現状打破

 本命。

 第二志望、抑え。

 受験の結果ならそれもいいだろう。最後に落ち着いたその場所でどう過ごすかは結局自分次第だ。

 ―――だけど。


 本命第一志望の入試日があいつと被った。別々の大学だ。

 離れる事など望んではいないが、それとこれとは別の次元の話で俺たちは志望の学部が違ったし、学力が違った。当然、受験した大学はひとつも重ならなかった。

 だから互いにどんな結果が出ようとも、なんとなくいつも側に、そんな関係はもう続けてはいけない。

 充分な手応えを残して試験が終わった瞬間にその事実がぐんと迫ってきて俄かに焦る。ようやく受験から解き放たれて目の前に現れたのは結局、受験を理由に今まで目をそらし続けてきたもうひとつの現実だった。

 広いキャンパスを貫く垢抜けた並木道、ここをあいつと並んで歩くことは、決してないのだ。


 最寄駅まで戻り春からは学友になるかも知れない受験生の波がばらけたところで携帯を取り出す。試験の終了時間はあいつのほうが一時間遅い。

 一時間分の距離を移動してあいつのいる場所へ近づけばいい。

 一時間後にはきっと、あいつが電話をかけてくるはずだ。どこにいるのかと俺の居場所を確かめるために。

 

 そして予想は外れない。

 

「お疲れ」

 初めて来た駅に、見慣れた制服姿のあいつ。そこだけが馴染んだ色に染まっている。

「中、入ってればよかったのに。寒いだろ」

 駅前のマックの目の前に突っ立って待っていた俺に、自分が鼻をすすりながらそんなことを言う。俺はひょいと肩を竦めて見せる。

「ここまで来てマックとか、ありえなくね?」

「はは、まぁな」

 笑ってすぐに歩き出す。そこからことさら遠ざかるように。

 ほら、だから。

 どこにでもある店で、人に埋もれて、いつものセットなんかを頼んで他愛無い会話をする。

 そんなありきたりな日常の一部を過ごすために俺はここに来たわけじゃない。

 わかってるだろう。そのつもりだろ?おまえだって、本当は。


 駅を出たところに設置された周辺地図の看板の前であいつは立ち止まり、近くにあるらしい大きな自然公園の中の池を俺に示して見せた。

「黄金の亀がいるらしいぜ」

「見つけたらなんかいいことあんのかよ」

「そりゃそうだろ。知らねぇけど」


 いい加減な理由でそこに向かう。

 亀探しにはすぐに飽き、俺たちは並んで池を囲む小路のベンチに腰を下ろした。

 辞書一冊分ぐらいの隙間を開けた、いつも通りの微妙な距離で。


「どうだった、試験」

「ん、まぁ。いけんじゃね?そっちは?」

「うん、まぁ、いけんじゃね?」


 二月半ば。

 午後の遅い陽はすでに傾き、伸びた影の分だけ寒さが深まる。今は陽の当たるこのベンチがすっぽり木陰になってしまうのも時間の問題だ。


「大学生かぁ…。おまえ合コンとか、行くの?」

「んー…、まぁ、行くんじゃね?それは経験として。そっちは?」

「まぁ、行くんじゃね?一応経験として」



 オウム返しに答えるばかりのあいつが、缶のコーンスープの残りをひと息に飲んだ。空になった缶を足元に立てて元の姿勢に戻り、スープで温めたばかりの手袋のない手をベンチに置いた。

 俺は缶コーヒーの残りをひと息に飲み、空になった缶を足元に置き、空いた手を同じようにベンチに投げ出した。

 小指の節だけが僅かに触れ合う。ほんの一センチにも満たない小さな、けれど意図的な接触。

 意味の無い言葉ばかりを吐き出していた互いの口を動かなくするには十分な熱だ。


 黙ったままの俺たちの目の前をランナーが横切り、それから親子連れと部活帰りの学生の集団が通り過ぎて行った。

 ベンチはもうすっかり木陰に飲み込まれきんと冷えた空気が足元からじわじわと這い上がってくる。

「さみ…、」

 呟いたあいつが、くしゅん、とくしゃみをする。反動で触れ合っていた指が少し浮く。


 離れてしまう。

 このままでは、もう。

 反射的に動いた手と左右対称の全く同じ動きで、あいつの手が俺の手を掴んで指が絡まる。


 ―――いきなり恋人繋ぎだ。


 ごくん、とあいつが唾をのみ込む音が聞こえる。俺はぎゅっと手に力を込めた。

 

 沈黙。

 目の前をカップルが横切り、繋がれた俺たちの手に気付いてさっと顔を逸らした。

 あいつが所在無げにもぞもぞと足を動かして座り直す。ほんの少し距離が縮まる。手は解かれない。

「あー…、あっちぃ…」

 今度はそう呟いて、空いている手でマフラーを外し、繋いだままの手を隠すようにそこにかけた。あいつの体温に包まれた下でその手が俺の手をぎゅっと握り直す。

 応えるように、力を込める。あいつの親指が、俺の親指をそっと撫でる。



「おまえ、合コンとか、行くの?」

 それさっきも聞いただろ。

「…まぁ、行くんじゃね?一応、経験として」

 同じ答えを返す。

「ふぅん…」

 オウム返しは、もうしない。


 それからはいつも通りの他愛ない話ばかりをした。

 同期たちの進路や卒業式やその後の打ち上げのこと。

 時間は刻々と過ぎ、日は沈み、冷え込みは一段と厳しくなる。


 ほんの一歩を踏み出して。

 二人三脚の結ばれた足みたいに同時に踏み出して、けれど自由なもう片方の足をどう動かしたらいいのか、結局俺たちにはまだ、わからない。


 いよいよ寒さが芯まで伝って震えがきて、それでも手は離さないままで言ってみる。

「つーかいい加減、まじで寒ぃ」

「や、なんかさ」

「ん」

「離すタイミング、わかんねぇよな」

「…それだと離すことばっか考えてたように聞こえるぞ」

「は?や、な、そーじゃなくて、」

 慌ててもう一度ぎゅっと握られた手をぱっと離し、立ち上がり、情けなくくっついてきたマフラーを丸めてあいつに投げつけてやった。

「どわ…っ」

 へんな声を上げて、条件反射でバスケットボールのパスを受け取るみたいな恰好をしたあいつが座ったまま俺を見上げる。

 

 なんだその顔。

 三年間ずっと一番近くにいたのに見たことねぇよ。


 浮かんだ言葉とくすぐったい戸惑いはきっとお揃いだ。

 


 あいつは眩しそうに目を細め、立ち上がり、俺に並んだ。

 今までと変わらない距離を保って歩き出す。

「なぁ、明日、どっか行こうぜ」

「どっか、って?」

「どっか。受験終わったし、ゲーセン解禁?」

「ゲーセン行って、マックかよ」

 別にそんなこと、今までだって何度もあった。二人で出かけるのは今さら珍しいことじゃない。

「マックでもいいし…、まぁ別に、なんでもいいだろ」

「だな」

 

 なんでもいい。

 二人なら。

 おまえもそう思ってるなら、それで充分だ。

 今は、まだ。


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時間調整 まやの @mayano

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