気を付けましょう


 失った魔力を回復させるまでに、考える時間は相当にあった。


 一回目の失敗から一週間ほど経ち、私は私の分身が死んだことを確信していた。

 けれど、そのことは屋敷の中では騒ぎになっていない。死んだのは私の分身であり、ハヌーレン・ランジットは未だ健在で、お父様への来客の対応や新しいお芝居の観賞やその再現、原作本の読書による深い理解などなど、スライムである私が出来ること、お父様の娘としての職務を全うしていたからである。


 となると私は、屋敷の外までは出られたということになる。使用人たち、これは人間とスライムの両方いて、見付かってはいけないことに変わりはないが、それを私はどうにか切り抜けたらしい。

 そして外出。既に私に食べられたユヒが言っていた、悪い人間とか恐ろしい魔物が本当にいたということだろうか。多く小説や劇を見てきた私の知識と合わせて推察するに、良い人間と悪い人間がいるし、良い魔物と悪い魔物がいるはずである。いきなり襲いかかってくるような輩もきっといない。私はお金持ちの娘であり、魔物のスライムでもある。両方の言語を扱えるのだから、一方的に殺されるというのも考えにくいのである。話せば分かる。


 故意的な殺人……人? 細かい定義はともかく私が殺されたのが故意でないとしたらそれは、不慮の事故か、もしくは話し合いの余地がない殺され方をしたのであろう。


 例えば……馬車に轢かれたとか、魔法の効果で起こった二次災害に巻き込まれただとか、弓矢か遠距離魔法の射的の的にされたとか。このあたりは運が無かったとしか言いようがない。屋敷から出た後はなるべく身を潜め、人目に付かない行動をするべきと、次回の自分の為に覚えておくことにする。


「お嬢様、何か考え事ですか?」

「……ううん、何でもないのよ」

「あ、分かりますよ。お仕事してない時は、テトルものんびりしちゃいますから」

「私の付き人は仕事の内に入らないのかしら」

「えっ、あっ……えへへ」


 ふにゃふにゃと笑う、新しい使用人のテトル。もちろんスライムである。ユヒは真面目一直線で笑いもしなかったけれど、今回の子は感情が素直で、私のことを友達か何かだと思っているのかというほど慣れ慣れしいくらいの接し方をしてくる子だった。


「だってお嬢様が読書の時は静かにしておく、お茶の準備をしておく、予定の時間になったら知らせる、くらいしかないでしょう? 忙しい時に比べれば天国みたいなもんですよ」

「静かにしておくっていう仕事は出来てないようだけど?」

「お嬢様も、読書全然進んでないじゃあありませんか。その一ページだけで十分ほど睨んでおられますよ? 読書してないのかと思って、つい話かけちゃいましたよ」

「………………」

「おおっと……テトル、静かにしておりまーす」


 私の強い視線に、ふざけたように誤魔化して、テトルは数歩下がって私の視界から外れ、待機の形をとる。そもそもから言えば、外に出る算段を何でもないと嘘を吐いた私に最初の非があるのだから、テトルの指摘はぐうの音も出ない正論であり、私の送った視線は反論が出来ないことからくる最後の抵抗といったところであった。


 あまり考え事をしていても怪しまれるし、本の内容が頭に入らないのも困る。そろそろ集中して読書をしなければならない。劇の高度な再現は私、そしてお父様への評価へと繋がる。疎かにすることもできないのだ。


 


 あんまり使用人たちに外のことを訊いていたら怪しまれないだろうかなんて危惧もしていたが、結局は好奇心に勝てず、私はいつぞやと同じように湯浴みの最中、傍らで私の服を持って待機しているテトルに、前の子とほぼ同じ質問を投げかけた。


「外の様子、ですか」

「物語じゃない普通の屋外っていうものに、少し興味が湧いてね。テトルは外に出たことはないの?」

「外……というと違うかもだけど、人間と話したことはありますよ」

『こんな感じで?』

「ええっ……あー、『はい、さようにございます』


 私が思い付きの意地悪で人間の言語で話しかけてみると、テトルも意図を汲み取ってぎこちない言葉を返してくれた。堅苦しい定型の言葉遣いでしかないが、会話できる程度には学習した……させられたのであろう。そういう私も淑女の嗜みとして、人間の言語をほぼ習得して発音できるほどには勉強していた。


「で、どんなことを?」

「屋敷の仕事の内容とか、スライムの生態……って言うと大袈裟ですけど、乾燥した場所は嫌だとか、新鮮な水が好きとか、そんなことですよ」


 生きる糧としてなら魔力を得るというのが手っ取り早いところだけれど、屋敷にいるのは仲間のスライムで、食べるわけにもいかない。魔力の使い道の一番は固体の維持、水分の蒸発を抑えることに使われているので、代替案として、単純に純粋な水分を摂るというのが好まれるのである。

 私のいつも入っている薬湯は魔力と水の両方が含まれているもので、スライムからしてみればそれは、豪勢な食事のようなものである。


「ふーん……人間の反応はどうだった?」

「なんでしょうかねー……話を聞いてるのやら聞いてないのやら、けっこう難しい顔してましたよ」

「それは『喋り方に問題があったんじゃないの?』

『喋り…』『問題…』……すいません、意味がちょっと分かんないです」

「……人間に仕事の内容とかを話してきたんじゃないの?」

「そこはまぁ……話す内容を丸暗記とかで、なんとか」

「……つまり、会話というより発表をしてきたのね。相手は屋敷の訪問客じゃなくて、お父様の研究仲間ってところかしら」

「あ、その通りです! そう言ってました!」


 ちょっと期待してしまった自分が馬鹿らしい。

 私が求めているのは外の普通の状況や人々の話であって、内輪の情報交換の話ではないのである。当然ながらお父様の研究を否定するわけではないし、それで私の能力が上がるのならば応援するべきところではある。しかしその研究がいくら進展したところで私の心は満たされないし、外出の許可が下りるわけでもない。


「テトル、もう上がるから支度をしてちょうだい」

「あ、はーい、お嬢様」


 湯船からタイルに下りて、身体に付いている水滴を全て体内に取り入れる。今まで考えていなかった自分の姿を思い浮かべて形を作っていく。指の先や首の細さ、胴回り、髪の長さまで全てを思い浮かべたら、一つずつ粘度を高めてべたつかないように。何度も何度も溶かしては造り上げ、固定させてはふやかした、ハヌーレン・ランジットの美しい容姿を、私は再び築きあげる。ドレスの袖に腕を通して、背中のボタンを閉じても、その布地が濡れることはない。


「流石ですね、お嬢様」

「慣れ、なのかしらね。貴女もやってみたら?」

「またまた御冗談を。テトルなんてこんなで、」


 ぐにゃり、とテトルの身体が歪んで、そこから人の顔、のようなものが浮かび上がる。目はかろうじて二つだが段違いだし、鼻と口に至っては互い違いの場所に付いている。そこらへんに三つ穴が開いているくらいの認識でしかないのだろう。

 しかしそれが普通、普通のスライムである。人間に擬態するなんて理由はそもそも無いし、その分に割く思考力を別のところで便利な器官を造り上げた方が、生き残る為だけならば効率的である。

 目と鼻の間にある口が三日月のように笑って、テトルは言う。


「お嬢様のような立派な型にはなれませんよ」


 


 果たして二回目の外出の機会は、夜だった。


 速達の手紙で知らされたのは、明日お父様と一緒に会いに行く予定だったお父様の知人様が、急に倒れて治療院にまで運ばれたらしい。外傷ならば魔法で治すこともできるけれど、内側の病気は専門知識を持ったお医者様の領分である。

 その方の名前を聞けば、すぐに思い当たる人だった。ああ、あの顔色の悪いご老人ね。倒れても不思議じゃあないわ。歩けている方が謎めいていたもの。


 よって、その人に会う予定は無し。馬車で隣街まで行って日帰りする日程だっただけに、丸一日が白紙になってしまった。


 お父様はその旨を私に伝えると、


「たまにはゆっくりと羽を伸ばすのも良いだろう。好きなように一日使いなさい」

「ありがとうございます。薬湯の新しい配合でも考えてみようかと思います」

「ああ、良いのが出来たら書き留めておいてくれれば、次から材料を仕入れるとしよう。それじゃあおやすみ、ハヌーレン」

「おやすみなさい、お父様」


 扉が閉じられると共に、私は考えを巡らせる。

 魔力の貯蔵はあの時ほど十分ではないにせよ、分身を造り出すほどの余裕はある。外に出るハヌーレンは夜のうちに屋敷を脱出し、家に残る方のハヌーレンは高濃度に調合した薬湯で失った魔力を回復させる。前回のように召使いを食うようなことは出来るだけ避けたい。


 前回私が死んだのは、午前中、明るい内に出かけたから人間や他の魔物との遭遇率が上がり、見付かって不運にも殺された、というのが漠然と考えられる筋道。ならば今回は暗いうちに出発すれば、誰かに見付かる可能性は断然低くなるというもの。


 練られたシナリオはここで終わりではない。

 暗いうちに人目に付かないところに身を潜め、夜明けを待つ。明るくなったら通りかかる馬車の荷台に忍び込み、そのまま街に行く。もちろんその為に、身体の透明度を限界まで上げる方法を調べ上げてある。発動までの調整も済んでいる。発動までは少し時間がかかる点が気になるが、夜明けまでは十分に時間がある。


 あとは不慮の自体にどれだけ対処できるか。これは私の地力に任せるしかない。人を見て逃げるか、話し掛けるか判断していこう。もし屋敷の外に協力者が出来れば、今後の活動にも変化が出てくるはずである。


 屋敷の者たちが寝静まる頃を見計らって、核を二つに分け、自分の両手の先から片方の核を持った分身を切り離す。いや、切り離された方が今の私である。見上げれば目の前には、綺麗な人型を保ったハヌーレン・ランジットが、分身の成功を見届けて微笑んでいた。


 


 ひっそりと静まり返った屋敷の廊下に、ずるずるとスライムの這う音とカンテラの明かりがゆっくりと動いていく。物語的に言えば恐怖の光景ではあるけれど、実際はこの屋敷で働く見回りの子で、いつものことである。

 彼? 彼女? スライム自体に性別がどうのこうのという話はさておき。屋敷は普段から魔物の巣窟なのだが、私たちからしてみれば見回りが不要なくらいに安全が保障されている。あの子も這う音を隠しもしないくらい気を抜いていて、よっぽど大胆な行動をしない限りは気付かれることもないだろう。


 物陰に隠れてカンテラの明かりが通りすぎるのを待つ。幸いにもよく知った廊下で、この先に階段が続いていることも知っていた。明かりが見えなくなったことを確認してから、音を立てないように廊下と階段を通りすぎる。

 馬車に向かう時に見ているだけのエントランスだが、今は自由に行動できるのが何とも嬉しい。自分の家ではあるが、使用人たちの住んでいる区画やお父様の研究室などは入らないように言われているし、そもそも私の生活は二階三階で全てが事足りているわけで、一階に下りることもほぼない。ここは既に、見知らぬ世界であった。自分の家だけど。


 深夜から未明、月も既に地平に埋もれ、屋敷の明かりもほとんど落ちている。とはいえ流石に、正面の玄関から出て行くというのは憚られる。どこか奥のひっそりとした小窓から、鍵が開いていても、閉め忘れたんだなと思うくらいの窓が理想ではあるけれど、そんな脱出経路を事前には思い描いていた。屋敷の敷地内から出るにしても、深夜でも正面突破は難しいだろう。薬の材料などを受け入れる裏門が存在していると、お父様が話しているのを聞いた覚えがうっすらとある。まずはそこを目指すとしよう。


 屋敷の見回りに怯えながらも都合のいい脱出口を探すこと数分、私は諦めた。そんなお誂え向きのものがあるはずがない。こうしている間にも見付かる可能性は高まっているわけだし、夜明けまでの時間も惜しい。ここは後先考えずに廊下の窓から外出ということにしよう。鍵は知らない。


 窓の鍵開け、ちょっとだけ隙間を空ける。液体部分はどうとでもなるので、固い核部分さえ通れればそれでいいのだが、私、ハヌーレンの記憶などを引き継いだ核は体液の量からすれば比較的大きく、結果的には窓を半分ほど開けることになった。

 窓の高さに上がるのもそれなりに苦労しながら、核をすべり込ませて外に脱出。丁寧に静かに窓を閉めて、しばらくそこで何も起きないか、誰にも気付かれていないか確認するために待機。その後、私は自由の庭へと降り立った。


「はい、そこまでー」

「っ!」

「テトルが見張りの日に脱走しようなんて、その勇気だけは買うけどね」


 突然聞こえ声に、思わず身体が止まる。辺りを見回しても、その姿は見えない。しかしその発言と声色は、間違いなくテトルのものだった。


「て……テトル?」

「んぇ、あんた誰?」

「わた………………しは、」


 軽率な発言が飛び出そうになって、私は寸でのところで言い留まる。テトルの名前を知っているということで、不利になる可能性に思い当たったからだ。

 彼女もまた生み出されたスライムの中では性能としては上等のもので、お父様やその研究仲間と話す機会すら与えらたほどである。私としてはお父様にバレることが最も懸念される出来事であり、ここで私がハヌーレン・ランジットを名乗ってしまえば、この一連の計画が報告されてしまう可能性が出てきてしまう。

 何としてでも、私が私であることを感付かれてはいけない。劇で覚えた台詞を総動員させ組み立て、何処にいるとも分からないテトルに語りかける。


「わ、わたしは……この屋敷で働いていく自信がなくなりました! テトル、様! どうか私のことは見なかったことにしてくださいまし!」

「えー……たぶん無理だよ」

「手引きとまでは言いません、見逃してくれるだけで、」

「だから無理だよ。だって、」


 私の言葉を遮るように、テトルが言う。

 それに反論しようと思ったけれど、何故か喋ることができない。

 テトルが、続ける。


「あなた、もう死んじゃってるもの」


 私の、核は、既に、割れて、いた。テトルの、攻撃、が、割って、いた。

 思考。繋がり。途切れる。考えら、れない。テトル。喋る。意味、分からない。私。誰。死ぬ。死。聞こえる。


「脱走した奴は見付け次第処分なの。決まり事なんだよね」


 ハヌーレン・ランジットは死んだ。屋敷の窓から出て約二歩のところであった。


 


 


「お嬢様ー」

「………………」

「お嬢様ー?」

「………………………………ふぁ?」


 休みの日とはいえ使用人の前で自堕落すぎるのも威厳がない。私はダレていた身体を引き締め、浴槽につかるハヌーレン・ランジットを造り上げる。


「ああ、ちょっと気持ち良すぎて……」

「うわ、何ですかこの高濃度の魔力……! 調合変えました?」

「直々に調合してみたんだけど……濃すぎたかしら。のぼせそうだわ」

「いいなーいいなー、雫だけでも分けてくれません?」


 どうやら魔力は濃すぎてもダメらしい。手の平に一掬いして、テトルにお裾分けしてみる。私にしてみればちょっとだけ贅沢な使い方程度なのだけれど、普通のスライムにしてみればこれほど高級な栄養はそうそうないだろう。


「あぁー……夜勤の疲れもぶっとびますわー……」

「夜勤?」

「テトル、見回り当番だったんですよね。終わって来てみたらお嬢様がだらけてたんです」

「だらけてって……」

「おっと……テトル、何も言ってませーん」


 浴槽で意識が半分飛んでたんだから、間違いではないんだけど。

 と、重要なのはそこではない。


「夜勤の見回り、何かあった?」

「いえ、別に……ごくごくいつも通りでしたよ」

「ふーん、そう、それは良かったわ」


 夜の見回りをしていたテトル曰く、昨日の夜、異常は無かったらしい。

 それを聞いて私は、にやけを抑えることができそうになかった。きっと私の分身は今頃、日もそこそこに昇っているし、どこかの馬車の上から街の風景を眺めて感動していることであろう。帰りもどうにかなってくれれれば、その情報は丸々私のものになる。ついに念願の外の風景が見られるのだ。冒険の安全なルートが確保されたなら、今後の活動も手探りではなく、格段に効率的になるであろう。

 テトルの何もなかったという発言は、私にとって大吉報である。


「お、お嬢様? 何で笑って、」

「なんでもないのよ、それっ」

「ひゃっ」


 嬉し恥ずかしのどさくさで、薬湯を再びテトルに浴びせる。


「それ、それーっ」

「あははっ、お嬢様、どうし、やめ、いや、もっと、もっとー!」


 浴室に楽しく騒がしく嬉しそうな少女の声が二つ、幾度となく響き渡る。

 一つは、お嬢様の気まぐれで栄養を存分に受け取っている、ちょっと失言は多いけれど仕事に忠実な召使い。

 もう一つは、のぼせて勘違いしてはしゃいでいる大馬鹿者だった。


 


 その日の夜。

 私は再び質問し、テトルはあっけらかんと答えた。


「いつも通りに、何匹か脱走しようとしてたんで、全員もれなく仕留めましたよ」

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ハヌーレン嬢の冒険 みずの @aya_huya

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