八月一日日曜日。花火大会当日。恨めしい程の晴天だ。

 村瀬との待ち合わせ時刻までは、まだ一時間くらいの猶予があった。

 とはいえ、特に何もすることはなかったから、自室のベッドに寝転がってぼうっと天井を見上げていた。

 村瀬は、どうして私を誘ったんだろう。

 不意にそんな考えが頭に浮かぶ。

 気まぐれ? 同情? それとも、全く別の理由だろうか。

 分からないことは考えたくない。なのに、どうしても考えてしまう。

 昨日のアイスのあたり棒だってそうだ。村瀬のすることはよく分からない。私が村瀬のことをもっとよく知りたいと思うのは、村瀬のことがよく分からないからなのだろうか。


 その時、玄関の扉が開く音が聞こえた。お母さんが仕事から帰ってきたらしい。私はベッドから体を起こして、時刻を確認した。六時四十分。いつも帰ってくるより一時間くらい遅い時間だ。

 ぎっ、と階段を踏む音が鳴る。お母さんが二階に上がってきているみたいだ。あの事故以来、初めてのことだった。思わず体が強張るのを感じた。


 足音はゆっくりと近づいてきて、そして、私の部屋の前で止まった。ノックの音がしたけれど、私は返事をしなかった。数秒置いて、遠慮がちにかちゃり、と扉が開く。


「由佳」


 お母さんが、私の名前を、呼んだ。

 私は返事をしなかった。

「今日、花火大会行くんでしょう?」

 やつれた様子のお母さんは、精一杯口元に微笑みを作っているみたいだった。

「約束してた浴衣、仕事帰りに買ってきたの」

 そう言ってお母さんは、手に持っていた袋を持ち上げてみせた。

「美希とお揃いでって言ってたでしょう。……美希にはあげられなかったけど、由佳だけでもと思って」

 私は返事をしなかった。

「……由佳?」

 黙り込む私を見て、お母さんが心配そうな声を出す。そして一歩、部屋の中に足を踏み込んだ。

「……いい」

 喉の奥から、掠れた声が出た。

「え?」

 お母さんが聞き返す。

「いらない」

 私は立ち上がった。

「でも、欲しがってたでしょ? 由佳……」

「いらない!」

 思いの外大きな声が出てしまった。お母さんの顔を見ると、驚きと悲しみが綯い交ぜになったような表情をしていて、それが私の心臓を締め付けた。

「……ごめん」

 消え入りそうな声でそれだけ言うと、お母さんの横をくぐり抜けて、そのまま走って家を出た。



 もう七時前だというのに、まだ外は明るくて蒸し暑い。流れ落ちる汗なんか気にせずに、私は走った。走って、走って、ひたすら走って、気が付けば私はいつもの海に来ていた。水平線の向こう側に半分ほど沈んだ太陽は、海を橙色に染めている。私はいつもの木の下に座り込んで呼吸を整えた。


 どうして私はあんなことを言ってしまったのだろう。家を出る間際に見たお母さんの表情を思い出す度に、胸の奥がずきずきと痛んだ。

 どうしてお母さんは私に浴衣を買ってきてくれたのだろう。事故があってからずっと抜け殻のようになっていたお母さんは、この日まで一度だって私の名前を呼ばなかった。それなのに、突然私のところにきて、約束していた浴衣をくれると言う。

 嬉しいことのはずなのに、何故だか私はひどく困惑してしまった。それで、言いたくもないことが、気付けば口をついて出ていた。


 でも、一人で浴衣を着たって意味がない。

 本当は今日は、美希と一緒にお揃いの浴衣を着て花火大会に行くはずだった。

 その美希がもういないのに、私一人で浴衣を着たって、虚しいだけだ。

 どんどん沈んでいく夕陽を見ながら、私は美希のことを考えた。

 もうこの世にいない、世界で一番大好きだった、私の双子の妹のことを。

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幽霊少女は生き返らない。 雨宮れん @amemiya

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