第53話

 蘇生の術式を施してから二十八日後の、歌島。

 贄人の様子は、次姉を始めとした五名の人狼の学徒が、交代で観察していた。

 胎の児によって腹は膨れ上がり、通常の臨月の三倍以上の大きさとなっている。対して母体は徐々に痩せ細っていき、現在ではすっかり骨と皮ばかりだ。

 飲食を一切与えられる事無く、滋養を児に吸われ続けている為である。この有様でも、昼夜を通して歓喜のうめき声を出し続けているのは相変わらずだ。

 ここまでの経過は予測された通りで、術式は順調に推移している。


「ここまで何も無いと、退屈なんだよねえ……」


 不寝番として観察している桑妮雅ソニアは独りごちる。

 後の四名は寝台でぐっすりと眠っていて、起きているのは桑妮雅ソニアだけだ。異常が生じたら自分では手を出さず、すぐに次姉を起こす様にと指示されているのだが、見張り以外にやる事がない。


「この二、三日の内だと思うんだけどなあ……」


 蘇生の術式はそろそろ完遂する筈だ。その瞬間に当たれば、直ちに行動を起こさねばならない。気を張っていなければならない大事な時期なのだが、桑妮雅ソニアは今一つ緊張感を保てないでいた。


「お茶でも飲もうかな」


 眠気を覚ます為、桑妮雅ソニアは緑茶を入れた。

 眠気覚ましとして緑茶は飲み放題、茶菓子も食い放題なのが唯一の楽しみだ。京の落雁が、特に桑妮雅ソニアのお気に入りである。この時代では貴重かつ高価なのだが、言仁が差し入れとして歌島へ届けさせた物だ。


「酒は駄目、男もいない。茶と菓子は上物だけど、これだけじゃねえ。私、どこまで頑張れるだろ……」


 桑妮雅ソニアが茶に口をつけた時、蚊帳の中から紅く点滅する光が放たれ始めた。


「え、何々?」


 光っているのは、贄人の股間に刺さっている、張型状の法術具だ。

 桑妮雅ソニアが慌てて蚊帳に入って贄人の状態を確かめると、昼夜を問わず放っていた、歓喜のうめき声が止まっている。

 それだけでなく、呼吸もしていない。


「……死んでる……」


 桑妮雅ソニアは指示を仰ぐべく、次姉の寝ている寝台に駆け寄った。

 次姉は大きな口を開けて涎を垂らし、股を開いて大の字で熟睡している。


「次姉、起きて!」

「はあ? ああ……」


 揺り動かされた次姉は目を開けた物の、その顔は呆けたままだ。

 起きないと見るや、桑妮雅ソニアは次姉の頬を何度も平手打ちする。


「何寝ぼけてんの! この馬鹿姉!」

「あぅっ! おぅっ!」


 次姉はうめき声をあげるが、覚醒する事無く、されるがままになっている。


「夜中にどうしたの、騒々しい」


 次姉が目覚めない他の三名が起きてきた。

 桑妮雅ソニアは助かったとばかりに


「あ、みんな起きた? 丸太の様子が変わったんだけど、次姉がぼけてて起きない!」

「あんたが苦労を掛けるから、疲れてるんでしょ。放っときなさい。で? どうなったの?」

「息をしてない! 法術具が紅く光ってる!」


 三名は桑妮雅ソニアと共に、贄人を診察した。


「これ、死んでるね……」


 見開いたままの瞳をのぞき込み、脈を取った学徒が、贄人の死亡を宣告する。


「でしょう? どうしよう……」

「すぐに腹を切って、児を取り出そう!」


 狼狽える桑妮雅ソニアに、診察した学徒は対応を提案する。

 その場の全員が頷き、支度に取りかかろうとしたところで、頭上からそれを止める声が響いた。


「その必要はありません」

普蘭プーラン姉!」


 四名が一斉に叫んで見上げると、宙に浮かんだ八咫鏡に、普蘭プーランの姿が映っている。


「光は、術式が完了した事を示す物です。紅で点滅ならば、術式は無事に完了しています」

「んじゃ、この後どうするの?」

「指示は出してあるのですが…… 聞いていませんか?」


 四名の学徒は、揃って顔を見合わせ、首を横に振った。


「いつも偉そうにしてる癖に、次姉の役立たず! 叩き起こしてやる!」

「ちょっと、待ちなさい!」


 いきり立って蚊帳を飛び出そうとした桑妮雅ソニアを、残りの三名が押さえつける。


「全員に処置を周知しておく様、あれに厳命しておかなかった私の手落ちです」

「でもさあ、普蘭プーラン姉! 次姉、ぶったるんでるよ!」


 普蘭プーランは自らの責であると告げるが、桑妮雅ソニアは頬を膨らませて不満げに言い返した。


「施術の場で揉めるのはおよしなさい。和修吉ヴァースキ師であれば、貴女を即座に石化していますよ?」


 続く普蘭プーランの警告に、学徒達は顔を引きつらせた。

 美州での捜索の折、いさかいを起こした人狼兵二名が、和修吉ヴァースキによって石化されてしまった事は学徒達も聞き及んでいる。

 だが、肝心の桑妮雅ソニアだけは、全く意に介していない。


桑妮雅ソニア、言いたい事はあるでしょうけれども、不和はなりません。いいですね?」

「解ったよ……」


 普蘭プーランからきつい口調でたしなめられると、桑妮雅ソニアは渋々ながらも引き下がった。

 

「んで、普蘭プーラン姉。とりあえず、丸太をどうするの?」

「張型を引き抜きなさい。役目を終えた母体は朽ちていきます」

「ほいっと」


 桑妮雅ソニアが贄人の女陰から張型を引き抜くと同時に、紅い点滅も消えた。

 そして、贄人の体も、砂の様に崩れ落ちていく。

 腹部の位置に残ったのは、胎内にいた児だ。通常の胎児と同じ様に、身を丸めてうずくまっているが、齢十歳程に成長していた。性別は女だ。

 産声をあげたりはしないが、静かに呼吸をしているのが解る。


「まずは児を診なさい」


 普蘭プーランの指示に従い、先に母体の診察を行ったのと同じ学徒が、童女の全身を掌でなで回して状態を確認した。


「身体については問題ない様です」

「おめでとうございます、普蘭プーラン姉!」

「みんな、喜ぶのはまだ早いってば」


 無事に試験が完了したと喜び、拍手する学徒達だが、桑妮雅ソニアの発言がそれをさえぎった。


「これ、母体の自我がちゃんと移ってなきゃ意味ないじゃん」

桑妮雅ソニアの言う通りです。まだ、試術は終わっていませんよ」


 桑妮雅ソニアの指摘を、普蘭プーランも肯定する。

 盛り上がっていた学徒達は、一転して顔を見合わせた。いずれも、困惑の表情を浮かべている。


「……どうやって確かめましょう、普蘭プーラン姉?」


 贄人は、言葉も知恵も持たない白痴である。どうやって確認すればいいのか、学徒達には見当もつかない。

 

「やはり、咎人を使うべきでしたね……」


 学徒の一人が漏らしたつぶやきを、普蘭プーランは聞き逃さなかった。


「貴女は、御夫君様の御意に異を唱えると言うのですね?」


 普蘭プーランとて、咎人の方が試術に都合が良い事は解っていた。だが、〝親の罪に胎の子を巻き込んではならない〟という言仁の慈悲心を受け入れ、白痴の贄人を使う事を承知したのである。

 経緯を知っているにも関わらず、それに不平を漏らした発言に、普蘭プーランは憤りを隠さない。


「御夫君様の御心痛を考えなさい! 事と次第によっては……」

「お、お許しを!」


 普蘭プーランの詰問に、発言した学徒は脅えて平伏する。


普蘭プーラン姉、ちょっと口を滑らせただけなんだから、大目に見てあげてよ。いちいち怒ってたら、きりがないってば」


 桑妮雅ソニアの呼びかけに、普蘭プーランは落ち着きを取り戻した。


「そうですね。しかし、次はありませんよ?」

「以後、留意します。申し訳ありません……」


 許しを受け、平伏していた学徒は立ち上がると改めて謝罪する。


「一つ貸しね」


 桑妮雅ソニアの耳打ちに、助けられた学徒は顔をしかめながらも小さく頷いた。


「でもさ、普通の人間なら、話してみりゃいい訳だけど。白痴の場合、どうやって自我が移ったか確かめられるかな?」

「贄人の脳に焼き付けてある、基礎の動作が移っているかどうかで解ります」


 贄人は、食事や排泄、運動と言った動作を自分で出来る様に、術式で脳に行動が焼き付けてある。

 母体に施してあった焼き付けが童女に移っていれば、試しの確認が出来るという訳だ。


「あ、そうか。納得した」

「その辺りの手筈は全て、現場を統括するあれに伝えてあったのですが。まだ起きませんか?」

「ちょっと見てくるよ」


 桑妮雅ソニアが次姉の寝台を覗くと、いまだ呆けた表情で涎を垂らし、大の字になったままだ。


「いい加減に起きなよ、次姉?」

「んあ? ああ……」


 桑妮雅ソニアが呼びかけても、次姉の反応は先程と変わらない。


「起きないねえ…… いくら何でもおかしくない?」

「結界が解けていないか、確かめなさい」


 黄泉返りの放つ思念は、周囲の者を狂わせる。それを防ぐ為、歌島の学徒達は全員、脳を結界で護る法術具を身につけていた。

 普蘭プーランの指示を受けて桑妮雅ソニアが確認すると、普蘭プーランの危惧通りに結界が解けていた。


「何で!? 壊れちゃった?」


 戦場で兵が身につける事も考慮した物だ。滅多な事で壊れる様な代物ではない。

 首を傾げる桑妮雅ソニアに、他の三名も寄ってくる。

 その内の一人が、床に落ちていた法術具を見つけて拾い上げた。


「ねえ、これ……」


 いかに頑丈な法術具でも、外してしまっては効力を発揮しない。


「次姉、寝ぼけて外しちゃったのかな?」


 桑妮雅ソニアの指摘に、その場の全員が頷いた。


「成る程、次回から対策が要りますね。着脱が容易では、同じ事が起こりかねません」

「あの、普蘭プーラン姉。まずは次姉を正気に戻すにはどうしたら……」


 淡々と次回の課題を告げる普蘭プーランに、学徒の一人が次姉の処置について指示を仰ぐ。


「母体が朽ちて思念は絶えていますから、既に結界は不要です。それは半日程寝かせておけば、正気を取り戻すでしょう。直らなければ、和修吉ヴァースキ師にお願いします」

「大丈夫でしょうか……」

「通常の人間であれば、完全に狂っていたでしょう。神属の貴女達なればこそ、その程度で済んでいます」


 学徒達は、隔離された歌島で試術を行っている理由を、身をもって思い知った。

 神属と言えども油断すれば、この様な醜態をさらす事になるのである。

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