後編

「やっと眠り姫か? 行こうぜ、スディン」

 無造作に歩き出すエルー。

「罠とか考えんのかおまえはっ!」

「大丈夫だろ。罠があっても潰せば」

 な、何て力押しな奴だ。

 だが俺にエルーを止める力はない。仕方なくあとをついていく。

 背後からの光が薄れ、すぐに完全な暗闇となった。前を行くエルーの姿さえ見えない。

「エルー、どこだ?」

「おまえの目の前」

 意外と近くから声が聞こえた。

「おまえ、見えないのか?」

「全然。エルーは見えるのか?」

「ああ。一本道だ。このまま真っ直ぐ進むぜ」

 俺は耳を澄ましてエルーの足音についていく。

 やがて暗さに目が慣れてくると、何とかエルーの背中が見えるようになった。しかしそれでも闇は闇。エルーは一本道と言ったが、どんな道なのかも分からない。

 暗闇で沈黙が続くと、こう、何だか息苦しくなるな。

「エルー、何か変わったものはあるか?」

「いや」

 答えはそっけない。

 エルーは元来、寡黙なのだ。俺をおちょくるときは饒舌になるが。そして俺も話すのが得意な方ではない。弾む会話を望んでも無理というものだろう。

 だが、しかし……周りが暗いと、気分まで陰鬱になってくる。

「……何かしゃべってくれないか?」

「おまえのフラれ方でも話すか」

「……いや、やっぱりいい」

「俺が知ってるので最初は、侍女のレンの平手打ちだったな。顔半分の真っ赤な腫れは三日経っても治らなかった」

「いいっつーにっ!」

 しまった、これは俗にいう自爆……

「次は確か……いとこ姫のシレル様に突き落とされたな、二階から」

「やかましいっ!」

「下が植木だったから、腕の骨が折れるくらいで済んだが。あれは笑ったなー」

「……………」

「次は……」

 そこで、エルーの言葉が唐突に途切れた。

「止まれ、スディン。扉がある」

「扉? 開けられるか?」

 がちゃがちゃと音がする。だが、開いた気配はない。

「ふむ。斬れないことはなさそうだ」

「……いや、斬れるかどーかじゃなくて、俺は開けられるかと聞いたんだが」

「鍵がかかってる。斬るのが無難じゃないか?」

「分かった。じゃあ頼む」

 ……っひゅ……!

 俺には一回だけの呼吸と音しか聞き取れなかったが、刃の閃きは何度かの軌跡を残した。

 何条もの光が、闇に亀裂を走らせる。と同時に、がごごごごんっ、とけたたましい音を立てて闇が崩れた。ゆるい光が満ちていく。

 そこは薄暗い隠し部屋のような空間だった。図書室と呼ぶにはやや狭いが、埋め尽くされた本棚の量は、書斎というだけではおさまらない。

「こりゃー……さっきの壁に書いてあったのと同じ文字か? ひょっとして」

 エルーが手近な本を抜き取ってめくった。顔をしかめて俺に渡してくる。

「そうみたいだな。しかし……これだけあって共通語のものが一つもないというのも妙だな」

「そうか?」

「ソバは他国との交流もあったはずだし、国民は両方の言語を使用していた――と何かの書物で読んだ」

「個人的な趣味の部屋なんじゃないか?」

「うーん……」

 それにしたって、ソバの言語のみというのは釈然としない。

 俺は唸りつつ本棚を見て回った。隙間なくぎっしりと本が詰まっている。共通語だったら、ぜひ読破してみたいところだ。

「ん?」

 四角ばった文字の羅列の中、目にとまったものがあった。一冊だけ、背表紙に書かれたタイトルが共通語のものがあったのだ。

 手に取ってページをめくる。

 うわ、駄目だ。カバーが共通語なだけで、中は全部ソバの言語だ。

 ぱらららら、とページを流していると、本から紙片が滑り落ちた。拾って見てみる。

「――『眠り姫を目覚めさせる者に、これを託す』……?」

 横から紙片を覗き込んだエルーが、俺の代わりに読み上げた。

 そう、共通語で書かれていたのだ。

 一文字一文字を必死で書き上げたのだろう。弱々しい線には死が感じられた。


『眠り姫を目覚めさせる者に、これを託す。

 王女は悪しき魔女によって呪いをかけられ、時の止まった水晶に閉じ込められた。魔女は満足したのか、いずこかへ去っていったようだ。

 城の者たちは強い魔力に耐えられず、私以外はみな塵と化してしまった。

 私は王女を救おうと研究を重ねてきたが、間に合わなかったようだ。私はもうすぐ死ぬ。だからこれを見つけた者に、願いを託したいと思う。

 王女にかけられた魔法は永遠ではなく、百年も経てば弱まって歪み、正常な形を保っていられなくなることが分かった。今は完璧な城の番人も、外からの来訪者を阻むことはできなくなる。

 そのときに、王女と魔力の波長の合う者が水晶に触れれば、水晶は一気に均衡を失い、王女は解放されるだろう』


 最後の一行にはこう記してあった。

『私の娘を救ってくれ』と。

 ……なるほど。あのおかしなイバラやバケモノは、魔法が歪んだせいだったのか。元の形がどんなものかは知らないが、どう歪めばああなるんだ?

「……ふうん? どうやら眠り姫は実在するようだな」

「ソバの王族は代々聖なる力を持っていたという話だ。おそらくそれが理由だろうな」

「あー、そういや実行委員長が、んなこと言ってたな」

 長すぎて聞いてなかったがな。

「とにかく先に進んでみよう」

 俺は奥に続く細い通路を指した。



 細い通路は、吹き抜けの広間に通じていた。

 竜がいる。人間など頭から飲み込めそうな巨体だ。もちろん本物ではない。ガラスの像である。ぎょろりとした爬虫類らしい目や、鋭い歯の一本一本、鱗の一枚一枚さえ忠実に再現された竜の像が、威嚇でもするように大きく口を開けていた。

 さきほどまで晴れていたはずだが、空は重い暗雲に満ちており、青白い輝きを放つガラスの竜を気味悪く見せている。

「……まさか、動かないだろうな?」

 やけに生々しい感じがする。イバラや壁が生きているのだから、このガラスの竜も動かない保証はない。

「不安になっても仕方ないだろ。奥に何かあるみたいだ、行ってみようぜ」

 竜像の背後――壁に面した台座に、細長いものが立っていた。白い布で覆われており、妙な紐で縛られているため、何なのかは視認できない。

 だが、おそらくあれが眠り姫を封じ込めた水晶とやらなのだろう。

 戦々恐々としながらガラスの竜を横切ろうとした――その時。

 ……ガ……

 それは、錆びた機械が稼動する音に似ていた。

「スディン」

 嫌な予感がしてそちらを振り向くことができなかった俺に、エルーがわざわざ説明してくる。

「スディン、像が」

 聞きたくない。

「像の頭が動いて、こっちを見てる」

 やっぱりかよ!

「あ。――やばい、さがれっ!」

 力いっぱい、突き飛ばされた。竜の顎が髪をかすめ、床を砕く。

「エルー!」

 もうもうと上がる土煙と竜の向こうで、人影がちらっと見えた。

 無事だったか……

 土煙を払うように剣を抜いたエルーは、竜の瞳めがけて刺突を繰り出した。ガキンッと金属的な音がする。

「かってぇ!」

 竜は長い首をぐるんとひねり、俺に背を向けてエルーと対峙した。

「エルー!」

「スディン、隅に行っとけ!」

 そんなこと言ったって、こんなデカブツどうする気なんだ!? 竜なんて伝説上の怪物だぞ。いくらエルーでも……

 俺がおろおろしているうちに、戦いが始まった。

 竜が首をもたげ、エルーに猛然と襲いかかる。

 後ろへ跳んでそれをかわしたエルーは、着地と同時に床を蹴り、竜の頭上にはりついた。

「――はぁっ!」

 気合一閃。刃は竜の固いガラスの体に深く突き刺さった。

 ……ガ、グィィイイイィィッ!

 金属が擦れあうような音。俺は思わず耳を塞いだ。

 痛みを感じての悲鳴かどうかは分からない。ただ、竜は激しく頭を振ってエルーを落とすと、怒り狂うようにがちがちと歯を鳴らした。

「ぜんっぜんこたえてねえな……」

 剣は竜の頭に刺さったまま残った。

 魔法で作られたものだから、脳も何もないのかも知れない。だとすると、心臓もあるかどうか。

『ネ……ム……リ、ヒ、メ……ニ』

 竜の口から、呻くような声がもれた。

 こいつもしゃべるのか。

『……眠リ、姫ニ……近ヅク者ヲ……殲滅せんめつスベシ……』

 竜がエルーに突進する。さっとエルーが身をかわすと、竜はその後ろにあった柱を破壊して止まった。そして何事もなかったかのように、ゆっくりと巨体の向きを変えてこちらを見る。

「スディン、こいつ弱点ねーのかよ!」

「俺に聞くな!」

 竜の口が、裂けた。顎が外れたように、ぱっかりと開く。

 ガラスの口腔にちらっと赤いものが閃いた瞬間、俺は総毛立った。

 エルーひとりなら何とでもなっただろう。だが、この位置では俺も巻き込まれる。エルーが俺を助けて攻撃から逃れるには、距離がありすぎた。

「スディンっ!」

 駆け寄ってきたエルーの背後が、炎で真っ赤に染まった。

 炎はエルーを呑みこみ、俺に迫る――一瞬後の映像が、生々しく脳内を占拠する。

 その時。

「……左後ろ足の付け根!」

 聞きなれぬ声が響くと同時、エルーに到達する寸前だった炎が、途中で押しとどめられた。

「弱点は左後ろ足の付け根だよ! 早く!」

 黒髪の小さな女の子が、両手で炎を押し返している。

 エルーは迷わず動いた。短剣を懐から引き抜き、その幼女の隣を駆け抜けると、竜の下に滑り込む。

 シャンッ……

 水晶が散るような音がした。

 竜が動きを止める。炎がかき消えた。竜の左後肢の付け根あたりに、エルーが剣を突き立てているのが確認できた。

 パリィン、とガラスの竜が粉々に砕け散る。

 飛び散った破片は、床に触れる前に溶けるようにして消失した。

 竜の頭に刺さっていた、エルーの剣だけが床に転がる。

 俺はその場にへたりこんだ。死ぬかと思った……

 エルーが剣を拾い上げ、幼女のそばから俺に視線を飛ばしてくる。

「スディン、大丈夫か?」

「ああ……」

「当然さね。あたしが守ってやったんだから」

 長い髪を偉そうにかき上げながら、幼女が大人びた調子で言った。

 そういや、この子は何者なんだ?

「でも、あんた達よくやったよ。これでやっと解放される」

「君は何者だ?」

 俺が尋ねると、幼女は不機嫌そうに黙り込んだ。くりくりの可愛らしい目をそらしながら、どうでもいいだろ、と呟く。

「どうでもよくはねえだろ。何せ竜の炎を防いだんだから」

「……………」

「まるで魔女みたいな――」

 エルーは何気なく言ったのだろうが、幼女はあからさまに体を震わせた。……え。まさか。

「……魔女?」

 俺が控えめに聞くと、幼女は顔を真っ赤にし、悔しげに唇を噛む。そうだよ、と歯の隙間からしぼり出すように答えた。

「ま、魔女って……え? 眠り姫を封じた?」

「ああそうだよ! あたしがその魔女だ! 悪いかい、こんな幼子の姿で!」

 いや、悪いなんて一言も。

「その魔女が、何でこんなとこに? 確かあのメッセージには、魔女はどこかに去ったって書いてあったよな?」

 エルーの言葉に、俺はポケットからあの紙切れを取り出した。確かにそう書いてある。

「城の生き残りの遺書かい。この姿になったから、あたしだって分からなかったんだろうね」

「好きで幼女の姿なんじゃないのか」

 と、エルー。

「当たり前だ! 本来のあたしは麗しい大人の女だよ!」

「なら、何でそんな姿になってるんだ?」

「……………」

 どうやら言いたくないらしい。魔女は無言で身を翻し、つかつかと布のかぶさった水晶の前へ行った。

「これに王女を閉じ込めた。あんた達、眠り姫を解放しにきたんだろう? さっさと持っていきな」

「封じ込めたのはおまえじゃないのか?」

 エルーは魔女に対しても遠慮なしである。

「うるさいな、色々と事情があるんだ!」

「さっきの竜、あれも番人としておまえが置いたものだよな?」

 エルーが考え込みながら言うと、魔女は小さくうなずいた。

「さっき――竜を倒した時、『これでやっと解放される』とかなんとか……」

 魔女の顔色が変わった。

 エルーは気づかない振りをしながら言葉を続ける。

「もしかして、自分で作ったものなのに、制御不能になって自分までここに閉じ込められたとか」

「……………」

 え。本当に? そんなことあるのか?

 エルーは面白そうに瞳を輝かせた。あ、これはあれだ。俺をおちょくるときと同じ目だ!

「……どれほどすごいのかと思ったら……そうか、自分でも手に負えない番人を作れるほどすごいのか」

「黙れ若造っ! 手に負えないわけじゃない! 手に負えなくなったんだ!」

「同じだろ、それ」

「違う! 王女の力が予想外に強すぎたんだ! あたしの魔法が変な風に返ってきて、力を削がれちまったんだよ! おかげで城から脱出もできなくなるし、魔法も解けないし番人も言うこと聞かないしで、百年もこのままだったんだ!」

 ひゃ、百年も……

「城にかけた魔法の要はこの水晶だ。誰かが王女を解放してくれれば、城の魔法はすべて解けてあたしもここから出られるんだよ!」

 わがままな魔女だな。

「だが、いいのか? 聖なる力とやらが怖くて、王女を閉じ込めたんだろう?」

「怖くて、だと? このあたしに怖いものなんかあるもんかい! 言葉に気をつけな、坊や! 邪魔だっただけだ!」

 に、似たようなものだと思うが。

 しかしそれを口に出せば何をされるか分からない。俺は黙っていた。

「だけどいいさ。王女が解放されなければあたしも出られない。あたしの力を削いだのは王女だから、王女の力を借りなきゃあたしは元に戻れない」

 魔女はくいと顎で水晶を示した。

 確か、魔力の波長の合う者が触れれば、とか書いてあったが……こ、これで解放できなかったら、魔女に殺される? 何しろ俺はすべての女の運命から逃げられていると評判の男だぞ。

「……エルー、おまえの方がいいんじゃないか?」

「俺は当分女なんかいらん。そもそもこれはおまえの嫁探しだぞ」

「嫁探し?」

 魔女はたちまち相好を崩した。

「ほおお……わざわざこんなとこまで苦労してやってくるとは、坊や、そんなにモテないのかい」

「う、うるさいっ!」

「安心しな。あんたの魔力の波長は王女とよく似てる。本当は完全に一致しないと無理だが、百年経って魔力も崩れかけているからね、あんたでも大丈夫だろう」

 だ、大丈夫なのか。

 これで本当に解放されたらどうするんだ? どんな人間かも分からないのに妻にはできんぞ。いや大体、相手の方が嫌がる可能性もあるし。

「……坊や、考え込んでないで早くしな」

「いやしかし」

「あたしゃ気が短いんだ! はっきり言うがね、心配するだけ無駄だよ!」

 ぐっと腕を掴まれた。そのまま、魔女は有無を言わさず俺の手を水晶に当てる。

 どろりと、水晶が布ごと溶けた。ぽおんと小さな物体が宙に投げ出される。

 ――え?

 思わず手を伸ばした。

 腕の中に落ちる、やわらかな

 

 ……んぎゃああああああっ!


「うわあああああっ!?」

 俺は叫んで落としそうになった。

 腕の中で泣いているのは、人間の赤ん坊だった。

「な、え……あ!? いいっ?」

「スディン、落ち着け。貸してみろ」

 エルーがひょいと赤ん坊を俺から取り上げた。そのとたん、ぴたりと泣き止む赤ん坊。

 そ、そうか。エルーは下に兄妹がたくさんいるからな……

 って、それどころじゃない。これはなんだ!

「こ、これがまさか眠り姫?」

「そうだよ」

 魔女が空を見上げながら答えた。

 つられて見ると、重く立ち込めていた雲が消え、青空が広がっていた。

「どうやら、うまく魔法が解けたようだね。よくやった、これでやっと出られるよ」

 魔女の小さな手に、不釣合いな大きなホウキが出現した。それにまたがった魔女が地を軽く蹴ると、ふわりと浮き上がる。

「お、おい、待っ……!」

「王女を頼んだよ。そいつが成長して力を扱えるようにならないと、あたしは元に戻れないんだ」

「いや、ちょ――」

「良かったじゃないか、坊や」

 ゆっくりと上昇しながら、魔女は言った。

「自分で好みの女に育てることができるよ。これ以上の女はいないだろう?」

 高らかな笑いを残して、魔女は空の彼方に消えていった。

「……………」

 これは……

 これは。

 押し付け?

「……………」

 俺は呆然と、エルーにあやされる赤ん坊を見つめた。確かに可愛い。目鼻立ちのはっきりした、可愛い赤ん坊だ。だからって。

 だからって、これを一体どうしろと?

「……スディン」

 珍しく、エルーが深い労わりのこもった声をかけてきた。

「なかなか可愛いお嫁さんだと思うぜ?」

 俺はすうっと息を吸い込む。

「――慰めなんかいらんっ!」

 その声に驚いたのか、赤ん坊が再びやかましく泣き出し、俺は脱力してその場にへたりこんだ。

 泣きたいのは、泣きたいのはこっちだ――っ!



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スディン王子の嫁探し 白石令 @hakuseki

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