閑話 オレンジピール・チョコレート
「あんたの師匠は不審人物だな」
ソニア・ルーパーの一言に、リリアは作業する手を止めた。
乾燥させたカミツレの花を、
「不審人物って……師匠が頭おかしいみたいに聞こえるじゃないですかー。物陰から覗いてたり、棍棒持って追いかけて来そうです」
話の
リリアの師匠について、ソニアが色々と尋ねてきたのだ。
年齢、出身地どころか、何故か年収まで聞かれたのだが――その時になって初めて、リリアは師匠のそうした情報を一切知らないのだと気付かされた。
どこか寂しく思う気持ちを隠しつつ、正直に分からないと答えたところ、ソニアから返ってきたのが冒頭の一言である。
「風呂を覗かれたりはせんのか?」
「されませんよ。あんな枯れ果てた人が、するはず無いです」
やがて粉状になったカミツレの中に、スプーン一杯の蜂蜜と、先日集めたばかりの朝露を加えた。それを丁度良い滑らかさになるまで、じっくり練り合わる。指で
カミツレの美容液は、肌荒れや美白に効果があるとされる。香りによって心身を落ち着かせる作用もあり、女性客からの人気が高い。
来客用の椅子に座って、リリアを眺めている年配の女性――ソニアも、このカミツレ美容液を求めてやって来る一人だ。
「あんたのような若い娘が、そんな男と一緒に住んでたらダメだ」
「大丈夫ですよ、ソニアさん」
呪文を掛けて仕上げた美容液をソニアに手渡しながら、リリアは笑った。
「もう何年も一緒に住んでるんですから。師匠は危ない人じゃありません。それに、今更あの人を放ってどこかに行くなんて、考えられませんよ」
「やれやれ……あんたも難儀な娘だねぇ」
代金と引き換えに瓶を受け取り、ソニアは席を立った。それから、見送りの為に玄関先まで付いて来たリリアを振り返ると、
「でも、あんたはいつか
そんな事を問い掛けた。
「え……?」
「弟子っていうのは、いずれ独り立ちするもんじゃないか。それともあんた、一人前になってもまだ、師匠の面倒を見るつもりでいるのかい?」
「そんな……先の事なんて、考えてませんよ。教えて欲しい事だって、まだまだ沢山あるのに」
「リリアよ」
戸惑う少女に、ソニアは続けた。
「あんたは器量も悪くない。いつか誰かに
想像を超えて
一人前になるだなんて、結婚だなんて、私には早い。
そう言いたいのに、何故か言葉にならなかった。
――リリア・ウッドワード、十七歳。
まだ恋すらも知らぬ、とある日の出来事であった。
「師匠……私、結婚するんですかねぇ?」
弟子の口から飛び出した、あまりにも突然過ぎる言葉に、ラクラは飲んでいたお茶を思わず噴出した。
ロマリアから帰ってきて、数日後の夜。夕食を終えた師弟が、いつものようにリビングのソファーで寛いでいる時だった。
「師匠!? 何やってるんですか、とうとうお茶すらマトモに飲めなくなったんですか!?」
リリアはそう叫ぶと、慌ててセンターテーブルの上から
「もー。しっかりして下さいよ」
弟子はブツブツと呟きながらも、ローブや口元の水滴を
「それ、床拭いたあとの
「拭いてもらって、
「いや、うん、あの……それは、構わないんだけど……」
言われるがままローブを脱いで、弟子に渡す。受け取ったリリアは、パタパタと音を立てて家の奥へと向かい、またすぐに戻ってきた。彼女は大きく溜め息をつくと、定位置である隣に座り、テーブルに置かれた皿を覗き込んだ。
「良かった。チョコレートは無事みたいです」
「え、ああ、うん。良かった」
「これ、街で買ったオレンジの皮を使ってるんです。ほら、チョコレートの中に入ってるでしょう」
チョコレートは、リリアの好物の一つだ。だが、街へ行く時でないと買えないので、滅多に食べる事は無い。
昼間作っていたのは、これだったのか――と、上機嫌で台所に立っていた弟子の姿を思い浮かべた。
「あー、うん……オレンジね……」
ラクラは気の入らない声で返事をする。そんな彼に、リリアは、
「……師匠、さっきから何ですか? うんうん
さっき言った言葉など忘れた、という表情で首を傾げている。
この弟子から会話の主導権を奪うのは、決して容易い事ではない。気付いた時には、あちらこちらに話が飛び、収集がつかなくなる事だって多い。おまけに、衝撃的な内容ほど、唐突に話し出す。話をする際の癖なのだろうが、そのお陰で、今まで何度も頭を真っ白にさせられてきた。
だが、師匠として、今回ばかりは発言を見逃すわけにはいかない。
「あのね、リリア……」
「はい?」
こちらを見上げたままの弟子に、ラクラはゆっくり声を掛ける。
「何ですかっていうのは、こっちの
リリアは
「あ。もしかして師匠……私が誰かと結婚するんじゃないかって思ってます?」
「うん。そういう話じゃないの?」
「違いますよぉ。大体、私にそんな相手がいるはず無いでしょう。そんな事、師匠が一番知ってるくせにー」
そう言って笑うと、話を続けた。
「この間、ソニアさんがお店に来たんですけどね。その時に、師匠の事について聞かれたんです。年齢とか、そういう色んな事を」
「あー……」
ラクラは、ふと思い出す。確かつい先日、
「私、考えてみたら……師匠のそういう事、全然知らなくて。だから、ソニアさんにも分からないって答えたんです。そしたらあの人、師匠の事を不審人物だって言い出して……」
「不審人物ねぇ」
「私はちゃんと言いましたよ。師匠は危ない人じゃないから、大丈夫って」
リリアは唇を尖らせて言った。師匠が不審人物扱いされた事に、少なからず困惑はあったようだ。
「そしたらソニアさん、何て言ったと思います」
詰め寄る弟子に、ラクラが答える。
「そんな男と一緒に住むな、だろ」
「えー!! 何で知ってるんですかぁ!?」
「……勘だよ、勘」
ラクラが話を聞いていた事など知らないリリアは、
「一緒に住むなって言われても、私は他に行く所なんて無いじゃないですか。でも、ソニアさんが……いつか私も、
「………………」
「それに、もし私が結婚する時、師匠のようなよく分からない人と住んでるなんて知られたら、良い顔はされないって」
「あー……それは何となく、分かるけどね」
「師匠まで、何でそういう事言うんですか!?」
ラクラは、冴えない顔に苦笑を浮かべた。それを見て、リリアが更に詰め寄る。遠慮無く体重を掛けられたものだから、
「私は師匠の弟子です。一緒に居てはいけない理由があるんですか?」
「それ以前のことを、ソニアさんは心配しているんだよ」
「それ以前って?」
「うーん……性別的差異における心境の変化と突発的行為について、って事かな……」
「余計分かりません。そんなの」
つまりは、男と女が一つ屋根の下にいて、何事も起きないという保障が無い。
ソニアの言う事も、突き詰めるればそこに行き当たるのだろう。そんな事実が無くても、疑いの目を持つ者はどこにでも居る、そういう話をソニアはしたのだ。
それを噛み砕いて言ってしまうと、リリアがどんな表情をするか、ラクラには何となく予想も付いていた。恐らく、思い切りドン引きされるに違いない。
同年代の友人がほとんど居ないリリアは、恋愛であったり、それに
そうでなければ、父でも兄でも、血縁関係ですらない
「まぁ、分からなくてもいいよ。僕が言いたいのは――」
自分の胸に、身体ごと預けてくる弟子を見ると、大きな猫によじ登られている感覚を覚えた。ラクラはそれをやんわりと押し返して、ソファーに座りなおす。
「もっと
小さく笑って弟子を見ると、大きな瞳と目が合った。
「じゃあ……私はこのまま師匠の
「離れてくれと言った覚えはないなぁ……」
「ずっと、
「……リリアがそれで構わないならね」
人間としても、魔術師としても、この娘はまだまだ未熟で半人前だ。そんな弟子を放り出すなど、考えてもいない。
しかし、いずれは成長し、自分から離れていく日がきっと来る。ずっと一緒にいるなど、無理な事だと分かっていながら、ラクラは弟子の言葉に頷いて見せた。
(娘を持つ父親の気分、かな……)
どこかモヤモヤとする気持ちに、それらしい言い訳を
「師匠がそう言ってくれるなら、私が悩む事なんて無かったですね」
「……悩んでたの?」
「ええ。お夕飯を何にするか考える程度には」
大した重要度ではないな、と思いつつも、これは胸中に
隣では、リリアが鼻歌など歌って新しいお茶を淹れていた。
ラクラは小さく息をつくと、テーブルに置かれたチョコレートを手に取る。黒い塊の中に、オレンジ色の
「オレンジの皮だっけ? よく思い付くね、こんな使い方」
「甘くて苦い大人の味、ってヤツです」
「大人の味ねぇ……」
そんな会話をしながら、二人は揃ってチョコレートを食べ、
「……ちょっと甘過ぎるな」
「……ちょっと苦過ぎです」
口々に、そう言った。
――やはりこの弟子に、大人の味はまだ早い。
顔を
白魔術師の師弟 七湯ナナ @nanayu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。白魔術師の師弟の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます