第7話(2)
侵入者が囁いたその言葉は、真一の全身の毛を一瞬にして総毛立たせた。全身の血までが凍り付いた、そんな錯覚さえあった。
真一は、この侵入者は警察の人間ではない事を即座に理解した。
本心はどうあれ、警官が犯人を捕らえ、後先考えずに殺意をほのめかして脅迫する訳がない。
本気で実行すると言っているのだ。
真一にとって、恨まれる事は多々あれど、殺意をほのめかす相手に確実に殺されると思ったのは、今日が初めてであった。
たった一言なのに、恐怖の余り、失禁したのも初めてだった。
侵入者の脳裏に、ふと、深雪の笑顔が浮かんだ。
彼女のそこはかとなく昏い瞳は、何かを訴えている様であった。
侵入者は、真一の目の前に右人差し指を突き出した。
その指先が閃き、無数の星々が視界一杯に散ると、真一はがっくりと崩れ落ちた。
「……次に貴様が目覚めると、僕の事は忘れている。
そして、膨れ上がった罪悪感に絶え切れず、深雪を轢いた車に乗って、警察へ自首する。――そう言う暗示を掛けた」
侵入者は、昏睡する真一の耳元でそう囁くと、徐に立ち上がった。
「これで良いのだな、深雪」
そう呟いて真一の部屋から出ようとした時侵入者はテーブルの上に無造作に置かれている数個のカプセル入りの薬に気付いた。
侵入者は、そのカプセルに小さく印刷された六桁の番号に見覚えがあった。
それは、二十世紀末には存在しないハズの、脳内快楽物質であるエンドルフィンを原料にした、『エンジェル・フィン』と呼ばれる麻薬であった。
本部からの通達で、この時代に侵入した『密航者』が密輸しているらしいと言う情報があり、つい先日、支部内で捜査班が組まれたばかりであった。
このカプセルの発見は、未だ情報量の乏しかったその捜査に決定的なものをもたらす事になるだろう。
侵入者は、昏睡する真一に一瞥をくれ、
「……やれやれ。まだ訊かなければならない事があったか」
ため息をついて後頭部を掻く侵入者が、その後、『時次元監理局』二十世紀支部へ連行した真一の記憶を調べ、『エンジェル・フィン』の流通ルートを探り当て、密輸犯である未来世界からやって来た『密航者』の2名を割り出すのに、そう時間はかからなかった。
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市澤が、二十世紀末には存在しない新種の麻薬を、未来世界から密輸していた『密航者』2名を生かしたまま逮捕し、『時次元監理局』二十世紀支部に連行してから、数日が経った。
市澤は、『クロノス』店内のカウンターの中で、険しい面持ちで自分の両手をじっと見つめていた。
掌にこびりつく朱色が、また見えてしまったのだ。
未来の力を必要とする人達は、未だ大勢居るハズよ。
貴方に逢えて良かった。
掌にこびりつく朱色は消えていた。
「ああ」
市澤は軽く頷き、大きく深呼吸をすると、いつもの芒洋とした貌に戻り、カウンターに置いたティーカップを布巾で拭き始めた。
完
冥夢 arm1475 @arm1475
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