第8話 意識不明
私立高美濃学園は、校外の設備が充実していることでも有名である。
その筆頭としてまず挙がるのが、三千人もの生徒数を誇るマンモス校であるにもかかわらず、全校生徒の八割もの数を収容できる巨大な寮だ。大部分の生徒が県外からやってくるこの学園では、寮はいわば必須の設備なのである。
敷地内にはスーパーや書店はもちろんのこと、雑貨店、運動場、スポーツジムまで存在し、何不自由ない日常生活を送れるようになっている。
通学への利便性も高く、学校までの距離はおよそ1キロだ。徒歩で十分もかからない距離である。
特に女子寮の方は、最近改築されたばかりで何もかもが新しい。今年から寮に入る新入生にとっては嬉しい限りである。
「ハァー。どうしたもんかなぁ……」
ベッドに身を預け、ピカピカの寮の天井を見つめながら美咲はため息をついた。入学してから早くも二週間。いまだに寮での生活には慣れない。中学までは勉強や部活の自主練に合わせて、自由に日常生活のスケジュールを組んでいたのだが、寮生活を送る以上、そうはいかない。
美咲はいつも、夕食は寮の食堂で済ましているのだが、とても混雑する上に時間も限られている。また入浴に関しても、学年、性別ごとに時間が決められている。なにより、消灯時間が午後12時というのが辛い。美咲は夜型なのだ。
一応、各階ごとに炊事場はあるのだから、食事に関しては適当に自炊するという手段もある。しかし、それにしたって時間がない。
美咲はちらりと時計を見た。
現在、時刻は午後11時。消灯まであと一時間である。宿題はとっくに済ませたから、残るは例の作戦について考えるだけだ。
「あ゛ぁー。何も思いつかないー」
今も頭の中によぎるのは、『あの日』の出来事ばかりだ。以来、美咲は主犯と思わしき青年、灰原をずっと追いかけているが、一向に尻尾がつかめない。
「たぶん、私が後ろつけてるのはバレてるわよねー。ていうか、学校で噂になってるぐらいだし。バレてない方がおかしいか……」
先日、凜子から聞いた噂話。それによると、美咲が灰原に振られてストーキングしているという話だった。ちなみに誤りである。きっと電柱の裏に隠れたりして、美咲が執拗に彼を追いかける姿を見て、他の生徒がそう勘違いしたのだろう。
これは断じてストーキング行為などではない。聖戦なのだ。
美咲が彼にバレていると思った理由は他にもある。
追跡中、明らかに不自然なタイミングで彼が「消えた」ことが何度かあった。それはつまり、彼が例の「時間を止める力」を使ったのだと美咲は考えている。
問題は、美咲がそれを認識できなかったということだ。一度できたのだから、彼が「力」を使えば、この先ずっと気づくことができるものだと思っていたのだが、どうやら考えが甘かったらしい。有効な距離だとか、時間帯だとか、そういったことも検証していく必要がある。
何より、証拠現場を目撃した後のことを、まだ考えていない。目撃したとして、それをどうやってヤツに突きつけるのか。それが思い浮かばないのだ。
「やっぱり、あのぬいぐるみを捕まえるしかないか……」
ベッドの端に腰かけ、作戦手帳を見つめながら美咲は頭を悩ませる。どうしても、最後はこの方法に行き着いてしまう。確かに、あの喋るぬいぐるみを突きつければ決定的な証拠となるだろう。ただ、あれがどこに置いてあるのかがわからない。連れ歩いている様子はないし、どうしたものだろうか。
赤ペンをくるくると器用に回しながら、美咲が思考の迷路に嵌っていると、トントンと扉をノックする音がした。
それを聞いて、美咲はハァと溜め息をついた。
間をおかずに「どうぞ」と答えると、扉から半分だけ顔をのぞかせて、おずおずと女子生徒が入ってきた。
「雪絵さん、ノックなんてしなくていいのに」
彼女の名前は
「い、いえ……。その……。なんでもないです……」
頬をわずかに赤らめて、彼女はそう言った。
彼女と一緒にいると、どうにも居心地が悪い。別に彼女のことが嫌いだとか、そういうのではない。とても親切だし、よく気を使ってくれる良い人だ。ただ、時折向けられる視線に言いようもない悪寒を感じるのだ。
「そ、そういえばさ。なんだか外が騒がしい気がするんだけど、気のせいかな?」
気まずい雰囲気を紛らわすように、美咲がそう言った。しかし、適当に言ったわけではなく、先程から妙に廊下が慌ただしいのだ。
「えーと。私もよくは分からないんですが、誰かが倒れたみたいです。病院に運ばれたとかなんとかで……」
「病気か何かかなぁ? 無事だといいけど……」
「いえ、外で通り魔に遭ったって聞いてます……」
「通り魔!? 大問題じゃない! それ!」
「はい……。だから、先生たちも大慌てで……。それに、事件現場もここから結構近いみたいなんです……」
「近くって、どの辺り?」
「それが、あの、例の裏通りみたいで……」
例の裏通り。その言葉に、妙な胸騒ぎを覚える。ドクンドクンと心臓が早鐘を打つ。自分でもよく分からないうちに、気が付けば、美咲はその場から立ち上がっていた。咄嗟にドアノブへと手をかけると、くるりと青山に向かって振り返る。
「ごめん、雪絵さん! わたしちょっと出かけてくる!」
「あ、美咲さん。もうすぐ消灯時間ですよーって、あー……」
嫌な予感がする。
部屋の中から聞こえてくる青山の声を背に、美咲は走り出した。頭の中でごめんねと謝り、聞こえないふりをして廊下を駆け抜ける。
騒がしいロビーを通り過ぎ、美咲は寮の玄関までたどり着いた。すぐさま靴に履き替え、建物を飛び出る。途中すれ違った寮務のおじさんの制止を振り切り、美咲は最寄りの病院へと急いだ。
冷たい風を切り、夜の繁華街の風景が後ろへと流れていく。走りながら、とある友人に携帯電話でコールをかける。が、応答はなかった。徐々に、美咲の中の不安が高まっていく。
そして、病院についたとき。美咲の予感は確信へと変わった。
車輪のついたベッドに乗せられて、次々と運ばれていく患者達。
その中に、美咲の良く知る人物。
赤いメガネがトレードマークの、仲の良い気さくな幼馴染。
安藤凜子の姿があったからだ。
◇ ◇ ◇
「で、俺のとこに来たってわけか」
現在、美咲はとある青年の自宅にお邪魔している。よくある洋風の一軒家だ。時刻はまだお昼だが、授業をさぼっているわけではない。今日は臨時休校なのだ。
先日の通り魔事件。被害に遭ったのは、私立高美濃学園に通う四人の女子生徒だ。四人には、それぞれ全身を強打したような形跡があり、また、財布などの貴重品は盗られていないことから警察は通り魔事件として捜査を進めている。しかし犯人像はいまだ判然とせず、目下、警察が全力を挙げて捜査しているところだ。なお、被害者の四人は三日が経過した今も、意識不明の重体である。
と、事件に関しては、大体このような内容がどこの新聞記事にも書いてあるが、美咲は別の可能性を疑っている。そこで、無理を承知でヤツ改め、灰原の自宅にこうして押しかけたというわけだ。
それが、今からちょうど十分ほど前のことである。
「でも、もう山場はとっくに超えたはずなのに、凜子が全然目を覚まさないんです。他のみんなも……。医者の先生も、なんでか分からないって言ってるし……。それに凜子が、まるで何かに憑りつかれたみたいに、ずっと唸されてるんです。だから私は、あれは通り魔事件なんかじゃなくて、別の可能性を考えていて……」
「別の可能性?」
「そ、その……。幽霊……みたいな……」
言ってから、美咲は耳を真っ赤にした。いくらなんでも馬鹿げていると、自分でもそう思う。事実、凜子達には鈍器で殴られた外傷もあるのだ。幽霊が鈍器で殴るなんて話、聞いたこともない。
事故現場が例の裏通りの近くだったから。ただそれだけの理由で美咲はこんな推理をしている。我ながら、顔から火が出るほど恥ずかしい。ただ、美咲にはどうしても幽霊の仕業と信じたくなるような出来事を、一度経験している。
「……前にも言いましたけど、二週間前のあの時。灰原君が私達を助けてくれた時のこと、ちゃんと見えてたんです!」
「だから俺は何もしてないっつーの」
「うそです! だって私、この目で見たんだもん!」
すると、灰原は片手で頭を押さえて、やれやれとばかりに手を振った。
「お願いします!! なんでもしますから!! 手を貸してください!!」
「……」
頭を下げ、必死に頼み込む美咲。しかし灰原は、そんな美咲の思いにも答えず、黙って奥の部屋へと去っていった。
歯を食いしばり、ぎゅっと拳を握りしめる。
せめて、何か教えてくれるだけでもいいのに。
自分が身勝手な頼みをしている自覚はある。でも、それにしたって冷たすぎるのではないだろうか。
いつまで待っても、奥の部屋に向かった灰原からの返事はなかった。
「もういい! あなたなんて知らない! この前助けてくれたからって期待した私が馬鹿だったわ! 私が一人でなんとかする!」
ついに我慢の限界が訪れた美咲は、その場からガバリと立ち上がった。そのままくるりと背をむけて、スタスタと玄関まで歩いていく。そして、扉に手をかけたその時。
突然、目の前の景色が切り替わった。さっきまで美咲がいた部屋だ。
ふいに、背後から声をかけられた。
「さっきの言葉、嘘じゃないよな?」
「は? え?」
振り返ると、そこには以前見た鳥のぬいぐるみを従えた、灰原の姿があった。
困惑する美咲をよそに、灰原は淡々と話を進める。彼が何らかの「力」を使ったのだと理解するまで、数秒の時間を要した。
「なんでもするって話」
「も、もちろん……です。ただ、凜子達の症状が回復したら、って条件は付くけど……」
一体何を要求されるのかと一瞬身構えたが、この際どうでもいい。凛子には計り知れない恩がある。今恩を返さなくて、いつ返すというのか。彼女が治るというのなら、ある程度のことは許容できる。
『ヘヘ! 願ったりもねえ条件じゃねえかお前! 正体バレて焦ってたとこだったってのに』
「うるせえ〈千鳥〉。お前は少し黙ってろ」
脇から茶々を入れたぬいぐるみの言葉に、美咲は内心驚いた。単にからかっていただけと思っていたが、灰原の様子を見るに、どうやら本当に焦っていたらしい。
普段の様子からは到底そんな風には見えなかったが。
彼は、あまり感情を表に出さないタイプなのかもしれない。
「オーケー。交渉成立だ。さっきの言葉、忘れるんじゃねえぞ」
こうして、工藤美咲と灰原敦の奇妙な関係が始まった。
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