは全く読めんではないか」

「あ、日本語読めないんだ。こっちの英語は?」

「ニホン語??? エイ語?????」

「読めないんだね。理解した」

 じゃあ、僕がいま話してるのは何語なのだろう。考えたけどそのうち頭が痛くなりそうな話なので保留にした。たぶん今後考えることもないだろうけど。

「で、結局このホンとやらは何なのだ。分かりやすく説明してくれ」

「うーん……まあ、文字とか絵とか写真とかを残しておくための……いわば情報の保存媒体ってやつかな」

「うむ。さっぱり分からんな!」

「ええと……そうだな。つまり、知恵とか知識とかを残しておくためのものってことだよ。こうやって読む後世の人にも伝えることができる」

「なるほど。そういうものなのか」

「おお、通じた!?」

「貴様、わたしを馬鹿にしているのか?」

 ちょっとね、とは思ったけど言えない。剣先こっち向いてるし。

「とりあえずその剣しまって。危ないし、そこいら傷つけれても困る」

「わたしはこれっぽっちも困らぬが?」

「……ええと、例えば、僕が死んだらここが何なのかとか、そういったこと全然分からなくなるけど。それはそっちも困るだろう?」

「まあ、少しは」

「そういったものをちょっとでも失ったらさ、ベルはリーネさまに怒られるんじゃない?」

 ベルは素直に剣をしまった。よほど女王陛下が怖いらしい。

「……知恵や知識を残すためのものがホンというのは理解した。では、このトショカンとは、そのホンを集めて保管している場所か」

「おお、正解。すごいすごい」

「貴様、やっぱりわたしを馬鹿にしているだろう!」

 あ、バレたか。

 ジトッとこちらを睨んでくる姫騎士さま。だが、一理を理解した彼女は剣を抜かなかった。学習能力はあるらしい。馬鹿にして申し訳なかった……と思ったのだが、

「不要だな」

「はい?」

「このトショカンとやら、ひいてはホンとやら。不要だと言ったのだ。元々ここには武器庫を作る予定だったしな、即刻取り壊し、更地にしましょうと姉上には進言する。知恵や知識を残す? ハッ、そんなもの、石版に剣で刻めばよいではないか」

「いやいや、石版は邪魔だし、原始的過ぎでしょう」

「何が原始的なものか。そもそも、くその役にも立たん知識や知恵など、エルフにでも食わせておけばいい」

 ベルが、ふん、と鼻を鳴らして結論を言い放つ。

 うわあー……知識や知恵が役に立たないとか言っちゃったよ……

 前言撤回。こいつ、馬鹿だ。

 っていうか、エルフもいるのかこの国。本当にファンタジーな世界だ。

「そもそも我ら人間族に必要なのは、力だ。武力だ。剣だ、防具だ。最強の知力は最強の武力に敵うか? 否だ」

「なぜ断言できるのか」

「なぜか? それは、わたしが武力を信じているからだ。強いは最強! 強いは正義!」

 わーすごいやー。脳筋だー☆

 うん、駄目だ。

 これは話が通じる通じないとか言ってる場合じゃない。そもそもの思想が違う。

 どうしよう、この世界の住人、みんなこんなんばっかなんだろうか……などと不安の波に攫われそうになっていると、図書館内で見張りをしていた兵士さんたちと目が合った。

 憐れむような、申し訳なさそうな、そんな顔をしていた。

 うちの脳筋姫がごめんなさい、と言われた気がした。

「うちの脳筋姫がごめんなさい……」

 ……実際に言っていた。

 聞こえていないのは先程から「剣は強い! 防具も強い!」と、小学生でも言わないだろうことを連呼しているベルだけだ。どうやら彼女がアレなだけらしい。ホッとした。

 さて、だが問題はこの姫騎士さまだ。

 僕がやれやれと目を向ければ、彼女はまだ熱弁を振るっている最中だった。

 誰も聞いちゃいないのに、終わる気配がまるでない。

「知識や知恵があったって腹は膨れぬ。ゆえにトショカンなどというものは不要なのだ。だが、武力は必要不可欠、そこで剣だ。剣があれば狩猟によって食料を得ることだってできるし、何より強い! 剣があれば己を守れるし、国も守れるし、何より強い! そして剣は力があるだけでなく、美しい。刃のきらめき、その造形、それを振るった瞬間描かれる軌跡ですら美しく、何より強――ギャンッ!?」

 あんまりやかましいので、僕は思わず手近なところにあった分厚い本で姫騎士さまの頭を鈍器殴打した。

 さすがに一国の姫相手に暴挙かなと思い、やる前に兵士さんたちに目配せしてみたのだが強く頷かれた。よって、決行することにした次第である。

「にゃ、にゃにを……――はっ、それは!?」

 ベルが、僕が手に持っていた本――つまり今しがた彼女を鈍器殴打した分厚い本――を見て、途端に瞳をキラキラと輝かせ始めた。

「そ、それ、見せてくれユーイチ!」

「はあ、これでよければ……」

 突然ぐいぐい迫ってきたベルに、どうぞ、と僕は若干引き気味にその本を渡した。

 ずっしりした重さを感じたらしいベルが、目を大きくする。

「重い! なるほど、先ほどの衝撃はこれのせいか」

 ツルテカで上質な紙っぽいのが三〇〇ページくらいある本だろうか。そりゃあ痛かったよね。ちょっとやり過ぎたかもしれない。

 そんな風に考えていると、ベルはページをめくり、さらに目を大きくした。

 どれだけ大きくなるんだろうこの目、三段階目いけるのかな。

「こ、これは……見たこともない武器や防具がいっぱいだ……ほ、ほら!」

 ベルが本の中身を見せてきた。

 フランベルジュとか鎖帷子とか載っている。

 何だこれ、と思って表紙を見て……僕は、ベルがどうして反応したのか納得した。

 剣のイラストが入った表紙。そこには、デカデカとタイトルが書かれている。


『世界の武器防具大全』


「ユーイチ、いっぱいだ!」

 キラキラ子供のように青い目を輝かせる姫騎士さま。

 テンションがもの凄く上がっているのだろう、彼女の周囲までキラキラ光って見えた。

 嬉しそうなその表情に、思わずこちらも頬が緩……いや、引きつり笑いしかできなかった。だって、武器防具大全だよ、なんて物騒な……

「いっぱい!」

「そうだな」

「いっぱいだ!」

「そうだな」

「いっぱいだ!!」

「分かったから。いっぱいなの分かったから。もう十分だから」

「はああ、すごい……これは衝撃の出会いだぞぉ……」

 ベルは頬を紅潮させながら、ぺたんとアヒル座りで床に座り込んで、一心不乱に本をめくっている。

 「うわあ」とか「ひゃあ」とか声を上げて無邪気に喜ぶその姿は、本当に子供のようでかわいらしかった。甲冑身につけて帯剣している人の反応とは思えない。本を不要だとか言い切っちゃった人の反応とも思えない。

「いや、確かに衝撃は与えたんだけど……まあ、いっか。ところでベル」

「うん、何だ。わたしはいまこのホンの相手で忙しい」

「いや、話の続きなんだけど」

「続き? 何か話していたか。わたしはいま忙しい。忙しい」

「忙しいのは分かりましたってば。で、この図書館が必要か不要かって話だよ」

「もちろん必要に決まっているだろう。何を言っているのだ、おぬしは」

 手のひら返しもここまで来ると潔いな。

「それ、リーネさまにもそう報告するんだ?」

「もちろんだとも。は、こうしてはおれん、姉上に報告せねば。ユーイチ、行くぞ!」

 ベルは本を持ったまま、僕の手を縛るツタを引っ張った。僕は犬のように引っ張られて、図書館から連れ出された。



「……なるほど。これが、ホンですか」

 再び僕を連れて玉座の間へ戻ってきたベルが本を捧げ渡すと、受け取ったリーネさまは、それを開いてしげしげと中を見る。

 本を確認する彼女は、絵になるような美女だが、相も変わらず目つきは悪い。

「……というわけで、ユーイチはトショカンが国の利益になるのではないか、と申しております」

 玉座の下で跪いたベルが、僕から聞いた図書館についてをかい摘んで報告した。

「お前はどう思ったのですか、ベルフローリア」

「わたしは、そのホンとやらは素晴らしいものだと思いました! その! ホンは!」

 明らかに武器防具大全一冊だけの感想のような気がしたが、僕は何も言わずに聞いていた。図書館や本について、僕は正直、興味がない。だからそれがどのように評価されようと、ぶっちゃけ、どうでもよかった。だから、

「この文字が読めるのは、あなただけですか。ユーイチ」

 突然リーネさまにそう話を振られた時も、僕は他人事のように肩を竦めて答えた。

「さあ? 他にも読める人がいるかも」

「では、あなたでなくともいい、ということですね。そうなると、あなたの存在価値もありませんし、生かしておく必要もないのですが」

「僕だけです」

 びっくりした。突然生き死にを決められそうになった。

「そうですか。それだと、殺してしまってはいけませんね……ユーイチよ。このトショカンとやら、どんな価値があるか、わたくしに言えますか? トショカンとやらは、我が国に利益をもたらすのですか?」

 あれ、これ……身に覚えがある。

 フラッシュバックするのは、就活の面接だ。

 ――『あなたを採用することで、弊社にどのような利益メリットがありますか?』

 ……そんな感じで、自己PRならぬ、図書館PRしろって言われてる。

 そして、『図書館の本を読めるのが僕だけか』と聞かれたことから推察するに……

 “図書館の価値=僕の価値”だ。

「どうなのですか、ユーイチ?」

 どうもこうも、この人たちが、この国が何を求めているのか、欲しているのか、全然分からないのに、しかも図書館について僕、別に詳しくも何ともないのに。

 ……なのに、何をどうPRせよというのか。

 リーネさまの冷ややかな視線が僕に刺さる。見下す角度で、ぐさぐさと。

 就活の面接で重役たちの前に立たされて「快感♥」とか言ってられないだろう? 同じです。圧迫面接じゃないけど、間違いなく精神的には圧迫されてるっていう。何で異世界に来てまでこんな緊張感に苛まれないといけないんだろう……

 そんな風に心臓を握り潰されそうになりながら、必死に考える。

 カンペも予行練習も何もないこの状況で、頼れるのは己の思考力と判断力。そして……神さまとか、仏さまとかかな。

 この際、神さまでも仏さまでも何でもいい。何か、何か――

 ――その時、ふと、じいさまの笑顔を思い出した。

 懐かしい声が、聞こえた気がした――『優一、図書館はな――』

「も……もしかしたら。この図書館は、リーネさまの、そしてこの国の財産になるかもしれません……」

「財産、ですか?」

 リーネさまが睨むように目を細める。

 緊張で勝手に敬語になるレベルでどきどきしたし、口もカラカラだったけど、僕は必死にじいさまが昔言っていたことを思い出し、声にした。

「こ、この図書館にある本には、先人たちの知恵や知識が詰まっています。その知恵や知識は、リーネさま、あなたを始めとしたこの国の人たちが、もしかしたら誰も知らないものかもしれない。有効に使えば、活用すれば、いろいろな悩みや問題を解決できます」

 じいさまが昔、僕に語りかけていたように、僕はリーネさまに語る。

 訝るようなリーネさまの視線に、じいさまが言っていた以上の言葉が僕の口を突く。

「ですから、この図書館はこの国の財産になる可能性がある! この図書館の本が、国を発展させて、何かもうすごいことになるかもしれません!!」

 口からでまかせ一丁出ましたー。

 何だよすごいことって……突っ込まれても僕にだって分かんないぞ、そんなこと。隣にいるベルも「何だよすごいことって」という顔をしている。

 ええい、ままよ!


「で、ですから……ですから、必ずやこの国に莫大な利益を提供するでしょう!」


 自分でも訳が分からないまま、僕は、やけくそで押しの一手を使った。

 フッ、言い切ったぞ……と、やり切った感に浸っている時だ。

「莫大な利益、ですか。では……」

 リーネさまが、懐から何やら取り出した。

 ソロバンのようなそれの石を、パチパチパチパチ、と弾く。

「……ふむ、維持費はこれくらい……人件費はこれくらいですか。なるほど」

 そうして何やら納得して、彼女は僕を見下ろして静かに言った。

「ユーイチ。あなたに、トショカンの管理と活用を命じます」

「……はい? ええと、それって……」

「分かりませんか。利益を出してみろ、と言っているのです」

 リーネさまが、にっこりと笑顔になった。

 胃の辺りが痛くなるような、怖い笑顔だった。

「トショカンには統治する責任者はいなかったのですか」

「え……いましたけど、館長」

「では、あなたは今からトショカンの館長です。わたくしが任命しました」

「過去形……いやいや、何を勝手に」

「この国では、わたくしが統治者です。わたくしの国に、勝手に、許可も取らずに建造物を発生させておいて、何の罰にも問わずにいてあげようと言うのですよ?」

 ぐ……それを言われると、何も言い返せない。

「トショカンで利益を出しなさい、ユーイチ。そうすれば、トショカンを残し、あなたがこの国で生きることを、人間族女王リーネストーリアの名のもとに許してあげましょう」

「それって、利益を出せなかったら……」

「存在意義の欠如により、不要。つまり、生きられないということですね。維持するにもコストがかかるのですよ、物も、人も」

 リーネさまは、みなまで言って微笑んだ。

 な、何という遠慮皆無のお言葉か。この女王、鬼か。

「そ……そもそも利益って何ですか。具体的に言ってもらわないと分かりませんよ」

「そもそも、あなたが利益という言葉を使ったのではありませんか、ユーイチ」

 超悪い目つきで口の端を上げられた。

 くっそ、そこで揚げ足を取るとは……超性格悪いぞこの女。


「あなたは言いましたね、『国を発展させる』と。それがあなたが目指すべき、出すべき利益です。どれだけ国の発展に貢献しているかは、ベルフローリアを始めとした周辺の者たちからの意見を参考に、わたくしが判断します」

 女王さまのさじ加減で決まる、と。なるほどね……

 ……ふっ。これ、無理ゲーじゃないかな。

「それ、成果をなかったことにされるという可能性は……」

「やろうと思えばできますが、わたくしは功労者をきちんと評価します。きちんと利益を出していれば、生活に支障がないくらいの給料を保証します」

「なら、賞与ボーナスは出ますか」

「ぼーなす?」

「ええと、期待以上に頑張った分に与えられる報奨というか」

「考えておりませんでした。が、そうですね。検討します」

 よかった。ボーナスもらえるなら、地を這うばかりのモチベーションも、少しは上がるってものだ。少しだけど。ほんの少しだけど。

「他に質問は」

 ありすぎて、逆に出てこなかった。

「では、何もないということで。ちなみに、今月のノルマですが……」

 僕が無言でいると、勝手に判断して、ノルマをつらつらと話し始める女王さま。

 ……ええと、この世界には、他には国がないんでしょうか。国外脱出無理ですかね。せめて転職、いや、雇用主を変えることはできないかな……

 そんなことについて考えていると、満面の笑顔でベルに肩ポンされた。

「しっかり働けよ、ユーイチ!」

 ……完全に労働力扱いされてしまいました。

 しかも最初からノルマついてるし、多分ここブラック企業の類じゃないかと思う。いま「就職おめでとう!」とか言ってくる人がいたら、迷わず殴り倒す自信があります。

「寝食などの生活はトショカンで行うといいでしょう。トショカンの所有権はあなたのものですから」

「というか、僕の手元には現状、図書館しかないんですが……」

「では、トショカンを大事にしないといけませんね」

 そんな風にさらりとおっしゃいました。

 木の剣と鍋の蓋を渡されてモンスターを倒せ、というのよりは恵まれているのかもしれないが、先立つものがうらびれた図書館一つしかないのに利益を出せというのは、やはり無理ゲーではなかろうか。

 しかも、本はこの世界の人たちには読めないみたいだし……

 他に初期装備的なものが貰える気配はなし。チュートリアルも雑すぎて、ゲームだったらクソゲー認定しているところだ。CD‐ROMなら叩き割ってるね。

 しかし、どうやら『図書館の廃館=僕の死』という構図の成立によって、僕は図書館と一蓮托生することになってしまったらしい。

 ……どうしよう。

 図書館のことなんて、詳しくないどころか、全然知らないレベルだし。

 本とか、ほとんど読んでこなかったし。

 ぶっちゃけ図書館とその本だけを渡されて利益を出せなど言われても、はてどうしたものかと頭を抱えざるを得ないんだけど。装備できない武器を渡された気分なんだけど。

 そもそも図書館運営って、業種は何業になるんだろう? 僕、それすら知らないんだけど……

「どうするのです、ユーイチ。トショカンの館長、やりますか?」

 リーネさまが、最後の確認だというように、超見下す感じで言ってきた。

 望まぬ就職だ。もっと、優良ホワイト企業を選びたかった。

 高給、週休二日、福利厚生もバッチリで、雇用主や上司は菩薩のように優しくて良識があって、同僚にも恵まれ、最初から自分の能力を使って大活躍できる……そんな場所への就職を夢見ていた。

 だが、内定が来たのは、ここだけ。

 ぼっちで異世界で図書館運営。断れば、デスだそうです。

 ……ため息、一つ。

「…………いいですよ。館長、やります」

 僕の答えに、リーネさまがいい感じにSっ気のある笑顔で言った。

「それでは今後、あなたの有益性を示してみせなさい。楽しみにしています」

 僕の有益性、ですか。

 そんなのあるなら、僕自身が教えて欲しいよね。

 ……ため息、もう一つ。俯いた拍子にズレた眼鏡を押し上げる。


「………………善処しますよ」


 こうして僕と老図書館との、異世界生活が始まったのだった。

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