少年と少女、少し神様。

@gate

 序幕 現代の話 ー過去への追想ー

 

 夏は過ぎ去り肌寒い風が吹くようになり、これから本格的に寒くなっていくんだろうな、と誰もが習慣づいた予感を感じている中、俺はとても熱い視線を感じていた。

 それは学校の気怠い授業が終わり、委員会の会議を終え、一人家路を歩いているときの事だった。この時の俺は、何か深い考えがあったわけじゃなく、占いで言っていたから、と言うのと同じくらいの軽い気持ちで、何時もの帰り道より少し遠回りな道を選んで帰っていたのだが、熱い視線はそんな道の途中で俺に向けられたのだった。

「……捨て猫か」

 ドラマやアニメでよく見る、ダンボールの中にタオルが敷かれ、その上に、ちょこん、と座っている猫が二匹いた。どちらも茶色い毛並みをしたネコで、見た感じ、どちらも生まれてからそう日は経っていない子猫であることが分かる。

「みゃぁ」「にゃー」何かを訴えかけるように、もしくはねだるように、猫が同時に泣いた。

 ちょっとそこのお兄さん、可愛い私たちの話を聞いてくれない? と言っているのかもしれない。

「にゃーにゃー」と鳴き声をまねしてみるが、それに対する返答はなかった。

 猫の体に目立った汚れは少なく、痩せこけているといった感じもしなかった。捨てられてから、そう日は経っていないのか。

「お前ら、運がいいな」

 ここは人通りの少ない道だ。もし、俺が遠回りな道を選んでなかったら、まだ見つかっていなかったことだろう。

「にゃ」「みゃ」

 アピールをしているのか、子猫二匹はおもむろにじゃれ合いだした。カサッと音がして、猫の下から折られた髪が見えた。きっとこれも、お約束のものなんだろうな、と思いながら手に取り広げてみると、やはり、お約束の「拾ってください」の言葉が書かれていた。

「捨てるより、呼びかけたほうが早いのに」

 誰か見つけてください、と祈るよりかはずっと早く見つかると思うのだけど、何故飼い主はわざわざ運に任せるようなことをするのか、漫画や映画で出てきたときには、いつも疑問に思っていた。実際に目の当たりにしても、やはり、変わらずそんな疑問が頭に浮かんだ。

「にゃーにゃー」「みゃー」

 そんな考えに耽るより、私たちの事を考えてよ、と叱られた気がした。

 暫し考える。この猫を、拾うかどうか。

 きっとこの猫は、俺が拾わないと選択がしたところで、他の人に見つかるまでずっとここにいるだろう。お腹が空いても、ずっとずっとここにいて、静かに死んでいくだろう。

 頭に1つの情景が浮かぶ。真っ暗な中、二匹が泣いている姿。そこから暗転して、別の情景へと切り替わる。森の中だ。森の中で、真っ暗だ。その中で、泣いている。寂しさと、空腹と、怖さで、ダムが決壊したような勢いで涙を流して、泣いていた。それは、俺だ。

 小さいころの、俺だった。その俺と、猫が、重なるような気がして、胸に熱い何かがこみ上げてきた。

 猫を一匹、抱き上げる。掌にすっぽりと包めてしまえそうな小ささだ。お腹に当たる指が、くすぐったいのか、攀じるように体を動かしている。

「にゃー」

「お前ら、運がいいな」

 俺はダンボールを抱きかかえて、家へと向かって歩き出した。



 傾斜角の大きい坂道の上、なぜ建てようと思ったのか、そう思える住宅街の中に、俺の家はある。ダンボールを抱えた上に、方にバッグを提げて、しかも猫たちはこっちの事情何て知らずにじゃれ合っては重心が不安定になると言うのを繰り返し、予想以上の疲労感を感じながら、家の扉を開けた。

「ただいま」

 靴を脱いで、居間へとまっすぐ向かう。

「雄二―、おかえりー」

 間延びした声が俺を出迎えた。妹のキリだ。

「早かったね」と言いながら、俺の持っているダンボールへと目を移した。「それ何?」

「拾ったんだ」

 と言って、俺はダンボールの中身が見えるように箱を傾けた。

「あ、猫?」

「そう」

「拾ったの?」

「うん」「にゃー」「みゃあー」

 猫は「そうなんです、よろしくお願いしますね」と言いたかったのかもしれない。

「そうなんです、よろしくね、って言ってたりして」

 俺が思ってたことと同じことを、キリが言って驚いた。考える事は同じというのは、さすがと言うべきなのか。

「よろしく、してくれるの?」俺は、驚いた。「怒られるかと思ってた」

「どうして?」

「キリはいつも、俺が虫とかを捕まえてくると怒ってたから」

「猫と虫は違うよ」とキリは笑った。「猫には毛皮があるじゃない」

「そこが決定的な差なのか……」

「そこが大きな差なのよ? もふもふ」

 キリが猫を抱きしめて、毛皮のさわり心地を確かめた。気持ちよさそうに猫も身動ぎした。

「みゃー」取り残されたもう片方の猫が鳴く。俺はそのネコを抱き上げた。

「お前ら、本当に運がいいな」

「運がいいって?」

「今日、少し遠回りして帰ってきたんだ、それで、その途中で猫を見つけた。つまり、俺が遠回りをしよう何て思っていなかったら、猫は見つかってなかったわけだ。それに」

「それに?」

「毛皮がついてるから、ここで飼って貰える」

 そんな俺の言葉に、一瞬きょとん、としたキリはすぐに顔を緩め、

「ふふっ、確かに」

 これは運命ね、とキリは言って、何かに気付いたように抱いていた猫を俺に預けて、居間から出て行った。

 猫二匹は俺の腕にすっぽりと包まれながら、お互いに体を擦り付けあい始めた。そこで改めて、二匹ともメスだという事に気付いた。これじゃあ子供は出来ないじゃないか、と思いながらも、最近流行の百合というものに、この二匹は目覚めていくんだろうか、なんてことも考えた。猫二匹の百合もの、というのは百合が好きと言う人からすればどうなのだろうか、今度学校で聞いてみよう。一人だけ、そういう事を聞くのに最適な奴がいるのだ。

「ねぇねぇ」

 そんなことを考えていると、キリが洗面器とタオルをもって戻ってきていた。

「体、拭いてあげようよ」

「ん? あぁ、そうだな」

 良く気付くやつである。

 ぬるめのお湯の入った洗面器にタオルを入れて、絞ってから猫の体を拭いてやった。猫は気持ちよさそうに目を閉じた。

「名前、決めなきゃね」キリが楽しげに言う。

「名前かぁ」

「名前は大切だよ。名は体を表すって、言うじゃない」

「バカって名前を付けたら、バカになっちゃうとか?」

 冗談を言ったら、思いのほかキリはウケたらしく楽しそうに笑った、

「面白いけど、あるかもね。ほら、球児って名前の野球選手がいるでしょ。あの人なんてまさにそうじゃない」言いながら、キリは勢いよく猫の体をタオルでゴシゴシと拭いている。「名は体を表す」

「あぁ、あの人か」初めて聞いたときは、かなり驚いた記憶がある。球児で野球選手だなんて、漫画みたいだな、と。

「でも、その野球選手は、なるしかなかったんじゃないか、と思わないか?」

「そうかな?」

 拭き終ったタオルを洗面器につけて、猫を解放した。水気を払うように体を大きく震わせて「にゃあ」と鳴いた。お礼を言ったのかもしれない。

「だって、球児なのにプロレスラーとか、陸上選手とかになってたら、なんだかおかしいだろ?」

 きっと両親も、プロ野球選手になって欲しいと言う願いをもってつけたんだろう。

「んー、確かに、そうね」

「名は体を表す、って言うのは、きっと子供が自分の名前の責任を感じて、そうなろうと努力してたから、そう言われるようになったんじゃないか?」

 現代の子なんて愛らしい猫で「キティ」などという名前があるくらいだ。じゃあその子は将来キティちゃんになるのかと言えば、そうはならないだろうし、キティになろうと努力しようなんて微塵も思えないだろう。そもそも現代の子は自分の名前を有難がらず、意味も知らず、知ったとしてもそれにふさわしい自分になろうなんて子供がいるのか疑問だ。

「ま、でも、何か願いを込めた名前を付けられるって言うのは、嬉しい事だと思うし、しっかり考えてやるか」

 探索するように家の中をうろうろしている子猫二匹を見ながら、どんな名前が良いだろうと考える。

何か意味を与えるとなると、やはり何か、深い意味を与えたい。が、ネコにそんな深い意味を持つ名前を付けるというのも、なんだか猫に申し訳ないような気もする。

真っ直ぐに、分かりやすい意味を付けてあげたい。

「キリは何かいい案があるのか?」

「あるよ」胸を張ってキリは答えた。「タロとジロ」

「お前それ犬の名前じゃないのか?」

確か、観測隊に同行し、南極に取り残されて一年間も生存したと言う、有名な犬だ。

「タロとジロが犬の名前にしか付けられないなんて、そんな決まりはないでしょ?」

「まぁ、そうだけど……」

「南極でも生き残れるような、逞しい二匹になって欲しいな、という願いが込められておるのじゃ」

 分かりやすい。

 名前なんだから、分かりやすくていいのかもしれない。

 確か俺の名前、雄二の意味を、小さな頃に父親から教えてもらった記憶がある。俺の家族らしい、とても分かりやすい意味だったような、今一思い出せない。

……俺もまた現代の子供の一人なのである。

「ねぇ、雄二は何か名前考えないの?」

「え、俺? ……そうだな、俺が付けるとしたら……」

 何か意味を持たせた名前を考えるのは苦手というか難しくて考え付かないし、二匹の特徴からつけるのが妥当じゃないだろうか。

 改めて二匹を観察。二匹とも小さくて茶色い毛並みの子猫、つまり無個性。違いがあるとすれば、片方は今も部屋中を冒険するように歩き回っていて、もう一匹は興味がないのかナマケモノなのか、床に寝転んで動かない、二匹の行動の差だろうか。

「……コロとガリバーで」

「う、うぅ? 可愛い響きだけど何か意味あるの?」

「一匹はゴロゴロしてるから、可愛い響きにして、コロ。もう一匹は冒険すきそうだからガリバー」

 なかなか、的を得た名付けではなかろうか、そう思ってキリを見ると、不満がしかないと言った顔だった。

「なんか、テキトーじゃない?」

「こういうもんじゃないかな、名付けなんて。それに、タロとジロ―だって十分適当だ」

「私はちゃんと考えた意味があって、タロとジロなんですー」

「意味、なぁ」

 重々しい意味なんてつけられても、本人からしてみれば重すぎる期待というものだ。

 名前で縛る、というのは霊能者とか陰陽師とかが漫画の中でよく言っているが、実際に名前に縛られると言うのはあるだろう。

 先ほどキリが言っていた野球選手だってそうだ。本人はなりたくてなったのかもしれない、いや、なりたくなければなれない様な世界なのだから、野球が好きで野球選手になったのだろうけど、しかしそれは名に縛られたと言えないわけでもない。

 だから、俺はそこまで重々しい名前を付ける事は可哀そうだと思う。

 意味を持たせることは大事だけど、つまりは結局、

「想いがこもっていれば何だっていいんだよ、名前なんて」

「…………想い…………ねぇ」

 長い沈黙の合間に何かを呟きつつ、キリがコロを一撫でした。

「ねぇ」

「ん、何だ?」

 キリが姿勢を正した。急にどうしたと言うのだろう。

 つられて俺も、正座をして姿勢を正す。

「私の名前って、何でキリなの?」

「え、っと」

 そうか、この流れでそういう風に考えたか。

 困った。

「私にキリって名前つけたの、雄二じゃない」

 ……まぁ、そうなのだが。

「さぁ、そんな事より、晩飯の準備でも始めよう。今日は何を作るんだ?」

「え、ハンバーグを……って、雄二~ぃ?」

 流石に一発じゃ無理だ。ここで畳みかける。

「おお、珍しいな、我が家で洋食が食えるなんて。何か心境の変化でもあったか? それとも、ミンチが安かったとか?」

「そうなの! チラシには載ってなかったのに、いざ行ってみたら半額になってて、ついつい買っちゃった! だから「スーパー小出」は侮れない!」

 自慢げにそう語るキリ。家計のやりくりが趣味の女子高生なのである。

「さすが「スーパー小出」だな。チラシに乗ってないものも格安で小出ししてくる」

「あ、これもだね」キリが楽しげに言った。「名は体を表す」

 言われてみればそうだった。ともすれば、案外、世界はそんな風にできているのかもしれないと思えてきた。偶然であろうと、必然であろうと、名は意味を持ち、意味を成していく、そんな仕組みが世界にはある。

 話が戻ってしまい、またキリの名前について聞かれるかとも思ったが、鼻歌を歌いながらエプロンを付けているところだった。完全に、キリの意識はハンバーグ作りに行っているようだ。ありがたい。

 もう一度、逸らせるだけ逸らしておくことにする。

「煮込みハンバーグな、煮込んでくれよ? 煮込まないと食わん」

 本当はどっちでもいいのだが、そう言っておいた。キリは、あからさまにいやそうな顔をして振り向いて「えー」と、抗議の声をあげた。

「私、チーズ乗せがいいのに! 中にチーズも入ってるのに! 焼きじゃないとチーズの美味しさ半減なんですけど!」

「チーズ好きも程々にしろよ……。別々に作ればいいじゃないか」

「……一緒じゃないと、なんか嫌だ」子供みたいなことを言いながら、子供みたいに口を膨らませて、キリは言う。「家族なんだし……」

「……分かった。焼きでいいよ。チーズインチーズ乗せハンバーグでいいから、美味しいの作ってくれ」

 そう言うと、パッと表情を明るくさせて、「頑張る!」と台所に駆けていった。元々どっちでもよかったし、本来の目的は成功したので、良しとする。

「……いつまでも、逸らせるもんじゃないよな」

 何度か、こんな風に話を逸らす場面があった。決まって話題は同じものだ。

 確かに、キリの名前をつけたのは、俺だ。

 何てことないような事だが、しかしこれは、おかしい話になるのだ。

 俺とキリの年齢は、一緒。学校も同じ学年。

 つまり、キリは双子の兄妹ということになる。

 だとしたら、キリの名前を俺がつけたというのは、おかしな話になる。

 しかし、これは別におかしい話じゃないのだ。

 俺とキリは、本当の兄妹ではないのだから。 

「ねぇ雄二ー。チーズ何枚乗せる? 五枚は欲しいよね!」

「一枚でいいよ! そこまでいくとチーズ包みハンバーグじゃねぇか!」

 これは、十年前から続く、秘密の物語。

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