第9話 『怨』

 県立矢倉病院。その最南端にある外科棟の一角。

 そこに、二人の目指す場所があった。


 受付で手続きを済ませ、病院ならではの真っ白な通りを進む。

 途中、とあったものの、目的地へとたどり着いた二人はそっと扉を開いた。

 部屋の中には4つのベッドが並んでおり、美咲の良く知る友人を含めた4人の少女が横たわっていた。室内は窓際に花瓶が置いてあるだけの質素なもので、病室特有の物静かな雰囲気が漂っている。見舞客はおらず、患者以外では、今この場にいるのは灰原と美咲だけだ。


「ねえ。ひとつ聞きたいんだけど」

「……なんだ」


 閑散とした病室の中で、その声はよく響いた。


「なんでお見舞いの人みんな追い出してるんですか!? っていうか、今ちらっと校長先生とかも見えたんですけど! あと、特別待遇って何!?」

「聞きたいことはひとつじゃなかったのか」

「もうッ! そんなことどうでもいいでしょ! いちいち揚げ足をとるな!」


 まったくこの人は、なんでこんな性格なんだろう。もっとマシな返し方はできないのかと、美咲は心の中で一人悪態をつく。


「面倒だから質問はひとつにしろ」


 ぶちりと血管の切れる音がした。

 「コノヤロー!」と言いかけて、すんでのところで美咲は踏みとどまる。これ以上先延ばしにされては敵わない。


「……じゃあ、ひとつだけ。なんで私達の面会は特別待遇なんですか? 他のお見舞いの人まで追い出しちゃって」

「俺がここの院長と知り合いだからだ。そいつに融通を効かせてもらった」

「そいつって……。それは親族か何か……ってことですか」

「違う。ただの知り合いだ」


 さも当然とばかりに、灰原はそう言った。ただの知り合いに、特別待遇の面会なんてさせるだろうか。追い払われた見舞客も黙っちゃいないだろうに。

 そもそも、いち高校生が県立病院の院長と知り合いという時点で十分に異常である。彼と院長の間に一体何があったのか。


 そんな美咲の心の声を代弁するかのように、灰原が口を開いた。


「昔、ちょっとした貸しを作った。以来、あいつには色々と便宜を図ってもらってる」

「さ、左様ですか」


 そう言われれば、頷くほかない。まだまだ聞きたいことは山ほどあるが、美咲はしぶしぶ納得することにした。これ以上、本題の方が先延ばしにされては困るのだ。


「それで、凜子達の様子はどうなんですか?」


 ここに来てから、最も聞きたかったことを尋ねてみる。なんと言われるか、美咲は内心ではビクビクしていたが、表には出さない。彼に取り乱していると思われるのは癪だった。


「別に。見た感じ何の問題もない。放っときゃすぐに治るだろう」

「嘘よ! だって……!」


 思わず声を荒げる美咲。

 彼女の意に反して、灰原の返答は想像以上に簡素なものだった。しかし問題ないとは言われても、そう簡単には納得できない。現に彼女らの意識は戻らないままなのだ。

 以前、担当医の先生方も同じようなことを言っていたが、結果はこの通りである。


「ただし」

「え……?」


 そんな美咲に考えを遮るように、灰原が言った。


「アイツを除けば、の話だ」


 灰原はスウッと右手を振り上げ、凛子のベッドを指差した。話の主旨が読めず、困惑する美咲。


「どういうこと……ですか?」

「要するに。お前の予想通り、あの女学生には……まぁなんだ。悪霊みたいなのが取り憑いてるって話だ。周りの子が起きないのもそのせいだな」


 やっぱりと思うのと同時に、言いようもない疑念が美咲の心の中に浮かび上がる。彼は、凛子の体に悪霊が取り憑いているという。美咲も先日の経験から、きっとそんなことではないだろうかと推測していた。

 ある意味では予想通りである。

 しかし。


「一応聞きたいんですが、それ。どうして分かるんですか?」

「あぁ?」


 不機嫌なチンピラのような声で、灰原がこちらを睨みつけてきた。


「だって、私には見えないし」

「……俺には視えるんだよ」


 面倒臭そうにそう言った灰原を、今度は美咲がジト目で睨み付ける。


「なんだか雑じゃないですか? もう少し説明してくれてもいいのに」

「放っとけ。俺の勝手だ」


 ぶっきらぼうな灰原の態度に、ビキリと青筋が立つ。美咲はフウーと深く息を吸い込むと、なんとか心を平静に保った。


「じゃあもう説明はいいです。とりあえず、今から凜子達を元に戻してください」

「いや、今はムリだ」

「ハアアア!?」


 今度こそ美咲は、抑えきれなくなった怒りと共に大声を上げる。が、すぐにここが病院だと思いだし、慌てて声を潜めた。


「そんなの、約束と違うじゃない!」

「最後まで話を聞け。無理だと言ったんだ。道具がないからな。後日また来る。治すのはその時だ」

「あ、そ、その。すみません……」


 耳まで真っ赤にしながら、美咲はうつむき気味に謝罪する。早とちりとはいえ、とんだ失態である。穴があるなら隠れたい気分だった。

 ちらりと灰原の方をみる。彼は口元に手を当て、何やら思案にふけっている様子だった。

 

「今晩」

「へ?」


 ふいに灰原がそう言った。


「今晩、もう一度ここに来る。治すのはその時だ。上手くいけば、明日の朝には目を覚ますだろう。あと、あの女学生は今から別の病室に隔離するから」

「えーと。何が何やらわからないんですけど。私はどうすれば……?」

「お前は家に帰っておねんねでもしてろ。邪魔だ」

「な……!?」


 金魚のように口をパクパクとさせる美咲。怒りのあまり、言葉が出てこない。いや、専門家の言うことだ。美咲はおとなしく帰るべきなのだろう。しかし。


「深夜の病棟で男女二人っきりとか、危なくてできるわけないでしょ! というか、あなたがちゃんと凜子を治してくれる保証もないのに! あなた、どさくさに紛れて、エッチなこととかするんじゃないでしょうね!」

「あぁ!? そんなわけねえだろうが!」

「思春期の男子の言葉なんて、信用できるわけないでしょう! それに私、もしっかり覚えてるんだからね」

「ッ!? ……て、てめえ」

「あぁ、やだやだ! 汚らわしい汚らわしい!」

「……お前、覚えてろよ」

「というわけだから、私も行きます」

「……勝手にしろ」


 悔しそうにそう言った灰原の顔を見て、美咲はふっと口元を緩めた。



 ◇ ◇ ◇



 帰り道。

 美咲は寮への道を歩きながら、ひとり思案にふける。


おん……ですか?』

『そう、怨だ。コイツが厄介な代物でな。その名の通り、死者の怨念とか憎悪とか、そういう良くない物が凝り固まってできたものだ。普通なら人間に害を及ぼしたりはできないが、肥大化すると意志を持つようになる。あの女学生に憑りついたのはそれだ』

『それって、憑りつかれるとどうなるんですか?』

『怨ってのは、生きてる者の精神力を吸い取ることで成長する。だから、長期間に渡って憑りつかれたままだと、まぁ、廃人になるわな』

『じゃ、じゃあ……!』

『安心しろ。アイツはまだ軽い方だ。憑いてる怨も大した物じゃない』


 あの後、病室で灰原から受けた説明の数々は、にわかには信じられない物だった。

 巷では、幽霊だとか怨霊だとか言われている物の正体。そして、凜子がそれに憑りつかれてしまったということ。


 数週間前までの美咲なら絶対に信じなかっただろう。それどころか、鼻で笑っていたかもしれない。ただ、今ならそれも信じられる。

 何せ美咲は『あの日』、今までの常識が根こそぎ覆ってしまうような体験をしたのだ。幽霊だろうが悪霊だろうが、彼の言う事ならば信じないわけにはいかない。


(そういえば、まだアイツの超能力みたいなものについて教えてもらってない……)


 凜子に関することは、あの後、病室で無理矢理聞き出したものの、肝心の彼自身のことについては何も教えてもらっていない。やはり、自分のこととなると言いたくないのだろうか。

 モヤモヤとしたものが美咲の胸の内に広がる。


「あーやだやだ。帰ろ帰ろ」


 美咲は襲ってきた邪念を強引に頭の中から振り払うと、寮への道を急いだ。

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時を止めれるようになったけど、悪いことには使いません!! きょん @kyon

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