王様ゲーム
毎年恒例、同期全員強制参加の元旦の初詣。
それは歴代の三年生たちが半ば意地のように続けてきた部の伝統でもあり、今年はいよいよ受験直前となった俺たちも例外なく公式行事として執り行った。
別れは、間近だ。
弱小とは言えそれなりに情熱を傾けた部活動を引退して早半年、もう狭いコートで一緒にボールを追う事もない。同期全員で集まる機会も既に数えるほどしか残されてはいないだろう。春にはそれぞれが別の進路だ。
そんなことは誰もが知っていて、けれど一旦集まればまるでこの関係が永遠に続くかのように変わらずにふざけ合い罵り合い励まし合う。
卒業はまだ見ぬずっと未来のことだとでも思っているみたいに。
俺もあいつも例外なくそこに甘んじて、何ひとつ変わろうとはしないままで。
初詣の待ち合わせ場所までの移動時間に目を通そうと、分厚い過去問集を鞄に突っ込んできたのは俺だけじゃなかった。
全員が示し合わせたかのように勉強道具を持参していたから、参拝の後、なんとなく流れでカラオケボックスに移動した。受験本番間近、ヤマを張り合おうぜ、なんていうもっともらしい理由をつけて。
実際は志望先が違えばヤマを張り合うことなど出来はしないが、誰もそんなつまらないことは言い出さない。狭いカラオケルームの中で馴染み切った世界に縮こまるように肩を寄せ合い、それぞれが過去問と格闘しながら合間にぽつぽつと軽口を叩き合う。
そんなふうに座りの悪い神妙な沈黙の中、二時間取った部屋で半分の一時間が経過して、ついに元キャプテンがペンを投げ出して口火を切った。思えば負け試合で反撃の突破口を開くのはいつもこいつだった。
「なぁ、王様ゲームやろうぜ!」
途端に空気が緩む。全員が溜息をつきつつ顔を上げた。うきうきと受験生の仮面を外す。
そうだ、これが俺たちの居場所だ。
新しい年の始まりにたった一時間、半年程度の時間を巻き戻してみたって罰は当たらないだろ?
誰かがルーズリーフを破り、くじを作る。
誰かがそれをまとめて片手で掴み、輪の中心にその拳を付き出す。
そして誰かがせーの、と合図をして、一斉にくじを引いた。
俺は七番。隣に座るあいつの手の中にさっと視線を走らせる。三番だ。
それで何を期待するでもないけれど。こんな取るに足らないようなことでさえ、知っていたいと思う自分がいる。
「王様は?」
「俺、俺!」
嬉しそうに挙げた腕を振る山内。俺とあいつと山内と、三人で帰るようなことがたまにあって、その度に邪魔だなと思っていたことなど多分露ほども気付いていない、気のいいトモダチ。おまえとはずっといいトモダチでいられると思うよ。
山内が考えながら口を開く。
「じゃあ、三番が、」
あいつだ。
「七番に、」
…俺だ。隣に座るあいつが、ちらりと俺に視線を寄越した。山内はくるりと視線を巡らせて、それから嬉しそうに笑った。
「キス!」
いぇーい、と軽薄な盛り上がりが起きる。
一瞬硬直して動揺したのはもちろん、当の俺たちだけだった。
王様の命令は絶対だ。それが例え山内であろうとも。
キス、キス、と囃し立てられ、決まり悪そうに頭を掻くあいつが俺に向き直った。こんなのはゲームの一環だ、意味なんかない。盛り上がる空気を乱すつもりも、ない。
あいつも同じなのだろう。肩に添えられる手。近づいてくる顔。その距離にふと、前にも一度こんなことがあった、と思い出す。
予備校帰りの夏祭り。今と違って二人きりで。誰に囃し立てられたわけでもなく、ただ目の前のカップルが交わす熱烈なキスに中てられて。
近づいてきた唇に怯み、洒落にならねぇ、と押し返した。どうしてあのとき流されてしまわなかったのだろうとこんなときになって不意に思う。意味など後付けでよかった、受け入れていればこんな無意味なふざけたキスよりずっとまともな思い出になっていたに違いないのに。
虚しい後悔が頭を過ぎり、唇が触れる直前、咄嗟に首を仰け反らせてそれを避けた。
あいつが軽く眉を寄せて追いかけるように身を乗り出す。
「ちょ、待て」
「…んだよ」
ゲームとしての軽いノリとはとても思えない切羽詰まった声に何かが弾けた。
「待てって、マジで、やめろって…!」
腕全体を突っ張りあいつの身体を思い切り突き飛ばす。ぐんとその上体が遠ざかり、合わせたままの視線の先で、あいつの目が傷ついたように光を鈍くした。
じゃれ合いの域を超えて微妙に張りつめてしまった空気を感じ取ったのだろう、元キャプテンが大袈裟に山内の頭を叩いた。
「おっまえ、つまんねぇよ。男同士のキスなんて見たって面白くもなんともねぇ!」
どっと笑いが起きる。そうだそうだ、と同調の声。その盛り上がりの中であいつは斜めに視線を逸らして、俺はソファに深く沈み込んで、一刻も早く心臓が静まることを祈った。
能天気が売りの山内が一際明るい声を上げる。
「んー、そうかぁ?あ、じゃああれだ、向かいにファミマあったろ、そこでゴム買ってこいよ二人で!」
「だーかーらぁ、男がゴム買ってなにがおもしろいんだよそんなのフツーだろ、さすが発想が童貞だよな、おまえ」
「うっわ、ムカつく、なにその余裕の発言!」
「余裕じゃねぇ、普通だっつってんの。あーもう俺が王様の権利もらうぞ?よしおまえら、生理用品とパンスト買ってこい!」
今度こそ、黙って命令に従い部屋を出る。
あいつが歩く速度が、いつもより少し早い。これは腹を立てているときの歩き方だ。とんとんと階段を下りていく背中を追いかける。
自動ドアを出ると冷たく乾いた風が吹いて、あいつがひょいと首を竦めた。いつも顎を埋めるマフラーがない。人一倍寒がりのくせに部屋に置いてきてしまったのだろう。馬鹿だな。
そんなことを思う俺の視線の先、隣りにあるべきあいつの身体が今は二歩分、前を行く。見慣れない背中に心が乱れる。このまま遠ざかるのは。
待て、と声を掛けようとしたと同時に、あいつがぴたりと止まって振り返った。自分の足を止めたのが一瞬遅れたせいであいつの顔がいつもよりも間近に迫る。
けれど逃げない。もう、今は。
真正面であいつが、引き結んだ唇を薄く開いた。息が白く漏れる。
「おまえ、なにガチで拒否ってんだよ」
さっきの、キスの話だ。憮然とした表情に苛立ちが募る。そんなこと言われる筋合いはない。文句があるのは俺の方だ。
「…おまえこそ、なに命令で済まそうとしてんだよ」
遊びじゃないのだ。その場限りの、命令の下での、ゲームの延長の、場を盛り上げる為だけの、…そんなことにかこつけたキスなんて今更欲しくない。
思いはちゃんと双方向に届く。
互いの憤りを分け合って、思いがけないその重さに俯いてしまう。表情を見届ける勇気は無い。
「…行くぞ。寒ぃ」
再び歩き出したあいつの隣に並んだ。今度はいつもの近さで。
目的地のはずのコンビニを通り過ぎる。互いに何も言わずにしばらくそのまま歩いてから、あいつが隣りでふっと軽く笑った。
「このままばっくれるか」
「…荷物、置いてきただろ」
「あー…、しくったなぁ…」
嘆く言葉はどこか安心したようでもあり、それでいて足は仲間たちの待つカラオケルームからは遠ざかる一方だ。このままどこまでも二人きりで行くことなど出来ないと知っていて、尚。
財布ひとつをポケットに、たった一時間限定の逃避行を試みる俺たちは結局、揃ってどこまでも臆病者だ。
ほんの数センチこの手を伸ばすだけで触れることも掴むことも容易いというのに。
ずっと容易いことだったのに。
チャンスを目の前にぶら下げられても何も変わらない。
このままでは、何も、変われない。
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