2.元勇者と旧友とスマホ。
「おお、門脇。
こっちこっち」
週末の夜に呼び出された居酒屋の戸をくぐると、即座に声をかけられ小上がりに手招きされた。どうも、門脇が来るのを待ちかまえ、入り口を見張っていたらしい。
「いや、橘さんから連絡があったときは驚いたよ」
「似ている人を見かけたとかいうはなしは、ぼちぼち耳に入ってきてはいたんだけどね。
まさか、本当に本人とは」
「いや、よくみると顔つきなんかは門脇だけど、今の門脇は、前とはぜんぜん雰囲気が違っているし」
「かなり精悍な顔つきになっているよな。
行方不明の間、よほど厳しい生活をしていたんじゃないのか?」
「さあな。
まるでおぼえていないから、なんともいえない。
気がついたらボロボロの服装で自宅の庭先につっ立っていた」
真面目に説明しても到底信じてもらえないのはわかりきっているので、空白の十八年間について、完爾は「記憶喪失」の一点張りで通している。多少なりとも向こうでのことをはなしているのは、信用が出来、なおかつある程度の支援を仰がなければならない姉一人だけだった。
「そうか。記憶喪失か。
実際にあるんだな、そんなことが」
「かなり噂になったよな。門脇が消えた当時は。
某国とか宇宙人に拉致されたんじゃないかって」
「なんだかわからんが、とにかくこうして無事でよかった。
まあ、まずは飲め。
酒は、いけるんだろう?」
「まあ、一応。それなりには」
実のところ、今の完爾はいわゆる勇者としての補正効果で体内に入ったアルコールはおろか、毒物や麻薬であってさえも瞬時に分解してしまう体質となっている。
ただ、機会に恵まれていないので、向こうではともかく、こちらで実際に酒を飲んだことは数えるほどしかない。なにしろ、いくら飲んでも酔えやしない。まともに嗜む気も萎えようというものだ。
「そうか。
それじゃあ、今は実家でゴロゴロしているのわけか」
「まあ、そうだな。実家というか、姉の家になるわけだが。
そんで、家事とか甥の世話とか、勉強とかをしている」
「勉強?」
「ほら、おれ、中学の時点で止まっているからな、知識の吸収が。
行方不明の期間になにをやっていたのかわからないが、今のおれは、中卒職なしの中年だよ。
おかげでどこに面接にいっても、ことごとく落とされている」
「中年とかいうなよ。
ここにいるやつらはみんな同い年なんだから」
そういいながら、足立の表情には安堵の色が浮かんでいた。
ここに集まってきているのは、かつて完爾の同級生のうち、今でも地元に居残っている者たちであった。今はmixiとかfacebookがあるで、なんとなく繋がりも保てるらしい。
表面的には無事に帰還した完爾の顔をみて安心するためのミニ同窓会といった体裁を整えてはいたが、にこやかな表情の割に、皆、目が笑っていない。
ああ、これは……と、次第に完爾は居心地が悪くなった……向こうで、行く先々で歓待されたときの雰囲気に似ている。一見、友好的な態度だが、得体の知れない完爾を値踏みし、あわよくば利用しようという空気があった。
「門脇なら、十八年年程度のブランク、すぐに取り戻せるって。
昔から、学校の成績はよかったし」
足立は無責任にそう言い放った。
行方不明中の十八年といえば、完爾がこの世界で育った十五年よりも長い年月にあたる。
前半生と後半生をまるで違った環境で過ごしてきた完爾にとっては、どちらも決して無視できない歳月だったが。
「高校、惜しかったよな。せっかく、ここいらでは一番の進学校に受かったのに」
「最初のうちは、休学ということにしてくれたそうなんだけどな。
これほど長く留守にした後だと、今さら高校生をやる気もない」
学校……か。
と、完爾は思った。
今となっては、ひどく遠く思える世界だった。
もちろん、今となっては自分が再び学生として過ごすなことなど、想像だに出来ない。
「じゃあ、夜間か大検でも受けてやり直すか?」
「夜間はともかく、大検か資格取得は検討している。
姉も、先々のことを考えるとそうした方がいいっていてくれているし……でもまあ、今はこっちの生活に慣れる方が先決だな」
「こっちに慣れるって?」
「十八年分の記憶が、まるまるないんだ。
それだけのブランクがあると、いろいろと変わっているよ。
おれにしてみれば、タイムスリップしてきたような心境だな。
便利な道具は増えたけど、町の活気はなくなって、お年寄りが増えた気がする」
「そうか。お前も、それなりに、大変なんだな」
「大変ということも、ないんだけどな。
記憶が戻ってから今までは、各種手続きとか病院とかでバタバタして、感慨にふける余裕もなかったし」
「病院?」
「ほら、記憶がないから。
頭の医者」
「ああ」
「それ以外に、捜索願を出していた警察に行ったり、役所に行って死亡届を取り消すための手続きを行ったりなんだり……」
「死亡届って?」
「行方不明になってから丸七年たつと、死亡扱いになるそうだ。
おかげで、DNAを調べて姉のと照合して、おれがおれ本人であることを証明して裁判所に届けたりなんだり……」
「……案外、大事なんだな」
「大事だよ。死人が生き返ったことを証明するんだから。
役所や警察には思いっきり胡散臭い目でみられるし、尋問に近いことをされたりもしたし……」
辻褄を合わせるのが面倒だったので、完爾は「行方不明になっていた間のことは、まるで記憶がない」と主張しておいた。
その主張が信用されたかどうかまでは定かではないが、完爾本人と姉が揃ってそれで納得をしている以上、深く追求しようとする第三者はいなかった。
「だから、行方不明になんかなるものじゃあないな」
完爾としては、そう主張する。
「よほどのことがなければ、すすんで行方不明になりたいと思うやつはいないんじゃないか?」
「それもそうか」
「あ。門脇くん。よかったらメアド教えてよ」
「ごめん。おれ、そういうの持っていないんだ」
「え?」
「パソコンは姉のを借りているし、携帯も、まだ持っていない」
「今時凄いな、おい」
「いや、連絡を取る相手も居ないし」
「それもそうか」
「なんか、やな感じだった。
みんな、興味本位で、門脇くんをいじっているようで」
その店に二時間ほど滞在した後、次の予約が入っているとかで店を追い出され、完爾は二次会にいくという面々とは分かれて帰宅することにした。同じく帰宅するとかいう橘さんと途中まで同行する。子どもを同じ公園で遊ばせていることからもわかるように、家が近いのだった。
「興味も持つでしょう。おれみたいな特殊なのが身近にいたら」
「そういうことではなくて、ね。
あいつら、絶対、門脇くんのことを見下してる。
いまだに地元にくすぶっている自分たちこそ、負け組なのに」
「そういう橘さんだってこっちに住んでいるんでしょう?」
「そー。
出戻りの負け組、おまけにコブつきなのです」
「橘さん、酔ってます」
「さー。どうだろー」
「ほら。もうすぐ着きますよ。
橘さんの家、確かこの近くですよね?」
「場所、教えたっけ?」
「姉に聞きました。近所ですので」
「そっか、そっか。
どう、お茶でも飲んでいく?」
「いえ。おれの家もすぐそこなので」
「子どもは……もう寝ちゃっているはずだけど、どうせ両親もいるし、変な遠慮はいらないよ」
「いえいえ。遠慮させていただきます」
しなだれかかってくる橘の体をいなして玄関前まで送り届け、完爾は慇懃な態度を崩すことなく別れの挨拶もそこそこに踵を返してその場から立ち去った。
「おう。帰ったか。
で、どうだった。旧友との再会は」
リビングで持ち帰った書類とノートパソコンを広げていた姉は、完爾の顔をみると即座にそう
、声をかけてくる。
「なんか、みんな大人になってたな」
「いい意味でも悪い意味でも?」
「そう。
いい意味でも悪い意味でも」
そういいながら完爾は、姉の対面に座りポケットから紙片を取り出してテーブルの上に並べる。
「なに、それ」
「友人一同のメアド。
なんに使うのかわからないが、渡してきた」
「ああ、あんた。持ってなかったもんね。携帯とか」
「必要でもなかったしな。今までは」
「就活でもあった方がいいし、明日にでも買いに行くか。
ちょうど新型が出たばっかだし」
「新型?」
「スマホ。
最近では国産も頑張っているけど、iPhoneの新しいのが出たばかりだしな。タイミングとしては、ちょうどいいか」
「本当に必要なのか? それ」
「必要かどうかはともかく、現代人なら持っていない方が少数派だ」
「なら、仕方がないか」
「ついでに、あんた専用のノーパソも揃えるか」
「必要なのか?」
「必須ではないが、あった方が便利だろ。
あんた、毎日ネットに接続しているみたいだし」
「調べ物に便利だからな」
「……昼間、ずっとなに見てるの?」
「一番お世話になっているのは、Wikipediaだな」
「なんだ。エロ動画とか見ないのか」
「最初のうちだけ少し観てみたけど、すぐに飽きた」
向こうでは、勇者ということもあって、完爾は、控えめにいってもかなりモテモテだった。むしろお誘いを断るのが大変だったくらいで……向こうにいる期間に、もう一生分の性交渉を行った気がする。つまり、今さらわざわざ、ポルノメディアのお世話になる気にはなれないのであった。
「詰まらんやつだ。
どうせ、今日の飲み会でも空気を読まずに一次会だけで帰ってきたんだろう」
「空気って読めるものなのか?
一次会で直帰したのは、その通りだけど……」
「ご近所の橘さんを送って?」
「そう。自宅まで送り届けて」
「あー。それは、狙われてるな。
向こうはバツイチの子持ち、うまく操縦できそうな男が欲しいところだ」
「どうかな? おれ、職なしだぞ」
「そんなもの、どうにでもなるよ。
あの子の家、確か自営だったし。粉かけられているんだったら、くっついちまうのもアリかもよ。
そしたら、職も家族も一挙両得だし……」
「悪い人ではないと思うんだけど、そういう気にはなれないな」
「なんで? ちょいぽちゃだけど、いい線いってるじゃん。橘さん」
「そういうことじゃあなくて、だね。
なんつーか……」
「あ。
ひょっとして、向こうに相思相愛の娘を残してきたとか、そういうベタな展開じゃないでしょうね?」
「そういうことでも、ないんだけどね。
でもまあ……今は、しっかり自立することが先決ですよ、うん」
「ごめんなさい」
姉とそんな会話をしたからではないだろうが、その夜、完爾は久方ぶりに、完爾を向こう側に召喚した姫の夢を見た。
「縁もゆかりもない貴方に、こんな苦難を押しつけてしまって……」
召喚された当時の姫は、完爾よりも五歳ほど年下に見えた。整った顔立ちで、明らかに日本人ではない風貌は完爾の目にはかなりエキゾチックに見えたが、薄物越しに見える体の線はいかにも華奢で子どもっぽく、異性としての美しさよりも、今にも折れそうな頼りなさの方を、より強く感じた。
「……ここは?」
中学の卒業式の帰りに、気がつけばこんな場所にいた完爾はキョロキョロと周囲を見渡す。
やけに天井の高い、石造りの建物の中だった。
もっと光源があって内部をしっかりと見渡せれば、荘厳な雰囲気に浸れたのかもしれないが、やけに薄暗い今の状態では、どうにもがらんとして陰気な印象が強い。
「******の神殿です。勇者様」
少女は、完爾には聞き取れない名前を口にした。
「……勇者?」
そのときになって、完爾は、自分と少女が日本語でやり取りしていないことに気づいた。
少女……ユエミュレム姫と完爾のつき合いは、そのときからはじまり十八年間持続することになる。
翌日の買い物はいつも行くショッピングモールではなく、郊外型の家電店になった。子どもを遊ばせておく場所があるわけでもないので、姉が選んだり値段交渉をしたり手続きをしている間、もっぱら完爾が甥の面倒を見ることになる。それと荷物持ちが、その日の完爾の役割だった。
「力だけはついたよーだねー。昔はひ弱だったのに。
でも、適当なところで車に荷物置いてこいよ。
あんまり山積みにして持ち歩いても、目立つし」
「ん。
一度、置いてくるか」
スマホやノートパソコン、それに細々とした消耗品のパッケージを抱えた完爾は、甥を姉に預けて一度駐車場に荷物を置きに行く。完爾は免許を持っていないので、往復の運転も姉任せだから、この程度はやって当然だと思っていた。なにより、元勇者である完爾には、これくらいの荷物は特に負担にもならない。
待ち合わせ場所である店内の書籍売場に向かった完爾は、そこでもドサドサと重い荷物を押しつけられることになった。
「今後のことを考えると、Word、Excelくらいは使えた方がいい。
あんた、昔は成績も悪くなかったんだから、これくらいはすぐにおぼえられるでしょ。
そのつもりで、ビジネスソフト一式がプレインストールされた機種を選んでおいたし……」
完爾に持たせた買い物籠に分厚いリファレンス書籍を次々と放り込みながら、姉はそういった。
「もうしばらく様子をみてどうにもならないようだったら、わたしがあんたを雇用してやるかありがたく思いなさい。そのかわり、そのときにはしっかりと資格を取って貰うけど。
ぼちぼち独立しようかなーって思っていたところだし、思いがけず腹心の部下が出来るのならば、それもまたよし」
完爾の将来について色々と思いを巡らせている様子の姉は、いわゆる士業として事務所に勤めている身であった。
「あと……資格試験の参考書は、っと……この店には、ないか……。
急ぐわけでもなし、帰ってから密林にでも注文することにしよう」
帰りの車内で、完爾は姉から職場の愚痴をさんざん聞かされてることになる。いいお年の所長が卒中で倒れてからこっち、姉の職場は二つの派閥に分かれてかなり雰囲気が悪くなっているらしい。
どちらの派閥にも加わりたくはない姉は、それなりにキャリアもありすでに相応数の顧客も捕まえていることもあり、近い将来、今の事務所を辞めて独立することも見据えている。うんぬん。
後部座席で甥を膝に抱きながら、完爾は、そんな内容のはなしに耳を傾け続けた。
ようするに、気心の知れた完爾がゴロゴロしているのなら、自分の事務所でこき使いたいというわけだった。
別に他にあてがあるわけでもなし、いざとなればそういう進路もいいかな、と完爾は思った。
帰宅して持ち帰った荷物を整理した後、完爾は昨夜のメモを取りだして、マニュアルを片手に級友たちのメアドをスマホに次々と登録していった。姉との連絡先も交換しておきたいと告げると、まずこれこれのアプリを登録しな、といわれる。なんでも、そのアプリとやらをスマホに入れると、一挙動で電話番号とメアドを交換出来るのだそうだ。
「ほかにも色々、便利なアプリがあるから。
あとでストアをじっくりと確認してみな」
姉からそういわれ、完爾はあわててストアのアイコンをタップした。
そこにリストアップされた多種多様なアプリの説明書きを読み込むうちに、完爾は、せっかく登録したメアド宛に確認のメールを送付する、という作業をついつい失念してしまう。
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