第2話 エリザスエーデルベルト

 ビルともマンションとも許容できる高層建築から降りて早十分。

 窓からも見えたが、上層区以外の町並みはまるで迷宮と言って差し支えなかった。

 おおよそ増築に増築を重ねた結果、最早メインストリートと呼ばれる道は途絶え、残ったのは入り組んだ路地ばかり。

 雑多に建てた数々の高層建築物の多くは廃ビル一歩手前であり、その幾つかは浮浪者や暴力関係者の根城となっている。

 下層域と呼ばれる場所には、腕に自身のある者でさえ近寄らない。


 それでも少女が今歩く一帯は比較的整理された方であった。

 なんせ少し高い位置に上れば、すぐ先に上層区が見える。

 巨大かつ厚いウォールに囲まれた“上層区”、通称“エデン”の鼻先と言うこともあり、ここらは比較的余裕のある市民が多い。

 エデンの中央には、街のどこから見ても覗う事のできる巨大なタワー、スカイフォールが威風堂々と建っている。


 ――それをなんとなしに歩きながら見つつ思う。

 

(この街の富の象徴でもあるけど、同時に負の象徴でもある。偉い人は人類は平等であるなんて言ったけど、実際のところは正反対。昔は知らないけど、今は富める者は富んで、貧しき者はひたすらに貧しくなるのが実情……)


 昔は就職難の時代と呼ばれた時期があったという。

 だが、現代に比べればそれすら可愛いものではないか?

 そもそも、仮想というユートピアを人類は手にしてしまったのが間違いではないのか。

 環境を気にしない電脳の世界は、逆に現実世界の環境考慮を歪めてしまった。

 緑が失われようと、海の青が消えようと、それらは全て電脳世界で作り出せてしまう……


 次第に現実における職業の幅は狭まり、電脳での業種化が進んでいった。

 だが機械化が進んだように、電脳では現実よりもなお強く自動化は顕著となってしまう。

 結果現実でも仮想でも職にあぶれるものが続出し、前代未聞の世界的就職難が誕生する。

 数々の政策は、今の現状を考えれば上手くいってないのは一目瞭然。

 唯一成功したといえるマシナリーウォーズ、代理戦争機構も穴は多い。


 ――結局はその代理戦争機構も搾取される者、する者の構図は変わらないのだ。


「ぼんやりしてっと浚われるぞ“月夜の暗殺者アサシン”」


 男らしい、腹のこもった声が歩いていた道の前方から投げかけられた。

 確かに、少々思考に耽りすぎたかもしれないと、反省し前を向く。

 黒いジーパンに同色の文字プリントされたシャツ、上層区でもないと中々お目にかかれない“本物”の黒の革ジャン。


 指や首元は勿論、耳や鼻にもシルバーアクセサリーを付け、髪も自然ではないだろう金色に染めツンツンと撫で上げたその姿。

 身長は間違いなく少女より頭一つ分どころではなく高い。180は優に超えているだろうか。

 一見細身にも見えるが、実の所実践的な筋肉にその肉体がよろわれているのを知っている。


「……“爆地心ヒートシェイカー”」

「おうよ、まぁおめえさんと違って、オレには神田亮(かんだとおる)って名前があるんだけどな?」

「どうでもいいこと。でも、貴方がここらに居るのは珍しい」


 アサシンと呼ばれたことは無視しつつ、同じく“二つ名”で呼んでやれば至極真面目に返される。

 言われなくとも彼の名前は既に知っているので、実にどうでもいいことだ。

 それよりも比較的下層、所謂スラム街を根城にし、その多くを取り纏めている彼がこんな上層近くに居ることが驚きであった。

 

「なに、ちょっとウチの揉め事でな。入ったばかりの新人が馬鹿なことに、上層区の奴、それも“貴族”相手にやらかした」


 貴族と聞き、普段より表情をあまり変えない少女をして緊張が顏に表れる。

 別に昔のような爵位を実際に持っている訳ではないが、彼等は上層区の住民の中でも一際強い権力を持つ。

 それこそ、下層区域に住む住民を殺しても咎められない程にだ。

 相手が悪ければ、粛清などと称して大規模な“浄化”が行われてもおかしくない。

 ただでさえ、この街の上層区、エデンは遊楽地として有名だ、通う貴族も他のところより色んな意味で不味い。

 ここら中層区は勿論、下層区も含め、上層区、特に貴族には関わるなというのが、一種の暗黙の了解である。


「アサシン、お前が気にすることじゃねーよ。幸い相手は貴族しちゃ話のわかる奴だった。下手人に頭を下げさせて、ちょっと多めの色とここらでの伝手を紹介するだけですませるって先方は言ってる」


 少女と彼は仲間ではない。

 仲間ではないが、知らない仲でもなく。また、戦友とも呼べる間柄でもあった。

 多少の心配はして当然であり、それが顔に出たのだろう。


「信用できない。貴族でまともな人間は居ない」


 気遣われたと思うも、相手は貴族だ。

 正直、亮の話もどこまで信用していいかは疑問だ。

 金と権力の権化。それを人の形にしたのが、いわば貴族ってものだろう。

 

「だろうな……だが、どうにかして落としどころは取らなきゃならん。部下を見捨てることは出来ん。それに、これを切っ掛けとして下層まで害が及んでは、俺の顔が潰れる」

「相手。相手の貴族の名前はわかってるの?」


 彼、亮が下層の大部分をまとめているからこそ、少なくない秩序が保たれてると言っていい。

 犯罪は絶え間無いが、それでも最悪の環境と至ってないのは爆地心ヒートシェイカーとしての名前が大きいだろう。

 その顔が潰れるというのは避けたかった。

 亮が齎す僅かなりともな秩序は、この街の住人なら誰しもが受ける恩恵だからだ。


「確か……エリザス。エリザス・エーデルベルトと、そう名乗った筈だ」

「――エリザス・エーデルベルト……」


 少ないが、僅かながら貴族へ伝手があった。

 それを持って仲裁はできないか、亮へと手をかせないと考えたのだが……



 エリザス・エーデルベルト。表立って名前の出てこない貴族。

 だが、その持ち得る富、権力は他の貴族の中にあってなお際立つ。

 そしてマシナリーウォーズにおける“至高の十一人シニスターイレブン”の一人。

 十人しか認められないSランク認定者の総称であるシニスターイレブンは、同時にマシナリーウォーズにおける最強の十一人を指す。

 その第四位、“女帝”の二つ名をもつ者こそ、彼女だ。

 エリザス・エーデルベルトだ。


 亮の様子から、知らないのだろう。

 当然だ、これは秘されている事実であり、知る者は少ない。

 下層をまとめる者として、爆地心ヒートシェイカーがある程度の権力を持つとしても例外ではなかった。

 しかし、少女は違う。件の女帝とは面識があり、少ない貴族への伝手の一つであり、浅からぬ縁を持つ相手であった。


「その話、私に任せてもらえないだろうか。エリザスとは面識がある。多分穏便に事をすませることができるから」

「……はっ? いや、まて。確かに俺らAランカーは貴族とのコネクションくらいあって当たり前だが、流石にそんなこと頼めねーよ。これはウチの問題だ」

「そんなことはない。最悪この街の秩序が失われる。貴方の存在はそれだけ下層、中層では大きい。これは巡って私にも害が及ぶ可能性があるの」



 その言葉に亮が苦味ばしった表情を晒す。

 相手がある程度友好的とはいえ、所詮は貴族。

 土壇場でどんな要求を突き付けられるかも分からない。

 どうやって調べたのか、直接通信コールを掛けてきたのを思えば油断できないのは一目瞭然。

 自身より随分と小柄な少女をそう悩みながら見る。

 印象として言えば、儚い。あるいは細い、華奢だ。

 亮が全力で握れば、その白く細い腕など簡単に折れてしまうだろう。

 切り揃えられた腰まである黒髪は珍しくもない色だが、艶やかで美しい。

 冷涼な美しさ。冷たさを伴う美貌だ。

 相当な美少女と呼ぶに差支えなかった。


 だが、そんな見た目とは裏腹に、彼女が月夜の暗殺者アサシンと呼ばれるAランカーの凄腕スペシャライナーだと知っている。

 ソロのフリーランサーでAクラスに接続する者は多くない。

 ランク認定は様々な観点から行われるが、大きな比率を占める戦争貢献度は、ソロでは稼ぐのが難しいのがその理由だ。

 知名度で言えばAランカーとしては精々中堅どころだろう。

 それは彼女が目立ちすぎるの嫌っての為であると亮は聞いている。

 実力者とはいえ、それも仮想での話。現実ではそうはいかない。

 危険な匂いが香る一件を知り合いとはいえ、華奢なその身に任せていいものか……


「貸しにする。どこかで返してくれればいい」


 亮は知り合いには甘い男だ。

 下らない心配でもしているのだろうと少女は考える。

 だが、こと今回においては危険はないと言えた。

 それはあまり考えたくない女帝との繋がりのせいだが、ここで惜しむのも後が怖い。


「……分かった。だが無理はするな。元はうちの問題なんだ、何かあれば連絡しろ」

「ん。話がまとまったらこちらから連絡する」


 そう言ってその場を後にする。

 上層区へ方向を転身しつつ、背中に感じる心配気な視線に内心溜息が零れた。

 彼、亮は身内に甘い。それは知り合いにも適用されるのは知るところだが、それが何時か仇にならないとも限らない。

 とはいっても、それを指摘するのは流石に差し出がましいだろう。

 協力はする。手も貸す。だが、必要以上に踏み込まない。

 それがアサシンとヒートシェイカーの関係なのだから。


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