第3話 エリザスエーデルベルト
上層に向かえば向かうほど、道は整備され、入り組んだ路地は減っていく。
あるき始めて15分少々、ここまでくると
ゴミが落ち、汚ればかり目立つ下層・中層区とは違い、上層区付近に入るこの場所はソレナリに綺麗である。
整えられたメインストリートには小綺麗な店が並び、上層区の客を手ぐすね引いて待っている。
数は少ないが、下層や中層では先ず見られない“本物の食材”を使った飲食店すら数店舗程見えた。
合成食品の数倍から数十倍の値段のするソレは、中層区の富裕層でもおいそれとは手が出せない。
「帰りに気分転換に何か買ってこうかな? 最近本物の魚なんて食べてないし」
Aランカーとしてそれなり以上に稼いではいるが、元々魚よりは肉派もあって随分口にしていなかった。
記憶を漁れば、数か月は前だろうと思いだす。
進めば進むほど憂鬱となっていく。安易に引き受けたのは失敗だったかもしれない。
そもそも、有名な遊楽地であるとはいえ、エリザスはどうしてこの街に来たのか。
彼女の本拠地、もとい住処は欧州の筈である。
(私がいるこの街にってのが、どうしても嫌な感じがぬぐえない……)
それでも引き受けた以上はやらねばならない。
身の安全が保証出来ない地で住むのなら、亮のような知己は大切にするべきだ。
世界代理戦争機構、マシナリーウォーズにおいては上位に位置する実力者だろうと、
下層の潜むようにして歩くのとは違い、ここは人が皆堂々と歩いていく。
着ている者もこざっぱりとして清潔だ。
上層区には入れずとも、定期的かつ安定的な収入。
つまりどいつも“職”を持った人達なのだろう。
そんな場所を歩いていると、少女は何時も考えてしまう。
――肌に合わない、と。
笑い声響く雑踏よりも、緊張感ある通路の方がいい。
仮面的な偽物の笑顔を浮かべた住人より、欲望に忠実な奴らの方が分かりやすい。
上層区手前ですらこうなのだから、エデンに入ればそれは嫌でも更に感じることだろう。
「止まれ。ここより先は許可無き者は入れない」
「許可なら、ある」
思考しながら歩いて数分。とうとう衛士が守る門の前まで来てしまった。
掛けられた言葉に反射的に答えつつ、一枚のIDカードを無言で差し出す。
普段なら偽造カードを使うが、ここでそれを行うのはリスクが高いし必要性もない。
「確認させて頂く。暫し待たれよ」
四人居る衛士の一人がカードを受け取り、門に備え付けられたカードリーダーに差し込む。
言わば身分証と同義のそれには少女の現実における立場、階級やその他が記録されている。
「お、お待たせ致しましたっ! アイリッシュ・メルキエド・綾瀬様で御座いますね!? どうぞ、お通り下さい!!」
慌てた様子の衛士に無言で頷き、そのまま素通りする。
少女の現実における立場、マシナリーウォーズAランカーとは実に影響の大きいものだった。
なんせAクラス認定者とはつまり、代理戦争において大きな貢献をした者を指しているからだ。
実際Aランカーの大半がエデンのような、言わば勝ち組の区画に居を構えている。
綾瀬や亮のような者は少なく、つまりは変わり者と言えるだろう。
奥に居た衛士が立派な金属製の大門ではなく、人一人が通れる開閉式の通路に案内してくれる。
これが通常路であり、大門は貴族や特別な場合を除いて使用されない。
金属床を歩き、反対の開閉式扉を抜ければ目に映るのは華やかな街並み。
そう、街並みだ。街の中に別の街がある。そう言っても過言ではない風景だった。
中央のスカイフォールを中心とした歓楽街、そして居住区。
外側に当たる部分は居住区として。スカイフォール周辺は望みを叶える欲望の歓楽街として、このエデンは機能している。
東西南北のメインストリートに加え、完全整備された通路。下層や中層じゃ見られない庭付きの別荘の数々。
道路には洗練されたフォルムの車が走り、地下にはエデンを網羅する高速回送車が稼働している。
まさしく正しく別世界。これが現代に根付いた貧富の差であり、実情であった。
空気すら清浄機により清められ、気温すら二十度付近に保たれている。
下層で生まれ育った者であれば、電脳でしか味わえない世界観だろう。
誰もが羨む場所ではあったが、綾瀬には興味がなかった。
望んで拒んだ場所だ。今更未練などあるわけもなく、むしろ居心地は最低だった。
(まぁ、生まれも育ちも下層だしね。お上品なのはどうしても肌にあわないってことでしょ)
苦笑を浮かべ、スカイフォールに向かって歩き出す。
エリザスのような貴族は大抵スカイフォール内に居を持つ。
最高のセキリュリティーと、数多の娯楽を内包した建築物なのだから当然だろう。
だが、歩くとなれば一時間程度ではすまない。それでは日が暮れてしまう。
南門から続くメインストリートを歩きつつ、見つけた回送車へ乗る地下入口を降りていく。
スカイフォール周辺ならモノレールも走っているが、外側の移動手段は回送車か車しかない。
スカイフォール行きを脳に埋め込まれたブレインチップから電脳へと接続し検索する。
すぐにエデンのデータバンクに繋がり、視界に誘導指が表示される。
ブレインチップを介し電脳における情報を取得し、それを電気信号に変換し視野に反映する技術。
当初こそ夢の発明だともてはやされたブレインチップも、今では生まれた途端に埋め込まれる程度にすぎない。
改札口を通れば、ブレインチップが反応。自動で個人バンクから乗車賃が引かれていく。
人はまばらだが、見る人見る人どこか上品さが窺がえた。
(場違いなのは分かるけど、ジロジロ見られるのは好かないな)
周囲の女性はワンピースなど、女性らしい恰好に対し、綾瀬はパンツルックであった。
首回りで裾の切れた防刃性付与の白いカッターシャツに、薄い生地の反面強靭な上着、密着型のパンツ。
男装ととられかねない服装も、見目があまりに少女然としているためどこかチグハグな印象だ。
実際のところ、下層でスカートなど自殺行為に等しいのだから当然の恰好と言える。
それがここでは珍しいのだろう。行き交う人々はほぼ必ず綾瀬に視線を向けてくる。
今日は随分と溜息が多いと思いながら零しつつ、流線型の回送車へと乗り込む。
探さずとも席はほとんどが空であり、座り込めば共用の場であるというのに随分と座り心地のよい椅子であった。
『間も無く、当回送車は南門入口より発車致します。次は、南門入口前、南門入口前で御座います』
無骨な電子音が鳴り響き、軽やかに回送車は走り出す。
綾瀬の知識が正しければ、時速にして優に二百キロ以上は出ている筈なのだが、全く揺れを感じない。
これには流石に少々驚き、一瞬腰を浮かせれば少ない乗客の視線が注がれる。
頬をほんの少し染め、咳払いをすれば散る視線を確認して何事もなかったかのように座り込む。
(……これがマシナリーウォーズなら、どんな機構でも驚かないのに)
幾つもの駅を過ぎ去り、ようやくスカイフォール前にたどり着いた綾瀬は、南門入口とは比較にならない人口密度に驚く。
倍などではすまない人数が回送車に乗り込む、または通路を歩き去っていく。
下層では決してお目にかかれない事態に、目を白黒させながら歩き出す。
改札口を出れば視界に被さるように、
その案内を辿るように進めば、スカイフォール前に出る出口は簡単に見つかった。
エスカレーターに足をかければ、十秒程で地上に出る。
「すかい……ふぉーる……」
登りきり、屋根が被さる部分を過ぎれば目に映るスカイフォールと呼ばれる超高層建築物。
それは雲に届き、雲を越す建築物。
世界中の欲望が集まり、様々な権力者達が集う魔窟。
下から見上げても、その全容は全くもって把握できない。
下層から見た場合、随分と細く見えるが、近くから見るとそれが間違いだと分かる。
横幅にしたって数百メートル以上。下手するとキロ近いのではないかと。
「ねーねーキミ、なに、スカイフォール正面から見るの初めて?」
過去何度かスカイフォールはおろか、エデンにも足を運んでいるが、何度見ても圧巻であった。
ここにエリザス・エーデルベルト、女帝がいるのかと思えば暗澹たる思いだ。
「キミだって、キミ!」
立ち止まっていては先に進めないと歩もうとすれば、何者かに腕を掴まれガクンッと体勢が崩れる。
即座に後ろ足を引き立て直し、不埒な真似をした人物へと視線を向ける。
「無視しなくってもいいだろ? キミ、スカイフォール初めてだろ? よかったら俺が中に案内してやるよ」
第一印象は軽薄。着てる衣服だけなら、爆地心、亮に近いものがある。
そこに更にアクセサリーを増やしたばかりか、耳やら唇やら、鼻にまでピアスを付けるときた。
かなり昔、一部の者に流行ったファッションだったが、今では生きた化石にも等しい。
「離して下さい。案内はいりませんので」
「まーまー! そう言わずにさっ、絶対退屈にさせないって!! ほら、これ、入場許可証。俺、かなーり金持ってるよ? 欲しいならさ、色んなもん買ってあげるって!」
下層辺りで探せば見つかるかもしれない、そんなファッションをした茶髪の男だが、入場証はどうも本物だった。
こんな男が今の世で成功するなどとは思えないことから、どうせ親の金、力だろうと判断。
「いやー、キミくらい綺麗な娘、ここらだってそうは見ないよ! あっ、下心なんてないから安心していいって! 俺これでもチョー紳士だからさ!!」
そう言いながら腕を引っ張ってスカイフォールに向かい出す男。
身長は百八十程だろうか、貧相な体躯だが、それでも綾瀬よりは随分と力がある。
必然少しずつ進むことになり、どんどんスカイフォールの入口へと近づいていく。
さて、どうしたものかと悩む。振り払うのはそう難しくはない。
だが、この男の親がそれなりの権力者であるなら少々面倒であった。
今回受けた亮の一件、その二の舞になりかねない。
「綺麗な黒髪だね。華奢なのもいいけど、こんなに綺麗な黒髪見たことないよ」
そう言って伸ばされる指。
――美しいと囁きながら。
――綺麗だと誉めそやしながら。
――下卑た下心で触るのか?
――私ね、お姉ちゃんの髪の毛大好きだなぁ……だって、こんなに綺麗なんだもん!!
……そう。コレに触れていいのは、たった一人だけ。
瞬間、脳が沸騰したかのように感じた。
あまり表情を見せない顔が裂帛の怒りを見せる。
その一瞬で亮の一件がどうとか、下手をすればとか、全部吹き飛んでいた。
触れてはいけない一線を、この男はあまりに無遠慮に触れようとしているのだから。
「そこまでにして頂けるかしら」
感情のまま行動を起こそうとした瞬間、凛とした言葉が周囲に響く。
そう大きな声ではない。なのに耳に、脳に届く不思議な圧を持った声。
男は勿論、周囲の誰もがその声の正体、スカイフォールの入口へと視線を向ける。
そこに彼女は立っていた。
女性にしては高い、百七十を優に越す身長。
緩やかに波打った美しいブロンドの髪、美しきサファイアの如き瞳の色。
長く整った鼻梁、薄めの唇、細い眉。
誰もが羨む長い足、抜群のプロポーション、透けるような白い肌……
美女。覇気をすら感じさせる美しき女性であった。
「……エリザス・エーデルベルト」
「ええ。そうよ。
そう、彼女こそ件の人物。
エリザス・エーデルベルトに他ならなかった。
電子戦争上のExodus @andersen
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