トロッコの先に
狐夏
トロッコの先に
関東山々を臨む片田舎、――田舎とは言ったが、大手スーパーやデパートも揃っている人口十五万人の小規模都市。大型車が入れない住宅街の先で旧家屋の解体工事が始まったのは、昴が八つの冬だった。偶然そばを通りかかった昴にはそこで働く人々がとても楽しそうに目に映った。そこに働く人が――といったところが、唯その瓦礫の山から柱やら瓦やらを運び出すその行動が面白く映ったのである。
瓦礫の山から瓦を回収する工員、木材を束ねて運搬する工員、すべて破壊しきった家屋の部品をまた集めては束ね、運んでいく。昴は母の運転する車から身を乗り出し、作業風景にすっかり心を奪われていた。
翌日昼過ぎ、昴は作業場へ行ってみた。人気がなく、作業は中断されたような状態だったので、昴は昨日工員たちがやっていたように瓦礫から同じものを集めてみた。小さな木を集めて紐で束ねる――が、思うようにいかない。すると不意に後ろから声をかけられた。
「何を勝手にいじってるんだ?」振り返るとがたいのいい大男が真後ろに立っている。冬だというのに頭にタオルをかけ、その上からヘルメットを被っている男は、昴の頭上からぬうっと顔を出して大きな口でにっこり笑った。
「なんだ、手伝ってくれているのか?」昴はこくんと頷く。
「だったら怪我すると危ないから、これを使いや」そう言ってポケットから軍手を取り出し手渡すと、荷物と一緒に転がっていたヘルメットを昴に被せてくれた。
「無理に引っ張り出すと上のものが崩れるから、上のものから順番にどけな」大男はそう言うとまた奥へと引っ込んでしまった。
それから一、二分すると同じ作業着を着た若い男が二人並んで歩いてきた。「何やってんだぁ?」茶髪の男が尋ねると、もうひとりの黒髪であご髭の男が言う。
「手伝ってくれるのか?」昴は無言でこくんと頷いた。
「じゃあ、そこの小さい木を集めてもらおうかな」髭面にそう言われたので、木片を集める。しばらく集めていると、二人が木材やらを束ね始めた。
「じゃあそれも持ってきてくれ」声をかけられたので、集めた木片を入れた麻袋を持って二人に続いた。正直昴は始めて十分くらいで木片集めには飽きていたのだ。だらだら集めていたところにちょうど声をかけられたので、昴はよかったと思った。小さい袋を抱えて、二人の後ろをついていく。住宅街のはずれにトラックが停まっており、そこまで持っていくそうだ。
茶髪と髭面は他愛もない話をしながら前を歩いている。時折髭面がこっちを振り返っては様子を窺う。日頃重いものを、――重いといってもランドセルよりは軽いのだが、重いものを持つことがない。加えて、大きなヘルメットが歩くたびにずれて視界を塞ぐので、5、6歩歩いては直さなければならなかった。昴は住宅街を木片を抱えて歩くことが序々に苦痛になっていった。歩くスピードがしだいに遅くなっていき二人との距離も離れていく。作業場から100メートルくらい歩いたところで、
「荷物持とうか」と、見かねてか髭面が言うと、麻袋を受け取る。昴は心軽やかに二人の後をただただついて行った。時折ずれたヘルメットを直しながら、空など眺めている。
それから工事現場へ戻り、昴は隅のほうで瓦を集めていた。不細工に結っては、髭面が直す。そうして一番軽い荷物を持っては、途中で持ってもらう。こういうことを何度か繰り返しているうちに日はとっぷりと暮れていった。
数回の後、トラックからの帰り道、茶髪と髭面はそれまでと違う道へと歩いていた。昴はただただついていく。住宅街から少し離れたところにあるコンビニエンスストアに着くと二人はその中へ入っていった。昴は二人が出てくるのを入口で待っていた。時間は五時前を指しており、西の空がかすかに夕日の残光を雲に映している。
しばらくすると二人が出てきて、髭面が十円のスナック棒をくれた。ありがとうと昴は言うとそれをポケットへしまい、また二人に続いた。工事現場まで戻るのかと思えば、二人はトラックまでの道を引き返す。すると茶髪がふいに声をかける。
「今日はもう上がりだから、お前も家に帰れよ」髭面からは今日はありがとなと言われ、昴は家に帰れることを理解した。工事ごっこはもうおしまいのようだとこのとき理解したのだ。
昴は外がすっかり暗くなっているので、母からの言いつけ通り、明るい道を通って帰ろうと大通りに沿って歩いた。
その頃昴の母は、パートから帰ると家に昴がいないことを気にしていた。冬ともなれば五時には外は真っ暗になり危険である。そう思って、息子がどこに行ったものかと近所をぐるっと探してみたのだが、どこにも姿は見えず。いよいよ知っている友人宅に次々と電話をしてみることにしたのだ。
「こんばんは、うちの昴おじゃましてませんか?」どこのうちに訊いても返事は「いいえ」だった。いよいよ最後の可能性である良くん家にかける。
「うちにも来てないわねぇ」電話口で良くんに知ってる?とやりとりする声が聞こえる。
「警察に届けた方がいいんじゃない?」そう言われて母は、誘拐という二文字が頭に浮かんだ。今までずっとどこかに遊びに行っているという考えしかなかったが、言われてみれば普段は暗くなる前には家におり、テレビを見ているではないか。もしかしたら――。
母は手短にお礼を言うと、すぐに一一〇番をした。
駐在所から警官が一名、昴の近所を探し始めた。それが夕刻六時前のことである。母は半狂乱になりながら、人気のない道を探し続けた。探している最中にふと、この間に家に帰っているのではないかなどと思い立ち、さっと来た道を帰るもおらず、また探しに出ようか、それとも帰りを待とうかともどかしい思いをしていた。ついには市の警察署に電話をし、全員出動せよと言わんばかりに応援を要請する始末である。署の方も仕方なくも市民のためにと、駐在所の担当に連絡を取り現状を確認。七時前、署からパトカーが二台出動した。最寄の駅や公園、人気のないところを中心に巡回を続けるもいっこうに昴の姿は見つからなかった。かれこれ捜索が始まって一時間あまりが経っている。母は家で泣くも怒るもその感情をただただ警察にぶつける他にはなかった。
八時三十分。近所の住宅街を歩く昴がパトロール中のパトカーに保護されたと連絡が入る。
昴は二人と別れてから、大通りをぐるっと回るように歩き、住宅街の中にある公園で遊んでいた。薄暗い公園で電灯だけが明るく照らす。日頃見慣れた公園の違った姿に、昴はなぜかここにいたいという感情が沸き立った。とはいえ、暮れれば寒さが一層増す冬であるから、昴は風除けにと、トンネル状の遊具の中にもぐり込んだ。遊具の中に腰掛けたとき、ポケットに入っていたスナック菓子の潰れた音がした。昴はそれをポケットから取り出し、袋の上から粉々にして弄っていた。粉々の粉末状にお菓子がなるとそれにやっと飽きたらしく、もぞもぞと遊具を出た。そして再び帰ろうと思っていたところにパトカーが通りかかったのだ。
パトカーが目の前で停まる。警官が出てきた時点で昴の鼓動は速くなった。一体「なんだろう」そう思っていると、警官から呼びかけられる。
「昴くん、だね?」昴は一瞬の間をおいてからこくんと頷いた。
「お母さんが心配しているから帰ろう」警官は優しそうにそう声をかけるとパトカーに乗るように促した。促されるままにパトカーに乗ると、昴は自分がしたことを振り返った。何かまずいことをしたのだろうか。分らない。とにかくこのまま家に帰ればきっと母に怒られるのに違いない。昴はそう思うと、ただただそれが怖かった。だから家に着くなり大声を上げて泣き喚いた。母はその声を聞くや否や一目散にすっ飛んできて、どこ行ってたの?どれだけ迷惑かけたか分ってるの?と止めどなく昴をまくし立てる。それをすべて正当化するように昴は敢えて、大声を出して泣き続けたのだった。
次の日、パトカーに乗ったということで昴はクラスのちょっとしたヒーローになり、…………
昴は二十六の年、一人東京へ出て来た。今では零細企業で営業の仕事を任されている。が、彼はどうかすると、全然何の理由もないのに、その時の彼を思い出すときがある。全然何の理由もないのに?――ミスと後始末に疲れる日々、上司に、お得意先に、頭を下げるとき、今でもやはりその時のように、すべてを正当化すべく、ただただひたすらに謝るのであった。
そしてその回数を後輩に自慢げに語るのである。…………
了
トロッコの先に 狐夏 @konats_showsets
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