まごころお料理

高田黎明

第1話 料理好き

プロローグ


「まずい」

 それが、父親の口癖だった。

 俺の父親は、割烹料理人、道重総一郎である。

 とくに、和食については幅広い知識と繊細な技術を合わせ持ち、〝和の鉄人〟の呼ばれている男だ。生きる伝説とまで評価されていて、国内では五本の指に入るであろう凄腕の料理人だ。

 その名が日本中に知れ渡ったのは、俺がまだヨチヨチ歩きだった頃。

 とある料理対決番組で、当時のチャンピョンに挑んだのが始まりだ。

 そのチャンピョンは、十週連続料理対決で勝利している、不動のチャンピョンだった。

 けれど、そのチャンピョンを、俺の親父はあっさりと倒してしまう。

 それ以降、二十週に渡って、父親は玉座を守り続けた。テレビが打ち切りになるまで、一切料理勝負で敗北することはなかったそうだ。

 そんなテレビの影響もあり、父親の経営する割烹料理屋は、とても繁盛した。

 それから十五年という歳月を得ても、その人気は留まることを知らない。小さく、小汚い門構えも、今では立派に改装され、高級料理屋として、予約は一年先まで取れないそうだ。

 そう。道重総一郎は、まさに、日本の誇るべき料理人である。

 俺は、そんな料理人としての父親を、尊敬していた。

 ――でも、誇れたのは〝料理人〟としての姿だけだったと思う。

 俺の父親は、〝人〟としては、最低最悪の男だったのだ。

「まずい」

 その日の夕飯も、父親はそう言って、母親を怒鳴った。

「何が……悪かったのでしょう?」

 母親は恐る恐ると、言葉を選ぶかのように父親に訊く。

 味噌汁を置いてなんちゃらかんちゃら

「何が悪い? 何が悪いかも気づけないのか?」

「はい……」

「まったく、お前は本当に向上心がないな。何のために夕飯を任せている? 自宅にいる時くらい、私に料理のことを考えさせるな!」

「ごめんなさい……」

 自宅で出される夕飯に関しては、母親が作る決まりになっていた。それは、仕事で疲れた父親のためを思って、母親が言い出したことだった。

 でも、母親が丹精込めて作ったその料理を口にするたびに、父親は母親に駄目だしをするのである。

「だいたい、なんだこの味噌汁は? 出汁が薄すぎる。ただカツオ節を削って放り込んだだけだろう? 火加減の調整もできないのか、お前は」

 父親は激しい剣幕で母親を叱る。

「すいません……」

 母親は震える声でそう言って、いつも頭を下げる。

 まだ幼稚園児だった俺は、母親の膝元で怯えていた。

 ふと母親の顔を覗けば、母親は涙を一つ零していた。なんで泣いているのか、その時の俺には理解できなかったが、今は理解できる。

 ――母親は、自分の料理を褒めてほしかったのだ。

 母親は料理人ではない。ただの専業主婦であった。料理の腕は一般人と比べれば優れていたが、世界を又にかける父親の肥えた舌を満足させるような技術は持ち合わせてはいなかった。

 結果、母親の料理は一度も父親に褒められることはなかった。

 それを理由にして、母親と父親は別居し始めたのである。

 俺は母親に連れられて、家を出た。

 そして今では、母親の実家で暮らしている。

 父親とは、もう何年も会っていない。母親と離婚するのも、そう遠くない未来かもしれない。

 前置きが長くなったが、つまり、俺が何を言いたいかというと。


 俺は、人と一緒に食事するのが嫌いだってことだ。


 食事、さしずめ料理というジャンルは、人の好みが顕著に出る。父親がそうであったように、食を探求し続ける者にとって、未完成に近い料理は逆鱗に触れる要因となりえる。

 だから、俺は誰かと食事をするのが嫌いだ。

 幸せだった家庭を引き裂いた原因が、〝食卓〟であったからだ。

 こんなことなら、父親は冴えない料理人のままでいてほしかった。

 そうすれば、今も家族一緒に、楽しい食卓を囲んでいられたかもしれない。


 そんな、捻くれた考え方をしていた俺は、あっという間に青春を向かえ、高校生となる。

 根暗で、淡白で、性格が悪い、そんな男に育ってしまった。

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まごころお料理 高田黎明 @kasutera

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