異世界で魔王を倒してきた元勇者ですが、こちらに戻ってきても就職口がありませんでした。
肉球工房(=`ω´=)
1.元勇者の一日。
「職歴、なし……ですか?
しかも……最終学歴は、義務教育のみ……免許や資格も……ありませんか?」
「履歴書に、かなり長期にわたる空白期間があるようですが?」
「記憶障害……ですか?
はあ。
そういう方は、うちではちょっと……」
ここ数日、面接の夢ばかりを見る。極めて、夢見が悪いといえた。これまでに職を求め、業種職種を問わずにあまたの門戸を訪ねてはいたのだが、ことごとく門前払いの憂き目に合っているのが原因だ。
不安が、門脇完爾の深層心理までもを蝕みはじめている。
学歴なし、こちらの世界での職歴もなしの三十三歳。強いて売りとなる事柄を上げるとすれば、健康であることと目立った賞罰がないことくらいか。
まともな経営者や人事担当者なら、まず採用しようとは思わない。客観的に見れば、完爾自身でもそのように判断せざるを得ない。
あまり大きな声でいえることではないが、完爾は十五歳、中学を卒業したての春休みからこの春まで、おおよそ十八年間に渡って別の世界に召喚されていた。そこであれやこれ、悲喜こもごもの濃い体験をしてどうにかこちらに帰って来たわけだが……こちらの世界から見れば、その間、完爾は行方不明になっていただけだ。
学歴も職歴も、つきようがない。
そんなわけで、完爾は……今朝も、面接の悪夢にうなされて、冷や汗をかきながら目をさまます。
こちらに帰ってきて以来、朝食を作るのは完爾の仕事となっていた。実のところ、朝食だけではなく炊事洗濯などの家事全般、それに保育園に通う甥の送迎まで「あんたどうせ他にやることなんかないでしょ?」との姉の一言で完爾の仕事になっているわけだが、完爾としてもそれで特に不満は感じてない。
むしろ、現状では無収入かつ役立たずの自分に住居と食をあてがってくれていることに感謝しているくらいだ。
専業主婦的な家事労働についても、慣れないうちはまるで要領を得なかったり失敗ばかりを繰り返していたものだが、手順をすっかり飲み込んだ今となってはテキパキと最小の手間で片づけてしまえる。
電気もガスも水道も完備されていないあちらと比較すれば、家事労働の手間なども天と地ほどの差がある。一言でいってしまえば、ひどく楽なのだ。だから、慣れてしまえば、鼻歌交じりで片づけてしまうことが可能だった。
ましてや完爾は、いまだに向こうで必須だった能力のすべてを今でも継承している。目立つことがないように普段からを挙動には気をつけているが、体力その他の身体能力面ではこちらのプロのスポーツ選手やアスリートのそれを遙かに上回っている。白兵戦で完爾と互角以上に戦える人間はこちらの世界には皆無であろう。さらにいえば、元勇者であった完爾は戦闘と補助を問わずかなり広範な種類の魔法を使用することも出来た。
しかし、完爾は、ようやく訪れた平穏な生活を自分で壊すことを望んでいない。そうした元勇者としての諸能力は自分の意志で封印し、死蔵されている。宝の持ち腐れもいいところだが、かつての向こうでの生活がそうであったような、波乱万丈のスリリングな渡世には食傷気味であり、完爾自身が望んでいないのであるからしかたがない。
甥が保育園に持参する弁当を用意し朝食の準備が整ったら、向こうに行っていた期間に仲良くそろって事故死した両親の仏壇にお供え者をして手を合わせる。
酔っぱらいが運転する自家用車にはねられた、とかいう両親の遺影は、完爾の記憶の中の顔よりも十は老けてみえた。
行方不明中に仲良く物故した両親についても、完爾は様々に思うところはあるわけだが、毎朝の黙祷は比較的短く済ませる。
朝はやることが多く、さほど時間を割けないのが実状だ。
仏壇に向かって手を合わせるのが終わると、完爾は姉と甥が眠る部屋へと向かう。この二人は、親子揃って大変に寝起きが悪い。
あるいは、この二人を叩き起こして朝食の席に着かせるのが、完爾の一日の中で一番大変な仕事になるのかも知れない。
朝食が終わり、出勤する姉の背を見送ってから甥を着替えさせ、甥の手を引いて保育園へと向かう。
その途中、顔見知りになったアパートの住人やご近所の方々、それに、保育園に近づくにつれて遭遇することが多くなる同じ保育園に通う児童の保護者たちに軽く目礼をしながら進むわけだが、これまでの経験からいっても、三十男が年端もいかない幼児の手を引いて歩くのが傍目にいかに怪しく写るのかは、自覚するところではある。
だから、たかが挨拶といっても完爾はおろそかにするつもりはなかった。普段から顔見知りを多く作っておくことが、それ以降の自分の生活を快適なものにすると理解していたからだ。
ただ、いわゆるママ友の集団の中には、いまだに気後れして入ることが出来ないでいる。別に女性に対して思うところがあるわけではないが、向こうで懇意にしていた女性たちとこっちの主婦とでは、色々と勝手が違いすぎた。
完爾にとって保育園のママ友集団は魔王配下の軍団にも匹敵する脅威であり、故に、軽く目礼するだけの接触に留め、そそくさと甥を保育園に預けて早々に自宅へと撤収する。
自宅に撤退した完爾は洗濯と掃除を手早く済ませ、天気の良い日には布団も干す。
その他、細々とした家事を行いながら、その合間に何通かの履歴書を書き、ネットや求人誌を漁って面接の予約をしたりする。もちろん、面接の予約がしてある日には、そちらに足を運ぶ。
日雇いとか短期の契約の仕事なら、完爾のようなあやふやな経歴の者でもなんとか仕事にありつけるのだが、「別にお金に困っているいるわけでもないし、そんな半端な仕事をチマチマするよりはしっかりしたところに就職した方がいいよ」との姉の忠言に、今のところは従っている。
とはいえ、この忠言は完爾のことを労ってというよりも、甥の送迎をはじめとする便利な家事労働者としての完爾をむざむざ手放したくはない、という姉の計算も見え透いていた。そこまで理解した上で、完爾は姉の忠言に従っている。
甥はもう年長であり、次の春には小学校にあがる。完爾の手が是非とも必要になるのもそう長い期間ではないし、それまでならこちらの世界になれるまでのリハビリ期間として見てもいいだろう……と、完爾は思っている。
ちなみに、「別にお金に困っているいるわけでもない」理由は、両親の死亡時にまとまった保険金が下りて、それを元手にして実家があった場所に現在完爾らが居住しているアパートを建築したからである。土地は祖父の代に購入したものだし、両親が事故死をする何年前にローンも完済していたした自宅も、かなり古びていた。
そのおかげで姉の元には毎月まとまった金額が入ってくるの。姉自身のサラリーと合わせると、姉と甥の一家は、収入的にはかなり余裕のある世帯といえた。姉親子二人と完爾を合わせた三人分の生活費くらいは、簡単に捻出出来るのであった。
それに、半年前に無事こちらに帰還した完爾は、着の身着のままの状態で身につけていた衣服や荷物も伴っていた。ボロボロになった甲冑や衣服、魔除けの護符、薬草や毒消し、勇者専用の剣などは、こちらでは使いようがないゴミでしかなかったが、巾着にぎっしりと詰まった金貨や銀貨は、こちらでも貴金属としての価値を有している。
重さを計測しざっと計算してみたところ、金貨だけでも数千万から一億円円前後の価値があり、うまく処分すれば一生食うのには困らなそうだった。現状では周囲に怪しまれずに適切に現金化する伝手を姉も完爾も持っていなかったので、姉に預けたままになっている。そうした金目の物は、姉が一括して貸金庫に預けてあった。
帰還当初、様々な要因を姉と検討し、いよいよ困窮したらこれらの硬貨類を鋳つぶして売り払うという約束を取りつけた上で、完爾が当座、必要とする費用を姉に用立てて貰って暮らしている。
……というのが、現在の完爾の身上である。
いわば、姉に担保に渡して姉から必要な現金を供出して貰っている状態であったが、その姉自身が経済的に余裕がある状態であること、それに、完爾自身もいよいよ困窮すればどんなことをしてでも金を稼ぐ自信を持っているので、経済的な不安はまるでなかった。
一通りの家事を済ませた後は、ネットや図書館で借りてきた本などで情報収集を行う。異なる世界に召喚されこちらの世界を留守にしていた期間はおおよそ十八年。召喚された当時、完爾は若干十五歳の少年だった。
いうまでもないことだが、義務教育を終えたばかりの少年の世間知など、たかが知れている。高校や大学、その後の数年の社会人としての経験を完全に欠いている完爾は、こちらの成人男子としてはあまりにも知識や経験に欠落が多すぎた。これまで数多く受けてきた面接でことごことくはねらてきれたのも、完爾の特異な経歴や低学歴だけが原因ではなく、それら世間知の欠落した完爾の様子に面接官が異様な雰囲気を感じ取ったためではないか……と、完爾は推測している。
その欠落を埋めるため、完爾はネットの検索や電子辞書を多用し、こちらの世界に関する情報収拾に毎日一定の時間を割くことにしていた。
前述の理由で経済的にはまるで困ってはいない完爾だったが、向こうで波瀾万丈な生活を強要されていた反動もあり、こちらでは控えめな、ごくごく普通の一市民として暮らしていきたいという強い願望がある。
そのためには、いつまでも家事手伝いなどという三十代男性には相応しくない境遇に甘んじるわけにはいかない。ごく普通の社会人となるために完爾はこちらの世界へのリハビリと就活を平行して行っているところだった。
軽く昼食をも済ませた後に細々とした日用雑貨や食料品などの買い物に行き、それから保育園まで甥を迎えにいく。誰に似たのか甥は活発な幼児であり、少しでも目を離すとなにをするのかわからない存在でもあった。完爾が向こうでおぼえてきた治癒魔法を甥のためにこっそりと活用した事例は数え切れないほどあったし、自分で勝手に怪我をする以外にも度々大人では思いつかない想定外のいたずらをしでかしたしたりするのでなかなか目が離せない。
いわゆる、やんちゃとかわんぱくというやつで、向こうに行くまでは内向的でインドア一本槍だった完爾自身の幼少期とはまるで似ていなかった。
姉か、姉の元の伴侶に似たのだろう……とは思うのだが、三歳離れた姉の幼少期のことなど今となっては完爾もよくおぼえていなかったし、姉の昔の旦那については、完爾は面識さえない。くっついてから離婚するまでの期間が、ちょうど完爾が向こうにいっていた期間と重なるのだ。
帰宅して服を着替えさせると、元気がよすぎる甥はすぐに外に出たがる。完爾にしてみても多忙を極めているわけでもなし、他に用事がなければ甥について近所の児童公園などに連れて行く。公園についてしまえば、甥は近所の顔見知りの友だちと勝手に遊んでしまうので、完爾としては公園のすみでそれをぼーっと眺めていることしか出来ない。もう少し分別がつくようになれば甥も一人で遊びに行かせてやるのだが、前述のように、現状のの甥では長く目を離すとなにをしでかすのか予測がつかない危なっかしさがあった。
その甥も、来春には小学校にあがるわけだし、そろそろおれの世話も必要としなくなる頃合いだろう、と、最近は完爾は思いはじめている。
さて、おれが就職できるのが先か、それとも甥がもう少しおとなしくなるのが先か。
「あの……門脇……くん、だよね?」
完爾が物思いに耽っていると、誰かに呼びかけられた。
「あ、はい。
門脇、ですが……。
失礼ですが……」
振り返ると、三十年輩の女性が微妙な表情をして立っていた。つまりは、完爾自身と同年輩ということになるが、十八年間の空白がある完爾は、異性同性を問わず、こちらでの顔見知りが極端に少ない。
完爾はその女性を見て、まず、「どこかで見た顔だなあ」と思い、そしてすぐに「ああ。この公園で何度か見かけたことがある!」と思い当たった。
服装やメイクからしてもいかにも専業主婦風であり、ここに遊びに来る近所の子どもの保護者だろうと完爾はあたりをつけた。
わからないのは、その保護者が完爾のことを知っているらしいそぶりを見せていることだ。完爾は、なんとなく気後れしていわゆる周辺のママ友との交流から意図的に遠ざかっている。それでも「甥の保護者」として顔と名前くらいは知られているのかも知れなかったが、その女性は完爾の返答を受けるといきなり親しげな表情を見せた。
「ああ! やっぱり!
高校にあがる前に行方不明になった、あの門脇完爾くん!」
「ええ、まあ」
完爾は、曖昧にうなずいた。
別に否定するつもりもなかったが、行方不明になっていた期間に関しては説明するのが難しい、否、まともに説明しても到底信じて貰えないので「記憶喪失になっていた」などと適当に説明することにしている。
説明している自分でさえ胡散臭いと思っているので、その話題には極力触れないよう、完爾は普段から心がけていた。
「わからない?
わたし、橘幸恵。
中学のとき、三年間一緒のクラスだった……」
「え……ああ。
橘……さん」
いわれてみれば、「どこかで見た顔だ」と思ったのも道理、面影はあるのだ。
ただ、完爾が記憶してた中学生の橘さんと目の前の橘さんとでは、体重が五割り増しほどになって顔も横に広がっている。
考えてみれば、同級生もみんな三十オーバーだもんな……と、完爾は納得した。この程度の容貌の変化は、むしろ少ない方なのだろう。
「しかしまあ、門脇くん。
しばらく見ないうちにずいぶんとまあ、いかつくなっちゃってぇ……」
そう。
容貌のことをいうことなら、むこうにいっていた十八年間をずっと戦渦の中で過ごした完爾自身の方が、変化が大きくなったはずだ。
かなり、背が延びた。
全体に、筋肉量が増えてがっしりとした体型になった。
体中に、大小の傷跡が残っている。
なにより、普段からどことなく、周囲を威圧するような雰囲気を放っているらしい。
姉からも、「黙って立っていると、なんか堅気に見えねーな」とか、いわれている。
そういえば、橘さんって、昔っから妙に物怖じがしない人だったような……などと、完爾は中学時代のことを思い出していた。
「へえ。
その橘さんって、最近、こっちに出戻ってきたんだ」
「ああ。姉さんと同じだな。
最近、その、多いのか?
離婚ってやつ」
「実際に件数も増えているらしいけど、それ以外にもネットが身近なものになりすぎたんで、前よりも目立つようになったんじゃないかな?
前なら隠れていた例なんかも表面に出てきちゃっている、とか」
「それで、多くなったように見える……か。
でも、ネットなんか前にもあったじゃないか」
「前のときは、あんたなんか、キッズ向けフィルタリング越しでしかネットに触れなかったでしょうが。
それに、あんたが向こうに行く前よりもずっと、身近になっているからね。
普段、PCを触らないような人でも携帯やスマホを使ってない人なんか、かなり少なくなってきているし……」
「ああ。そっちか。
おれは、携帯もスマホも持ってないからなあ」
「いい加減に、買えば?」
「いや、いいよ。
電話する相手もいないし」
「だから、ネットをするのに使うの」
「あ。そうか」
夕食時に橘さんの話題を出したら、いつの間にか完爾自身の話題になっていた。
「いい?
ネットを使う人がばーっと多くなって、書き込みの量も質も大量になる。
すると、どうなるのか?」
「どうなるんだ?」
「情報のクオリティが落ちるの。ノイズが増えて役に立つ情報量が全体からみると相対的に少なくなる。
ネットに書き込みをすることの敷居が低くなって、低脳とか低学歴とか電波とかメンヘラが、自分の発言がどういう意味を持つのか考えるまでもなく、暇に飽かせてがんがん書きまくる。
意味のある情報、価値のある情報の比率がどんどん小さくなる」
「そ、それで?」
「以前なら、自分の言葉を流通させられるのは、業界とコネを持っているごく一部の人たちだけに限られていた。
でも今は、どんな考えなしでも無責任に情報を流布することが出来る。
前なら家庭内に収まっていた家庭内の鬱憤とか書きあって煽りあう。相方が浮気をしたときのうまい別れ方とか、教えあう」
「それで離婚が増えたって?」
「決して、それだけが原因だとはいわないけどな。
一番の原因は、不景気が続いて低収入層のモラルが低下の一途を辿っていることだと思うけど……」
「不景気とか、おれが生まれる前からずっといわれていたことじゃないか」
「だから、不景気が何十年も続くと、世帯収入の格差が固定的になる。ごく一部の金持ちとそれ以外の層の格差が大きくなる。固定的になる。
貧すれば窮ずる、ってやつよ。
余裕がなくなると、子どもの教育も行き届かなくなる。まともな教育やしつけを受けていない親の子どもは、ますますまともな教育やしつけに触れる機会が減る」
「そうして、格差が大きくなり、固定すると?」
「そ。
富裕層の歴史自体があまりないから、他の国と比べると日本はまだまだ緩いんだけどね」
橘さんの話題が、いつの間にか日本経済のはなしになっている。
もともと、完爾の姉は、順序立てて会話を行う人ではない。この程度の飛躍はいつものことだった。
完爾にとっても、話題があちこちにとっちからかる姉との会話はそれなりに得ることがあるので、おとなしく拝聴しているわけだが……。
そんなやりとりをしているときに、電話がなった。
姉の携帯ではなく、この部屋に引いている固定電話だった。
いかにも面倒臭そう表情をした姉に即されて、完爾が電話にでる。
「なにかの営業だったら、即切りな」
「わかってる。
はい。門脇ですが……」
……おう。
完爾か? おれだ、おれ。
足立だけど……まさか、忘れてはいないよな?
「……足立?
足立って……あの、足立か?」
……どの足立かは知らないけど、おそらくその足立だ。
十八年ぶりに声を聞いた中学時代の級友は、電話の向こうで軽い笑い声をたてた。
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