魔法が廃れた世界の果てで

玄海之幸

1話「私は魔法使いなのじゃ」

 道に美少女が落ちていた。

 待て、考えろ。よく考えろ。まずは状況を整理しよう。

 ここは商業都市ルインに向かう山道だ。

 もうすぐ日も暮れるので、そろそろ野営地を決めないといけないと考えていたら、道の真ん中に黒い布の塊が落ちていた。

 蹴ってみたらうめき声を上げたので、布を剥いで驚いた。絹のような滑らかな白い肌と、輝く銀糸のような長髪があふれ出た。年は十二歳~十三歳くらいだろうか? 眠るように意識を失っているその顔は、今まで見た事もないくらいに美しい。傾国の美とはまさにこの事を言うのかと、思わず息が洩れた。

 と、いうわけで山道の真ん中で気絶した絶世の美少女を前に立ち尽くす。

 ここまでが今のオレの状況だ。

 周囲を改めて観察すると、どうやら山の斜面を転がり落ちてきたらしい。

 気を失っているが、大した外傷はないようだ。

 どうするか考える。

 選択肢その一。

 拾って持って行く。

 これ程の器量なら奴隷商人にも高く売れるだろう。

 この場合の問題点。

 オレは傭兵であって奴隷商人ではない。上手く交渉が出来る自信はなく、足元を見られる公算が高い。

 そして、この少女の身なりは良い。

 昔から貴族は器量の良い者を金や身分で買う事がある。それを長年繰り返してきたが故に貴族には美形が多い。この少女が万が一にもどこかの貴族の令嬢だとすると下手をすれば、変なもめ事に巻き込まれる可能性もある。

 選択肢その二。

 無視する。

 何も見なかった事にして通り過ぎれば、オレには何の関係もない話だ。

 この場合の問題点。

 オレには何の関係も無いかわりに、何の見返りも得られない。

 山間の街道に美少女が落ちている非常識な状況からして、何かしらの役得が得られる可能性がある。無視するとその可能性を潰す事になる。

 選択肢その三。

 とりあえず保護する。

 状況を聞いてから扱いを決める。近くの村や町の娘や貴族の娘だった場合、保護したことでの見返りも期待できるし、そうでなければ売れば良い。

 ややこしそうな気配ならば置いて行く事も出来る。

 この場合の問題点。特に無い。

 ぱっと思いついた選択肢の中からオレは三番目を選んだ。

 一応は保護の方向だ。

 まぁ厄介事になりそうなら置いて行けば良い。

 まだ幼い少女の体を持ち上げると、肩に担いだ。一人の人間とは思えない程に軽い。

 少女と一緒に転がっていた大きなザック、恐らくはこの子の荷物に手をかける。

「く……重っ!」

 何かがギッシリと詰まった感触のザックは、この少女が持っていたと考えると不釣合いな程に重かった。

「何が詰まってんだコレ」

 一言だけぼやいて歩き始める。

 早く野営地を見つける必要がある。もう夜は近い。


「ん……」

 街道脇の少し開けた場所に荷物と一緒に少女を下ろすと、声を上げた。どうやら目を覚ましたらしい。

「オイ、お嬢ちゃん。目ぇ覚めたか?」

 顔を覗き込んで声をかける。少女がまぶたをゆっくりと開いた。

 宝石のような金色の瞳に思わず見入る、虚ろだった少女の目に意思の光が戻り、驚きの色に染まる。

「キャァァッ!」

 耳から脳ミソを貫く悲鳴と、スパァンと快音を鳴らしての衝撃が同時に来た。どうやら平手打ちを喰らったらしい。

「お、おぬしは誰じゃ!?」

 少女は飛び起きると思いっきり後ずさりながらオレに怒鳴る。

「いってぇ……落ち着けよ。お嬢ちゃん。オレは道で倒れてるアンタを介抱しただけだ。ただのしがない傭兵だよ。まぁそう警戒すんなって」

 少女は平手打ちをした自分の右手と、オレの顔を順番に見比べた。

「あ、そうだったのか……それは。すまぬ」

 そして意外と素直に謝った。

「解ってくれりゃ別にいい」

 そう言って野営の準備を進める。まずは焚き火の準備だ。

「ところでお嬢ちゃんは、なんであんな山道に倒れてたんだ? この近くに村でもあるのか?」

 その辺りから薪になる木の枝を集めながら声をかける。

「いや、私は一人旅の途中でな。不覚にも道を誤って斜面を転げ落ちてしまったのじゃ。助けてくれたようなので礼を言おう。感謝する」

「一人旅?」

 思わず聞き返した。どう見ても十歳そこいらにしか見えない少女が一人で旅など出来るハズがない。

 この世界は暴力と欺瞞に満ち溢れている。

 比較的に治安が良いと言われるこの辺りにも当然のように野盗は現れる。そのくらいには。

「嘘をつくなよ。小娘が一人で旅をするなんて正気の沙汰じゃない。すぐに襲われて奴隷として売られる。ごっこ遊びしてて道に迷ったならそう言いな。近くの村になら送ってやる」

「信じて貰えぬ……か。まぁ私の愛らしい姿では当然の思考でもあるがな。それと一つ言っておく。私はおぬしのような小僧に『お嬢ちゃん』と呼ばれる筋合いはない。私にはラ・シエラ・コスワースという名がある。シエラと呼ぶがいい」

 なんとも鼻につく高圧的な物言いに少しイラっとする。

「ああ、そりゃすまなかったな。お嬢ちゃん。オレも一応二十歳でな。小娘に小僧呼ばわりされる程若くもないんだが?」

 少し険のある口調で返すと少女――シエラはフハハと声を上げて笑った。

「二十? ならば小僧で十分じゃ。私の年を教えてやろう。今年で二百九歳になる。この物言いも。私の態度も、重ねた年季がなせる事よ。信じれぬなら信じずとも良いぞ?」

「信じられるかそんな与太話。もういい。ごっこ遊びに付き合うのはここまでだ。さっさと火を起こさないと日が暮れっちまう」

 わざと大仰にため息をつくと、焚き木を集める作業に戻った。

「なんじゃ? 火を起こすのか?」

「そうだよ。真っ暗な夜に冷たい飯を食う気か?」

「ならば私が火を起こそう。助けてくれた礼もある」

「邪魔だからそこで座ってろ」

 振り返らずにそう言った。

「まぁそう邪険にするでない。からかった事は詫びよう。それに私の年齢の秘密と一人旅をしていられた証明も出来る」

 楽しそうに言うその言葉に引っかかりを覚えて振り返る。シエラの顔は笑っていた。

「私は魔法使いなのだ」


 シエラは木の棒で地面に様々な模様を書き始めた、最初は円を書き、ミミズが這ったような不可解な字のようなものを描き、その模様は複雑さを増していった。

 一通りに模様が書き終わると、シエラのザックから分厚い書物と大きなカエルを干して黒焼きにしたものを取り出した。

 あのザックが不可解に重かったのはアレが理由か。

「聞き届けよ。始祖の精霊。炎の申し子アッティーナよ。我が願い、我が供物を喰らいて我が願いを形にしたもう!」

 カエルの黒焼きを模様の中心に置くと、本を片手に歌うように言葉を紡いでいく。

 手にした木の棒を振り回し、踊るように模様を書き足しながら本のページをめくりさらに言葉を続けていた。

 かつて、この世界には魔法があった。力のある魔法使いは国の要職に就き、占いで国政を操り、魔法で病魔を退け、国を栄えさせた。

 力の弱い魔法使いは町や村に住み、薬や魔法の力を込めた道具を作り、民に貢献していた。

 その世界が壊れたのは二百年前だ、時の教皇が魔法使いを邪悪な力の行使者と定めて魔法使い狩りを始め、今や魔法使いは昔話の中でのみ生きる存在だ。

 勿論、オレは目の前のシエラが魔法使いだなんて戯言は信じちゃいない。

 しかし、目の前で繰り広げられる儀式には本物とも思える独特の雰囲気があった。

「我が命、我が縁に従い、精霊の加護を得られん事をーー」

 しかし、それはそれ。夕日は山の影に沈んでしまった。本気で闇が近い。

 歌い、踊るシエラを尻目に、オレの鞄から火打石を取り出して、積んだ薪と落ち葉に向かって数回叩く。

 閃光のように火花が散り、落ち葉が煙を上げだした。慎重に風を送り、落ち葉や小枝を足して行くとボっと音を立てて火が起きた。

「欲するは眩い炎。原初の火。それをーー」

 未だ詩を紡ぎ続けるシエラを見ながら晩飯の支度を開始する。

 今夜は干し肉と乾燥野菜でスープにしよう。一応、シエラの分も作っておいてやるか。飯が無いと五月蝿そうだし。


「原初の火を司るその力をここに示せ!」

 シエラが一際強く唱えると、カエルの黒焼きがボゥッと音を立てて烈火に包まれた。

「おぉっ!」

 目の前で起きた奇跡に、煮込むスープを混ぜる手を止めて思わず声を上げた。

 シエラは燃えるカエルに急いで手にしていた木の棒を近づけて火をつけた。そしてそれを勝ち誇った顔でオレに差し出した。

「はぁ。はぁ。どうじゃ? 簡単に火が起きたじゃろう? これで木と木を必死にこすり合わせて火を起こす必要も無いという訳よ」

「お疲れさん。本当に火が起きるとは思わなかったぜ」

 貰った火種を既に燃え盛っている焚き火に放り込んだ。

「ちょっと待て、何故既に火が起きておる? おぬしどうやって火を起こしたのじゃ! 私がどれだけ苦労をして火の精霊を行使したと思っているのじゃ!」

 激昂したシエラに思いっきり胸倉を掴まれてガクガク揺さぶられた。意地を張って簡単に火を起こしたとか言いつつ、実はしっかり苦労してんじゃねぇかよ。しかも横で思いっきり火を起こしていたのに気づいてなかったらしい。

「おい、待てよお嬢ちゃん、まず手を離しやがれって」

「何度も言わせるな。私の名はシエラじゃ。おぬし、何をした? どうやって火を起こした!」

「解った、シエラ。教えるから手を離せ。な?」

 なんとかシエラを引き剥がすと火打石を手に取った。

「何じゃ? その石っころと鉄の棒は?」

「火打石を知らんのか?」

「知らぬ。ここ、二百年程は師匠と山に篭っておったのでな。俗世の事には疎いのだ」

 これはいよいよ、魔法使いであることに真実味が出てきた。火打石のような生活必需品を見たことの無いヤツなんか普通なら居ない。

「これはこうやって使うんだ」

 勢いよく石を鉄の棒に叩きつけると火花が闇に散って消えた。

「そ……そんな馬鹿な。これほど容易く火が起こせる道具が存在するとは……」

「火打石が使われだしたのはオレの婆さんの若い頃だったかな? 今時はどこの家庭にも必ずあるぞ」

 シエラはその場にペタリと座り込んだ。

「く……あのカエルはな、精霊アッティーナが気に入るように。私が丹精込めて半日かけて燻した一品だったのだ。それを使ってまで火を起こしたというのに……」

 俯いてボソボソと独り言を言い始めた。時折えずくような音と鼻をすする音も聞こえる。

 どうやら魔法を使うのはそんなに簡単な事でもないらしい。簡単に難しい事を成す様を『魔法のようだ』と言う事があるが、オレはこの言葉を安易に使わないようにしよう。魔法は魔法で面倒な手順の上に成り立っているモノらしい。

 しかし、なんで魔法が廃れたか解った気がした。断言出来る。確実に魔法使い狩りのせいだけではない。

 こんな面倒くさい手順や道具が必要なら普通に火を起こしたほうがよっぽど楽だからだ。

 二百年前の騒乱がなくとも遅かれ早かれ魔法は廃れる運命にあったのかもしれない。

「ほら、これでも食え」

 器にスープを注いでシエラに渡す。いつまでもメソメソと泣かれていてはうっとおしい。とりあえず飯でも食えば多少は元気になるだろう。

「……すまぬ」

 スープとオレとを交互に見たあと、最後に鼻をズズッっと鳴らして器を受け取った。

 それなりに可愛い所もあるようだ。一緒に固焼きにした燕麦パンを渡した。

「そのまま食うと苦いし硬いからな。スープに浸して食え」

 シエラは無言で頷くと言われた通りにスープにパンを浸してから口に運ぶ。

「……不味い」

 第一声がそれだった。

「人から食い物分けてもらってなんて言い草だ。燕麦パンは旅の必需品だぞ。オマエ、やっぱり旅慣れしてないな?」

「いや、すまぬ。だがスープは旨い。これは本当だ。旅の方はだな……実はお師匠様から命を受けて旅に出たのが二日前の事でな。正直な所あても無く困っておる。とりあえず大きい町に行きたいのだがーー」

 シエラはそこまで言って何か閃いたようにオレの顔を見た。嫌な予感がする。

「おぬし、傭兵だと言っておったな。名前は?」

「え? あ~、アルエスだ。アルエス・フォード」

「ではアルエスよ。傭兵として私と契約せぬか?」

 思わず口に含んだスープを噴き出した。

「契約~? おいシエラ。傭兵としてって事は仕事でって事だ。タダじゃないし安くはないぞ? 金持ってんのかよ?」

 言うとシエラは一枚のコインを投げてよこした。

 空中でキャッチして炎の明かりに照らす。思わず目を疑った。

「き……金貨じゃねぇか!」

 裏返った声で叫んでしまった。こいつが一枚あれば半年は余裕で生活が出来る。シエラの顔をみると不敵にニヤリと笑っていた。なんか腹が立つ。

「私と契約すれば一ヶ月につき、それを一枚報酬に出そう。仕事の条件は私の案内と護衛だ。どうだ? 仕事を受けるか?」

 息を呑む。小娘一人のお守りで月に金貨一枚。こんな美味しい仕事は恐らく今後一生無い。

「……引き受けよう」

 金に目がくらんであっさりと引き受けた。一瞬、シエラの笑顔が酷く邪悪に見えたが、まぁ気にしないでおこう。なにか面倒な事になったら単に逃げればいい。根無し草の傭兵は逃げ足も速いものだ。

「では契約書にサインをするのじゃ」

 そう言ってシエラは自分のザックから一枚の羊皮紙を取り出した。

「あん? なんだこりゃ? 見た事もない字だな」

 その羊皮紙には、書くのにえらく手間のかかるややこしい文字がびっしりと書き込まれていた。初めて見る字でさっぱり読めない。

「おぬし、学がないのう。これは教会が使っておる神聖文字じゃ。内容は私は契約者として御身を守ると誓う。といった内容の事が書かれておる。さ、このインクでそこの空白部分に名前を書くが良い」

 そう言ってシエラはインクの入ったビンを渡してきた。些か不愉快だが、実際にオレが浅識なのは揺るがない事実なので反論できない。

 抗議の意味も込めて乱暴にインクをひったくる。木の枝をペン代わりにして名前を書き込んだ。

「書いたな」

 シエラの放ったその一言が背筋をゾクリと震わせた。言葉に表せない悪寒。

「オマエ何をーー」

 直後、羊皮紙から「何か」がオレの体に飛び込んだ。目には見えなかったが確かにそう感じた。

「これでおぬしは、私から逃れられぬ」

 薄気味悪い感触が体の中に残っている。背筋の悪寒が止まらない。

「テメェ。オレに何をしやがった。言え!」

 シエラに詰め寄る。

「何、些細な事だ。心配せずとも契約を果たす限りは、おぬしに何の害もない。要するにーー」

「居たぞ!」

 シエラに気を取られて他人の接近に気づかなかった。ちぃッ! こんな時に面倒な!

「野盗か!? 残念だったな。金目のモノなんか持ってねぇぞ。怪我する前に帰りやがれ」

 剣を抜きながら襲撃者と思われる人影に向かって叫ぶ。

 暗闇から出てきた人影は五人。すべて屈強そうな男だ、しかも手には剣や斧。それぞれの武器を持っている。参った。これは分が悪い。

 その内の一人、曲刀を携えた大男が前に進み出てきた。

「誰が野盗だ。この盗人め。オレ達の馬車から盗った金を返してもらおうか」

 なんだ? 何を言っている?

「何の話だ?」

 大男に聞き返す。

「ハッ! とぼけるな。そこの小娘が猿を使ってオレ達の馬車から盗みを働いたんだよ。行商人を舐めるな、貴様も仲間だろうが小僧」

 シエラに目を向ける。

「いや、そのな……旅には先立つ物が必要じゃろう? それでこう猿を操ってじゃな、少しばかり失敬して逃げたんじゃが斜面で足を滑らせてのぅ……」

 そこでふと気づく。

「おい、もしかしてあの金貨は……」

「元はあの不細工な大男の持ち物じゃな」

 最悪だ。オレも既に共犯者じゃねぇか。行商人を舐めてるのかコイツ。野盗の徘徊する地を行きかう行商人は下手な傭兵よりよほど手強い。

 というよりも、屈強な傭兵が行商人に転職する例が非常に多いのだ。少なくともオレよりも歴戦の戦士である可能性が非常に高い。

「おい、シエラ。契約はキャンセルだ。オレはこの仕事から降りる」

 シエラを置いてさっさと逃げる。これが最善だ。

「それは出来ぬぞ」

 落ち着いた声で言うシエラ。

「馬鹿野郎。出来る出来ないじゃない。オレはオマエを置いて逃げる」

「だから、それが出来ぬ。先ほど契約書にサインしたであろう? あれは一種の呪いじゃ。私を守るという契約を果たさなければ、おぬしは病疫の精霊クル・シーナに苛まれて死ぬことになる」

「なんだと!? サラリとハメやがったなこの小娘!」

「当たり前じゃろうが。私を襲ったり逃げたりさせぬように下僕を呪法で縛るのは魔法使いの常識じゃ! うかつに名を書いたおぬしの過失よ。愚か者め」

「誰が下僕だ! 絶滅危惧種の魔法使いの常識なんざオレが知るか! なんで魔法使いが滅びたのか、その理由がよく解ったよ!!」

 こんな腹黒い事を日常的にやってりゃ、そりゃさぞかし恨みも買うだろう。全く厄介な仕事を受けちまった。

「何、言い合ってんだ。大人しく金を返せば生かして奴隷商人に売ってやる。逆らうなら、殺して返してもらうまでだ」

 大男が前に出る。後ろの四人も同じく間合いを詰めて来た。くそっ! どうする?

「ふむ、傭兵一人では分が悪いの」

 シエラは隣で落ち着いた声で呟いた。

「落ち着いてる場合か! オレじゃ勝てる見込みがねぇんだよ」

「馬鹿にしておるのか? そんな事は見れば解る。仕方ないから私が手を貸そうと言っておる。呪を唱えたら私を抱えて一目散に走れ」

「なんだと?」

「解ったな!」

 聞き返すと即座に怒鳴られた。

「あ、クッソ。解ったよ!」

「貸し一つじゃ、丁度あの大男の目の前に先程の魔方陣がある。都合が良いことじゃ」

 そう言うとシエラは自分のザックに手を突っ込み何かを投げた。

 炎に照らし出されたソレは大トカゲの干物だった。シエラが呪を叫ぶ

「闇を照らす炎の精霊アッティ-ナよ贄を喰らい、喜び、爆ぜよ!」

 即座にシエラを抱えて走り出す。直後、ゴウッという音と共に凄まじい熱気と光が辺りを覆った。走りながら横目で背後を見るとまるで闇夜に光の柱が立つように、炎が地面から燃え上がっていた。

「ああああぁぁ。火が。火がぁ!」

 先ほどの大男の悲鳴が聞こえる。しかし今は構っている場合じゃない。必死に足が動かなくなるまで走り続けた。


「はあ、はあ。くっそ。もう走れねぇ……」

 街道をかなり下った所で座り込んだ。連中も当分は追って来れないだろう。

「ご苦労じゃったな傭兵。じゃがもう少し強くならねば私の護衛としては心細いのぅ」

「ほざけ。大体……元々の原因はアンタじゃねぇか。この外道の腐れ魔法使い」

 絶え絶えの呼吸だが悪態だけはしっかりと言っておく。来た道の方を見てみると空が赤く染まっていた。

 風に乗って熱気と一緒に灰も降ってきている

「あ~あ。すっかり山火事になっちまって……こりゃ捕まったら縛り首だな」

「心配するな、先程の連中が何か言ったとしても、証拠もなければ誰も信じはすまいよ」

「冷静な分析をどうも。しかしもう少し威力の加減は出来ないのかよ? それに何だ? 最初はエラく手間かかってたのに今度は一瞬で火が着いたな。ありゃなんでだ?」

 その問いにシエラは眉間にシワを作った。

「あ~それはだな。細かい火力の調節は出来ぬ。いや、供物である程度は制御出来るのだがな。正直な所は精霊の機嫌次第でな。先程はアッティーナを召喚した直後でまだ精霊が側に居たのと、近くに火種があった事。それと魔方陣を既に書き終えていたから即座に発動出来ただけじゃ」

 要するに下準備が必要で、尚且つ火力の調整は出来ないって事かよ。背後の山火事を見つめる。

「火力の調整が出来ねぇんじゃ、はた迷惑な技術だぜ。成る程。魔法が流行らなかった訳がよく解ったよ。っと、それはそれとして」

 大分、息も整ったので立ち上がるとシエラに向き直った。

「さあ、さっきの契約書をよこせ。燃やしてやる」

 シエラは不敵に笑うと一歩だけ後ろに引いた。

「止めておけ。おぬしは私に危害を加える事は出来ぬ。クル・シーナの呪いを舐めないほうが良いぞ?」

「ハッ! 呪いが起きる前に奪い取れば済むことだ、う……ぐぉ……」

 何だ? 急に腹が……。うぐぅ! 頭痛まで!!

「ああもう、ほれ見よ。だから言ったではないか」

 急な腹痛と頭痛で倒れたオレをシエラは見下すようにほくそ笑む。

「教えろ。クル・シーナってどんな呪いだ?」

「まぁ、知っておいた方がおぬしの身のためじゃな。クル・シーナは病疫の精霊じゃ。私に反意を持てばその強さに応じて制裁を加える。私の荷物を奪うという程度なら腹痛や頭痛で済むが、間違っても逃げようとか犯そうとか考えぬことじゃな。逃げれば足の健が千切れるじゃろうし、襲えば股間のナニが腐れて落ちるじゃろう」

 腹痛を超えて股間が震え上がった。冗談じゃない。なんて呪いをかけやがる。

「ククク、心配するな。おぬしが契約を守り、私に従えば何も起きぬ。むしろ、私が金貨の支払いを滞ることになればその呪いは私に襲いかかってくるじゃろう。これ程金払いが約束された仕事はなかろう?」

「その金は、結局オレが共犯になって稼ぐんだろうが調子の良い事言いやがって。このクソ餓鬼……うぐぉ」

「フフフ。違いない。まぁ長い付き合いになるじゃろうし、よろしくな」

 そう言ってしゃがむと手を差し伸べてきた。その笑顔はまるで天使のように穏やかだ。

「仕方ねぇな……シエラの用事が済んだら開放してもらうぞ」

 腹を括ってシエラの手を掴むとオレを苛んでいた痛みが消えた。

「それで良い。ではまず大きな町を目指そう。何処が近いのじゃ?」

 頭を振って立ち上がると、体に付いた泥を払う。

「あぁ、オレが行こうとしていた商業都市ルインが近くて大きい。元々はそこで仕事を探す予定だったんだがな。っとそういえばシエラは町に行って何をする気なんだ?」

 地図を広げる。山の中を無闇に走ったので現在地がよく解らなくなってしまった。幸いにも街道なのでしばらく歩けば道しるべが立っているだろう。

「うむ、お師匠様の命令でな美少女をさらってくるのだ」

 ……は? 何だって?

 呆気にとられているオレに気づいたシエラが怪訝な顔でオレを見る。

「今、なんつった?」

 一応聞き返した。

「おぬしの耳は節穴か?」

「節穴を例えに使うのは目だろ」

「細かい事はどうでも良い。ちゃんと聞こえとるではないか」

「馬鹿野郎! 美少女をさらってどうする気なんだよ! 事と次第によっちゃ町ごと敵に回すぞ!」

 思わず怒鳴りつける。既に傭兵の仕事の範疇を超えている。というか町の娘をさらうなんて、その辺の野盗よりも性質が悪い。

「仕方がなかろう。お師匠様は可愛い女の子が大好きじゃからな。私をさらってから二百年余りは我慢していたようじゃが、そろそろ物足りないそうじゃ」

「ちょっと待て。シエラもさらわれて来たのか?」

 シエラは不思議そうにオレを見た。当たり前であろう? と言わんばかりの対応だ。

「お師匠様は既に高齢なので子は成せぬ。しかし少女が好きな御仁での。当時、国一番の美少女だと評判だった私を教皇であるお父様から略奪したのじゃ。お父様は激しくお怒りになっておったが、お師匠様は優しくてな……すっかり居ついてしまった」

 待て、ちょっと待て。約二百年前? 教皇の娘をさらった? 魔法使い狩りは教会が率先して行ってたし、それってもしかして……

「オイ。それじゃ二百年前の魔法使い狩りの原因ってのは……」

「私をさらったお師匠様を討伐する為じゃ。結局、お師匠様の張った結界で外界から切り離しておったので我等は事無きを得たがの。私はさらわれてすぐに体の成長を止める呪を施されたのじゃ。いつまでも若く、美しい姿を保てるようにというお師匠様の心使いじゃ」

 なんかうっとりした声で言ってるがそれは間違いなく違うぞ。オマエの師匠はただのロリコン趣味の変態ジジイに他ならん。

 しかも魔法が消えた理由がそんな理由なのか? 一人のジジイのペド趣味が原因で? 救われねぇ……狩られた魔法使いが救われねぇ……

「さぁ、目的も解ったじゃろう、行くぞ。ここでモタモタしておっては、またさっきの連中に追いつかれるやも知れぬしの」

 すると何だ、オレはそんな変態の性癖にもて遊ばれてるって事か? なんか段々と腹が立ってきた。

「よし解った。なるべく急いで美少女を探そう」

「お? やる気になったようじゃな。関心関心。私より若いのが良いそうじゃ、年のころは十歳頃がベストかの?」

「そうか、急いで捕まえてお師匠とやらの前に連れて行こう」

 そして全ての元凶の変態ジジイをこの手で抹殺してやる。初めてだ。会った事も無い人間にここまではっきりとした殺意を覚えたのは。初めてだ。

「フフフ。なんか楽しくなってきた」

「どうしたのじゃ? 目が据わっておるぞ……」

 余程、狂気が滲んでいるのかオレの雰囲気にシエラが少し引く。

 もう決めた。元凶の魔法使い……いや、変態ジジイはオレが止めを刺してやる。


 魔法をこの世から消してやろう。オレは、魔法使いなんて。大っ嫌いだ!

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