プレゼント
人生損してる、と、頑なにあいつが言うから。
つい魔が差したのだ。
誕生日は十二月三十日。
約二年半の付き合いでもちろんそれを知らないわけではなかった。
ただ改まって祝ったことはない。オメデトウなんて言葉を言ったことすらないはずだ。なぜならその日に顔を合わせたことがないから。部活はいつも二十九日が最終日で夕方からは部の奴らと忘年会、三日後の元旦にはまた揃って初詣。間にあるその日にわざわざ二人で会う理由など、互いに探し出せはしなかった。
クリスマスと誕生日とお年玉、諸々フルで手に入ったためしがない、俺は人生損してる。
恐らく子供時代から抱いてきたであろうそんな愚痴を聞かされるのは、だけど今年が初めてだ。
予備校帰り。冬期講習直前。受験生に盆も正月もないという格言通りに元旦以外は講義がびっしりのスケジュール表を眺めながら。
「三十日ってなんか損だろ。いろいろうやむやにされるし何の特別感も無ぇ、っていうか一番気合が入らないときじゃね?」
嘆くべきポイントが少しずれている、と思う。ただ単純に、誕生日まで授業かよとかクリスマスがどうのとかいう話ならば受験生が浮かれてんなと返すことが出来るのに。
「なぁ俺ってかわいそうだと思わねぇ?」
「…知るか、親に言えよ」
「冷てぇなぁ」
一体何のアピールか、言葉の割には悲壮感もなく言ってスケジュール表をしまいこみ、あとはもう普段通りに、決まりごとのように予備校を出たすぐ脇にある自販機で今日も缶入りのコーンポタージュを買う。駅までの道すがらそれを大事に包み込んで持つ手の、ごつごつとした指の節はいつも赤く冷たそうだ。
なにかと面倒、なんて理由で手袋を嫌うこいつに例えば俺がそれを買ってやったとしたら。
暖かい、と、笑うのだろうか。
ついそんな想像をしたままあいつとは駅で別れて別々の電車に乗る。
降りてからなんとなく地元の駅ビルをふらついた。
ふらふらと探すのは、何か、俺があいつにやれるもの。三十日にほんの少しの特別感を混ぜて差し出せるもの。
手袋。
は、いくらなんでもやり過ぎだろう。親友だとて普通男同士でそんなものは渡さない。
じゃあ、何だ。
来年の手帳、とか。
いや、あいつにそんな習慣はない。それに年が明けたら恐らく最初のたった二か月と少ししか共通の予定で埋まらないであろうそれをなぜ俺がわざわざ買ってやらねばならないのか。
合格祈願のお守り?
こんなところに売ってないし元旦の初詣は今年も例外なく部の公式行事だ。
ほかに何か。CD。漫画。マックカード?
どれも何かが足りない気がして俺があいつにやれるものなどなにひとつ見つけられず、そもそも何かをやらねばならない理由さえも曖昧で、結局あいつが欲しがるからなのか俺が何かをやりたいだけなのかそんなところに思考は迷い込んだままその日はどんどん近づいてくる。
あれから毎日ふらりと立ち寄った駅ビルで途方に暮れた俺が最後に手に取ったのは。
どこにでもあるもの。だけど見れば必ずあいつを思い出すもの。
きっとこの先道が分かれたとしても、目に入れば思い出さずにはいられないであろうもの。
それが今更あいつに必要かどうかは疑問だったけれど、一度掌に乗せてしまったそれを手放すことも出来ずにそのままレジに向かった。
三十日。
朝から夕方まで続いた授業を終えていつも通りに並んで帰途につく。自動ドアを出たらあいつはやっぱり自販機の前で立ち止まり、それから俺を振り返った。
「奢って」
「やだよ」
即答したら、ですよね、と笑って財布から小銭を取り出した。
いつものコーンポタージュがガコンと音を立てて落ちてくる。屈んで取り出し、振り向いたあいつに俺はすっと小さな包みを差し出して見せた。重要なのはタイミング。たったこれだけのもの、渡しそびれるほどの価値もないのだから。
条件反射で受け取ったあいつが面食らったように俺を見る。
「あ?」
「誕生日なんだろ」
「…え。なに?」
聞き返す目がきらりと光った。
「あー…。付箋だよ」
開けてみろよ、なんて勿体ぶるほどのものでもないからすぐに種を明かした。予想外過ぎたのかあいつの眉がぴくりと動く。
「は?付箋?」
「おまえ付箋フェチじゃん」
小学校で叩き込まれたという辞書引き学習の後遺症であいつは参考書にも問題集にもノートにもとにかく付箋を貼りまくる。
テストで間違えたところはピンク。もう一度見返したいところは緑。重要だと思うところは青。そんなあいつなりの法則に乗っ取ってびらびらといたることろに付箋を貼っている。
そんな細かいことをするくせに管理方法は大雑把で、カバンや机に出し入れを繰り返していつの間にかそれが千切れたり剥がれたりするとまた同じ場所に同じものを貼り直す。どこに何色を張ったのかは大体覚えていると言うから、それならそもそも張る必要ねぇなと言ったら張ることに意義があるんだと大仰に説いた。受験生になって間もない、次の春などまだ遠く霞んでいたころのことだ。
あいつは手の中のぽち袋のような小さな紙の包みを開けないままでじっと見つめている。
そんなに見たって何も出てはこないのに、まるで特別な何かを期待するように。どんどん居心地が悪くなる。そう、こんなのは、こういうシチュエーションで渡すべきものではなかったのだ。
例えば部活後に、部室で、みんなの前で渡して初めて盛り上がる類もの。
沈黙が痛くて歩き出そうとした俺に追い打ちをかけるように、あいつが真っ直ぐな視線で至極真面目に尋ねてくる。
「…どういう意味?」
「は?や、別に…意味なんてねぇよ。ていうかネタだし」
「…ネタ?」
「そうだって、追い込みでしっかり勉学に励めよ、ってことだろ?つぅか浪人になってもしばらく困らねぇだろ、それがあれば」
べらべらと言い訳をまくしたてる自分が滑稽だ。ただひとこと、おめでとうと付け加えでもすればそれだけで意味のあるものになったかも知れないのに。
あいつは徐々に嫌そうに顔を顰めて、最後は呆れて溜息をついた。
「ネタかよ。まじセンスねぇな」
「うっせぇ」
「っつーか、付箋って。フェチなんだからそんなもん腐るほど持ってるっつぅの。安易すぎだろ」
「は、じゃあもう返せよ。俺だってこれでもすげぇ考え、て、……」
魔が差しただけだ、と、言うべきだったのだ。
単なる思い付きだと。
言葉に詰まりながらあいつの手から包みを取り返そうと伸ばした俺の手に、させまいとするあいつの指先が一瞬触れた。赤く節の浮いた指は思いのほか温かく、手袋はいらなかったなと考える。
「もらっとくわ」
熱いコーンポタージュの缶をコートのポケットに滑らせて、その代わりに包み込むかのような手付きでそれを握り締めた。伝わった温度はどれくらいだろうか。
訊ねることなど出来ずに何の実感も見出せないままの俺に、あいつは顔半分を埋めていたマフラーをわざわざ下にずらして緩んだ口元を晒した。
嬉しそうにふわりと笑う。息が白く宙に上る。
「おまえのときは、倍返ししてやるよ」
押し付けるようにそう言ってからいつも通りに駅へと歩き出した。
すげぇ考えてコレかよ、とか言うべきだったのではないだろうか。あいつも、いつものように何気なく。
こんなのは反則だ。
十一月に過ぎたばかりの俺の誕生日をあいつが知らないはずもない。
そんな顔でそんなに先の約束をするなんて反則だ。
動揺はすぐに期待に変化する。居場所が変わった一年後の同じ季節にまだ二人で過ごしていることを望んでもいいのだろうか。
あるいは、もう少しだけ近い場所で。
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