ガランドゥ・ランガドゥ
山田病太郎
解体新書とあめつちと
第1話:火事と喧嘩は江戸の華
昔から絵を描くのが好きだった。
上手いね、とほめられると嬉しかったから、夢中になって鉛筆を振り回した。
そのまま成長して、高校生になった。
描くのが大好きだった。
大好きだった。
僕が美術大学を目指したのは自然な話だし、日本画が好きな僕が日本画科を目指すのも自然な話だ。受験のために必死に練習するのもまた、自然な話。
地元の小さなアトリエに通い詰めた。正直に僕は上手い方だった。自信があった。確信があった。
けれどもそれは、井の中の蛙だった。
地元の秋田じゃ天才ともてはやされても、全国区で見ればそれこそ化物や怪物がいくらでも居る。僕は彼らには敵わない。それだけじゃない。考えても見ろ。僕なんかの実力で、かつての巨匠たちを超えられるのか?
僕が絵を学んで、描いて、それは一体、自己満足以上の意味を持てるのか?
茫然自失と冬の道を歩く。
受験が近かった。
昨晩降った雪のせいで、周囲は一面の銀世界。除雪車が通った痕ですら、また積もった雪のせいで見えなくなっている。
凍った足元は覚束ない。手袋を忘れた手のひらは冷えきって、吐く息はまるで蒸気機関。ふわりふわりと漂うように、僕は一人で道をゆく。
ああ寒い。
心が寒い。
「お兄さん、寒そうだね」
「うん。寒い」
なんとなく返事を返したけど、その声の主を僕は知らない。
背の低い少女だった。黒い髪は短く切り揃えられていて、目つきは少し鋭いけれどきつい印象は感じない。真っ白な雪道に、赤い着物が綺麗に映えた。
はて。
確かに初対面のはずなのに、どうにも初めて会った気がしない。
「何処かで君と会ったことがあるかな、僕は?」
言ってから、まるでナンパみたいだと気付いて少し慌てる。
「ああ、いや、ごめん。これじゃあ口説こうとしてるみたいだ。ごめん。そんな意図はないんだ。本当だよ」
「うん、大丈夫。私は
「……僕? 僕は
少女は僕のもとに駆けて来て、僕の手をとった。
温かい手だった。
「天地の手、冷たいわ」
「……僕と君とは初対面だよね?」
「そう。だからね、私は貴方にお願いをしにきたの」
千花は顔を近づけた。熱を感じた。
「私は神様なの」
「……えっと」
「火の神。いえ、少し違うわ。火事の神……いえ。火事で死んだ者達の神」
「意図が見えない。僕は何をすればいい?」
「絵を描いてほしいの」
「……え」
「得意なんでしょう? 絵を描くのが」
「それは」
少し昔の僕ならば、間髪入れずに首肯した。けれども今はもう違う。僕は絵を描く自信がない。向ける熱意も覚悟もない。
「僕には無理だ。とても」
「何故? 天地はあんなに素敵な絵を描けるのに。こんなに素敵な心を持っているのに」
「僕は下手っぴなんだ。昔は自信も覚悟も熱意もあった。でも、今はもう……」
「じゃあ、あなたはどうしたら絵を描いてくれる?」
「どうだろうね。そうだな……」
ちらりと、脳裏に浮かんだのは一番好きな絵。
「見えたわ。それが貴方の好きなもの?」
「……驚いた。千花、君は人の心が見えるのかい?」
「違うわ。たまに見えるの。強い思いは」
「そっか」
僕はこの期に及んで、まだ想いを捨てきれていないのか。
それもそうか。
小さい頃からの夢、だから。
「分かった。描くよ。でも少しだけ。何を描けばいい? 誰かのために描くのかい?」
「描いて欲しいのは、炎の絵」
「炎? びっくりしたな。炎の絵には不吉な話が多いんだ」
「そうよ、これはとびっきり不吉な……いいえ違うわ。とびっきり不幸だった話」
「いったいどういうこと?」
「天地、あなたはさっき、『誰かのためにかくのか』と聞いたわね。答えるわ。そうよ。誰かのため」
「誰のため?」
「火事で死んだ、全ての子供達のため」
「……いったいいつの火事の」
「明和の大火」
「メイワ……? それは一体」
「とっても昔の話よ。本当に、本当に昔の話」
千花はそう言って僕の手をぐいとひいた。
「天地。私と一緒に来てくれる?」
「……無理のない範囲で、なら」
「そう。それじゃあ……」
いきましょ。
ふわりと体が宙に浮く感覚。
手のひらに感じる温もりだけが僕を繋ぎ止める
感覚が暗闇に落ちていく。
千花が最後に言った言葉。
行きましょ、というよりは――
生きましょ、と聞こえた。
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