いのなかのかわず

東川善通

一話

 ぽちゃぽちゃと水のはねる音。そして、変わっていく景色。僕は人間の子供に捕まっていた。




 生まれた時は、兄弟と一緒に稲の間をすいすいと泳ぎまわっていた。だけど、唐突に影が水面を覆ったかと思うと、僕は兄弟たちと違うところにいた。

〈おったまじゃくし、つっかまえたー〉

〈兄ちゃん、それ、どうするの?〉

〈へへ、ついてくれば分かるぜ。いくぞ〉

〈あ、待ってよ〉

 僕を捕まえたのは背の高い子。その後をぱたぱたと小さな子が追いかける。僕は逃げることも出来ずに運ばれるがままだった。そして、到着したのは僕が生まれた所よりも遠い森の中。

〈わぁ、こんなところあったんだ〉

〈最近見つけたんだ。んで、あそこに井戸があるだろ。あそこにコイツ放り込む〉

〈え、それ、可哀そうだよ〉

〈大丈夫だって、使われてないけど、ちゃんと水張ってたぜ。灯りあてて確認してるから〉

 そうして、僕は暗い井戸の中に放り込まれた。ぽちゃんと音を立てて、僕は水の中に落ちた。彼の言っていたことは本当だった。そして、僕の見上げた先には楽しそうに笑う男の子とちょっと悲しそうな顔をした男の子がいた。だけど、そこは僕から見たら、とても遠いところだった。今の僕では到底、出る事の出来ない高さだった。

 幾日か過ぎて、僕はおたまじゃくしからカエルになっていた。これだったら、きっと出られるんじゃないかと思って、一生懸命壁を登った。でも、油断をすると結構な高さからぽちゃんと水の中に逆戻り。そんなことを繰り返す日々だったけど、次第に僕は諦めていった。

暫くは一人ぼっちだった。だけど、今の僕は寂しいと思うことはない。

「こんにちは。遊びに来たよ」

「いらっしゃい。カラスくん」

 ふわりと黒い影が空を隠してしまう。だけど、それは時折やってくるカラスくんで。いつも、来るとそこが気に入っているのか石の縁に座る。そこは僕から見たら遠いところだけど、気まぐれで僕のいる所まで下りてくる。

「今日はどんな話をしようか」

「うーんと、外って楽しい?」

 カラスくんの話すことは信じられないような事ばかりだけど、僕には確かめる方法なんてない。でも、いつかこの壁を越えられたら、見てみたいと夢を膨らませるんだ。

「勿論さ。おれみたいに空を飛べる奴なんて、毎日違う風景を見ることができる。飛べないやつでも、毎日、違う出来事に出会えるんだ。これを楽しくないだなんて、言えないさ」

 バサバサと羽を広げて自慢げに語るカラスくんに僕は羨むばかり。そうして、暫く話すと、カラスくんはどこかに飛んで行ってしまう。そうなると僕は一人ぼっちになるけれど、井戸の底から土を持ってきて、カラスくんが下りて来られるように足場を作る作業をする。ずっと、それをしていると、全然、時間なんて気にならないんだ。

 ただ、ふとした瞬間にカラスくんが自慢げに語っていた『海』というものを想像する。ここよりも、広くて、ずっと向こうまで水があるらしい。そこはすごく綺麗で色んな生き物が生きている素晴らしいところなんだと言っていた。いつか、行ける日があるといいなと思いながら、僕はカラスくんが来るのを今か今かと待つんだ。

 ある日、カラスくんはいつもように縁に座ることはせずにまっすぐ、僕の作った盛り土の上に停まった。どうしたのだろうと首を傾げるとカラスくんは悲しげな笑みを浮かべた。

「今日は上まで連れてってあげるよ。カエルくんも外を見ればいい」

「……え、ほんと」

「本当さ。だから、ここまで下りてきたんだ。さ、おれの背に乗って」

 ずっと望んでいた外を見られる。僕はそれだけ考えて、他のことなんて考えずに喜んでカラスくんの背に乗った。カラスくんは僕が乗ったことを確認すると僕が落ちないように気をつけながら、浮上する。ふわりと舞い上がる、その不思議な感覚に僕は飛ぶとは素晴らしいと感じた。

「ほら、これが君のいたところの外だ」

「木がいっぱいだ。それにとっても明るい」

「そうだな」

 井戸から出るとカラスくんはいつものように井戸の縁に腰を下ろした。僕はその隣に座る。初めての感覚にちょっと嬉しくなっていた。その時、僕はカラスくんが暗い顔をしてたのにきっと気付くべきだったんだ。でも、カエルになってから、初めて出た僕にとって外の世界は周りを気にする余裕をなくすくらい魅力的だったんだ。

「これはこれは、実に美味しそうなカエルだこと」

「……?」

 ふと、聞こえた声に僕は声のする方を見上げた。それはカラスくんよりも大きな鳥だった。それよりも『美味しそうなカエル』って、僕のこと? 首を傾げながら、隣にいるカラスくんを見れば、悲しげな表情で僕を見ていた。

「カラス、お前はもうどこにでも行っていいよ。用済みさね」

「……あ、あぁ。サギ、ちゃんとおれは役目を果たしたからな。そのあとは知らねぇからな」

「分かってるよ。ほら、さっさとどこにでも行っちまいな」

「……カエルくん、じゃあな」

「え、カラスくん?」

「……ごめん、おれ、お前に嘘ついてた。そんなに世界は甘くねぇんだ」

 それだけ言うと、僕を振り切るようにカラスくんは空へと飛んで行ってしまった。残ったのは僕のことを美味しそうと言った『サギ』という鳥と僕。今の状況は大変危険だと、僕の中の何かが告げる。

「それじゃあ、いただこうかねぇ」

「僕をた、食べるの?」

「当たり前さね。世の中、食うか食われるかだよ。まぁ、アンタは食われる側だけどねぇ」

 そう言って、襲いかかってきたサギに僕は驚いて、今までいた井戸に飛び込んだ。落ちる感覚はおたまじゃくしの頃、放り込まれた時と似ていたけど、今はそれに食べられるという恐怖が追加されている。

「逃がしゃしないよ。お待ち」

 そう言って、サギは僕を追いかけて、井戸に飛び込んできた。だけど、井戸はカラスくんが羽を広げてぎりぎりの大きさの為、カラスくんよりも大きなサギは上手く井戸に入れてなかった。飛ぼうと広げた羽は石に当たり、羽根を散らす。僕は底に辿り着くと水底にある横穴に逃げ込んだ。水中から様子を見ていると、サギは僕が諦めきれないのか、長い首を伸ばして、水を漁る。

「大人しく食われな。カエル如きがこのあたしから逃げられると思ってんのかい!」

 そう言いながら、嘴で水を突くサギ。僕は横穴で息を潜め、体を出来る限り小さくした。暫くするとハァハァと荒い息が聞こえてきた。それはサギが疲れてきている証拠。そして、サギはチッと舌打ちをしたかと思うとまたバタバタと羽根を撒き散らしながら、井戸を登って行った。僕はサギに気づかれないように横穴から出て、その様子を眺める。

 サギが井戸から首を出した瞬間、見覚えのある手がにゅっと出るとその首を捕えた。

〈バサバサ言ってるから、何かと思ったけど、でけぇ鳥だ〉

〈兄ちゃん、これ、なんていう鳥なんだろ?〉

「ちょっと、お放し! あぁ、痛い! なんて、力だい」

 人間に兄弟に捕まったサギはバサバサと叫びながら暴れる。だけど、兄弟はその体を抑えつけながら、会話を続けた。

〈よし、帰って父ちゃんにでも聞いてみようぜ〉

〈うん〉

〈それにしても、よく暴れるよな。何か、縛るもんねぇかな〉

〈あ、タコ糸でもいいかな。あとさ、ギャアギャア五月蠅いし、嘴も縛っちゃおうよ〉

〈あぁ、そうだな。よし、お前、きちんと押さえとけよ〉

〈わかった〉

「ちょっと、止めてよ。なにするんだい!」

 僕の所からはもう兄弟の声とサギの騒ぐ声しか聞こえなくて、どうなってるのか分からなかった。だけど、その内、サギの声は聞こえなくなって、兄弟の声も遠くなっていった。

 僕の口からほっと息が零れる。外の世界はあんなにも怖いものだと今日初めて知った。僕はここにいたからずっとそのことを知らなかった。ある意味、それは凄く幸せだけれど、愚かなことだったのだと知った。

「カラスくん、もう来ないのかな」

 唯一の友達を失ったのは悲しかった。でも、カラスくんもまた生きるために僕を犠牲にせざるを得なかったのだろう。僕はそれを悲しく思いながらも、やることがなくて、水や盛り土の上に散らばったサギの羽根を一か所に集めた。サギの羽根は意外にも綺麗で今度カラスくんが来てくれたら、ここに座ってもらおうと空しい夢を描いた。






「きゃぁあああああああ!!」

 あの日以来、日課となったサギの羽根の手入れをしていると上からそんな叫び声が聞こえてきた。そして、バシャンと派手な音を立てて、水の中に落ちた。僕はそれよりもその水しぶきのせいで濡れてしまったサギの羽根を見て、「また、乾かさなくちゃ」と関係のないことを思っていた。

「いたた、最悪だわ。てか、これ、どう考えても登れないじゃないの」

 水から出てきたのは僕と同じカエルの女の子だった。その子は井戸を見上げて、そう言って憤慨する。僕はとうの昔に諦めていたから、それを羽根を乾かしながら眺めていた。

「あら、先客がいたのね。ねぇ、協力して、ここからでましょ」

「僕はいいよ。ここ、僕の家だから」

「外はいい所よ? どうして、出ようとしないのよ」

「外は怖いよ。僕、サギに食べられそうになったし」

「それは当然よ。いいことだけじゃないもの。わたしたちだって、虫食べるじゃない。それと一緒なの」

 確かに僕も虫を食べる。そのことを考えれば、サギの行動だって、当たり前の行動だということ。でも、僕は外が怖いと思うと同時にまたカラスくんが遊びに来てくれるんじゃないかと期待してるんだ。

「そんなにここいいの?」

「いいかどうかは知らないけど、サギみたいな鳥は入ってこないよ」

「ヘビは?」

「ヘビ? わからないけど、みたことないよ」

「……そう。えっと、ヘビがいないということは安心して、子供も育ってくれるってことよね。でも、外に出られないのは困ることだわ」

 女の子はブツブツと何か考えている。僕はよくわからず、首を傾げていた。

「いいわ。わたし、ここで暮らす」

「え?」

 感謝しなさいとばかりに言われた言葉に僕の口から驚きの声が出る。それに彼女はムスッとした。どうやら、その反応がお気に召さないらしい。

「一応、わたし、モテるのよ」

「うん、そう」

「このわたしに何の魅力も感じないって言うの」

「えっと、その、僕、わかんない」

 そう言えば、彼女は大きな溜息を零した。

「どうせ、出られないんでしょ。だったら、ここで暮らすと決めた方が楽なのよ。それに外敵もいないのも魅力的だし。話し相手がいる方が楽しいでしょ」

「うん、そうだね」

「ということで、よろしく」

「あ、うん、よろしく」

 なんだか、分からないうちに井戸で僕は同居人を得た。その後、子宝にも恵まれて、子供も外敵がいない事もあってすくすくと育っていった。僕は何度か彼女に怖い思いをさせられたけど、幸せに暮らしている。

 あぁ、そうそう、忘れるところだった。あのカラスくんは今でも友達。彼女が来て暫くしてから僕が死んだと思っていたカラスくんが花を持って来たんだ。そこで、僕と再会。彼女は急に来た訪問者に驚いて、横穴に引っ込んでしまったけど……。僕は彼にまた会えて、また友達に戻れたことが凄くうれしかった。ちなみに、水の丁度真ん中にある盛り土は今ではカラスくんの定位置になっている。そして、大きくなった子供たちを外の世界に連れて行ってくれている。ちゃんと怖いこととかもしっかりと子供たちには教えて。






「知ってるか」

「なに?」

「この井戸に住むカエルのことを『世間知らずの井戸蛙』って言うんだと」

「へぇ、それは知らなかったなぁ。世間知らずと言われないよう、今度海に連れっててくれよ」

「あぁ、任せろ」

「その前に子育てが待ってるわよぉ。世間知らずなんて言わせて堪りますか!」

「そうだね」

「そのためには、カラス、アンタにはしっかり協力してもらうわよ」

「お、おう」

 そう言えば、僕と彼女は顔を見合わせて、笑い声を上げた。それにつられてか、カラスくんも笑う。




 井の中の蛙、まだまだカラスと共に世間を勉強中! ってことで、これにて閉幕。




おわり

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