第54話

 学徒達は、生まれ出た女児に命じ、贄人の脳に焼き付けてある一通りの動作をさせ、朽ち果てた母体の記憶が継承された事を確認した。

 これでようやく、試術の成功が確定したのである。


「食事、排便、散歩。きちんと出来たね」


 学徒の一人が、裸体のままで直立不動の女児の頭をなでる。

 学徒の側は満足そうだが、女児の方は全くの無表情だ。

 贄人は、喜怒哀楽の感情を縛られている為である。


「そういや、お腹すいたねえ」

「何、いきなり?」


 桑妮雅ソニアの唐突な言葉に、女児の頭をなでていた学徒は怪訝な顔をする。

 

「それ、つぶして食べてもいいかなあ?」

「何考えてんの、あんた!」


 学徒は思わず、女児を抱きしめてかばう。だが、今度は桑妮雅ソニアが首をかしげた。


「だって、用済みじゃん。一仕事終わったんだし、活きのいい贄をさばいて、みんなで食べようよ。お肉がぷりぷりで、きっと美味しいよ?」


〝お肉がぷりぷり〟と言う言葉に、他の学徒達も唾を飲み込んだり、耳を動かして反応した。

 補陀落ポータラカの神属にとって、贄人はあくまで、食用の家畜なのである。


「駄目に決まってるでしょう! 普蘭プーラン姉が、腑分け ※解剖 にかけるって。聞いてない?」

「なあんだ、がっかり」


 女児をかばった学徒の言葉に、桑妮雅ソニアは気の抜けた返事をする。


「後は、それだけど……」


 桑妮雅ソニアは、次姉が寝たままの寝台に目をやった。

 昼下がりになっても未だ、目を覚ます様子がない。


「もう、半日経ったよね? 流石にまずいんじゃないかなあ……」

「そうだね。鏡で普蘭プーラン姉に言って、迎えに来て貰おうよ」


 学徒の一人が応じて、天井近くに浮いている八咫鏡を使おうとしたその時、天幕の入り口から光が差した。


「呼びましたか?」


 入って来たのは普蘭プーランである。


「大丈夫なの? こっちに来ても」


 言仁の子を宿している普蘭プーランは、無理をしない様に近衛の監視をつけられた上で、屋敷での安静を命じられていた筈である。


「胎の児は安定しています。つい先刻、和修吉ヴァースキ師から、禁足を解くお許しが出たばかりです」


「でね、次姉が、まだ起きないんだけど……」

「解りました。診ましょう」


 桑妮雅ソニアの言葉に普蘭プーランは頷き、寝台の上に仰向けで眠ったままの次姉を診始めた。

 瞼を開いたまま焦点の定まらない次姉の瞳をのぞき込んで、意識を読み取る。

 高い霊力を要する技法で、普段の普蘭プーランではとても無理なのだが、胎に宿した言仁の児に力を借りる事で、一時的に可能となっている。

 診察は、四半刻 ※約三十分 に及んだ。


「どうですか?」


 診察を終え、顔が汗まみれになっている普蘭プーランに、学徒の一人が濡れた手ぬぐいを差し出しながら尋ねる。


「身体には問題ない様ですが…… 口惜しいですが、私では及ばないでしょう。和修吉ヴァースキ師に御願いせねば」


 顔を拭いた普蘭プーランは、唇を歪めて答えた。

 自分の実力が及ばない事が目の前にあると突きつけられれば、それをどうにかしようと思うのが、彼女に限らず学徒の性分だ。

 だが、配下の体の事だけに、意地を張って助けを求めない訳には行かない。事前に、和修吉ヴァースキから釘を刺されてもいる、


「答志島に連れ帰って、診て貰うんだね?」

「ええ」


 桑妮雅ソニアの問いに頷く普蘭プーランだが、それが不本意なのは顔にありありと出ている。


「貴女達も、天幕を引き払って一緒に戻るのですよ。答志島で休養している間に、この歌島では、仮では無い恒久の舎屋を建てる手筈になっています」

「建てるって、どの位かかる訳?」

和修吉ヴァースキ師のお計らいで、多くの職工を廻して頂けました。突貫でやりますから、十日もあれば大丈夫です」

「早いねえ!」


 桑妮雅ソニアは感嘆するが、工期の短さは、それだけ今回の試みが重視されている現れである。成功すれば学師への昇格だが、失敗すれば、普蘭プーランの立場が失墜するのは確実だ。

 能天気な桑妮雅ソニアを除き、他の学徒達はその重みを感じて不安に囚われてしまった。


普蘭プーラン姉、それは……」

「貴女達も上を目指すなら、もっと堂々となさい。此度の件、銭も資材も惜しみなく投じて良しと、和修吉ヴァースキ師からお言葉を得ているのですから」


 学徒の一人が不安を口にしかけたが、普蘭プーランは微笑んでそれをたしなめた。

 学徒達は、普蘭プーランに備わった胆力に感嘆する。


普蘭プーラン姉、お強くなられた……)

(流石は、学師昇進の機会を与えられた方……)


 経験を積み自信にあふれ、それでいて自らの力量でかなわぬ事は手を借りる。

 賎民の身から選ばれたという矜持が強すぎるあまり、その調和が取れない者が人間の学徒には多く、それが弱点となっていた。

 故に、強い障害が立ちはだかり、どうあっても自力で解決出来ないとなると、脆さを露呈して挫折する者が多いのだ。

 普蘭プーランは、見事にそれを克服していた。



 答志島に戻った普蘭プーラン達は、長姉達の待つ屋敷へと向かった。

 

「まずは、試術が成って幸いでした。ですが、これの有様は何とも情けない……」


 一行を出迎えた長姉は、戸板に載せられた次姉の姿を見て、深い溜息を漏らす。

 呆けた顔で涎を垂らし、股を開いて眠りこけている有様は、知性の欠片もない。


「結界が解けて、黄泉返りの放つ思念にさらされたのです。残念ながら、私の力量では癒やす事が叶わず、和修吉ヴァースキ師に御願いしたのですが。師はどちらに?」

「先程まではいらっしゃったのですが、仮宮から入り用な物を借りて来るとおっしゃって」

「仮宮?」


 高度な法術に使う法術具や薬物の類は、一門の本拠である答志島に一揃いある。

 仮宮にわざわざ出向くならば、弗栗多ヴリトラか言仁の所有する宝物、もしくは換えの効かない人材が必要という事だろう。


「愚妹の失態で、何とも恐れ多い事になってしまいました……」

「責は、試術を統括する私にあります」


 普蘭プーランは嘆く長姉を促し、同行した人狼の学徒達と共に、次姉を屋敷の奥へと運びこませた。



 仮宮では人狼の童が、和修吉ヴァースキの急な訪問を受けていた。

 丸太を使って行った試術の経緯の説明を、童は満足そうに聞き入っている。


「試術がうまく行ったなら、姉ちゃんが蘇る見込みも立ったんですね!」

「是。だが今回、お前を訪ねたのはそれが本題ではない」


 和修吉ヴァースキは続けて、次姉が試術中の事故で、脳を思念に冒され、目覚めぬままである事を告げた。


「次姉様が、その様な事になっているのですか!? 治る見込みはあるんですか?」


 喜んでいた童は一転して、慌てて和修吉ヴァースキに問いただす。


「是。だが、お前の助力が要る。御夫君様の御許しは得た故、これから答志島まで同行して貰うぞ」

「俺、何か出来るんでしょうか?」


 次姉を助ける為というなら是非も無いが、何故、自分が呼ばれるのかが童には解せなかった。答志島には、法術に習熟した学師や学徒が大勢いるのである。


「是。お前でなくてはならぬのだ」

「そうですか…… まあ、それで次姉様を治せるんなら……」


 首を傾げながらも童が承諾すると、教導を受けている侍女が行李を手渡してきた。

 侍女の内でも格が高い一人で、言仁の身の回りを任されている古株の夜叉である。


「当面入り用な物はこちらへ入っております。御夫君様へ恥じぬ様、あちらでも御勤めを立派に果たされませ」

「あ、有り難うございます……」


 手際の良さに、童は舌を巻いた。自分が話を聞く前に、既に手筈は整っていたのだろう。

 身支度を整えた童は、飛龍の姿へ化身した和修吉ヴァースキの背に乗ると、答志島へと飛び立って行った。

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