佐野朝元さがしモノ事務所勤務録

マツモトヒロアキ

序 さがしモノはコレですか

 佐野優希花はビンテージのMA-1のポケットに手を突っ込みながら歩いていた。2月上旬の空気が体と服の間をすり抜けてくる。背中の真ん中まである太く黒い髪の毛が、歩きながら少し揺れる。

 華奢な後ろ姿と150センチもなさそうな背の高さは、中学生くらいに見えなくもないが、彼女はすでに成人していて酒も飲めるし、決して吸わないけれど、たばこも吸える。

 彼女の数歩後ろを、ひょろっとした男がおずおずとついてくる。数か月前までは身だしなみなんぞ気にもしたことなかったような、ややもっさりとした短めの髪。頬に大きめのニキビが二つほどできている。

 男が後ろから、最初、ちょっとためらいつつ、自分の声を確認するかのように発声する。

「あ…、あの! あの、どこに向かってるんですか?」

 優希花はくるっと振り向くと、太い眉に囲まれた眉間にしわを寄せながら語気を強めにこたえる。

「ああああん、あなたのさがしモノを取りにいくんでしょ! 今回の古紙の集積場は歩いて5分くらいなの」

「でも、なんで、僕も…。後、一時間で塾が始まるんだけど…」

「じゅくぅ!? あなたは私、一人に探させてる間、塾に行ってようと思ったわけ? それならそれで、こっちも料金にプラスアルファさせてもらいますから」

「な、なんで…。さ、さがしものの専門家なんでしょ?」

「こっちがどんなものか、わかってるなら、私だけでいいんです。でも、あなたは、依頼してきている紙の大きさもうろ覚え、雑誌に挟まれているというけれど、その雑誌がどれかもうろ覚え、だとしたら、あなたの束ねた雑誌の束を、あなたが確認するしかないじゃないですか。だったら、来てもらうしかないんです」

「ご、後日ってのはできないんですか?」

「んな、集積場を止めることなんてできるわけないでしょ。明日の朝にはぜーんぶ、処理場に持っていきますから。そしたら…、まあ、おっしまーいですよね」

 優希花のやや強めな言葉に男はぐっと下を向くしかなかった。依頼人がついてくることを確認した優希花は、再び歩き始めた。集積場は次のコンビニの角を曲がれば見えてくる。


 男が事務所のドアを開けたのは午後3時すぎだった。顔が真っ青だ。

 事務所では、優希花がヨガマットの上で腹筋をしていて、事務スタッフの河立志保と太田冬は紅茶を飲みながらケーキを食べていた。ドアが開いたのに気付いた太田が声をかけたの。

「いらっしゃいませ、何か御用ですか?」

「あの、ここ、さがしものをしてくれると聞いてきたんですが…」

「そうです! ここはさがしモノ専門の探偵事務所、『佐野朝元さがしモノ事務所』です。何をお探しで来ましたか?」

 河立の接客は、事務的というよりもどっちかと言えば、メイド喫茶のような、良く言えばフランクな、悪く言えばなれなれしさだ。

 でも、それが彼にはちょっと落ち着かせる要因にもなったようだ。河立は事務所の窓際にあるソファの応接セットに彼を通して、お茶を入れ始めた。給湯室から優希花に声をかける。

「佐野さーん、お願いしますねー」

「はいはい」

 優希花は、ヨガマットから身を起こしてTシャツの上に白いシャツを羽織ると応接セットに座った。いつものように探偵らしさを演出するために、軽く微笑んで話を切り出す。

「私が、『サーチャー』の佐野優希花と申します。今回は、どのようなご依頼で?」

「実は…」

 依頼人の男性は公立中学校の3年生。雑誌の間に挟み込んでいた私立高校の受験票を誤って雑誌ごと古紙回収にだしてしまったそうだ。再発行してもらえば、いいじゃないかと優希花が言ったら、再発行には親の許諾が必要であり、親の反対を押し切って無理やり受験にこぎつけたこともあり、再発行なんて出来そうもないという。報酬はそれなりにかかるのも理解しているが、なんとしても見つけてほしいと。

「古紙を出したのはいつ?」

「今朝です。それは絶対に今日なんです。昨日までは雑誌はありましたので」

「じゃあ、まだ集積場にあるね。でも、今日が勝負だわ。ふゆぽん、今日の集積場はどこか調べてくれる?」

「はいはーい、ちょっと待ってくださいねー」

 太田がPCを数分たたいて、地図が入った紙を出力して優希花に渡す。

「さのちゃん、ラッキーだよ、角さんところの集積場だよ」

「角さんかあ、じゃあ、今から行きますって連絡してくれる?」

「オッケー!」

 太田が電話をかける姿を確認しながら、優希花は依頼人を促して立たせて、自分は壁にひっかけてあった上着に袖を通す。

「じゃ、いきますんで、ついてきてください」


 集積場の事務室を覗き込むと、優希花はデスクで帳簿の整理をしていた初老の男性に声をかけた。

「かどさーん、佐野でーす」

「おー、もう来たのか。さっき、ふゆちゃんから連絡あったところだよ。今日は、けっこう多いよ。大丈夫かな?」

 角さんといわれた初老の男性が、笑いながら顔をあげた。

「まーじーでーすーかー?」

 優希花は依頼人の方を向いて声をかける

「住所、どちらですっけ?」

「A町4丁目8番12号…です!」

「ちょっとまってね、今、何番のクルマか調べてやるよ…ああ、12番か。じゃあ、作業員がちゃんとやってれば、C区画にあるはずだ。そこにはそんなにないと思うから、1時間も探せば大丈夫だよ」

「ありがとー。じゃ、行きますか」

「おい、ちょっと待ってくれ、一応、この紙にサインしてくれよ。いくら、さのちゃんとはいえ、スルーはできんよ」

 角さんが出してきた紙にサインをすると、優希花は男を連れて、C区画へと入っていった。

 C区画の重い扉を開けると、依頼人は絶句した。何百個もの雑誌の束が積まれている。これのどこに、自分の探す雑誌があるというのだ。うっすらと汗を背中にかく。

 優希花はそんな様子に飄々としながら雑誌の束に歩いていく。まるで空き箱のように軽々と雑誌を持ち上げる。束ねた雑誌の中身は覚えていたので道中に聞いている。

「これじゃない、これじゃない。これは…惜しいけど、たぶん違う、一応、こっちに寄せとくか、おっ、これは可能性ありそう。…って、あなたもやってくれますか!? 私だけじゃ無理ですから!」

 依頼人も慌てて雑誌の束に取りかかる。手に取ったのは一番上が女性のファッション誌だから違ったので、優希花のように放り投げようとしたら、めちゃくちゃ重くてびっくりする。

「これ、お、重いですね!」

「そう? これくらい簡単よ」

 と言って、顔色も変えずに優希花は次々と仕分けていく。あの小さな体のどこにそんな筋力があるというのだ。

 やってみるとテキパキと作業は進み、1時間程度で雑誌の束の大半は仕分けられた。依頼人が出した可能性がある雑誌の束は5つほどになる。でも、いまいち、どれかは確証がない。

「しょうがない、全部ばらすか」

 優希花はポケットから小さなナイフを出して、テキパキと紐をほどいていく。瞬く間に50冊ほどの雑誌の山ができる。

「全部調べよう。一応、雑誌に挟まれてた紙は全部だすってことでいいですね」

「は、はい」

 依頼人は少し顔が曇っていたが、手元の雑誌から調べ始める。20冊ほど調べたところで、優希花の手元のマンガ雑誌から、1枚の紙がこぼれおちた。クリーム色の少し厚手の紙。

「これ?」

 その紙を見た瞬間、依頼人は顔を明るくして、その紙をひったくるように受け取った。

「これです、これです、ありがとうございます!」

「あー、よかったねー」

「本当に、本当にありがとうございます!」

「じゃ、片づけて帰りますか」

「えっ、」

「当たり前でしょ、ぜーんぶ、元に戻す」

 依頼人は再びの作業にどんよりとした顔になっていた。それを意に介さず淡々と優希花は作業を進める。


 事務所に戻った後、太田が料金を精算しているのを横目で見ながら、優希花が声をかける。

「あの受験票、あなたのじゃないでしょ。このお金、ちゃんと本人に請求した方がいいよー。なんなら、私が取りに行ってもいいよ」

依頼人は目を見開いて、優希花を見る。

「な、何を言ってるんですか」

「だって、受験票の学校、女子高だもん。苗字も違ってたし」

「…」

「私立の音楽学校、けっこう難しいところだよね」

「失くしたのは、自分なんです。だから、しょうがないんです」

「ふーん、ならいいけど、なんで他人の受験票を持ってたの、まあいいけど。ああ、これはもう依頼とは関係ないから、話したくなければだいじょうぶですよ。はい、ありがとうございました」

「…」

 優希花は上着を壁にかけて、給湯室の冷蔵庫を開けて、100%オレンジジュースをコップに注いて飲み始めた。依頼人はしばらく考えた上で話だした。

「…実は、あれは幼馴染の受験票なんです。幼馴染、いくちゃんっていうんですけど、彼女はピアノがすごく上手いんです。で、今回、全寮制の音大の付属高校を受けるんですけど、いくちゃん、全然事務処理みたいなの苦手で、いつも、僕がマネージャーみたいにフォローしてたんです。で、受験票もいくちゃんが、私じゃなくしちゃうからってことで、預かってたんです。で、それをなくしちゃったんです。そんなの、誰にも言えないし、焦ってたから、ここにお願いしたんです。ありがとうございました」

「ふーん、ま、それならいいんじゃない。じゃ、彼女にもちゃんとこのこと言った方がいいよ。彼女が音大付属に行ったら、今度から彼女が自分でいろいろしないといけないんだから、僕に頼るなってね」

「ありがとうございます」

 依頼人がぺこぺことお辞儀をしながら事務所を後にするのを見送りながら、太田はコーヒーを入れて、優希花の前に置いた。

「あれでよかったの?」

「ん?」

「だって、たぶん、彼、わざと失くしたんだよ。だけど、怖くなって一回とりもどした」

「だろうねえ。ま、私たちの仕事じゃないよ。そこまでのフォローはね。でも、たぶん、大丈夫だよ。たぶん。彼も自分でなんとかしないといけないと思ってるでしょ」

「高い授業料だねえ」

「中学生にはちょっと高かったかもねえ」

優希花は窓の下を歩く依頼人の姿を眺めてつぶやいた。太田の入れたコーヒーが苦い。

 

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