「涙」 アイドルファン残酷物語

ニセ梶原康弘@カクヨムコン参戦

「涙」 ~アイドルファン残酷物語

 キモオタデブ。

 それがご主人様に付けられた綽名だったそうです。


 ちょっと太っている、ハンサムではない、不器用、頭の回転が鈍い……たったそれだけの理由で、学校では格好のイジメ役にさせられていたのだそうです。

 毎日、日課のように殴られ、蹴られ、水を掛けられ、本やノートを破られ、お金を取られていたのだそうです。

 誰からも蔑んだ眼で見られ、笑われ、後ろ指を指されていたそうです。蔑みの目や嘲笑から逃げ回るご主人様を助けてくれる人はいませんでした。

 自分の部屋に引きこもるようになって、こんな子産むんじゃなかった…と親にも見捨てられてしまったのだそうです。

 だから、寂しくて、悲しくて、涙を流すときも、いつも一人だったのだそうです。


 私のご主人様は、誰も愛することが出来ず、誰からも愛されることのなかった、悲しい人でした。


 だけど人間は一人では生きてゆくことが出来ないから……だから私をここに呼んだのだと、ご主人様は私を買った日に教えてくれました。


 友達もおらず、恋人もいないご主人様がいつも見ていたアニメのヒロイン。

 それが「本当の私」でした。

 ブラウン管の向こうでいつも主人公の男の子に泣いたり笑ったり怒ったり拗ねたり、大忙しの女の子。その女の子の等身大の人形である私を買うために、ご主人様は持っていたお小遣いと貯金を全てはたいたのだそうです。


 ご主人様は、毎日私に辛かったこと、楽しかったことを話してくれました。いろんなことを教えてくれました。そして、最後にはいつもやさしく抱きしめてくれました。

 私、嬉しかった。

 だけど私は、「本当の私」アニメの中の私と同じことは何ひとつ、出来ませんでした。

 ご主人様が辛いとき背中をドンと叩いて豪快に笑って励ますことも、ご主人様が寂しくて下を向いている時にそっと抱きしめて慰めてあげることも……

 話すこともも出来ませんでした。

 微笑むことすら出来ませんでした。



**  **  **  **  **  **



 そんなご主人様が恋をしました。

 今までもご主人様が女の子を好きになったことは何度もあったそうです。

 だけど、キモオタデブと呼ばれていたご主人様を好きになってくれる女の子はいませんでした。

 話しかけてくれる女の子さえ、いなかったのだそうです。

 きっと、嫌われるばかりのご主人様は気持ちを打ち明けることも、言葉を掛けることも許されなかったのでしょう……


 ご主人様の恋は、ブラウン管の向こうの華やかなステージの上で歌って踊っている沢山の女の子。

 その中の一人でした。


 彼女は生まれて初めて自分の手を嫌がらずに握ってくれた、自分の名前を呼んで楽しそうに話しかけてくれたのだと、ご主人様は泣きながら私に何度も繰り返し教えてくれました。

 私も嬉しかった。

 ご主人様がこんなに幸せそうな顔をしているのを見たのは初めてのことでした。

 どうか、ご主人様がこの人と幸せになれますように……。


 そう思ったとき、何故か胸がチクリと痛みました。

 えっ……何故?

 私はその痛みが一体何なのか、そのときは分かりませんでした。

 ご主人様が幸せになれたら私も嬉しいはずなのに……



**  **  **  **  **  **



 ご主人様は、学校を退学してからほとんど部屋の中に引きこもっていました。

 だけど、彼女を応援するのだと決意してからは自分から家の外に出て、働き始めました。まるで生まれ変わったように。

 何故なら「アイドル」というブラウン管の向こうの彼女がステージの上で歌い続けるためには、たくさんのCDを買って投票しなければならなかったからです。

 コンサートで歌を聴くのにもお金がいりました。

 握手会というイベントで会ってほんの少し言葉を交わすだけでもお金がいりました。

 それも、たくさんのお金がいりました。


 たくさんのお金を稼ぐ為の仕事は、きっと辛くてたいへんだったはずです。

 ご主人様は、部屋の外の世界に自ら出て、自分をさんざんいじめてきた人や社会と再び関わって……そしてどんな目に遭いながら働いたのでしょう。

 私にはとても想像出来ませんでした。


 ご主人様は疲れきって……いいえ、それでもご主人様は一生懸命でした。

 仕事に疲れきった顔で、それでも大好きな彼女の為に部屋が埋まりそうなほどのCDを買って積み上げ、1枚1枚開封しては、その中に入っている人気投票のハガキに自分の気持ちを込めた言葉を丁寧に書き連ねていました。

 どのハガキにもまるで宝石のような言葉が散りばめられていました。

 そして、ご主人様は部屋の壁に貼った彼女のポスターを見上げ、幸せそうな笑みを浮かべていました…



**  **  **  **  **  **



 しばらく経った、ある日の夕暮れ。

 真っ青な顔をしたご主人様が、まるで夢遊病者のような足取りで自分の部屋へ戻ってきました。

 何があったのでしょう。

 信じられないとつぶやきながらご主人様が何度も眺めるスマートフォンの画面には、ご主人様を愛しているはずの彼女がハンサムな顔をした少年とキスをしている画像と引退を伝えるニュースの文面が映っていました。

 ご主人様は、そんなハズないんだ、僕がこんなに応援しているのに、僕のことを好きなはずなのに、きっと何かあったんだ、と蒼白な顔でうわ言の様に繰り返していました。



**  **  **  **  **  **



 彼女の最後の握手会というその日。

 ご主人様は、部屋の壁に貼られたポスターを思い詰めた顔で長い間じっと見つめてから出掛けました。

 落ち着いていられなかったのでしょう。部屋のTVはスイッチを切り忘れ、付けっぱなしのままでした。


 私は……ご主人様が心配で、見ていられなくて、もう胸が張り裂けそうでした。

 そんな私の視線に気が付いたのでしょうか、ご主人様は部屋の隅にうずくまった私と目が合うとぎこちない笑顔を作ってくれて。


 そして、部屋を出てゆきました。





 ……それから、どれくらいの時間が経ったのでしょう。


 いきなり部屋のドアが開いて、ご主人様が現れました。

 ご主人様は…出かける前とはまるで別人のようでした。

 ご主人様が着ていた彼女の名前入りTシャツも腕に巻いたバンダナも血塗れになっていました。

 手にしたサバイバルナイフは、まるで腕ごと血の海に突っ込んだように染まっていて、赤黒く変色していました。

 付けっぱなしだったTVからは、彼女が握手会の最中に突然1人のファンからメッタ刺しに刺されて死んだというニュースが緊急速報で流れていました。

 そして、犯人がその場から逃走し、今も捕まっていないことも……


 ご主人様……


 ご主人様は……不思議と落ち着いていました。

 血塗れのナイフをぼんやり眺めると、遠くから近づいてくるパトカーのサイレンに耳を傾け、うつろな眼差しで部屋の中を見回し……私を見つけると寂しそうに微笑みました。



 踏みつけられるだけの人生だったな……と、ご主人様は呟きました。

――いいえ違うわ。私、あなたを抱きしめてあげたかったのよ。


 利用されるだけの人生だったな……と、ご主人様は呟きました。

――いいえ違うわ。私、あなたにすべてを捧げたかったのよ。


 誰も僕を好きになってくれなかったな……と、ご主人様は呟きました。

――いいえ違うわ。私、あなたを愛していたのよ。


 ご主人様……

 ご主人様……



 すると……ご主人様は、おや?という顔つきになって、私の顔を覗き込みました。


 どうしたんだろう。私、目の前がぼやけて見える。

 何だろう。私の頬に、何か温かいものが流れている。



 ご主人様はひざまづくと、何も言わず、私をそっと抱きしめてくれました。

 そして、血がついたナイフを私の手に優しく握らせると、その切先を自分の胸に当てて静かに微笑みました……

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