中編

 多くの花々が咲き乱れている。

 蝶々がはらはらと横を通り過ぎていった。

 見上げるとなぜか青空と太陽が顔を出していて、花畑の先には立派な城が建っている。

 ……ここどこだよ。

「室内じゃなかったか?」

「まあ、天井に穴があいている室内ってのも前衛的でいいんじゃないか?」

「前衛的とかそういう問題じゃなくてっ! ――あーもういい! とにかく城に行くぞ!」

 俺は城を指差した。おそらく眠り姫はあそこにいるのだろう。他の参加者たちも我先にと向かっている。

「よし。じゃあここはやっぱりスディンが先に」

 どん、と背中を押された。俺はつんのめり、片足で二、三歩進んで踏ん張った。が、やはり耐えきれずに転倒する。

 ――かち。

 右手に何か固いものが当たった。それと同時に、地の底からごごごごご……と重い音がせりあがってくる。

「……なんだぁ!?」

 焦って手を離す――それが間違いだった。

 いきなり俺の下の地面が隆起したのだ!

「うわわわわわっ!?」

 驚いた刹那、俺の腕を何かがかすった。見ると、地面から太い針のようなものが突き出ている。じんわり、痛みと血が滲んだ。

 なんだよこれ!

「――うわあああっ!」

 俺が声を上げるより先に、誰かの悲鳴と、どおんっ、という爆発音が轟いた。灰色の煙と焦げ臭い匂いが漂ってくる。

 血の気が失せていくのが分かった。

「地雷、でもあったかな? 見ろよスディン」

 のほほんと傍観してんじゃねえよ!

 そもそも俺はそれどころではないのだ。岩の針が次々と地中から生えてくる。モズの早贄はやにえはごめんだ。

 必死に岩の針を避けつつ、なんとかその危険地帯から這い出る。

 エルーは相変わらず、平然と周りの惨状を観察していた。

「ど……どうなって、いるんだ、これは……?」

「城に入るのにも試練があるようだな」

 そういう問題じゃないだろう。

 ずどぉぉん……

 遠くで誰かが煙と一緒に星になった。合掌。

「やっぱり地雷が仕掛けてあるな。これは面倒だぞ、スディン」

「面倒……そうか、面倒で片付く問題なのか、おまえにとっては……」

「そこで俺に策があるんだが」

「却下」

 俺は間髪入れず言った。

「なぜ」

 予想外だ、とばかりに眉を上げるエルー。

「おまえの案、というか言動は、ことごとく俺の身に危険が及ぶようなものばかりだろう」

「別に故意にやってるわけじゃないが」

 そうだな、七割くらいは天然なんだよな。

「……故意だろーとわざとだろーとそう意識してやっていよーとっ!」

「スディン、どれも同じ意味だぞ」

「とにかく! 俺は危険なことは嫌だ!」

「大丈夫だスディン。今回はおまえに危険はない。おそらく」

「おそらくって言ったか、今?」

「とりあえずこっちだ」

 言うなり、エルーは俺の腕を掴んで花畑を歩き出した。警戒心なく。

「おい、地雷っ!」

 背筋がひやりとした。だがエルーの手は振りほどけない。俺はモヤシ王子だ。

 冷や汗をかきながら花畑を進んでいたが、エルーの運か、奇跡か――幸い目的地までは無事たどりつけたようである。

「見ろよ」

 エルーの指の先には、少女がいた。

 花畑の中、両手を胸の前で重ね合わせて目を閉じている。

「……まさか、これが眠り姫?」

「容貌は聞いてなかったからな。断定はできないが」

 しかしどう見ても、想像通りの眠り姫だった。

 年齢は十五、六歳ほど。長い睫毛、花びらのような唇。わずかにウェーブのかかった金髪に、赤いリボン。なめらかな白い肌は人形かと思えるほど整いすぎていたが、うっすら色づいた頬が、間違いなく血の通った人間であることを示していた。

 可憐で清楚な姫君。しかし、少々あっけない気がする。

「偽者ということも考えられるな。だが……」

「裏をかいて、ってこともある。まあ議論していても始まらん。さあ」

「……な、なんだ?」

「さっさと口づけしてみろよ」

 俺の顔に血がのぼった。

「い、いや、待てっ! 本物かどうかも分からんのに、見ず知らずの少女にそんなことをするわけには」

「だからそれを確かめようってんだろ。十九にもなって何恥ずかしがってんだ、キスぐらいで」

 キスぐらいで。

 どれだけ女に恵まれた生活を送ってやがるんだ、こいつは。

「だが、もし目覚められても、妻にできるかどうか分からんぞ」

「心配するな。これまでのおまえの経験からいって、目覚めることは絶対にありえない。だがまあ、万が一ということもあるし、念のため挑戦してみるのもいいと思うぜ?」

 ああ分かったよ! 口づけすりゃいいんだろ!

 俺はヤケになって、眠り姫らしき女の子を抱き起こした。

 そのとたん――!

「……あらぁ、王子さまぁん?」

「……………」

 俺は一瞬硬直し――

「――うわあああああっ!? 化け物ぉ――っ!」

 力の限り絶叫。桃色のドレスを着た人物を放り投げた。いや、突き飛ばそうとしたが逆に弾き飛ばされた、というのが正しい。

 全身の毛が逆立っていた。その穴ひとつひとつに、どろりとした気持ちの悪い何かを流しこまれているようだ。このまま気を失ってしまいたい。そしてすべて悪夢で終わらせたい。

「いったぁい。ひどいですわぁ、王子さまぁん」

 カールの金髪。赤い大きなリボン……そこまではいい。 

 ただ――女じゃない。

 さっきまで美少女だったものは、筋肉で服が破れかけている四十がらみでヒゲもじゃのむさいおっさんに変態していた。

「これはもう……犯罪の域に達してるな」

 エルーでさえ直視できていない。

 そして俺は気づいてしまった。

 周りからも魂の悲鳴が上がっており、そこには様々な色のドレスを着た、いくつもの金髪バケモノが――!

「うふ、初めましてぇ、王子さま。眠り姫でぇす」

「寄るなああああっ! バケモノおおおおっ!」

 俺は護身用のナイフを振り回し、徐々に後退していく。

「スディン、あんまり動くと」

 かちり。

 そんな小さな音が聞こえた気がしたが、構っている余裕はない。バケモノから距離をとるためにさらに退こうとして――

 凄まじい衝撃と爆音。

 俺は、鳥になった。

 ああ、このまま飛んでいきたい。

 しかし無情にも青空は一気に遠ざかる。――急降下!

 俺は悪夢のいる地上へ再び叩きつけられた。

「王子さまぁん、大丈夫ですのぉ?」

 ひいいっ!?

 地面に激突した痛みで体が動かない。

 逃げられないことを悟り、すうっと意識が遠ざかった。

 しかし、寸前で持ち直す。俺に駆け寄るバケモノを、エルーが剣でとめてくれていたからだ。

 ありがとう親友っ!

「……なんのおつもりかしらぁん?」

「それ以上スディンに近づけば、首を斬り落とす」

 かっこいいぞ親友っ!

「あぁら、あなたにわたくし達の愛を止める権利があってぇ?」

「実は、放っといても面白いかなと思ったが」

 え、親友?

「よく考えるとスディンに何かあったら俺の責任になるんだ。バケモノの血で剣が汚れるのも嫌だからな、とっとと消えろ」

「バ、バケモノですってぇ……?」

 ショックを受けたようによろめき、花畑に突っ伏すバケモノ。

 自覚がなかったのか貴様。

「あんまりですわぁん……わたくしがバケモノ……なんてぇ……!」

 わんわん泣いていたバケモノは、突然すがるように俺を見つめてきた。

 やめてくれ! 見ないでくれ!

「王子さまぁん……わたくし達の愛は運命、永遠ですわよねぇん? わたくしは、バケモノなんかではありませんわよねぇん?」

「じょ、冗談じゃないっ! おまえのどこがバケモノ外なんだ! どこからどう見てもバケモノだ! おまえを生み出した世界の正気を疑うぞ俺はっ!」

「そ、そんな……!」

 バケモノは驚愕した表情のまま立ち尽くした。

 ややあって、ふっと悲しそうに微笑する。不気味以外のなにものでもないが。

「そう……そうですのね……わたくしなんか入る余地のないほどの愛が、王子さまとその男性の心を結んでおられるのですね……」

 いや勘弁してくれ。何でそうなるんだよ!

「……わたくし……わたくしのこと、嫌わないでくださいましね。それはあまりにも辛うございます」

「いや、貴様の存在は嫌いどころか生理的に受け付けないし……」

「お、王子さま……」

 その言葉がトドメになったらしい。バケモノは瞬く間に塵と化し、風に吹かれて完全に消え去った。

「……………」

 た……

「……助かった……」

 へなへなとその場に座り込んでも、誰も文句は言うまい。



「死ぬかと思った……」

 何とか入城することができ、俺はやっと息をついた。

 生き残った他の参加者たちはそれぞれ別のルートを行っているため、今歩いている広い通路には、俺とエルーの二人しかいない。

 静かだ。平穏だ。俺は今幸せを噛みしめている。

「今回は惜しかったな」

「……おまえ、俺を殺したいのか……? しかも精神的に」

「ささくれ立つなよ、スディン。ちょっとした冗談だろ」

 何でエルーはこんなに元気なんだ。

 俺は髪も体も心もずたぼろなのに、こいつは怪我一つなくけろっとしている。衣服も乱れておらず、汚れすらついていない。出発したときのままだ。これは俺が運動オンチなせいなのか?

「スディン、行き止まりみたいだぜ」

 エルーの言葉に顔を上げると、白い壁が行く手を遮っていた。

 ここまでは一本道だったはずだ。

「ということは、この道は間違いか」

「――待てスディン。下の方に何か書いてあるぞ」

 そう言われてエルーの視線を追うと、壁の下端――床とご挨拶できそうな位置に、黒い汚れがあった。俺は視力が悪いので、しゃがまないとよく見えない。

 全体的に四角張ったその文字は、明らかに共通語ではなかった。

「……これ、古代文字だぞ。大昔この辺にあったソバっていう国の」

「ふうん? じゃあ、眠り姫はソバって国の王女さまってことか?」

「そうなるんだろうな」

「で、何て書いてあるんだ? おまえなら読めるだろ?」

「多分」

 エルーと違って、俺は部屋にこもって読書の毎日だからな。何せ引きこもり王子とあだ名がつけられるほどだ。……自慢にならないか。

 それはともかく、俺は記憶を引っ張り出し、目の前の文字と照らし合わせる。書いてあるのはたった一言だ。すぐに分かるはず。

「『答えよ』、か?」

「答えよ?」

 ふいに、壁が熱を持ったような気がした。

『ファーハハハハハッ! 答えよ! 答えよっ!』

 気のせいではなかった。

「……うわああああっ!?」

 か、壁が、今度は壁がっ!?

『答えよ! 答えよ!』

 壊れた機械のようにそれだけを連呼しているのは、壁に現れた口だった。目も鼻もない。ただ口だけが、ぐにゃぐにゃと動いている。

「何にでも命があるんだな、ここは」

 もうエルーがこの異常事態に順応しはじめている。ここまで驚くのは俺だけなのか? むしろ異常なのは俺なのか?

『答えよ、第一問っ!』

 はい?

『この世でもっとも大切なことは何か? 答えよ!』

 いきなりクイズ? この世でもっとも大切なこと?

 俺の頭の中で、ぐるぐると色々な単語が生まれては消えていく。愛、勇気、希望、金、名誉、えーと他には……家族とか、恋人?

『一、金っ!』

「えっ? 選択問題なのか?」

『ニ、健康っ! 三、愛っ!』

「え、えっ……と」

『オッケー、秒読み開始っ! 十……九……』

 時間制限つきっ!?

「え、ええええと……エルー、どれだっ!?」

「俺は主人と言わなきゃまずいだろう」

「そうじゃなくてっ!」

『五……四……』

 うわっ、ま、まずいっ! 時間制限があると思うと、たとえ罰則がなくても焦ってしまう。いや、ないとは限らないのだが。

『……二……一……』

「ああああ、そ、それじゃあ愛っ!」

『ブブ――っ!』

 壁は即座に口をとがらせた。

『未熟者めっ! もっとも大切なことは、掃除に決まっとろーが!』

 ……掃除?

「何で掃除なんだ……いやそれ以前に、そんなもの選択肢の中になかったぞ」

『ファーハハハハッ!』

 突き抜けるその笑い声、耳触りなんだが。

『愚かなっ! 選択問題とも、この中から選べとも言っておらんっ! そして我々壁や床にとっては、掃除はもっとも大切なことなり!』

 それを人は屁理屈と言う。

「問題を間違えた場合、どうなるんだ?」

 エルーが尋ねると、壁はやはり甲高い声音で答えた。

『問題を三回間違えない限り、心配はないっ!』

「三回間違えた場合は?」

『うむっ! 花畑で眠っていたバケモノと一生ここで過ごす、とゆーのはどーだっ!?』

「嫌だああああっ! そうなるくらいなら俺は死ぬ――っ!!」

『はっはっは、大丈夫。ちゃんと十数匹いるバケモノの中の、先程おまえと関わりのあったやつにしてやるから』

「どれもおんなじだああああっ!」

「落ち着けよ、スディン。間違えなきゃいいんだろ? 問題数はあといくつだ?」

『うむ。あと638ほどかな』

 待てい。

「そんなもん終わるわけないだろーが!」

『若者はこれだからいかんな、根性がなさすぎる。やる前から無理だと決めつけるから、何もできんのだ』

「お。いいこと言うな」

 あっさり同意するエルー。

『そうだろうっ!』

 壁は気を良くしたらしく、最近の若者の素行から始まって、今の若者のあり方まで熱弁をふるいはじめた。それが面白いのか、エルーはいちいち反応を返している。

『――つまりわたしが思うのはだなっ! イバラもいい加減、壁に頼ってくるのはどうかということなのだ』

「イバラは何かに巻きついたり支えられたりするのが普通だからな。だがまあ、確かに巻きつかなくても充分いいよな」

 一体なにがどういいと言うんだ。

『そうだろうそうだろうっ! うむ、そなたは若いのに、なかなか考えているじゃないか』

「そりゃどうも」

『うむ――……』

 壁は突然、考え込むように沈黙した。

 やがて何か閃いたらしく、よしっ、と短く叫ぶ。

『気に入ったぞっ! ノルマをあと一問にしてやろうっ!』

「お。良かったな、スディン」

「……数が少ない分、難しい問題なんじゃないか?」

 俺は腕を組んで壁を睨みつけた。まあ、よくある話だよな。

『ほう、よく分かったな。金持ちのボンボンが』

「やかましいっ! 俺の国はそんなに金持ちじゃない!」

『だが心配するな。正直になれば簡単な問題だ。ただ――』

 壁はふいにテンションをさげた。

『おまえにとっては辛い過去を思い出させるかも知れんな』

「……なんだと?」

 俺の辛い過去? ちょっと待てよ、確かに嫌な思い出もあるが、そんなに神妙になるほど辛い体験なんて、記憶にないぞ? っていうか、何でこの壁が俺の過去を知ってるんだよ。

 俺が考え込んでいると、壁はおごそかな口調のまま言った。

『金持ちのボンボンに関する問題だ。おまえは――』

 ごくり。

『今年何人の女性にフラれたか?』

 ちょっと待てい。

「八人」

『正解』

「何で知ってるんだよ! エルーもっ!」

「何言ってんだ、スディン。俺たちは親友だろ?」

 やけにさわやかな笑顔が嘘くさい。

「俺は最近おまえに恋愛相談なんてしてない」

「馬鹿だな、スディン。おまえ鏡を見ているか? ……全部顔に出てるんだよ」

 そうか……全部分かった上で、陰で見て笑ってたんだな。

 地獄に落ちろ。

『我が問いに答えし者に眠り姫を』

 壁が真面目な口調で告げた。しかも妙に機械的だ。何だ何だ?

『ソバの国の王女。聖なる力。長き眠りによって封じられた眠り姫を』

 壁の口が消え、代わりにぽっかり穴があいた。その先は明かり一つない闇だ。

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