閑話  オレンジピール・チョコレート


 「あんたの師匠は不審人物だな」


 ソニア・ルーパーの一言に、リリアは作業する手を止めた。

 乾燥させたカミツレの花を、薬研やげんで細かくいている最中の事だ。


 「不審人物って……師匠が頭おかしいみたいに聞こえるじゃないですかー。物陰から覗いてたり、棍棒持って追いかけて来そうです」


 話の発端ほったんは、つい先程の事。

 リリアの師匠について、ソニアが色々と尋ねてきたのだ。

 年齢、出身地どころか、何故か年収まで聞かれたのだが――その時になって初めて、リリアは師匠のそうした情報を一切知らないのだと気付かされた。

 どこか寂しく思う気持ちを隠しつつ、正直に分からないと答えたところ、ソニアから返ってきたのが冒頭の一言である。


 「風呂を覗かれたりはせんのか?」

 「されませんよ。あんな枯れ果てた人が、するはず無いです」


 薬研やげんの皿にカミツレと塩をひとつまみ入れ、再びゴリゴリとく。甘酸っぱい花の香りが、ふんわりと漂った。

 やがて粉状になったカミツレの中に、スプーン一杯の蜂蜜と、先日集めたばかりの朝露を加えた。それを丁度良い滑らかさになるまで、じっくり練り合わる。指ですくった時に、トロリと垂れるようならば完成だ。

 カミツレの美容液は、肌荒れや美白に効果があるとされる。香りによって心身を落ち着かせる作用もあり、女性客からの人気が高い。

 来客用の椅子に座って、リリアを眺めている年配の女性――ソニアも、このカミツレ美容液を求めてやって来る一人だ。


 「あんたのような若い娘が、そんな男と一緒に住んでたらダメだ」

 「大丈夫ですよ、ソニアさん」


 呪文を掛けて仕上げた美容液をソニアに手渡しながら、リリアは笑った。


 「もう何年も一緒に住んでるんですから。師匠は危ない人じゃありません。それに、今更あの人を放ってどこかに行くなんて、考えられませんよ」

 「やれやれ……あんたも難儀な娘だねぇ」


 代金と引き換えに瓶を受け取り、ソニアは席を立った。それから、見送りの為に玄関先まで付いて来たリリアを振り返ると、


 「でも、あんたはいつか此処ここを出ていくのだろう?」


 そんな事を問い掛けた。


 「え……?」

 「弟子っていうのは、いずれ独り立ちするもんじゃないか。それともあんた、一人前になってもまだ、師匠の面倒を見るつもりでいるのかい?」

 「そんな……先の事なんて、考えてませんよ。教えて欲しい事だって、まだまだ沢山あるのに」

 「リリアよ」


 戸惑う少女に、ソニアは続けた。


 「あんたは器量も悪くない。いつか誰かに見初みそめられ、結婚する時が来るだろう。だがそんな時に、あんたが得体の知れない男と住んでるなんて相手に知られたら、良い顔はされんだろう。たとえ師弟としてでもな」


 想像を超えて飛躍ひやくしていく話に、リリアは思わず声を詰まらせた。

 一人前になるだなんて、結婚だなんて、私には早い。

 そう言いたいのに、何故か言葉にならなかった。

 

 ――リリア・ウッドワード、十七歳。

 まだ恋すらも知らぬ、とある日の出来事であった。






 「師匠……私、結婚するんですかねぇ?」


 弟子の口から飛び出した、あまりにも突然過ぎる言葉に、ラクラは飲んでいたお茶を思わず噴出した。

 ロマリアから帰ってきて、数日後の夜。夕食を終えた師弟が、いつものようにリビングのソファーで寛いでいる時だった。


 「師匠!? 何やってるんですか、とうとうお茶すらマトモに飲めなくなったんですか!?」


 リリアはそう叫ぶと、慌ててセンターテーブルの上から布巾ふきんを手に取り、床に零れたお茶を拭き取る。そんな弟子を、ラクラはただ呆然と眺めていた。口元さえぬぐえていない様子を見ると、相当な衝撃だったのだろう。


 「もー。しっかりして下さいよ」


 弟子はブツブツと呟きながらも、ローブや口元の水滴を甲斐甲斐かいがいしく拭いている。ビッショリと濡れた布巾ふきんの感触に、ラクラは意識を引き戻された。


 「それ、床拭いたあとの布巾ふきんだよね……」

 「拭いてもらって、我侭ワガママ言わないでください。あーあ……ローブはお洗濯に出さないと。師匠、ちょっとそれ脱いでください。カゴに入れてきちゃいます」

 「いや、うん、あの……それは、構わないんだけど……」


 言われるがままローブを脱いで、弟子に渡す。受け取ったリリアは、パタパタと音を立てて家の奥へと向かい、またすぐに戻ってきた。彼女は大きく溜め息をつくと、定位置である隣に座り、テーブルに置かれた皿を覗き込んだ。


 「良かった。チョコレートは無事みたいです」

 「え、ああ、うん。良かった」

 「これ、街で買ったオレンジの皮を使ってるんです。ほら、チョコレートの中に入ってるでしょう」

 チョコレートは、リリアの好物の一つだ。だが、街へ行く時でないと買えないので、滅多に食べる事は無い。

 昼間作っていたのは、これだったのか――と、上機嫌で台所に立っていた弟子の姿を思い浮かべた。


 「あー、うん……オレンジね……」


 ラクラは気の入らない声で返事をする。そんな彼に、リリアは、


 「……師匠、さっきから何ですか? うんうんうめいてばっかり」

 

 さっき言った言葉など忘れた、という表情で首を傾げている。

 この弟子から会話の主導権を奪うのは、決して容易い事ではない。気付いた時には、あちらこちらに話が飛び、収集がつかなくなる事だって多い。おまけに、衝撃的な内容ほど、唐突に話し出す。話をする際の癖なのだろうが、そのお陰で、今まで何度も頭を真っ白にさせられてきた。

 だが、師匠として、今回ばかりは発言を見逃すわけにはいかない。


 「あのね、リリア……」

 「はい?」


 こちらを見上げたままの弟子に、ラクラはゆっくり声を掛ける。


 「何ですかっていうのは、こっちの台詞セリフっていうか……。一体どういう事かな、結婚って。もしかして、そういう相手が居たりするの? 誰かから、プロポーズされたとか?」


 リリアはしばらく黙ったまま、大きな瞳を師匠に向けていたが、


 「あ。もしかして師匠……私が誰かと結婚するんじゃないかって思ってます?」

 「うん。そういう話じゃないの?」

 「違いますよぉ。大体、私にそんな相手がいるはず無いでしょう。そんな事、師匠が一番知ってるくせにー」


 そう言って笑うと、話を続けた。


 「この間、ソニアさんがお店に来たんですけどね。その時に、師匠の事について聞かれたんです。年齢とか、そういう色んな事を」

 「あー……」


 ラクラは、ふと思い出す。確かつい先日、弟子リリア友人ノエルがそんな話をしていたような気がする。


 「私、考えてみたら……師匠のそういう事、全然知らなくて。だから、ソニアさんにも分からないって答えたんです。そしたらあの人、師匠の事を不審人物だって言い出して……」

 「不審人物ねぇ」

 「私はちゃんと言いましたよ。師匠は危ない人じゃないから、大丈夫って」


 リリアは唇を尖らせて言った。師匠が不審人物扱いされた事に、少なからず困惑はあったようだ。


 「そしたらソニアさん、何て言ったと思います」


 詰め寄る弟子に、ラクラが答える。


 「そんな男と一緒に住むな、だろ」

 「えー!! 何で知ってるんですかぁ!?」

 「……勘だよ、勘」


 ラクラが話を聞いていた事など知らないリリアは、いぶかしげに眉を潜ませるが、すぐに気を取り直して続ける。


 「一緒に住むなって言われても、私は他に行く所なんて無いじゃないですか。でも、ソニアさんが……いつか私も、此処ここを出る時が来るだろうって」

 「………………」

 「それに、もし私が結婚する時、師匠のようなよく分からない人と住んでるなんて知られたら、良い顔はされないって」

 「あー……それは何となく、分かるけどね」

 「師匠まで、何でそういう事言うんですか!?」


 ラクラは、冴えない顔に苦笑を浮かべた。それを見て、リリアが更に詰め寄る。遠慮無く体重を掛けられたものだから、肘掛ひじかけ辺りまで身体が倒れてしまった。


 「私は師匠の弟子です。一緒に居てはいけない理由があるんですか?」

 「それ以前のことを、ソニアさんは心配しているんだよ」

 「それ以前って?」

 「うーん……性別的差異における心境の変化と突発的行為について、って事かな……」

 「余計分かりません。そんなの」


 つまりは、男と女が一つ屋根の下にいて、何事も起きないという保障が無い。

 ソニアの言う事も、突き詰めるればそこに行き当たるのだろう。そんな事実が無くても、疑いの目を持つ者はどこにでも居る、そういう話をソニアはしたのだ。

 それを噛み砕いて言ってしまうと、リリアがどんな表情をするか、ラクラには何となく予想も付いていた。恐らく、思い切りドン引きされるに違いない。

 同年代の友人がほとんど居ないリリアは、恋愛であったり、それに付随ふずいする話題にはとことんうとい。そして、自分には縁の無い、遠い世界のものだと思っているふしがあった。

 そうでなければ、父でも兄でも、血縁関係ですらない師匠おとこに、こうまでり寄ってはこられないだろう。


 「まぁ、分からなくてもいいよ。僕が言いたいのは――」


 自分の胸に、身体ごと預けてくる弟子を見ると、大きな猫によじ登られている感覚を覚えた。ラクラはそれをやんわりと押し返して、ソファーに座りなおす。


 「もっとつつしみを持ってくれ、ってことだけだ」


 小さく笑って弟子を見ると、大きな瞳と目が合った。


 「じゃあ……私はこのまま師匠のそばにいても良い?」

 「離れてくれと言った覚えはないなぁ……」

 「ずっと、此処ここにいても?」

 「……リリアがそれで構わないならね」


 人間としても、魔術師としても、この娘はまだまだ未熟で半人前だ。そんな弟子を放り出すなど、考えてもいない。

 しかし、いずれは成長し、自分から離れていく日がきっと来る。ずっと一緒にいるなど、無理な事だと分かっていながら、ラクラは弟子の言葉に頷いて見せた。


 (娘を持つ父親の気分、かな……)


 どこかモヤモヤとする気持ちに、それらしい言い訳をつくろってみる。まだ気分は晴れなかったが、目の前の弟子が嬉しそうに微笑んだので、どうでも良くなってしまった。


 「師匠がそう言ってくれるなら、私が悩む事なんて無かったですね」

 「……悩んでたの?」

 「ええ。お夕飯を何にするか考える程度には」


 大した重要度ではないな、と思いつつも、これは胸中にとどめておいた。この弟子の事だ、言ってしまえば、夕飯の献立がどれほど大切かかれるに違いない。

 隣では、リリアが鼻歌など歌って新しいお茶を淹れていた。

 ラクラは小さく息をつくと、テーブルに置かれたチョコレートを手に取る。黒い塊の中に、オレンジ色の欠片かけらが入っていた。


 「オレンジの皮だっけ? よく思い付くね、こんな使い方」

 「甘くて苦い大人の味、ってヤツです」

 「大人の味ねぇ……」


 そんな会話をしながら、二人は揃ってチョコレートを食べ、


 「……ちょっと甘過ぎるな」

 「……ちょっと苦過ぎです」


 口々に、そう言った。

 

 ――やはりこの弟子に、大人の味はまだ早い。

 顔をしかめるリリアを、どこかほっとした気持ちで眺めながら、ラクラは二つ目のチョコレートに手を伸ばした。

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白魔術師の師弟 七湯ナナ @nanayu

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