最終話

 街の外れは小高い丘陵地帯だ。小さな森があり、草原の真ん中を街道がつっきり、そして愛すべき街が見下ろせる。丘の上には修道院が建っていた。教会の鐘の音は時刻通りに鳴り響いた。カルロの頭の中で、鐘の音は割れて響く。ぐわんぐわんと煩い木霊は断罪する誰かの叫びだった。


 マリィは心配そうな目をしていた。無表情はどうかすると引き攣るように顔の筋肉を動かして、おかしな表情を作り出す。笑い顔も泣き顔も上手に作れない憐れな娘にはそれが精一杯であるかに見えた。喉が焼けるような渇きを訴えている。死が近づいているからだ、と納得しながら、水が欲しいと願った。死の色に染まる草が風になぶられて波を作り出す。死の海が小高い波を盛り上がらせて、その上に目的の建物を乗せたままに遠ざかっていくように思えた。頬を伝う冷たい汗の感覚が、幻想を打ち払ってリアルの虫の音を耳へ届けた。



 鐘の音は清らかに響いている。


 この音色までが嘘なら、もう打つ手なしだ。


「神の祝福があれば、お前は助かるだろう。」


 カルロは振り返り、マリィにそう言った。



 教会の建物は世界と同じに青白く染まっていた。ところどころの窓だけが暖かなオレンジを燈す。生きている者たちの色を滲ませている。重たそうな黒い木の扉をノックした。内部から声が返り、足音が聞こえた。


「まぁ! 誰か、お医者さまを!」


 扉を開けたシスターの顔色はすぐさま変幻し、訝しむ色から驚愕の色へと瞬時に変わった。そして叫んだ声は、見えない内部に恐慌を来たした様子で、椅子が引きずられる音と人が走る音とをカルロに届けた。


「いや、街には知らせないでくれ、シスター。市長は敵なんだ。」


「ど、どういうことですか?」


 動転しているシスターの目に、偽りは見えなかった。鐘の音は濁っていなかった。


「詳しい話をする前に、水を一杯、貰えないだろうか?」


「ええ、ええ、もちろん。誰か、お水を!」


 狼狽えた様子で年老いた修道女は何度も頷き、それからカルロに背を向けて後ろの人々に声を掛けた。暖かな色彩に満ちた修道院の中は、カルロの生きてきたうちの遠い昔を思い出させた。駆け寄ってきた修道士は洗いざらしたみすぼらしい黒衣に身を包んで、背をしゃんと伸ばしている。カルロに肩を貸し、力強く支えた。


 カルロは力を幾らか抜いた。ずいぶん楽に感じられた。マリィは握った手を離さずにカルロの進むままに付き従った。他の修道女が導こうとするものを首を振って拒絶した。決して広くはない修道院の、食堂の一角に椅子を引いてカルロはそこへ座らされる。一度抜けると今度は思うように力を入れられず、カルロはだらしない姿勢を正すことも出来なかった。気付けば息は荒く、短くなっていた。急ぎ足で近寄った修道女の手からグラスを受け取る。腕はまだ自由に動くと確認しながら、シスターには短く礼を述べた。



 喉が潤される。こんな美味い水は飲んだ事がない。


 神の恵み、ほんの僅かな善行への報いとしては悪くない。





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【文芸】一握りの善良 柿木まめ太 @greatmanta

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