夏の夜

 高校生活3度目の夏、部活を引退して受験準備が本格的に始まってからも、俺たちは変わらず一緒にいる。

 学校から2駅分あいつの家の方角へ向かった駅前の予備校で机を並べ、帰りは駅まで肩を並べる。勉強勉強、こんな生活もう嫌だと愚痴りながら、じきに訪れる別々の未来への焦りをそんな言葉に忍ばせて。

 

 生温く湿った風に乗って盆踊りの音楽が聞こえてきて、それは駅とは反対側だったけどあいつが行こうと言うから、音を伝って会場となっている児童公園に辿り着いた。

 浴衣姿の小中学生は無邪気にそれぞれの輪を作り、あるいは背伸びして男女混合のグループになって、夏の一夜を楽しんでいる。

 若さで劣ることは明らかだったけど負けじと焼きそばを食い、フランクフルトを食い焼き鳥を食い、仕上げにかき氷を買って奥の大木の陰の芝生に腰を下ろした。

 正面の少し離れた位置にはベンチがあって、そこには俺たちと同じ年ぐらいのカップルが仲良く肩を寄せ合っている。

 大音量にかき消されないように大きな声で話すことに少し疲れて、ただ黙々とかき氷を食いながら見るともなしに仲睦まじいカップルの背中を見つめた。


 俺の高校生活はそんな甘い思い出を作ることなくこのまま過ぎ去っていきそうだ。

 今過ごしてるこいつとの時間が何なのかその意味もよくわからないままに。


 3分の2を食い終わったところで盆踊り大会はひと段落し、締めの花火大会が始まった。

 市販の筒花火を地面に並べて繰り広げられるそれは正直、しょぼい。

 それでも初々しいカップルの気分を盛り上げるには絶大な効果を発揮するらしく、男の手が女の子の肩に回った。髪を結い上げた小さな頭が男の方に傾く。そこに男の顔が覆いかぶさっていくのはあっという間だった。

 初々しい、と思ったのは錯覚だった。交わされる長くて熱烈なキス。

 生の迫力に釘付けになってかき氷を食う手も止まる。

 それは隣りの奴も同じだった。気付いてしまったから気まずくて息を潜める。

 長い、と感じるのも錯覚なのかもしれないけど、とにかく早く時間が流れればいい。

 こんなときばかりそんなことを思う俺は臆病者だ。



 と、目の前を突然陰が覆った。自分じゃない誰かの体温が急速に近づいてくる。かかる息に混じるレモンシロップの甘ったるい匂い。

 何が起ころうとしているのかは何故かすぐにわかった。

 このままいけばファーストキスはレモンの味だ。

「…って、やめろ、シャレになんねぇ…っ」

 カップを持っていないほうの手で慌てて奴の肩を押し返した。


「シャレになんねぇかな、やっぱり」

 真面目にとぼけた顔でそいつが言う。

「…なんねぇよ!」

 何考えてんだこいつ。

 奴は大きな溜息をつくとばたんと芝生に寝転がった。かと思ったらすぐにまた身体を起こし、俺の顔を覗きこんでくる。

「このまま卒業する方がシャレになんなくねぇ?…キスもしたことねぇとか」

 ………あぁそうだな。

 このまま卒業するなんて本当にシャレになんねぇよ。

 卒業して離れ離れになって、せいぜい月イチで会う程度の旧友になるなんて。

 そんな焦りはやっぱり上っ面だけの言葉に隠す。俺だけだったら、と考えると怖い。

「そんなこと言うなら、オンナ作ればいいだろ」

「オンナねぇ……」

 しょぼい花火大会も佳境に入り少しは派手になってきた。目の前のキスはいつの間にか終わっていて、俺のキスは始まりもしなかった。

「別に、好きでもない奴とそういうのしたいとも思わねぇし」

「…だったら好きな奴作れば?」

「―――なら、…けど」

 無駄に音ばかり大きい花火に邪魔されてよく聞き取れなかった。


 『好きな奴なら、いるけど』

 

 聞き間違いじゃないとしたら、その言葉と共に向けられた笑顔はこの上なく意味深だ。

 確かめるのは少し怖い。

 いつか進まなければ行けない時が来るのだから。

 やがて迎える秋も冬も、もう少しだけ、このままでいよう。


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