おまけ その後の話
その日、王城内を騎士団の団服姿で歩いていたハイルは、同じく騎士の恰好をした青年に呼び止められた。
「ハイル! 良いところに!」
「……ロイスか。何の用だ」
足を止めて振り返った先には、薄緑色の髪を一つに束ねた、タレ目がちの優男が居た。ハイルはその優男・ロイスに、面倒くさそうな態度を隠しもせず向かい合う。
「何の用とはご挨拶だな。俺がお前に声をかける理由なんて、一つしかないだろう」
「…………返答次第では容赦はしないが、一応聞いといてやる」
「相変わらず頑なだな。なぁに、簡単なことさ」
ロイスは、ハイルの地を這うような低い声など気にせず、ニコニコと言い放つ。
「お前とロゼちゃんの新居にお邪魔させてください! あと、ロゼちゃんの手料理が食べたいです!」
「失せろ」
くるっと白い裾を翻して、ハイルは迷いの無い足取りで歩き出した。その後を、「おい待てって!」と、ロイスが慌てて追いかける。
しかし、ハイルはもう立ち止まらなかった。
この頼みをされるのは―――――彼で通算五人目だからだ。
ハイルの伴侶であるロゼが、王国魔術師として城勤めになって、もう三ヶ月が経過した。
兄である王の尽力もあり、彼女は今では素顔の半分を晒し、つつがなく城での日々を送っていた。親しい友人もでき、魔術の力も周囲に認められ、楽しそうにロゼは移り行く毎日を過ごしている。
妻の健やかな様子に、ハイルとしてはその点に文句はなかった。……なかったのだが。
何分、想定外にも、ロゼが騎士達から人気を得てしまったり、王からの「あんたは子供か!」と言いたくなる地味な嫌がらせを受けたりで、二人きりでの穏やかな時間をなかなか確保できないことに、ハイルは些か不満を抱いていた。
そして遂に痺れを切らしたハイルは、「そうだ、二人きりで過ごせる場所に引っ越そう」と決意した。
ロゼも、「私も、貴方がそれがいいなら……それでいいけど」と、頬を赤バラの如く染めながら了承してくれたので、つい一週間前、城から比較的近い処に引っ越した。
新居先は王にしか明かしていないので(ちなみに王はギリギリまで反対した。ハイルが何度頼んでも了承が出ず、ロゼのダメ押しでなんとかなった)、ロイスのような輩が後を絶たないのだ。
次の剣術訓練の際、絶対あいつらは叩きのめしてやる……そんな物騒なことを考えながら、ハイルが歩みを続けていると、今度は向かい側から、こちらに歩いてくる姿があった。
腰まである亜麻色の髪を遊ばせ、優雅な足取りでやってきたのは――――王国魔術師のリラだ。
彼女はハイルを見咎めると、長い睫毛に縁取られたエメラルドの瞳を細め、ニヤニヤと話しかけてくる。
「ハイル様じゃない。ロゼは元気? 私も新居に遊びに行っていいかしら。なんならお祝いに、家の周りに黒バラでも咲かせてあげましょうか? もちろん、有料で」
「……君のための材料集めはもう御免だな。君は少しロゼを見習って、控えめな心を持って欲しいと切に願う」
あら言うわね、とリラは猫のように怪しく微笑んだ。
何処が『容姿も性格も優れた聖女のような女性』だ。噂は本当にあてにならないと、ハイルは顔を顰める。
「まぁいいわ。今度ロゼと二人で、城の舞踏会に参加するから。そこで使えそうな男でも見繕うわ」
「頼むから俺の嫁を巻き込まないでくれ」
「それより、貴方に悪い報せよ。宰相様が王の命で、また貴方を探していたわ。また何か無理難題をふっかけられるんじゃなくて?」
「……勘弁してくれ」
――――早く家に帰って妻に癒されたいと、ハイルは心の底から思った。
「ただいま……」
疲れた顔を取り繕うことも出来ず、二人の家へと帰宅したハイルを、ロゼはパタパタと走ってきて出迎えた。
そしてハイルの顔を見るなり、その紅く濡れた唇を、物言いたげに動かす。
「? どうしたんだ、ロゼ?」
「あ、あの、えっと……」
そんな妻の様子に、ハイルは内心で首を傾げる。
以前までの黒いローブを脱ぎ、ハイルが送った赤のエプロンドレスの裾を握って、ロゼはようやく決意がついたように口を開いた。
「―――お、おかえり、なさい……ハ、ハイル」
紡がれた言葉は、微かに聞き取れるかどうかというほど小さく、内容は余りにもささやかで。
それでも…………それは、ハイルの疲れを吹き飛ばすには十分であった。
「ああ、ただいま……ロゼ」
誰かを出迎えること、そして誰か特定の人物の名を呼ぶこと。
そのどれにも慣れていない妻の、必死の自分への愛情の示し方に、ハイルは心底幸せそうに微笑んだ。
出会った当初の、同居生活でも一度も呼ばれなかった己の名を呼ばれ、彼女がこうして家で出迎えてくれる……その事実だけで、明日からも自分を襲うであろう、世の理不尽ともまた戦える。
そう思いながら、ハイルはロゼの白い仮面を外し、いつかのように、その下の左目にキスを送るのだった。
毒バラの魔女と王国騎士に纏わるエトセトラ 編乃肌 @hada
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