第7話(1)
倉橋真一はコードレス受話器を降ろし、安堵の息を洩らして、ソファに倒れ込む様に腰を下ろした。
昨夜、真一は、父親のBMWを無断で持ち出し、円山町の知人のマンションで行われた乱交パーティーに参加した。
その時、知人が最近入手した、オブラートのカプセルに入った新種の麻薬でトリップしたのだが、完全に効果が抜け切る前に、BMWのステアリングを握ったのは拙かった。
未経験の快楽に全身を持って行かれ、興奮していた為に暴走してしまい、その挙げ句、道玄坂の手前で急に飛び出した一人の少女を撥ねてしまったのだ。
だが、薬の所為で朦朧とした意識では、本当に人を跳ねたかどうか判断がつかず、そのまま無視して走り去った。
大学入学祝いで買って貰った自分のマンションに戻り、地下駐車場で、へこんだフロントに僅かに掛かっていた血痕を見付けて、漸くあれが本当の出来事と知った時、真一は一瞬にして蒼白した。
未だ警察は訪れていないが、轢き逃げした車が、道玄坂を行き来していた大勢の目撃者の証言から、父親のBMWだと割り出すのは、時間の問題だろう。
真一は、自室で、少女が勝手に飛び出して来たのが悪いのだと散々喚き散らした。
やがて、虚ろげな貌で、自分は決して悪く無いのだと結論を出すと、電話で父親に少女を轢き逃げした事を告げた。
父親は電話の向こうで蒼白してうろたえ、真一に、今日一日電話するまでマンションで待機していろ、と指図をした。
夕方になって漸く掛かって来た、息子の罪の重さより、自分の政治家としての地位の保身を真っ先に考えた男が出した結論は、秘書の一人を、真一の身代わりとして自首させる事だった。
取り敢えず捕まる恐れが無くなったと安心した真一は、今日一日降り掛かっていた不安を忘れる為、乱交パーティーで使った新種の麻薬を机の引き出しから取り出して、テーブルの上に無造作に置いた。
そして快楽を分け合う相手として、取り巻きの一人を電話で呼び出す事にした。
商売女でも良かったのだが、こんな苛々する時は、自分の思い通りになる女の方がすっきりするだろうと思ったからだ。
真一は淫らに歪んだ笑顔を浮かべ、麻薬が入っていた机の同じ引き出しから、愛用の電子手帳を取り出し、起動させて検索し始める。
間もなく、やや、マゾっ気のある取り巻きの一人の連絡先が液晶モニターに表示された。
真一は、液晶モニターに表示されるのと同時に、さっ、と鼻先に指し出されたコードレス電話器を、鼻歌を歌いながら気にもせずに受け取った。
「――? 手前ェ、誰だ? 何処から入って来やがった?!」
愕然とする真一が凭れるソファの前に、白い人影が一つ、佇んでいた。
「品川ナンバー××-××。参議院議員の倉橋真太郎が所有するBMW。
現在はその息子である、都内の某有名私立大学の3年生の真一が、足代わりに勝手に乗り回している」
「な!何なンだよ、手前ェ、何でそんな事知っているンだ」
「そして昨夜、道玄坂で一人の女子校生を轢き逃げした」
「?!」
真一は、かっ、と瞠る。余りの事に頭の中が真っ白になった真一は、ほぼ本能的な反応で、真相を知る侵入者に殴り掛かった。
高校の時に空手道場へ通い、そこいらのチンピラなぞ一撃で屠る自信のあった真一の正拳突きは、侵入者の光速移動がもたらした残像のみを打ち抜いた。
次の刹那、真一の瞠った目が、瞬いて瞼を閉じるまでの一瞬の間に、右向いに移動していた侵入者は、撃ち放った拳の一閃を真一の腹部に叩き込んだ。
真一は、殴られた腹部から、全身に熱いものが広がって行く感覚に見舞われた。
侵入者はこれでも、内臓を破裂させないよう手加減していた。真一は込み上げた反吐を撒き散らし、フローリングの床に膝から落ちた。
気絶する暇も与えず、侵入者は屈んで、呷く真一の頭髪を掴み上げ、その氷の様な身震いする美貌で、怯えている真一を睨み付けた。
「深雪が――死に逝く少女が、貴様を見ていたのだ。
僕は、死を拒んだ彼女が見ていた夢の中で、貴様が彼女を車で撥ねる姿を見た」
「……痛ェよォ……何なンだよ……何言ってンだよォ……そうか、マッポか、手前ぇ……親父が黙ってねェぞ、畜生……!」
侵入者が何を言っているのか、真一には理解不能だった。無論、侵入者の怒りの理由も。
すると侵入者は、さながら乙女が、募る想いの告白を羞らいながら口にする姿を思わせる優美な動きで、その氷の美貌を真一の耳元にゆっくり近付け、そっと囁いた。
「……楽には死なせんぞ」
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