第3話 依頼者(ダーククライアント)
暑さを和らげる噴水の水飛沫。見ているだけで心地良い気分にさせ、冷たい水に冷やされた空気が風に乗って木陰のベンチへ吹き込む。木々に生い茂る緑葉は日差しを柔らかくさせ、涼んでいる俺の元へ優しい光を供給してくれた。
車が仕切りなしに行き交う大通りから、一歩入った所に位置する桜が丘中央公園。駅前の歩道橋と隣接する商業ビルからのルートでしか入ることが出来ない陸の孤島。周りの人工物から切り離されたオアシスと言って過言ではないこの場所は、街中に住む人達の憩いの場として利用されている。
電車で二駅離れた所に住む俺にとってはあまり馴染みが無い場所ではあるが、ここ最近は用事で訪れる事が多くなった。とはいえ、ほとんどはプライベートではなく、ちょっとした仕事の待合用として公園に来るぐらいだ。俺に彼女がいれば、ここを待合として利用するのもありだが、生憎さま、俺に寄り添う女子などいない。今はぼっちの男子高校生がベンチでだらけている姿を晒しているだけだった。
時間潰しに通りすがりの人を観察していると、真正面の噴水下のプールサイドに腰掛ける一人の少女に目が留まった。その子は俺と同じ、何をするわけもなく、ぼーっと座っていた。茶髪が混じるショートヘアが風になびく度、前髪がその子のおっとりした垂れ目を覆い隠した。
小柄な体躯を見るところ、まだまだ育ち盛りな十代の小学生だろうか。
――誰かと待ち合わせしているのか。
噴水前には小さな子供と水遊びをする親子の姿の他に、数人が各々時計を気にしながら周りを見回している。だが少女は一人、視線を落として、心ここにあらずといったところだ。
それともう一つ気になる点があった。少女は長袖のパーカーを羽織り、下はスカートと紺色のジャージを穿いていた。真夏の炎天下、あまりにも季節外れの服装に思わず眉をひそめる光景だ。
気が付けば、少女に興味が引いていた。別にロリコンの気があるわけじゃないが、妹の小豆がいる俺は自然と年下の女の子を気に掛けてしまうのだ。
遠めから凝視する俺に少女が何気なく顔を上げた。瞬間、お互いの視線が重なったと思いきや、数秒間お互い見つめ合う。垂れ目で眠たそうな瞳はしっかり俺を見据え、全く視線を外さない。俺の方が恥ずかしさのあまり、視線を外しそうになった。少女は怪訝そうに眉根を寄せ、強い睨みへと変わり始めた。
まずい、と思った矢先、
「今日は早いじゃない」
聞き慣れた声に反応し、視線を少女から外した。
ベンチ横にいつの間に到着したのか、濡れ烏の髪が綺麗な
「おっ、おう……黒崎か」
制服だった為か、一瞬、判断が鈍る。
そういえば、由比ヶ浜も今日は補習授業がある日だと黒崎が愚痴っていた。黒崎も授業が終わって、すぐここに来たというわけか。
初めて見る黒崎の制服姿は何とも新鮮で、普段着とのギャップから中々可愛い。同時に改めて黒崎が頭の良い女の子だと認識させられ、ちょっとばかり嫉妬した。
「ああ、もう! 鬱陶しい! 八神、今すぐ冷房を出して」
下敷きを激しく仰ぎながら隣に腰を下ろす黒崎。妙に生ぬるい風が俺の方にまで吹き込んだ。
「……別に仰がなくても涼しい風はくるぞ」
「どこがよ、全然涼しくない! たくっ……何でアタシがこんな場所に来なきゃいけないのよ」
暑さでいつも以上に荒れている黒崎は、スカートを穿いている事も忘れ、片足をベンチに立てた状態だった。あれでは真正面から完全に丸見えだ。
チラッと正面の噴水に視線を移すと、さっきまでいた少女の姿はもう何処にもなかった。辺りを見回すも、それらしい人影はない。もう帰ってしまったようだ。
「ん? どうかした、八神」
「いやっ、何でもない」
ちょっとおかしな子と思っただけで特に気にするような事もなく、少女の事は頭から消えた。
気を取り直し、改めて黒崎と向き合う。
「あれ、泉水さんは?」
今朝の電話を入れた本人が見当たらなかった。
「ああ、イズミンね。さっき急用が出来たって言って出ていたわよ」
「急用?」
「そう、なんか出入りがあるらしくて、駆り出されたみたい」
「そ、そうか」
黒崎の家はヤクザの元締めである『竜ヶ峰組』だ。全国最大規模を誇る『竜ヶ峰組』の組長が黒崎の親父さん、そして母親は外資系IT企業『ブラック・クロス』の社長を務め、両親共に社会的影響力が強い。そして小さい頃から世話役として、俺らよりも三つ年上の
ちなみに黒崎は戸籍上、竜ヶ峰の姓であるが、それでは社会的に問題がある為、母親の旧姓である『黒崎』を使わせてもらっている。
「それで黒崎、何で今日に限って待ち合わせがここなんだ?」
朝から気になっていた事をぶつけてみる。
俺ら二人はお互いの特殊能力を駆使し、人生に迷いを感じる子羊を救う事を目的に活動してるが、クライアントを迎えるのは決まって黒崎行きつけの喫茶店
『シャーロット』だった。
黒崎は面倒くさそうに携帯を取り出し、画面をタッチし始める。
「この場所はクライアントが指定したのよ」
そう言いながら携帯を放り投げた。放物線を描きながら放たれた携帯は無事、俺の手の中に収まった。携帯の画面には見知らぬ男の顔写真が写し出されている。
「これは?」
黒崎に問うと、黒崎は少し困ったように視線を逸らした。
「待ち合わせのクライアント。八神はどう思う?」
「どうって……」俺は写真の男を観察した。
写真が取られたのは何処か賑やかに人が集まる場所。写っている男も楽し気に白い歯を見せ、手には色とりどりに光るペンライトが握られていた。男は黒縁眼鏡を反射させ、ふっくら蓄えられた頬を紅潮していた。胸元にはアニメ少女のバッジらしき物を付けている。こ、これはまさしく、
「アニメ……」
「オタクね……」
俺に続けて黒崎が付け足す。
思っている事は同じなようだ。黒崎が懸念しているのはソッチ方面の人との関わり経験が無い事だろう。俺だって実際にハードなオタクさんの接し方は心得ていない。
前に何かのバラエティーで見た事がある。写真の男のようなのめり込みが半端ないアニメオタクは、独自の世界観や思想を持っているそうだ。俺ら一般人には到底理解出来ない、彼らだけの考えがアニメというコンテンツに反映されると。いわゆる中二病という状態に近いのかもしれない。
「何となく……この人の悩みがわかったような気がする」
黒崎はまたしても同調するように、
「右に同じく」
鼻で笑いながら携帯を返せと手を伸ばしてきた。
俺は黒崎の手に携帯を乗せてあげたその時、怒鳴り声に似たような濁声に思わず体が震えた。
「よう! 珍しいじゃねーか、お前がこんな所にいるなんて」
声のする方向を見れば、数人のガラの悪い若者連中と、取り囲まれて萎縮する、デブ眼鏡の男が挙動不審に目を泳がせている光景が目についた。
「あれ? あの眼鏡の奴って……まさか」
つい今しがた見た写真の男とそっくりだった。
「どうやらクライアントの到着のようね。金魚のフン付きだけど……」
辛辣な黒崎の台詞を聞きながら、俺は腰を浮かした。まずはクライアントの安全を確保するところから仕事スタートだ。
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