第8話

 駅を出てファストフード店とドラッグストアを横切ったら大きなマンションがあった。エレベーターに乗ったら最上階しかパネルがなかったからそれを選んで上がって行った。


 エレベーターを出てひとつめの部屋を開けた。金髪の女の子が出てきた。


「世界はうやむやになりました。私は幸せです」


 ふたつ目の部屋を開けた。黒髪の女の子が出てきた。


「救われない世界を諦めて生きることにしたよ。私は幸せだ」


 三つ目の部屋を開けた。銀髪の女の子が出てきた。


「世界は続くし私は幸せ。あなたはどうだか知らないけれど」


 四つ目の部屋を開けた。青髪の女の子が出てきた。


「世界は最悪だけど僕だけは幸せだよ」


 五つ目の部屋を開けた。誰もいなかったからその中に入った。座って待っていたら白髪の女の子が入ってきた。


「あ、犯人」

「座敷牢探偵」

「いいや」


 彼女は複雑そうな顔で首を振る。


「今は『座敷牢から出た探偵』だ」

「厳密なんだ」

「まあね」


 座敷牢から出た探偵は部屋に上がり込んできて、俺の前に綺麗な仕草で正座した。


「で、君はどうするんだ」

「どうしようもないけど」

「ま、そうだな」


 彼女は窓の外に目をやった。空は青かった。太陽が穏やかに輝いていた。どうしようもねえなって思った。


「生きてるんだもんな」

「仕方ないよな」

「ああ、仕方ない」


 彼女は寂しそうに笑った。今はこの部屋が俺のすべてだったけど、世界のすべてはもっと広いところで知らない間に動いていた。この部屋は焦りの中で落ち着いて、世界の果てだと思わせることすらも柔らかく拒んでいた。


「小さな頃は、君はただ知りたかったんだな」


 彼女は穏やかに口を開く。


「未知の世界をもっと知りたかった。何かとても良いものがあると信じて、前に進みたがった。けれど何かを少しずつ知るにつれて世界がどうしようもないことを知って」


 彼女は懐から手紙を取り出した。


「だから自分が世界を変えてやろうって、そう思ったんだろ?」


 『世界征服』と書かれたその紙を彼女は投げてよこして、俺はそれを受け取ってじっと見ていた。


「だけど振るう剣がなかった。世界を変えられるような剣が。剣を探しているうちにいつの間にか君はどんどん年を取っていく。周りの人間はどんどんこの世界に適応していく。君だけが変わらない。いつの間にか誰も『世界を救って』なんて言葉を使わなくなった。それなりに不幸でそれなりに幸福で。誰もが自分の居場所を見つけていく」


 遠い空に、小さな鳥が飛んでいく。清々しいくらいに、寂しい光景だった。


「現実は嫌いか?」

「ああ」

「なら現実は好きか?」

「……」

「生きている時間が長ければ長いほど執着も強くなる。天国を求めて氷の国を歩く気力も少しずつ薄れていく。そしていつかは忘れていくのさ。天国を求めていたことも、自分を取り巻く小さな茨の棘のことも忘れて、ここが天国だと思い込むようになる」

「探偵は」


 口を挟むと、彼女は少し驚いたような顔をして、けれど穏やかに俺を見つめ返した。


「……どうして、外に出たんだ」

「……さあな。出たくなったからか、誰かに追い出されたか、それとも出るべき時が、運命がやって来たからか」

「それを、悲しいと」

「思うこともある。思わないこともある。生きるってそういうことだろう?」


 陽の光が部屋を明るく明るく照らす。少しずつ陽気が魂を鈍らせていくのを感じた。


「……あとはもう、わかるだろ?」

「ああ、まあ決まらないけどな」

「優柔不断なやつだな」


 彼女は呆れた顔で笑って、足を崩した。


「そんなに簡単に決められたらこんな風になってない」

「説得力はあるが……、そんなに悠長なことも言っていられないんじゃないか」


 ほら、と彼女が顎で窓の方を指し示すので、俺はベランダに出てマンションから外を見下ろした。俺よりでかいナメクジがいた。


「この部屋に塩とか置いてないのか?」

「塩じゃないだろ?」


 挑発的な声音で彼女は言う。


「なあ」

「なんだ?」

「お前は俺の夢か?」

「すべての人間が君の夢想であるとも言える。その質問に答えても意味があるとは思えないな」

「……そうだな」

「ま、あえて言うならどんなところにも神様はいるということだな」


 彼女のその言葉に、ありがとう、と心の中で呟いて、でもやっぱり声に出さなくちゃ伝わらないと思ったからありがとう、と呟いた。彼女は薄く笑ってそれに応えた。


「……俺、行くよ」

「決めたか」

「ああ、決めた」

「寂しいか?」

「切ないよ」


 彼女はそうか、と笑って。


「私もだ」


 そう言って立ち上がる。


「途中まで一緒に行こう。私も出るよ」


 俺たちはふたり連れ立って部屋の外へ出た。五番目の部屋から出ると、エレベーターまでの四つの部屋は開け放されていた。ひとつひとつ確認していくけれど、そこに彼女たちの姿はない。


「彼女たちは一足先に旅立ったみたいだな」

「どこへ?」

「彼女たちの運命が求められている場所か、あるいは……」

「彼女たち自身が生きる場所へ?」

「嬉しいか?」

「その質問に答えて意味があるとは思えないな」

「生意気な」


 背中を小突かれた。エレベーターに乗って、一階のボタンを押す。ゆっくりと箱が降りていく。


「君は少し夢想を信じすぎだし、信じなさすぎ――、ああいや。言うまでもないな」

「ああ、わかってる。信じるよ」

「うん」


 それでいい、と彼女は頷いた。エレベーターが到着する。エントランスまで出ると、思ったよりも強い陽光が街を白く染めていた。俺たちは向かい合う。


「じゃあな、とりあえずはお別れだ」

「生きていればまた会うこともあるだろう」


 別れの言葉を告げながら、俺は彼女に手紙を渡した。


「ん?」

「自分のがある。お前も自分の剣と手紙を持って行け」

「……ああ」


 彼女はその手紙を懐にしまう。今度こそさよならを――、と手を上げたところで。


「あ、最後にひとつ」

「ん?」

「ああいや、大したことじゃないんだけど……」

「いちいち優柔不断なやつだね君は。早くしたまえ、爆発オチになるぞ」


 それは勘弁してほしい。けれどストレートに口にするのもどうも照れくさくて。


「お前はさ、なんで……」

「……ああ」


 幸いにも彼女は言葉の途中で何が言いたいのか察してくれたらしく、なるほど、と頷いて。それからふっ、と綺麗に、けれどどこか不敵に笑って。


「探偵は真実を告げるものさ」


 それだけ言って、立ち去った。

 振り向かなかった。

 俺ももう、振り向かない。



*



 一月の部室に入ったら先輩がアニメを流したまま試験勉強をしていた。画面の中できらきらするイケメングループそっちのけで昼間から勉強していた。俺はいつもの席に座って、先輩のことをじっと見つめていた。


「……あの」

「はい」

「何か、部室に用ですか?」


 視線を感じた先輩が、顔を伏せながらも目線で訴えかけてきた。俺は自分の顔をぺたぺた触りながらこたえる。


「これ、ちゃんと美形になってます?」

「……はい?」

「先輩が前に言ってた顔を参考に美形になるようにしてみたんですけど……。上手くいってるかあんまり自信なくて」

「はあ、まあ……」


 先輩が曖昧に頷いたので、とりあえず上手くいったということにした。


「そうですか。じゃあ本題なんですけど。先輩、こんなところで試験勉強なんてしてる場合じゃないですよ」

「はあ……」

「なぜならこの世界には危機が迫っているからです! 嘘ですもっとめちゃくちゃ楽しいことです! 最高ですね! 拍手!」


 俺は大きく拍手したけれど、先輩はしなかった。明らかに警戒の色が強まっていて、俺は不審者として認定されているようだった。普段先輩が言っていることと大して変わらないのに、同じようなことを言う人間には恐怖を感じる。人間はいつもそうですね。

 俺は懐から手紙を取り出して先輩に突きつけた。


「これを見てください。何て書いてありますか?」

「『世界征服 瀬長真介』……、ん? 瀬長くん?」

「そうですこれは犯行声明。俺からの犯行声明です!」


 はあ、と頷く先輩はどう見ても俺が瀬長真介だとは信じていなかった。仕方ないですね。先輩も二十代なので適応力が薄れてきているんでしょう。


「この現実があらゆる人々の執着によって形成されたある程度強固な夢想世界であることは知っていますか? うん、当然知っていますね。しかしそこに今脅威が迫っているんです!」

「はあ、そうですか……」

「瀬長真介、つまり俺なんですけど、そいつが『楽しいことがしたい』『世界を変えたい』『もっと綺麗な世界にしたい』『意味が欲しい』等の理由で世界征服しようとしてるんです。これは一大事じゃないですか!?」

「いやあ、そんなこと言われてもなあ……」

「信じてませんね?」


 百聞は一見に如かずと言う。俺はすかさず剣を抜き放った。薄い赤色の、俺の剣を。


「見ていてください、この俺の剣、えーっと名前は……、今度めちゃくちゃカッコイイのをルビ付きでつけます! この俺の剣で――」


 てりゃ、と空を一閃。

 たったそれだけでスペースシャトルは飛ぶわ光は降るわでかい洋館が立つわ突然現れた観覧車が高速回転するわでものすごいことになった。

 ふふん、と胸を張って先輩の反応を見た。先輩は口を半開きにして窓の外を眺めていて、眼鏡が少しずり落ちていた。アニメキャラみたいな驚き方だった。


「わかりましたか?」

「……いやいやいや、おかしいでしょ!」

「おかしいから世界の危機なんじゃないですか! そしてこうなったら先輩はこんなところで試験勉強なんてしてる場合じゃありませんね?」


 先輩はびくり、と肩を震わせた。いったい何をさせられるのか、という顔で。


「あなたは世界を救うんです!」

「え?」

「剣を振るって世界を救うんですよ! あるでしょティーンエージャーソード!」


 適当に部室の隅辺りを漁ったらすぐに出てきた。ゴシックっぽい感じのソード。ほら、と手渡すと先輩は乏しい運動能力でそれをわたわたと受け取る。


「え、なんでこれ……。ていうかこれ十代にしか使えないって設定が……」

「十代にしか使えない剣で戦う二十代、カッコイイじゃないですか! もしダメなら十代まで若返ればいいし!」

「え、いやそれ無、」

「いいえできます! 何のためにアニメ見てきたんですか! この日のためでしょう!」


 そんなこと言われても、と先輩はいまだに迷い続ける。なるほど優柔不断って他から見るとこんな感じに見えるんだなこれから直そうと思った。仕方ないのでティーンエージャーソードのしっぽを引っ張ってみたら、謎の黒紫色のオーラが出現して先輩は唖然としていた。ほら使える。


「さあ先輩、後はもうわかりますね?」

「いや全然ついてけないし……」

「そうですあなたは勇者なんです!」

「話聞いてください」

「でもこういうのを待ってたんでしょ?」


 少し意地悪く尋ねると、先輩はう、と言葉に詰まった。もう後は押すだけだ。


「あなたは勇者なんです、世界を救ってください」

「いや、」

「あなたは勇者なんです、世界を救ってください」


 ティーンエージャーソードを指さして。


「それが先輩の剣ですよ。あなたの剣なんです」


 それから先輩のルーズリーフの裏に『世界(好きな言葉で空白を埋めてください)』と書き込んで手渡す。


「そしてこれが勇者の証です!」

「ええ……」


 ややヒキながらも先輩はそれを受け取った。


「さあ剣を振るって世界を救ってください! 俺は世界をめちゃくちゃにしますから! そしてめちゃくちゃやった後世界をさらにめちゃくちゃにしたり普通に生きていったりしましょう!」


 言うだけのことは言った。あとは先輩の言葉を待つだけだ。


 答えが欲しい。運命的な遭遇をしたい。迷うことなく、いや、迷いながら、葛藤しながら意味ある方向に進んでいきたい。

 夢想の中でも現実の中でもたったそれだけは俺の中で確かで、手紙をしたためて、剣を探して、結局それはいつでも俺の目の前にあった。

 剣を。

 何もかもを、執着を断ち切り拒絶する力を。命を切り開く力を。俺は初めからそれを持っていて、本当は闇の中を進む覚悟に時間をかけていただけだった。

 もういいさ。温かな茨の寝所を離れて氷の国を進むことを決めた。今はわかるから。どこにでも神様がいることを。そして俺自身も。



 ただすべてを懸けようと、そう決めた。



 清々しさに虚勢を張って、にっ、と笑うと先輩は怪訝な顔で俺を見た。

 そして彼女はおずおずと口を開いて――。



「大丈夫?」

「ダメです!」



 つまるところ、これから始めるんですよ。

 始まりです!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

手紙と剣と quiet @quiet

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ