第2話:火事と喧嘩は江戸の華

 暗闇から目を覚ました僕は、随分と温かい陽の光にとぎまぎした。

 まわりは倒壊した木造建築。崩れたというよりは“燃えた”といったほうが相応しい有様だ。地面は土。ただの土という感じではなく、舗装された土の道といった感じだ。

 秋田の冬は基本的に灰色の空だが、見上げる空は十分に青い。太陽の光は暖かく、しかも優しい。

 けれども肌を撫でる風は十二分に肌寒かった。身震いしようとして、その割には温かいことに気付いた。横を見ると千花が僕の肩に寄りかかっていた。


「天地、気付いた?」

「気付いた。でも少し恥ずかしいかな」

「あら、そう? 意外と初心なのね。なにか気付いたことはない?」

「そうだな……。空が青い、空気が温かい、景色は見慣れない、それと」


 僕の着ていた服が、いつのまにやらな着物に変わっていた。


「いい着物だね。僕は着替えた覚えがないんだけど……」

「私が変えたの。素敵なしつらえでしょう? 元の服じゃ、目立っちゃうから」

「ええっと」

「細かいことは気にしないの。ここは江戸の街よ」

「東京? どうして」

「東京じゃないわ。江戸。東京なんてこの時代にはないもの」


 僕は少しその言葉を頭のなかでこね回して、意味がわからないと言う結論に達した。


「どういうことだい?」

「私が貴方を永安の江戸に連れてきたの」

「エイアン?」

「永安。田沼時代といった方が分かりやすいかしら。それとも、江戸時代の後期と言わなければ分からない?」

「ごめん、日本史はあまり得意じゃないんだ。というか、そうか。江戸時代か」

「疑わないの?」

「疑ってるよ。でもね、疑おうがなんだろうが僕のやることは変わらないんだよね?」

「そうよ。戻りたければ絵を描いて」

「脅迫じゃないか」

「その通りよ。ほら、立って」


 僕は立ち上がる。風が吹く。千花は僕の手をとった。暖かい手だ。


「さ、行きましょ」

「何処へ?」

「画材がなければ絵は描けないじゃない」

「……この時代に、僕が愛用していたホルベインやターナーの画材たちがあるのかい?」

「無かったから取り寄せたの」

「は?」


 千花に手をひかれて向かった先は通りに面したお店だった。この辺りは火事を逃れたのか、立ち並ぶ店はみな無事だ。


「さ、あそこのお店」

「あそこ? 黒田屋? えっと、ああ、呉服屋って書いてあるね」

「そうよ。あなたの服もあそこから貰ったの」

「良いの?」

「良いのよ。私は神様だから」

「良くないように聞こえるなあ……」


 千花はずんずんと奥に進んでいく。僕は手をひかれるまま、縮こまってその後をついていく。

 店に居たのは恰幅のいい女将さん。

 千花を見て声を上げた。


「あら千花ちゃん。お帰りなさい。そちらのいい男はだあれ? 千花ちゃんの良い人?」

「ただいま。そんな感じよ。借りるわよ」

「あらあら、ふふふ。どうぞ」


 勝手知ったる様子で千花はずんずん奥へ入っていく。

 人の家に上がりこんでも構わないのだろうか。僕が少したたらを踏むと、振り返って小首を傾げる。


「どうしたの、天地? こっちよ」

「あ、ええっと」


 ちらりと女将さんに目をやると、女将さんはニヤリと笑って頷いた。僕は苦笑に近い表情で会釈をして千花を追う。


「ここよ」


 通された部屋には、そこらじゅうにお札が貼られていた。

 壁も、天井も、観光地のシールのごとくにお札に埋もれているが、唯一違うのは床である。畳の敷かれていない木のままのそこに置かれたのは鏡である。


「……ここは?」

「ここは中心。時間と、空間と、そしてほんのちょっとの涙と悔恨の」

「中心? ごめん、僕にはまるでさっぱりだ」

「例えばそうね……。円には中心が一つしかないけど、球には、輪切りにして出来た無数の円と同じ数の中心があるでしょう? 世界が重なれば重なるだけ中心は増えるけど……、球の中心は一つだけ。ここはそれなの」

「わかるような、わからないような」

「わからなくても良いわ。ほら、その鏡に向き合って」

「僕の顔が映るだけだよ? このさえない顔」

「多少は男前なんだから我慢しなさい」

「初めて言われるなあ、こっちに来てから、そういうこと」

「皆お世辞で言ってるのよ。ほら、そしてほしい物を思い浮かべながら手を」


 千花は僕の手をとって鏡に押し当てた。


「変なこと考えるんじゃないわよ」

「わ、分かってるって」


 思い浮かべるのは、僕の画材一式。アクリルと水彩、木炭とチョークに鉛筆とその他。プラスチックの大きなケースにまとめていた。


手のひらに感触。


「来たわね? 引っ張って」

「うん」


 引っ張ると、出てきたのは僕の画材道具一式。


「おお、すごい」

「これ、結構力を使うのよ。あなたをこっちに連れてきたのも含めれば、あと三ヶ月は何も取り出せないわ」

「じゃあ何で僕を連れてきたのさ」

「思いを晴らすには時間軸が近い必要があるのよ。怨念がこの世に漂っているうちに、ね」


 千花は改まって僕に向き直った。顔が少し近い。どうも恥ずかしい。


「私はあなたに絵を描いてほしいの」

「それは聞いたよ。炎の絵を描いてほしいってことも」

「……今は永安と年号があるけど、少し前までは明和だったの。明和九年。これが何の年か分かる?」


 わからない、と言おうとして、千花の言葉が脳裏で何度か瞬きした。


「……それが、明和の大火?」

「そう。焼け跡の残る街を見たでしょう? あれが惨状よ。振袖火事以来の大きな火事と街の人は騒いでる。江戸のほとんどが焼けたわ。たくさん人も死んだ」

「待ってくれ。話が見えない」

「だから、あなたに絵を描いてほしいの。鎮魂のために」


 千花の顔が迫る。目の前に目がある。吐息と、熱と、激情が目を通して伝わってくる。


「僕には」


 つばを飲み込む。続ける。


「僕には、重すぎる」

「どうしても駄目なの?」

「駄目とは言ってないよ。重すぎるんだ。僕にはそれを為す覚悟と力が足りない。時間をくれ。それを為すには僕は未熟すぎる」

「それじゃあ」

「待って。僕に一つ考えがあるんだ」

「……何かしら?」

「千花が神様だっていうなら、僕のお願いを一つ聞いてほしい」

「出来る範囲でなら」


 僕は一度言葉を切って、落ち着いて、千花の目を見据える。

 永安という年号が確かなら、僕の尊敬するあの絵師は今、おそらくこの江戸の町にいる。


小田野おだの直武なおたけ、という人に合わせて欲しい」

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ガランドゥ・ランガドゥ 山田病太郎 @yamada_byotaro

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