第55話

 普蘭プーランと人狼の学徒が、答志島の屋敷へ戻ってから一刻程経った頃。

 突如、凄まじい雷鳴が鳴り響くと共に、近場へ稲妻が落ちた。

 だが、誰一人として驚く者はいない。飛空する那伽ナーガが化身を解いて地へ降りる時に伴う現象で、答志島では日常の一部なのである。


「あ、和修吉ヴァースキ師が戻って来たねえ」


 茶を飲みながらのんびりとつぶやく桑妮雅ソニアに、長姉は頭上に鉄拳を加えた。


「お出迎えしなくては駄目でしょう!」

「ぶったあ! 長姉様も、次姉つぎねえとおんなじだあ! このおこりんぼ!」

「ほら、立ちなさい! 他の皆も行きますよ!」


 長姉は、頭を抱えてわめく桑妮雅ソニアの腕を掴み、玄関へと引きずっていく。


(全く。歌島での、あれの苦労が少し解った気がしますよ……)


 長姉は、目上に全く気を遣わない桑妮雅ソニアに、次姉が手を焼いていたであろう事を思いやった。



 和修吉ヴァースキと童が降り立ったのは、答志島の東にある港だ。

 

「ここが、答志島ですか……」


 童は周囲を見渡すが、舟は一艘も無い。

 また、港に面して家々が点在しているが、そちらにも人影は全く無い。

 動く物と言えば、空を舞う鳥。後は、巡回の龍牙兵が目立つ位だ。

 一門が本拠を構えている筈の答志島で、この寂しさは何なのだろうか。


「誰もいない様ですが、一門の方々は?」

「一門の主要な舎屋は、本土側に面した、島の東側の港近隣にある。西側に位置するこの村は、これまで無人のままで放置されていた。普蘭プーランの試問を機に、手を入れ始めたばかりだ」

「元々住んでいた人達はどうなりました?」

「九鬼水軍か。敵としてことごとく捕らえ、今は石化して獄中だ。順次、我等の贄として供される事になる」

「ことごとく……」


 敵対する者は禍根を断つ為に鏖殺するという、皇国の非情な指針は童も承知だ。だが、未だに割り切れていない面がある。


「心配せずとも、幼少の者は御夫君様の慈悲として、〝還元〟で赤児に戻して記憶を消し、菅島で育て直す」

阿瑪拉アマラ師のお手元ですね。そういう事であれば安心です」


 安堵した様子の童に、和修吉ヴァースキも思わず心が和む。


「さて、あの屋敷だ」


 和修吉ヴァースキが指さしたのは、小高い位置にある屋敷だ。そこそこ広い他は、堅牢ではあるが、飾り気のない質素な作りである。

 門の前では、長姉以下の人狼の学徒達が出迎えに出ていた。


「お帰りなさいませ、和修吉ヴァースキ師」

「うむ」

 

 学徒達の唱和に、和修吉ヴァースキは鷹揚に頷く。


「今度はこちらで御世話になります」

「我等人狼のたねたる同胞はらからよ。ようこそ、答志島へ」


 童の挨拶に対しても、人狼達は一斉に唱和する。

 また、和修吉ヴァースキが童を連れて来た事で、人狼の学徒達は一様に得心した。次姉の回復の為に行う施術がどの様な物か、察しがついたのだ。

 ただ一人、桑妮雅ソニアだけが、不思議そうに首を傾げていた。


「あれ? 君、何で一緒に来たの?」

「何かよく解らないのですが、次姉様の回復に俺の手がいるという事で」

「ふうん。そっか」


 疑問を深く掘り下げない桑妮雅ソニアに、他の学徒は呆れ顔だ。

 自ら推察が出来なかったのは仕方ないにせよ、解らない事をそのままにする様では、一門の学徒として問題である。


「ところで、普蘭プーランはどうした?」

「申し訳ございません、和修吉ヴァースキ師。奥の間で、寝かせたあれについております」


 出迎えの中に普蘭プーランがいない事を訝しんだ和修吉ヴァースキに、長姉が釈明する。本来ならば、場を統括する普蘭プーランが出迎えるのが礼儀なのだが、状況的にやむを得ない。


「ならば謝罪に及ばぬ。では、行こうか」


 和修吉ヴァースキに伴われ、奥の間に入った童が見た物は、敷き布団の上に、全裸で大の字になっている次姉だった。

 呆けた顔で口から涎を垂らし、知性の欠片も感じられない。

 枕元に座る普蘭プーランは身じろぎもせず、次姉の様子を観察している。

 集中しているらしく、二人が入って来た事にも気付いていない。


普蘭プーラン殿、しばらくぶりです」


 童が声を掛けると、普蘭プーランは驚いた様に顔を向けた。


「今回はこれを使う」


 和修吉ヴァースキの一言で、普蘭プーランは、その目論見を理解した。


「私も考えたのですが…… 宜しいのですか? それは人狼の貴重な胤。危険にさらせば、阿瑪拉アマラ師が何と仰るか」


 誇り高く強気そうな人だと思っていた普蘭プーランがためらいを示した事で、自分は一体何をさせられるのだろうと、童は思わず身を固くした。


「問題ない。これは充分に鍛錬を積んでおる故、間違いなく耐えられよう」

「鍛錬? 俺、何かしてましたっけ?」


 和修吉ヴァースキの自信ありげな言葉に、身に覚えの無い童は怪訝な顔をする。


「宮中で御夫君様へお仕えする様になって以後、お前は何をしていたか?」

「見習いとして勤めながら、勉学に励んでおりました」

「それだけではなかろう? 一人で寝た夜はあったか?」

「それは、その……」


 和修吉ヴァースキの問いに、童は口ごもる。

 仮宮では毎晩の様に、宮中に詰める女官や近衛が夜陰に紛れ、童の床にまぐわいを求めて来たのだ。

 中には、皇族たる那伽ナーガ阿修羅アスラまでもいた。この二種族は特に激しく牡の身を貪るので、最初の内は、まぐわいの度に童は憔悴しきっていた。


「すんません、俺、元服前の見習いの身で…… 仮宮は、男が乏しいもんで……」


 童の釈明に、和修吉ヴァースキは苦笑して手を横に振った。


「咎めているのではない。そも、あの夜這いは我が差し向けさせた」

「ええ!?」

「前に、主上の夜伽が務まる様、もっと鍛錬しておく様に申しつけた筈。並の神属では、間違いなく絶命するであろうからな」


 童は思い出した。以前、和修吉ヴァースキと交わりを持った時に言い渡されていたのだが、戯れ言の類としてすっかり忘れていたのである。


「そういう事でしたか…… 俺如きが妙にもてはやされて、変と思ったんです」

「御夫君様の直近でお仕えする誉を賜った身が〝俺如き〟とは何事ですか。自らを貶める事は、主君を貶めるに等しいと知りなさい」

「は、はい……」


 童がこぼした言葉を、普蘭プーランが聞きとがめる。

 責められた童は、頭を下げる他ない。


「以後、留意したまえ。それはそれとして、今のお前は、女の求めにいくらでも応じられる体となっている。腎水は幾度放っても尽きず、逸物も萎えぬであろう?」

「そう言えば……」


 和修吉ヴァースキの指摘通り、仮宮に居を移し侍従見習として勤め始めてから、童の躯、特に牡としての機能はたくましく変わり始めていた。

 特に陽根は太く節くれ立ち、禍々しくそそり立つ異形に変わり果てている。

 一晩で放つ腎水の量は言仁には全く及ばないが、それでも二合 ※三百六十ml は下らない。

 育ち盛りなのだし、人狼とはこんな物なのだろうと思っていた童は、それが鍛錬の結果だとは思っていなかったのである。


「それで、何をすれば……」

「解らぬか? これと交わり魂を通わせ、淫夢に囚われている心を引き戻せ」

「そんな事でええんですか?」


 何をさせられるかと覚悟していたのが、童は一気に拍子抜けしてしまった。

 何しろ、仮宮に上がるまで、次姉を含む人狼の学徒とは、子作りとして毎日の様にまぐわっていたのだ。彼にとっては日常の戯れである。


「甘く見てはならぬ。これは、黄泉返りの思念で狂わされている。並の牡なら、陽根を女陰に差し入れた刹那、自らも共に狂ってしまうのだ」


 交われば狂うと聞き、童は次姉に怖々と目をやった。


「お、俺なら、大丈夫なんですね?」

「今のお前なら滅多な事はあるまいが、絶対とは言えぬ。気を抜けば危ういやも知れぬな」

「そ、そうですか……」


 声をうわずらせた童に、すかさず普蘭プーランが嘲笑を浴びせる。


「まあ、侍従見習殿は何と意気地のない事。御夫君様に恥ずかしくないのですか?」

「だ、大丈夫です!」


 挑発に乗った童に、普蘭プーランは内心でほくそ笑みながらも、顔には出さずに表情を引き締めた。


「その意気や良し。なれど、より万全を期したいと思います」

「ほう? 何を目論む?」


 和修吉ヴァースキは興味深そうに問う。普蘭プーランが童に対し、試問にかこつけて辛辣な何かを仕掛けるのではないかと察したのだ。


「私の試問であります故に、委細はお任せを」

「是。まあ、良かろう」


 何を考えているのか話させる事も出来たが、和修吉ヴァースキはあえて強く問わずに許しを与えた。

 和国の平民として育った童に、普蘭プーランが未だ含む物を持つ事は承知している。


「では、侍従見習殿。これの解呪は、夕餉の後に行います。私は手筈がありますので、後程に。それまでは、どうかおくつろぎ下さいませ」


 普蘭プーランの微笑に、童は嫌な予感を覚えて身震いした。

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龍と人が催す、終わらぬ贄食の宴 トファナ水 @ivory

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