第4話 予期せぬ非常事態(エマージェンシーアウト)

 俺と黒崎は惜しむように木陰から出て、言い争いを繰り広げる彼らの元へ歩み寄った。そんな事は知らず、若者連中は人の目を気にする事なく、白昼堂々と脅迫気味の言動を繰り返した。


「ちょっとぐらい、いいじゃねーか! ああ?」

「いっ、いや……だから、その、僕には用事が……」

「はあ? 聞こえねーぞ! ハッキリ喋ろや!」


 金髪の男にド突かれ、バランスを崩した眼鏡男は豪快に尻餅をついた。持っていた紙袋が男の手を離れると、中身が散乱した。出てきたのは様々な美少女アニメのグッズだった。眼鏡男は慌てて拾い集め、紙袋に戻した。


「こいつ、まだこんな物集めてるぜ」「うわっ、だっさ……」


 若者から冷たい視線が注がれ、眼鏡男は紙袋を抱えて縮こまった。


 様子を見ていた俺は心が締め付けられた。シチュエーションが違えど、小学生時代の苦い思い出が蘇る。


 あの頃の俺は力が無い事を理由に、いじめを見て見ぬフリ、あるいは傍観者に徹したりした。だが、今は人を助ける力や勇気が備わっている。力とは肉体的な面じゃなく、助けたいという想いの事を言っているとわかった今、こんな奴はどうにでもなる。


 ――と思ってはいるが……さて、どう割り込むか。


 何だかんだと思っても、やっぱり自分が不利益に痛みつけられるのは避けたかった。


「はいはい、ストーップ!」


 何の脈絡もなく、唐突に黒崎が割って入った。


「ええっ!? ちょ、ちょっと!」


 必死にソフトな対応を思案しているというのに、それを台無しにする黒崎の行動。バカ野郎、何も考えず突っ込む奴があるかっ! と心の中で毒突いた。


 俺は仕方なく、黒崎の後を追う。


 泉水さんが不在となれば、俺自らが黒崎の護衛を担当しなくてはいけない。ただ、喧嘩が苦手な俺は護衛任務だけはどうしても避けたいのだが……。


 弱音を言ってもいられず、内心ビビりながら、黒崎の陰に隠れるように体を丸ませ、事の成行きを見守った。


 眼鏡男を取り囲んでいた若者が黒崎に気付くと、

「何だ、お前?」「おお? 女子高生じゃん!」「やべぇー、由比ヶ浜の制服だ! 興奮する!」

などと、ちょっとした盛り上がりをみせた。


「悪いんだけど、そこのうずくまってる人に用事があるんだよね」


 黒崎は若者の盛り上がりを無視し、淡々と告げた。


「なっ、テメェー、待ち合わせの人って女だったのか!」

「ひひっ! そ、そうだよ……」


 リーダー格と思われる男が眼鏡男を一蹴した。弾みで眼鏡が落ちそうになるが、間一髪で受け止めた。何を思ったのか、眼鏡男は黒崎の後ろに素早く移動し、今にも肩を触りそうなぐらい接近した。


「た、助けて下さい……」


 今にも泣き出しそうな叫び声を上げた。


 更に後方で待機する俺は完全に蚊帳の外だった。まるで気付いていない眼鏡男の缶バッジ付きリュックを眺めながら、羨望に駆られた。


 ――こっ、こいつ馴れ馴れしく黒崎の傍に……ゆ、許せん! 絶対許せねぇ!


 ブツブツ独り言を呟きながら怒りの矛先を眼鏡男に向けてた。何も知らない黒崎はどんどん話を進めていく。


「というわけで、ちょっと借りるわよ」


 黒崎は強引に退散しようとするが、若者達は見過ごすハズがなかった。


「おい待てよ、そんな男なんて放っておいて、俺らと遊ばねーか? なっ、気持ちいい事しよーや」


 若者達の矛先が黒崎に移り、いよいよ俺の出番がやってきそうな雰囲気だ。いや、出番なんて要らなくていいが、ここまで俺の存在を無視されているのも気分が悪い。


「誘ってくれるのは嬉しいけど、遊んでる時間は無いの。代わりと言ってはなんだけど、代役を立ててあげる」

「は? 代役だと」


 妙な胸騒ぎがした。あれこれ黒崎の意図を探ろうとした時には既に遅し。ツカツカと靴音を鳴らしながらやって来る黒崎に胸倉を掴まれ、問答無用で投げ飛ばされた。


「ちょ、ちょっと待て黒崎! ごふぉっ!!」


「今度は何だ!?」


 リーダー格の男が怒鳴る声が真上から聞こえた。見上げると、俺は若者達に取り囲まれている事に気付く。無理やり舞台に上がらせた形だ。


「誰だ、テメーは?」

「はは……俺は、その……通りすがりの者です………………ちょっと、黒崎!?」


 振り返ったところ、黒崎と眼鏡男の姿は何処にもなかった。公園に訪れた人々の不審そうに見守る視線だけが冷たく突き刺さる。


「おい、眼鏡と女がいねーぞ! 何処に行きやがった?」


 若者達も気付いたらしく、周囲を見渡していた。それと同時に通りすがりの人達の視線が消え、見て見ぬフリをしながら遠ざかって行った。


 一人残された俺は敗北感で一杯だった。


「まあいい、こいつをシメあげれば済む事だ。すぐに居場所がわかる」


 何とも物騒な発言をかますリーダー格の男。他の若者も冷笑しながら、指の関節を鳴らしている。


 俺は遠慮がちに挙手し、

「あ、あの……俺は置いて行かれたって言ったら……信じます?」

蚊が飛んでいるようなか細い声で若者達の反応を探った。


 リーダー格の男が骨が折れたかと思うぐらい、一際甲高い関節音を鳴り響かせた。それが答えだと確信した。


 先手必勝。無言で身を翻し、俺は全速力でその場から離脱した。


「待ちやがれ! クソ野郎!」


 後ろから罵声を浴びながら、無我夢中で歩道橋を目指した。遠くの方に見える階段付近には大きな水溜りが見え、暑さによる逃げ水現象が起こっていた。


 真夏の日差しだけじゃなく、熱風を顔全体で受け止め、俺の頭は沸騰寸前だ。まさか部活以外で、しかも必死に走るなんて思ってもみなかった。


 さっきまでの威勢は何処へやら。今は逃げるしか頭に無いとは……なんとも滑稽だ。


「あのオタク眼鏡……覚えてろよ!」


 青い空から覗かせる、白い入道雲、清々しい夏の空に向かって俺は遠吠えのように吠えまくった。怒りと恐怖が交錯する中、俺の声は情けなく震えていた。

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未来創造のメンタルガイド 皐月双葉 @salvator

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