カランダッシュ

@namimor

第1話ヒツギと幽霊

「ねぇ、きみ。サンメリ通りへはこっちの道であってるのかな? 」

 学帽を被った青年が、私に顔を向けて道を尋ねている。

 ああ、きっとこの人、勘違いしているんだわ。

「えっと、すみません」

 何年かぶりに声を出したので、しっかりと相手に伝わっているか不安になる。

「違ったかな? 」

「ええ、違うんです。いや、道は合ってます。はい」

 やはり生身の人間と話すのは慣れない。

「私、もう死んでるのです。話す相手を間違えていますわ」

 やっと言えた。

「そうか、そういうこともあるんだな」

 彼はしきりに頷いている。

「普通は見えないはずなんですが、波長がたまたま上手くあったのでしょうね」

 見えないものと思って生活していたので、混乱してしまう。

「ふーん、幽霊なんてものを信じたことは無かったが。ここに現に存在するということは信じるしかないな」

「信じようが信じまいが居るんです」

 青年は、帽子を脱いでから、お辞儀をし名前を名乗った。

「柩木アキラ、棺に木と書いてヒツギと読む」

 彼の帽子には、確かに緑色の糸で刺繍がしてある。

「私は、玉と言います。苗字はなくて、ただの玉ですわ」

「玉さんか。変わった名前だね」

「ヒツギも相当変わったお名前じゃないでしょうか」

「ああ、代々棺桶を作ってきたらしい。まぁ、文明開化よりも前の話で、今は違う仕事をしているが」

「絵描きさんですか? 最初見た時は学生さんかと思いました」

「学生であってるよ。もう辞めようと思ってるんだが」

 不機嫌そうに言って、帽子を被り直して、顔を背ける。

「看板屋のバイトを始めたら、面白くなってさ。このまま就職すると言ったら父に猛反対された」

「それはそうでしょう。名門大学に合格したのに、看板屋なんて」

「みんなそう言うよ」

 端から見たら、何もない所で彼が1人でしゃべっているように見える。

「ところで、何か用事があったんじゃないのかしら? 」

「ああ、許婚を待たしている。でも、何だかそんな気分じゃなくなってきたな」

 学生服の上着を、袖を通さないで上に羽織る。

 顔立ちは凛々しいが、その目はどこか悪戯好きな子供のような目だった。

「早く行ってさしあげたら? レディをいつまでも待たすものではないわよ」

「くくっ、レディ? あいつがか?」

 何がおかしいのか、彼は笑いをこらえている。

 その視線の先には、まだ十歳になるかならぬかという風貌の和服の少女が立っていた。

「お爺様も、いよいよボケちまったんだろう。あれで許婚だとさ」

 心底おかしいという様子だ。

「アキラ様、何がそんなに可笑しいのですか? 」

 和服の少女は、ゆっくりとヒツギが独りで何か呟いているのを不思議そうに見た。

「何もかもさ。父上も、お爺様も」

「わたくしから見れば一番おかしなのはアキラ様ですよ。急に看板屋に弟子入りするなんて言いだして」

「僕は至ってまともだよ。昼間から幽霊とお喋りするくらいに」

「変なの」

 2人のやり取りを見ながら私は、迂闊に人間に喋りかけたことを後悔していた。

「玉さん、このレディをすこし黙らせてくれないかな」

「もう、いい加減にしないと頭がおかしくなったと思われますよ」

 何だか妙な事に巻き込まれたようだ。

「頭は正常だよ、僕は本気なんだ」

「別にわたくしは構いませんが、ご自身でお父上とお話をしてくださいね」

 和服の少女は、それだけ言うと相手にするのも飽きたという様子で去っていった。

「はぁ、仕方ないか」

「大変そうですね。そもそも何で看板屋なんですか? 」

「僕には絵の才能があるって、師匠が言うんだ」

「そんな理由で、学業をサボタージュしてるの? 」

「まだ、見習いだけど、いつか映画館の看板を1人で仕上げてみせるよ」

 調子のいいことを言っているが、大丈夫だろうか。

「そうだ、今度師匠の絵を見に来ないかい? 」

「別に構いませんが、それなら先程の女性を誘ったら如何ですか」

「桜の事かい? あんな、子供にはまだ解らないよ」

「私だって絵に詳しい訳じゃないです」

「明日、作業場に行くから気が向いたら来てよ」

「分かりました。そこまで言うなら拝見いたしますわ」

 なぜか、そんな約束をして彼は去っていった。

 この数百年、誰しもが私の前をただただ通り過ぎていった。

 私はなぜか、ここに座って何かを待っていた。

 でも、それが何なのか思い出す事は出来ない。

 明日、私は絵を見る為に初めてこの場所から離れる。


 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

カランダッシュ @namimor

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ