第53話
蘇生の術式を施してから二十八日後の、歌島。
贄人の様子は、次姉を始めとした五名の人狼の学徒が、交代で観察していた。
胎の児によって腹は膨れ上がり、通常の臨月の三倍以上の大きさとなっている。対して母体は徐々に痩せ細っていき、現在ではすっかり骨と皮ばかりだ。
飲食を一切与えられる事無く、滋養を児に吸われ続けている為である。この有様でも、昼夜を通して歓喜のうめき声を出し続けているのは相変わらずだ。
ここまでの経過は予測された通りで、術式は順調に推移している。
「ここまで何も無いと、退屈なんだよねえ……」
不寝番として観察している
後の四名は寝台でぐっすりと眠っていて、起きているのは
「この二、三日の内だと思うんだけどなあ……」
蘇生の術式はそろそろ完遂する筈だ。その瞬間に当たれば、直ちに行動を起こさねばならない。気を張っていなければならない大事な時期なのだが、
「お茶でも飲もうかな」
眠気を覚ます為、
眠気覚ましとして緑茶は飲み放題、茶菓子も食い放題なのが唯一の楽しみだ。京の落雁が、特に
「酒は駄目、男もいない。茶と菓子は上物だけど、これだけじゃねえ。私、どこまで頑張れるだろ……」
「え、何々?」
光っているのは、贄人の股間に刺さっている、張型状の法術具だ。
それだけでなく、呼吸もしていない。
「……死んでる……」
次姉は大きな口を開けて涎を垂らし、股を開いて大の字で熟睡している。
「次姉、起きて!」
「はあ? ああ……」
揺り動かされた次姉は目を開けた物の、その顔は呆けたままだ。
起きないと見るや、
「何寝ぼけてんの! この馬鹿姉!」
「あぅっ! おぅっ!」
次姉はうめき声をあげるが、覚醒する事無く、されるがままになっている。
「夜中にどうしたの、騒々しい」
次姉が目覚めない他の三名が起きてきた。
「あ、みんな起きた? 丸太の様子が変わったんだけど、次姉がぼけてて起きない!」
「あんたが苦労を掛けるから、疲れてるんでしょ。放っときなさい。で? どうなったの?」
「息をしてない! 法術具が紅く光ってる!」
三名は
「これ、死んでるね……」
見開いたままの瞳をのぞき込み、脈を取った学徒が、贄人の死亡を宣告する。
「でしょう? どうしよう……」
「すぐに腹を切って、児を取り出そう!」
狼狽える
その場の全員が頷き、支度に取りかかろうとしたところで、頭上からそれを止める声が響いた。
「その必要はありません」
「
四名が一斉に叫んで見上げると、宙に浮かんだ八咫鏡に、
「光は、術式が完了した事を示す物です。紅で点滅ならば、術式は無事に完了しています」
「んじゃ、この後どうするの?」
「指示は出してあるのですが…… 聞いていませんか?」
四名の学徒は、揃って顔を見合わせ、首を横に振った。
「いつも偉そうにしてる癖に、次姉の役立たず! 叩き起こしてやる!」
「ちょっと、待ちなさい!」
いきり立って蚊帳を飛び出そうとした
「全員に処置を周知しておく様、あれに厳命しておかなかった私の手落ちです」
「でもさあ、
「施術の場で揉めるのはおよしなさい。
続く
美州での捜索の折、いさかいを起こした人狼兵二名が、
だが、肝心の
「
「解ったよ……」
「んで、
「張型を引き抜きなさい。役目を終えた母体は朽ちていきます」
「ほいっと」
そして、贄人の体も、砂の様に崩れ落ちていく。
腹部の位置に残ったのは、胎内にいた児だ。通常の胎児と同じ様に、身を丸めてうずくまっているが、齢十歳程に成長していた。性別は女だ。
産声をあげたりはしないが、静かに呼吸をしているのが解る。
「まずは児を診なさい」
「身体については問題ない様です」
「おめでとうございます、
「みんな、喜ぶのはまだ早いってば」
無事に試験が完了したと喜び、拍手する学徒達だが、
「これ、母体の自我がちゃんと移ってなきゃ意味ないじゃん」
「
盛り上がっていた学徒達は、一転して顔を見合わせた。いずれも、困惑の表情を浮かべている。
「……どうやって確かめましょう、
贄人は、言葉も知恵も持たない白痴である。どうやって確認すればいいのか、学徒達には見当もつかない。
「やはり、咎人を使うべきでしたね……」
学徒の一人が漏らしたつぶやきを、
「貴女は、御夫君様の御意に異を唱えると言うのですね?」
経緯を知っているにも関わらず、それに不平を漏らした発言に、
「御夫君様の御心痛を考えなさい! 事と次第によっては……」
「お、お許しを!」
「
「そうですね。しかし、次はありませんよ?」
「以後、留意します。申し訳ありません……」
許しを受け、平伏していた学徒は立ち上がると改めて謝罪する。
「一つ貸しね」
「でもさ、普通の人間なら、話してみりゃいい訳だけど。白痴の場合、どうやって自我が移ったか確かめられるかな?」
「贄人の脳に焼き付けてある、基礎の動作が移っているかどうかで解ります」
贄人は、食事や排泄、運動と言った動作を自分で出来る様に、術式で脳に行動が焼き付けてある。
母体に施してあった焼き付けが童女に移っていれば、試しの確認が出来るという訳だ。
「あ、そうか。納得した」
「その辺りの手筈は全て、現場を統括するあれに伝えてあったのですが。まだ起きませんか?」
「ちょっと見てくるよ」
「いい加減に起きなよ、次姉?」
「んあ? ああ……」
「起きないねえ…… いくら何でもおかしくない?」
「結界が解けていないか、確かめなさい」
黄泉返りの放つ思念は、周囲の者を狂わせる。それを防ぐ為、歌島の学徒達は全員、脳を結界で護る法術具を身につけていた。
「何で!? 壊れちゃった?」
戦場で兵が身につける事も考慮した物だ。滅多な事で壊れる様な代物ではない。
首を傾げる
その内の一人が、床に落ちていた法術具を見つけて拾い上げた。
「ねえ、これ……」
いかに頑丈な法術具でも、外してしまっては効力を発揮しない。
「次姉、寝ぼけて外しちゃったのかな?」
「成る程、次回から対策が要りますね。着脱が容易では、同じ事が起こりかねません」
「あの、
淡々と次回の課題を告げる
「母体が朽ちて思念は絶えていますから、既に結界は不要です。それは半日程寝かせておけば、正気を取り戻すでしょう。直らなければ、
「大丈夫でしょうか……」
「通常の人間であれば、完全に狂っていたでしょう。神属の貴女達なればこそ、その程度で済んでいます」
学徒達は、隔離された歌島で試術を行っている理由を、身をもって思い知った。
神属と言えども油断すれば、この様な醜態をさらす事になるのである。
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