旅人と魔女と浮浪の子

亜月

第1話

旅人には二人の道連れがいた。

一人は魔女で、一人は浮浪の子供。

どちらも無口な性質だから道中は極めて静かだ。

旅人にとって、この三人はとても居心地が良かった。

何故なら、三人は一緒に居ながらもみな独りぼっちで、互いの孤独に干渉することは決してしなかったからだ。

なら、一人で旅をすればいいって?

だめだよ、それじゃあさびしすぎる。





****




黄色い菜の花が一面に広がる丘への道。

綿を溶かした晴天に小鳥ははしゃぎ舞い飛ぶ。

今日も旅人は地図と睨み合いながら二人の前を進む。

否、いまは一人と一匹だ。本日の魔女の気分は優雅な黒猫のようだ。

「くるる」

太陽の匂い溢れる空気に喉を鳴らす黒猫。

彼女は人の形が嫌いで、たいてい獣や鳥や魚に変化している。

「丘を越えたら、小川を渡り、それから村が見える」

読み上げた古びた羊皮紙の地図は、魔女からもらったものだ。

旅人は、旅人のくせに、地図が苦手だ。

一人の時は地図もコンパスも持たず、言葉通り、風の向くままに旅をしていた。

魔女に出会い、子供に出会って、そうもいかなくなったのだ。

「村」

ボソリと囁くような声が、低いところから聞こえてくる。

独り言に返事があるのは珍しいことで、旅人は目深にかぶった帽子の端をつまみ上げ、子供を見る。

自分の腰ほどもない身長で、いくら食べさせてもがりがりに骨ばっている。

眠たそうなあどけない両目は、いつもくるくると忙しなく辺りを見回している。

「村が楽しみかい」

子供は首を横に振る。

「じゃあ嫌い?」

「ちがう」

これにも首を横に振る。「そういうもんだいじゃない」

「違うかぁ」

ふふふと旅人は笑う。この小さな子は、きっとまた一人で自分には思いも寄らぬことを考えているのだろうと思い、嬉しくなったのだ。

共に旅する天涯孤独な子供が無口なのは、きっと頭の中が忙しなく思考しているためだ。口を動かして発声してる時間すら惜しむほどに。

カサカサと足下の花が揺れ、黒い塊が駆け抜けた。もう一人(一匹)の連れはどうやらバッタに夢中のようだ。

「村には人がたくさんいる」

「うん」

「みんな家を持っている」

「そうだね」

「それってたいへんだ」

子供には不似合いな顰め面が、眼差しには憂いすら含んだ渋面が、なんとこの子に似合うことか。

「村があったら暮らさなきゃいけない。家があったら帰らなきゃいけない。すごくたいへんだ」

「そんなに大変なことかな」

「いつかきらいになってしまうかもしれない」

それはこの世の終わりに等しいとでも言うように、子供は項垂れた。

「ぼくは、たいせつそうなものはそばに置きたくない。ほんとうの失うは、きらいになることだ」

子供の側で、にゃあおと、魔女が鳴く。慰めるようでもあり、愛おしむようでもあった。

いつの間にか丘の頂上まで来ており、向こう側には麗らかに流れる小川と小さな村が見えた。

旅人は安堵し、地図を懐に仕舞う。

「ーー嫌いになるとは限らないよ」

「きらいになるよ」

子供は行く先の菜の花を枝で払いながらゆっくり歩く。

魔女は既に、興味を二人から空飛ぶ小鳥へ逸らしてしまった。

ボソボソとした儚い声が言う。

「ぼくは、ぼく以外のだれかになりたくない」

何者にもなりたくない。

子供の眼差しに、旅人は不意に懐かしい記憶が蘇る予感がし。

感覚を逃さぬよう手繰り寄せるも。

しかし結局何も思い出せなかった。

「一ヶ所にとどまって、そのうちだれかに役割を与えられて、それを果たさなきゃいけない日々がつづいたらーーそれがどんなにたいせつなひとから与えられたものでも、ぼくはいやになっちゃうよ」

そういうものかぁと、旅人は言う。

子供は頷き、それきり黙る。

あとはまた三つの孤独が並んで歩くばかり。



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旅人と魔女と浮浪の子 亜月 @atsuki

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