3.元勇者と新しい日常。

「……本当に、行くの?」

 成長したユエミュレム姫が、思い詰めた表情をして、完爾にいった。

 完爾が魔王を倒したその日の、夜も明け切っていない早朝のことだった。


 無関係の完爾を召喚したことに責任を感じ、結局、向こうにいた十八年間、完爾から離れようとしなかった。

 異世界から勇者の資質を持つ者を召喚する魔法は王家の者にしか使えず、当時の向こうの世界は伝説の勇者を必要とするほど荒廃していた。

 ユエミュレム姫にしてみても勇者を召喚するより他に選択肢がなかった状態だったのだが、それでも姫はいつまでも「完爾の人生を狂わせた」と気に病んでいた。

 召喚者がもっと完爾の存在を気にかけず、勇者を魔王を倒す道具と割り切って使役するような性格であったとしたら……完爾も、あそこまで勇者然と振る舞えていたかどうか。

 完爾の意志に反して召喚したことに責任を感じていたユエミュレム姫の目が常に背後にあったので、完爾もそれにふさわしい、よりよい勇者であることを心がけなければならなかった……という側面は、たぶんにあったのだ。

 共依存じみていたな、と、完爾は当時の二人の関係を振り返る。今にして思えば、互いに負い目を感じあう、不健全な関係だったな、と。


「ああ、行く。

 行って魔王を倒さなければ、おれも元の世界に帰れないんだろう?」

 ああ、これは夢だな。と、完爾は悟る。

 夢のの中のおれは、これから大魔王との決戦に向かうのだ。

 成長し、いっぱしの戦士としての風格さえも漂いはじめた、半年前のおれ。口ではこんなことをいっているが、その実、望郷の念などはさほど持っていなかったような気がする。

 この時点で、こちらで過ごした年月よりも、あちらで過ごした期間の方が長くなっている。どちらの世界に居続けたいといえば、問われるまでもなく自明のことといえた。

 ぼんやりと学生をやっていた「こちら」よりも、数え切れないほどの戦闘とその合間にあった裏切りや離反、反目などを乗り越えて少しずつ魔王の勢力を切り取り着実に弱体化させていった「向こう」での時間の方が、よほど密度が濃く思い出が深い。

 だが、まあ……おれは、どこまでいっても別の世界から来た余所者だからなぁ……と、夢の中、回想の中の「当時の」完爾は、心の中で呟く。

 役目を終えた勇者の居場所は、向こうにはなかっただろう。今になって思い返してみても、完爾はそう結論づけるしかない。

 勇者としての役割を全うしていたときでさえ、味方であるはずの連中から有形無形の嫌がらせや妨害を受けてきているのだ。魔王が滅び、完爾の利用価値がなくなったとしたら、邪険にされる程度の扱いでは済まされなかっただろう。

 用済みになった走狗は、必ず煮られる。

 そうなる前に、元の居場所に戻れるというのなら、それもいいエンディングではなかろうか?

 この時点の完爾は、これから行われる決戦に自分が生き残れるかどうかも、自信が持てないでいた。

 だから、みなが寝静まった時刻を見計らって、こっそりと抜け出してきたのだが……。

「本当に、行くんですか?

 みんなを……わたしを置いて!」

「大声をだすなよ。他のやつらが起きる」

「だって!」

「仮に、おれが失敗したら……ここまでおれたちについてきたやつらは、百戦錬磨の貴重な戦力だ。

 これ以上犠牲になるのは、余所者のおれ一人だけでいい」

「そんな勝手な言い方!

 あなたって人は……」

 姫の叫びを無視して、完爾は後も見ずに夜陰の中を駆けだした。

 勇者である完爾の全力疾走に追いつける者はいない。

「……わたしの……あなたの……」

 姫の叫び声が、切れ切れに聞こえてきた。

 それが、完爾とユエミュレム姫との間に交わされた、最後の会話だった。


 完爾は暇をみつけては黙々と姉にいわれたことを学び続ける。

 完爾はもともと、よくいえば勤勉、悪くいえば流されやすい気質でもある。自発的に何事かを始めるということが滅多にない代わりに、外からなにかをやれと命じられるとあまり疑問に思わずにそのことに没頭できる。

 だからこそ、向こうでも勇者業などという危険ばかりが大きく得るところが少ない職業にもさして疑問に思わず邁進してきたわけだが。

 ともあれ、当面の目標さえ提示されれば、それに向かって突き進むのは完爾の得意とするところでもあった。

 リファレンスや参考書を片手に黙々と例題を解いていけば自然と必要な知識は得られる。資格試験については本職の姉に質問も出来る。家事や甥の世話の合間、そうしてやるべきことがあると、完爾も余計なことを思い煩わずに済むことが出来るのであった。将来に対する不安を払拭するためにあえて忙しくしているという面も、否定は出来なかった。


 そうした毎日の中で、ときおり、橘さんと合うことがあった。橘さんの子どもは甥よりも年下で、まだ保育園に通う前の年齢だったが、近所の児童公園へはよく来ているらしい。

 子どもたちの様子をうかがいながら、公園の立ち話をする機会にはそれなりに恵まれるのだった。

「立ち入ったことを聞くけど、門脇くんのお姉さんって……」

「別れたらしいね。時期的にアレなんで、おれは旦那だった人の顔を見たことないけど」

「なんで……って、聞いてもいいかな?」

「色々……あったらしいよ。詳しくは知らないけど」

 姉に聞かされたことがあるので、本当は、知っている。

 大学を卒業し、結婚し、何年かたって甥が生まれって……それから、唐突に完爾たちの両親が事故死した。保険金が、思ったよりも多かったらしい。それで、姉の配偶者の家族が、狂った。それまでは温厚な人たちだったが、あれやこれやの手段に訴えて、姉から多額の現金を引き出そうとしたらしい。DVに近い仕打ちも、無数にあったようだ。

 ともに甥を育てるのには不適な親族だなと見限った姉は、半年ほど我慢に我慢を自分に重ねて有利な証拠を蓄え、弁護士を立てて離婚に踏み切った。

 だが、そうした詳細は、軽々しく他人に広めるべき事柄でもない。

「そっか」

 橘さんは姉の事情については追求してこなかった。

「わたしは、ね。夫の、元夫の浮気。よくあるパターンね。

 実家に相談したら、すぐにでも帰って来いっていわれたから……まあ、それなりにゴタゴタはあったけど、今では落ち着いている」

 結局、そのことを完爾に告げたかったのだろうな、と、完爾は思った。


「……あんた、ペーパーテストだけは、要領がいいね」

 資格試験の参考書に付属している過去の試験をやってみせた結果、姉はどちらかというと呆れた口調で完爾にそういった。時間なども計測し、本番の試験と同じ条件で試験問題を解いて見せたわけだが、その結果は満点に近かった。

「んなもん、何度も繰り返してれば、自然とおぼえる」

「そういや、学校の成績だけは昔っからよかったか」

 頭がいいというよりは、集中力の問題なのだろうな、と、完爾は思う。ようするに、わき目もみずに長時間、ひとつのことに没頭できるかどうか……ということだ。

 繰り返し、例題集を解き、間違った箇所をおぼえ直してはまた問題集を解く。全部の解法を丸暗記出来るようになるまで、それを繰り返す。完爾の勉強法は、ただそれだけの単純なものだった。

「これだけ出来れば、十分合格圏内。

 今度の試験のときに、申し込んでおくか。

 あ。今は、オンラインでも受けられるのかな?」

「それはいいんだけど……姉さん。

 本当に、独立するの?」

「そーだねー。

 先のことを考えると、あんたの事がなくてもそうした方がいいかなーっ、て……。

 うちの事務所も、ぼちぼちいい具合に割れてきたし。こっちがなにもしなくても、どんどん窮屈なことになりそうだし……。


 ま、所長が倒れたとはいってもすぐにどうこうなるわけでもないし、何年か先のはなしにはなるんだろうけど……それでも、近い将来のことは考えて、備えておかなけりゃあね」

 完爾は資格試験の勉強と平行して、大検の勉強も行っていた。以外と自由になる時間が少なく、資格試験の方を優先していたのでこっちの方は遅れがちだったか、それでも完爾はこの勉強を楽しむことが出来た。かろうじて義務教育は終了したものの、十八年のブランクは大きい。忘却している部分も多く、完爾にとってはどれも新鮮な情報だった。

 向こうでの経験もあって歴史関係の知識はすんなりと頭に入ってきた。数学については向こうとほぼ共通。国語なども向こうの文芸と比較し、異動を確認しながら読み進めていくと面白い。手探りで向こうの言葉を習得しなくてはならなかった完爾にしみれば、完成度の高い教材が揃っている英語などはむしろ難易度が低く感じられる。


「そろそろ、あれ、処分したいんだけど」

 家事労働と甥の見張りと勉強の日々がしばらく続いた後の夕食時に、姉がそんなことをいいだした。

「あれ?」

「ほら。

 あの、あんたが向こうから持ってきたガラクタ類。

 別に、いつまでも取っておきたいほど思い出深い品、というわけでもないんでしょう?」

「ああ。別に、すぐに捨ててもいいくらいだけど……」

 姉が指摘する通り、完爾にとっても、感慨深い品々というわけでもない。

「ただ、他のものはともかく、あの剣はなあ。

 おれが捨てたのが見つかったら、銃刀法とかで捕まるんじゃないか?」

「刃を潰せば、コスプレ用の模造刀とかいいわけつかないかな?

 バーナーとかで焼いて、かんかん叩けば……」

「あれ、向こうの王家に何百年も伝わってきた魔法剣なんだよね。

 そんなことで、うまく壊れてくれるといいけど」

 その程度で損なわれるくらいなら、向こうでさんざん酷使されてきたときにぽっきりと折れているのではないかと、完爾は思った。

「なに。魔法とか、そういうのがある世界だったの? ゲームみたいな」

「そ。ゲームみたいな世界だったの」

 姉には、「別の世界に行っていた」としか伝えていない。姉がどこまで信じているのかも、完爾には判断できない。

 向こうで完爾が具体的になにをやってきたか、などということを詳細に知らせても詮無きこと、という思いが、完爾にはあった。

 正直にはなしたとしても、あまりにもありがちでベタな展開ばかりが続くので、すべてが完爾の妄想だと決めつけられる公算の方が大きかった。

 だから、姉はもとより他の誰にも、むこうでの活躍については完爾は口を閉ざし続けている。

「そっか。色々なことを経験してきたんだね。あんた」

「ああ。色々なことがあったなあ。向こうでは」


 次の休日、完爾は庭の隅にある物置に入り、向こうから持ってきた物品の整理しはじめる。なぜか甥もついてきたので、適当に幼児が興味を示しそうなアイテムを手渡して遊ばせておいた。

 魔法剣の処分法は後で考えることとして、まずは不燃ゴミと燃えるゴミに分けなくてはならない。

 燃えるゴミはそのまま姉一家の生活ゴミに混ぜてもいいが、不燃ゴミについては近所に怪しまれないよう、小分けして捨てるつもりだった。

 完爾はゴミ袋に手際よく、向こうから持ち帰った物品を分類していく。

 そのどれもが元勇者である完爾の持ち物であるから、向こうでは高価で余人には入手しづらいレアなアイテムばかりなのだが、こちらでは使い道のないゴミでしかなかった。今、完爾がそうしたレアアイテムをゴミに出すため整理している様子を向こうの魔術師や商人が目にすることがあったら、あまりのもったいなさに号泣したことであろう。

「ねーねー。

 これ、剣? 剣なの?」

「あ。馬鹿!

 それ、危ないから! 触っちゃ、駄目!」

 わざわざ遠ざけておいた魔法剣を、いつの間にか甥が見つけていた。両手で柄を握って持ち上げようとしているが、幼児の手にあまるのか、鞘の先が地面に着いたままだ。

 完爾はあわてて、甥の手から魔法剣を取り戻す。

「こいつはだなあ、おれにしか抜けない剣なんだ。

 だから、触っちゃ、駄目」

 完爾はゆっくりとした口調で甥にはなしかける。

 実のところ、誰にでも抜くことが出来るし、剣としてなら、誰にでも使える。

 ただ、完爾のような勇者以外の者が手にしても、魔法は発動しない。

 そういった、剣だった。

 いずれにせよ、甥のような年端もいかない子どもに刃物を扱わせてるは、どうしたって感心できなかった。

「……うっそだぁ!」

「嘘なもんか」

 完爾は背中に回した左手で素早く印を切る。

 これでしばらく、剣は完爾以外の者には抜けなくなる。

「嘘だと思うのなら、抜いて見ろよ」

 完爾は、甥に剣を手渡した。

「重っ!」

 甥は、一瞬、鞘に収まったままの剣を取り落としそうになったが、必死の思いで持ち直し、鞘を両足の間にはんさんで固定し、しばらく真っ赤な顔をして柄を両手でつかんでいきんでいた。

「……駄目だぁ!」

 しばらくして、甥は、剣を地面に投げ出した。

「ほれみろ」

「かんちゃん。これ、本当に抜けるの?」

「抜けるとも。

 これ、おれ専用の剣なんだ。

 見てなよ」

 完爾は放り出された剣の鞘を左手で掴み、右手を柄にかけて慣れた挙動で抜き放つ。

「よっ」

 完爾が剣を抜くのと同時に、物置の中が唐突に光に満ちた。

「なに? なに?」

 時ならぬ変事に、甥が戸惑った声をあげる。

「……あっ!

 剣の中から……赤ちゃんを抱いた女の人が!」

「ようやく剣を抜いてくれましたね、カンジ」

 襁褓にくるまれた赤子を抱いたユエミュレム姫が、そこにいた。

「この子が、あなたの娘です」

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異世界で魔王を倒してきた元勇者ですが、こちらに戻ってきても就職口がありませんでした。 肉球工房(=`ω´=) @noraneko

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