最終話

 今から二十年近く昔の話。グランディア王国には、それは美しい王女様が居た。


 赤く色付く唇に、白雪のような肌。大きな紅の瞳は、異国のどんな宝石よりも輝き、その波打つ金の髪は、太陽の神に愛されたと称されるほど、眩い光を放っていた。


 まだ十もいかぬ歳ながら、すでに色気さえ感じさせる絶世の美貌。

 生まれた時から、国王は彼女を溺愛し、三人の兄王子や城の者たちからも、彼女は甘やかされて育った。


 「将来が楽しみな美の女神」「これほど美しい王女様は見たことがない」「国一つ揺るがす美しさ」と、周囲から讃えられ、当時の王女は「自分こそが世界で一番至高の存在」だと思っていた。

 些かわがままに育った彼女を、一番上の兄だけは時に窘めることもあったが、それでも十分彼女には甘かった。


 そんなふうに、王女は自分の美貌をもって、華やかな日々を過ごしていた。


 ――――――だが、そんな彼女の状況は、ある事件を境に一変する。


 城へと忍び込んだ侵入者に、王女が狙われたのだ。

 その者は、かつてグランディア王国が滅ぼした小国の元魔術師にして、今は『魔女』と呼ぶにふさわしい、毒々しい様相の老女だった。


 王国に強い恨みを持つその魔女は、若くして傾国の美を謳われる王女に目をつけ、彼女の顔にある魔術をかけようとしたのである。


 途中で騎士の助けが入り、魔女は捕えられたが……王女は顔の左半分にだけ、その魔女の『呪い』を受けた。


 彼女は右側に美しい相貌を残したまま、左側は二目と見れない、醜くおぞましい顔に変えられてしまったのだ。


 自ら命を絶つ前に、魔女は告げた。

『この呪いを解く方法はない。私が死のうと、顔は永遠に元に戻らない。恨み多き国の王女よ。一生、醜悪な呪いを抱えて生きるがいい』――――と。


 それから、あらゆる手を尽くしたが、魔女の言葉通り、王女の顔にかけられた呪いは解けることはなかった。

 次第に彼女の周囲は、そのあまりの醜さに、掌を返したように王女に冷たくなっていった。唯一態度が変わらなかったのは一番上の兄くらいで、国王や他の兄たちは程なくして、『どう王女を廃するか』を考え始めた。


 王家の者が魔女の呪いを受けたと広まれば、王族の評判を落としかねない。

 顔の半分に禍々しい呪いを負った王女など、国民や他国の者の目に触れさせるわけにはいかない、と。


 そして王女は、北の『宵闇の森』に古くからある塔に、幽閉されることになった。表向きは王女は急病死されたとされ、秘密裏に事は進められた。


 王女の傍には世話係として一人の侍女がつき(そばかす顔で茶髪を三つ編みにし少女だ)、王女が逃げ出さないよう、塔の前には門番も置かれた。

 なお、『宵闇の森に人を呪う悪しき魔女が居る』と噂を流したのは、他でもない王家の仕業である。王女の存在が露見しないように、森から人を遠ざけるのが狙いだった。


 では、『毒バラ』という言葉はどこから来たのか。


 はじめは塔の周りには、王女の境遇を憐れに思った王国魔術師が、「せめてもの慰めに」と、王女が大好きだった赤バラを咲かせていた。魔術のかけられたそのバラは枯れることなく、せめて少女の心を晴れさせられたら、と思って。


 しかし。

 突然、美を失い薄暗い森に放り出された悲しみ、自分を呪った魔女への憎しみ、態度の変わった周囲への怨みなどを吐き出すため、王女は赤バラを見て心を明るくさせるどころか、日夜、そのバラに向って、塔の窓から呪詛を吐き続けた。


「私を貶めたやつらなんて、いつか絶対……呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる」


 …………王女の性格は、傲慢さは矯正されたものの、ちょっぴりおかしな方向に歪んだ。


 そして、そんな王女の恨み辛みを聞かされ続けた赤バラは、ある日、黒々しい色へと変化した。

 王女には魔力があり、魔術の才があったのである。知らず知らずのうちに、王国魔術師のかけた魔術を変え、バラを変色させたのだ。


 さらには、偶々森に迷い込んだ者が、塔の窓からぼんやり覗く王女の顔と、黒バラを目撃して逃げ帰ったため、『毒バラの魔女』という名が広がっていった。



 やがて月日は経ち、王女を森に追いやった国王は亡くなり、一番上の兄が国王の座についた。

 彼だけは、最後まで王女を守ろうとし、塔に幽閉された後も、よくお忍びで遊びに来てくれていた。王女に魔術の才があると知り、様々な魔術関連の文献を持ってきてくれたのも彼である。


 国王になった今。兄は憐れな妹に言った。


 「今なら、お前をここから救い出せる。王女には戻れないが、正体を偽り、城で一緒に住もう。城に帰りたくないというなら、此処ではない日の当たる場所で、静かに暮らせるよう手配する。もう一生、お前を不自由にはさせないよ。だから、こんな塔から出よう」と。


 しかし、王女はそれに首を横に振った。


 「自由になれるのは嬉しい。でも、城に帰る気も、何処かに行く気もないわ。私に十年近く仕えてくれた侍女は家に帰し、門番の方も役目を解いてあげて。兄様も国王になられたのだから、もうここに来てはダメよ。私は魔術に秀でてるし、なんとかこの塔で一人で生きていくわ。毒バラの魔女が生きていける場所など、此処だけだもの。呪いたいほど大嫌いなこの世界で、兄様のことは大好きよ。でも……私は醜い魔女だから」


 ――――そして、渋る兄を説き伏せ、王女は自由になった今でも、『魔女』として、孤独に森の塔で生きているのだ。



●●●



「……最悪だわ」


 その日の魔女の目覚めは、まさに『最悪』の二文字だった。おそらく、夢見が悪かったせいだろう。


 昔々の、胸糞悪い夢だった。


 魔女は気分を変えようと、塔の外に出て、黒バラたちの様子でも見に行くことにした。

 艶を失った金髪を梳き、壁にかけたローブを羽織る。フードを深く被れば、いつもの魔女の恰好の完成だ。


 誰に会うことがなくても、フードは魔女を守る鎧であり、常に被り続けなければ心が落ち着かない。

 ハイルには、「それで辺りが見えるのか?」と聞かれたことがあった。

 呪いで顔が歪んだことで、左目は潰れたが、残った片目に、魔女はフード越しでも普通に周囲が見えるよう、特殊な魔術を施した。

 そこまでしても、いつ如何なるときも顔を隠したかったので、そのような魔術までわざわざ編み出したのだ。

 そう解説すれば、ハイルは笑って――――


「……ふん」


 思いがけず浮かべた男の顔に、魔女はますます気分を害した。


 ――――花屋で彼を見かけ、みっともなく泣いてしまったのが三日前。

 その間、ハイルの訪れはついになかった。


 やはりあの赤バラの花束は、自分に渡すものではなく、彼が最近会いに行っているという、『王国魔術師のリラ』に求婚するためのものだったのだ。


 しかし、それが一体、何だというのだろう。


 正常な感覚の持ち主なら、自分とリラのどちらかを選べと言われたら、即断で後者だ。地位も美しさも性格も、おそらく自分に勝てるところなどない。

 ハイルは薄汚い魔女に惚れていたなどという、悪い夢から覚め、真っ当な光ある選択をしただけのこと。

 私にはもう関係ない……と、魔女は自分に言い聞かせる。


 それでも、苛立ちや悲しみなどが混ざった、気持ちの悪い感情は拭えず。魔女は荒い足取りで、塔の外へと続く扉を開けた。


 瞬間。


「やぁ、久しぶりだな」


 ――――扉の向こうに正に今、脳を占めていたハイルが立っていて、魔女は物凄い勢いで扉を閉めた。


「あ、おい、頼む開けてくれ!」


 魔女がバクバクと鳴る心臓を諌めている間も、彼は木製の扉を力強く叩く。

 魔女は混乱した頭で声を張り上げた。


「な、何よ! 今さら何しに来たのよ! さっさと帰らないと呪うわよ!」

「ずっと来れなかったのはすまない! ただ今日は、君に大事な話があってきたんだ!」


 大事な話……どうせ、リラとの結婚報告か何かだろうと、魔女は唇を噛む。


「聞きたくないわ、そんな話! どうせリラへの求婚は成功したのでしょう、良かったわね。お幸せに!」

「は? リラに求婚って何の話……」

「お祝いにそこの黒バラでも送ってやるわよ! だから帰れ! 新婚夫婦まとめて呪うぞ!」

「お、おいおい、ちょっと待ってくれ!」


 昂ぶった感情のままに喋る魔女に対し、ハイルも声量を上げた。その必死な様子に、魔女も息を荒げながらも、少しは落ち着きを見せる。


「まず、ここを開けてくれないか」

「……嫌よ」

「頼む。後生だ。開けてくれ」


 やけに真剣な声音に、魔女は暫し躊躇ったあと、渋々扉を開けた。

 久しぶりに正面から見たハイルは、相変わらず凛々しくてカッコよくて……魔女は何故か泣きたくなった。


 一方、ハイルの方は、やっと出てきてくれた彼女に対し、フッと笑みを溢した。

 そして――――


「好きだ。愛してる。結婚してくれ」


 ――――真っ黒なバラの花束を差し出して、聞き慣れた100回目のプロポーズの言葉を口にした。


「は?」


 魔女は訳がわからず、一瞬、呼吸さえ止まってしまった。

 目の前で揺れる、黒い光沢を放つバラたちも、ハイルの吐いた言葉も、一体どういうことなのか理解が追い付かない。


「いや、記念すべき100回目のプロポーズには、どうしてもバラを送りたくてな。でも赤バラはダメだし、黄色や青も君らしくない。やっぱり送るなら、君に似て、美しい闇を煮詰めたような黒いバラがふさわしいと思ったんだ。それで、何度か面識のある魔術師のリラに頼んだんだよ」

「リラに……?」

「そう、魔術で赤バラを、一生枯れない綺麗な黒バラに変えて貰おうと。天然の黒バラなんて此処以外にはないし、さすがに君のとこのを摘むわけにはいかないしな。ただあの女、噂ほど性格が良くなくて……。見返りに、様々な魔術に必要な材料集めをさせられて、ここに二ヶ月も来れなくなってしまっていたんだ」


 でも三日前にようやく、花屋で買った赤バラに魔術をかけてもらえたと、ハイルは話す。


「……それと、ついこの前、俺は国王様に呼び出された。『宵闇の森に、魔女に会いに行っている騎士はお前か』と」


 兄様が? と言いかけて、魔女は慌てて口をつぐむ。


「そこで、俺は君の真実を聞いたよ。君は……この国の王女だったんだな」

「っ!」


 魔女は息を呑んだ。

 なぜ兄がそのことをハイルに明かしたのか、彼女には分からなかったが、たった一つ分かることは、ついに知られてしまったということだ。


 彼に、隠したかった忌まわしい過去を。

 自分の呪われた正体を。


「君の身に起こった悲劇を聞いて、俺は納得したよ。あの日、魔物との戦いで傷を負い、この森に逃げ入ったとき、俺の耳に何処からか寂しげな声が聞こえたんだ。朦朧とする意識でも、どうしてもその声が気になってな。フラフラで馬を走らせた先には、此処の黒バラたちが咲いていた。声は、黒バラから聞こえていたんだ」

「黒バラから……?」


 魔女はどういうことかと思案し、ある推測を立てた。

 あのバラには、魔女が呪詛を吐き続けた末に、無意識に発動した魔術がかけられている。もしかしたら、黒バラに宿った魔女の意識が、魔術の力でハイルに伝わったのかもしれない。


 答えのわからない、あくまで推測だが。


「聞こえてきた声って……どうせ、『呪ってやる』とかでしょう」


 それくらいしかバラに向かって呟いてないし、と魔女は鼻を鳴らす。

 しかし、ハイルは「違う」と首を緩くふった。


「聞こえてきたのは、酷く寂しくて切ない――――『愛されたい』という嘆きだったよ」


 その言葉に、魔女は片目を大きく見開いた。


「目が覚め、助けてくれた君の声を聞いて、俺はすぐに分かった。あの黒バラの嘆きは、君のものだったのだと。……俺はあんな胸が締め付けられるような願いを、心の奥底で持つ君に興味が湧いた。そして、暫く塔で一緒に過ごすうちに、どんどん君に惹かれていったよ」


 優しく細まる金の双眼に、唖然とする魔女に向かって、ハイルは改めて、黒バラの花束を差し出した。


「君が好きだ。俺と、ずっと一緒に居て欲しい」

「……私なんかの何処に惹かれたか分からないわ。性格悪いし」

「君のちょっと捻くれていて、素直じゃないとこが可愛いな。何処かで人を拒絶し切れないとこも、愛らしいと思う」

「元王女でも、今は魔女よ。嫌われ者の毒バラの魔女」

「王女でも魔女でも、君が君であるなら構わない」

「たぶん、あなたより年上よ。オバサンだわ」

「俺は年下より年上派だ」

「か、顔だってこんな……!」


 魔女は小刻みに震える手で、何があっても人前で脱がなかったフードを取った。


 ハイルの前に曝される、不気味で醜悪な顔。


 ぎゅっと拳を握り締める魔女に、ハイルは忍び笑いを漏らす。可愛いなぁなどと思いながら。そして、ひしゃげて潰れた左目の上に、軽いキスを送る。


「俺は他の奴等より、美的感覚が優れているようだ。君の顔が、誰よりも綺麗にしか見えないな」


 なんという気障ったらしい台詞だろう。

 それはむしろ、お前の感覚が狂っているのだ……そう言ってやろうと思うのに、魔女の涙腺は、意に反してとうとう壊れた。

 三日前に流した涙とは違う、暖かい雫が頬を流れ落ちていく。


「よければ君の口から、君の名前を教えてくれないか?」

「…………ロゼ」


 ロゼーナ・グランディア・コントラット。


 魔女が消え入りそうな声でそう告げると、ハイルは「ロゼか」と、愛しげに名前を呼んだ。


「ロゼ。何度でも言うが、君を愛してる。俺と結婚してくれ」


 ついに真白な手で、魔女……ロゼは、ハイルの言葉と共に、黒バラの花束を受け取った。

 そして涙を拭い、嗚咽に耐えながらも、「私も愛している」と、そう言おうとして。


「い、一生、呪ってやるんだから!」


 ……思っていたのとは百八十度違う、何とも言えない微妙な言葉を叩きつけてしまった。

 それでも、ハイルには十分伝わったようで、真っ赤な顔のロゼに微笑んで、彼はこう返した。


 ――――もうずっと前から、君に呪われている、と。




 それから数ヶ月後。

 グランディア王国の王城に、とある騎士が一人の魔術師を連れてきた。


 不慮の事故で酷い怪我をしたそうで、顔の半分を白い仮面で覆うその魔術師は、騎士の生涯の伴侶だという。半分からでも見える顔は美しく、彼女は強い魔力を持ち、王国の繁栄に大いに協力した。


 魔術師のちょっと素直じゃない性格も、一部の騎士からは「ツンデレ萌」と、旦那がいるというのに人気があるそうだ。

 中でも特に国王は、彼女をいたく可愛がり、旦那である騎士に嫌がらせを繰り返す日々らしい。



 ――――宵闇の森には、もう毒バラの魔女はいない。

 黒バラが風に揺られ、ただただ幸せそうに咲くだけである。

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