魅了耐性?いらねぇなあ!

「好きです! 結婚を前提に付き合ってください!」


 玄関を開けたら、また告白された。正直困る。

 いや、まあこいつが告白する相手を間違えている、つまりは人違いをしているというケースも考えられる。なんたって我が家は7人家族であるし、もしかするとお隣さんの家を訪れたつもりなのかもしれない。……まあ、このケースは本当に僕へ告白していると考えるのが妥当なんだろう。こいつの手には花束が握られていて、それには『加藤雫へ、愛を込めて』なんて書かれた紙が張り付けられているからだ。しかしそれでも、僕はその線を信じることができない。っていうか、あまり考えたくはない。

 だって、男の子だもん。……僕もこいつも。


「お断りします。……朝っぱらからキモいことするのやめてよ、カツロー」


 僕と同じ制服に身を包むこの180センチ野郎は、岩佐勝郎いわさかつろう。小学校時代からの腐れ縁だ。顔立ちも整っており、夏服の半袖カッターシャツから覗かせた腕を見てわかるように、スラリとした体躯のわりには満遍なく筋肉が付いている。頭も良く、こいつが在籍しているバスケ部では部長を任されるほどの人材だ。ただし、事あるごとに僕へアプローチをけしかけてくる残念なお友達ではあるけれど。


「バカツロー、そのへんにしときなよ。シズクが迷惑がってんのがワカンナイ?」


 ふと、視線を後方へシフトしてみる。そこには少女と言い得ても違和感のない青瓢箪、川添要かわぞえかなめが立っていた。男子の中で背が低い部類にカテゴライズされる僕よりもいっそう低い背丈で、女性物のスニーカーを彼は愛用している。六月も終わりに差し掛かるというのに、暑くないのか、キッチリとシャツをスラックスに入れていた。そうすると校則違反対象であろうお洒落なバックルが付いたベルトが丸分かりなのだが、学年トップの秀才である彼に強く言える教師はいない。左手首にはサイコロをモチーフにしたブレスレットを巻いており、薄茶にカラーリングを施した頭髪は肩口まで伸びていつつも清潔感のあるまとめ方をしていた。


「うっせぇな、バカナメ。人の一世一代の告白にケチ付けんじゃねーよ」

「一世一代って、シズクに会うたびに告白してんじゃん。お前みたいなバリバリのスポーツ系男子は女子に黄色い声援いただいてちやほやされるのがお似合いなんだよ」


 そんな風にケラケラと笑いながら、女子と比べても遜色のない高い声で勝郎と言い合いつつ、要は僕の隣に立った。


「そして、シズクみたいな可愛い男子には、ボクみたいな可愛い男子がお似合いなのさ」


 残念なお友達二号だった。いや、まあもう慣れちゃいるけどね。要とも中学からの知り合いだしさ。


「はいはい。二人とも、冗談はその辺にしといて。そろそろ行かなきゃ本当に遅刻しちゃうよ」


 まだ早朝というのに、もはや何度目になるかわからないため息を吐きながら僕は二人をうながした。


「冗談なんかじゃねーのになぁ……」

「ま、そういうトコがまた可愛いんだけどね」


 後ろの二人からなにやら変な発言が聞き取れたが、気に留めて会話してしまえば面倒なことになるのは分かっていたので、スルーを決め込んだ。





「いやいや、無理! こんなの入んない!」

「いや、だからさ、そこはアバウトでいいんだよ」

「いいもんか! ね、カナメ? 違うよね? お願いだから違うと言って!」

「いや、こーゆーのはだいたいアバウトだよ。……あれ、シズク初めて? この前やってなかったっけ?」

「絶対やってない! ていうか、二人ともなんでこんな事知ってんのさ!?」

「そりゃあ、お前……健全な男子高校生たるもの、こういった予習は欠かせないだろ」

「ありゃ、カツローにしちゃあ、いー心がけじゃん。ボクも見習わなきゃね」

「おいおい、学年トップの秀才様に褒められちゃったよ。こりゃあ明日は雨が降るなぁ」

「そこの二人! うっさい! ……ていうか、え? こ、これを……ここに入れるの?」

「そーだよ。ね? 簡単でしょ? 他にもいろいろ、ボクとカツローで教えてあげるよ。シズクの知らない、イロイロをね」

「う、うん……僕も、もっと知りたい……おしえてほしい。もっともっと、先のことを――――」

「お客様っ! て、店内でそのようなふしだらな会話はお控えくださっ……!」


 ファミリーレストラン『ピークック』。コック帽をかぶった孔雀がモチーフの全国規模のチェーン店。放課後、そこで英語の勉強を頭のいいバカ二人に教えてもらっていると、女性のウェイターさんが真っ赤な顔をしてやってきた。テーブルに広がった英語の教材や辞書を見て、はた、と動きを止めている。


「あ、でもそこの穴埋めにアバウト入れたら、後ろの接続にはザットを使えよ」

「そんで次の文章。ウッドの後は過去分詞のプレイドじゃなくて、原型のプレイになるからよーちゅーいね。そんで楽器を演奏する際に使うプレイには、その後ザを入れんのをお忘れなく」

「あ、頭がパンクする……」


 し、失礼しましたー! と叫びながら去り行く店員さんを見送りながら、僕は思考を停止させた。

 もうさ、僕らは日本人なんだからさ、日本語できればいいじゃんさ。

 そしてついでに現代人なんだからさ、古文漢文も必要ないじゃんさ。

 ケータイをいじり、ぼんやりとそんなことを思いつつも、大学受験を控えた僕は、躍起になってでもこの語学を修習すべきなのだろう。

 家庭の事情もあってか、推薦枠を取れるほど学校行事に精を出さなかったツケが今になって重くのしかかっている。……後悔は、ちっともしてないけどさ。


「……シズク、ケータイ変えないの?」


 すると、死んだ魚のような僕を見かねたのか、要がふとそんな事を言い出した。


「ん? うん、まあ別に不便してないしね。みんながやってるケータイアプリなんかも、興味ないし」


 そもそも僕は受験生だ。ただでさえ勉強が不得手な人間だし、バイトしてるし、課金推奨しているゲームになんか意地でも登録したくはない。ちなみに、ウチの家族はみんな最新のタッチ式端末だ。そして総じて廃課金だ。


「いまどきガラケー使ってんの、シズクくらいなもんだよ? たしか一回も機種変したことないんだよね? だったら、ポイントだいぶ溜まってるだろーから、機種代は大した事ないとおもうけど」

「んー……いや、やっぱりまだ変えないかな。無事に大学受かって、ある程度ゆとりができたら、考えてはみるけどね。ほら、最新式のケータイって、凄いじゃない? なんか、いま変えたら、このケータイとのギャップに面喰らって勉強どころじゃなくなる気がしてさ」

「別にそんなのボクが手取り足取り教えてあげるけど……いろいろと」

「そうするとカナメに勉強教えてもらう機会が少なくなっちゃうね」

「………シズク、ケータイは受験が終わってからだ。いまは勉強デートでイチャイチャしよう。そんで合格した後は、普通にイチャイチャしようね」

「いや、イチャイチャはしないよ。なに言ってんの。頭悪くなっちゃった?」


「……最新式といやぁさ……」


 珍しく黙っているなあと思っていると、タイミングを見計らっていたのか、勝郎が口を開いた。妙にニヤニヤしていて、気持ち悪い。


「お前ら、最新式のゲームサービスがもうすぐ始まる話って、知ってる?」


 なにを言い出すかと思えば、わりと普通の話だった。しかしながら受験生であり、勉強に勤しんでいる最中だというのにその話題提供は不適当ではないだろうか。

 ただ、妙に気になる言い方をしているので、その話に乗ってあげることにした。


「最新……『式』? 最新のゲーム、じゃなくて?」

「そ。まったくの別モン。超有名なゲーム会社が開発した、とびっきりスゲーやつ」


 まるで自分が開発に携わったかのように、勝郎は自慢げにそう言った。

 どう反応を返せばいいのかわからなかった僕は、要を見る。すると要は、呆れたような顔色を浮かべていた。


「なあんだ、どんなネタ仕入れてきたかと思えば、鮮度もないそんなネタか。カツローの浅はかさがにじみ出てんね」

「ああん? 下ネタしかストックしてないお前に言われたくはねーな。そんじゃお前、知ってんのか?」

「とーぜん。いろはグループの、ゾディアックゲームでしょ?」

「なんだ、マジで知ってたのか」

「知らないほうが珍しいでしょ。半年くらい前からずっと、ニュースで騒がれてるし。ボクとしてもやっぱ、けっこー気になってる話題だしね」


 はい、ゴメンナサイ。知らないほうです。……ん? いや、いろはグループというフレーズには聞き覚えがあるな。……なんだっけ。


「シズクも、それくらいは知ってるよね?」

「んっと、いろはグループってのはなんか聞いたコトあるけど、そのナントカゲームはまったく。どんなやつなの?」


 そう応えを返すと、要は苦りきった顔を浮かべていた。『マジかよ、どんだけ世間知らずなんだよ。箱入り娘かよ。ちくしょうイチャイチャしたい。愛してるぜ』という副音声が不思議と鮮明に聞こえた気がした。顔をはたいてやりたい。

 一方勝郎は、得心のいった表情で、うんうんと頷く動作を行っている。「わかってるわかってる。シズクはそうだよな。娯楽の、ましてやゲームの話題なんて好きじゃないよな。ああ、なんて理解しあった関係だ。これは付き合う……いや、突き合う以外ありえないな。ちくしょうイチャイチャいたい。愛してるぜ」という音声が不思議と鮮明に聞こえた気がした。ていうか聞こえた。不思議でもなんでもない、普通にしゃべってやがった。顔をはたいてやった。


「ありがとうございます!」


 コイツ、無敵か!? 叩かれてお礼を言う男子高校生、変態だ!

 トントンと、要に肩をたたかれる。彼は目を閉じ浅く一息吐くと、頭を横に振った。……ああ、これは僕にもわかる。俗に言う、既に手遅れですっていうネタなんだな。


「我々の業界では、ご褒美なんです」


 知らねえよ。少なくとも、その業界で職務を全うしたくねえよ。僕は。


「はあ……で、なんの話だったっけ」

「えっと、シズクとイチャイチャしたいって話だったよな?」

「ボクの記憶が正しければ、そーだね」

「ゲームの話だよお馬鹿!」


 もうやだ。どうして僕の周りにはまともな奴がいないんだろう。強いてまともな人間を挙げれば、隣に住むおばさんと、バイト先の従業員の方々くらいなもんだろう。……隣に住む幼馴染は、まともとは決して言い難いしね。


「ああ、まあ、とにかく出たんだよ。その、『ゾディアックゲーム』っていうのがさ。作ったのは、いろはグループの干支組って呼ばれる集団で、いろはグループの作品自体にはけっこう当たり外れがあんだけど、その中でも干支組が手がけた作品は軒並みヒットを飛ばしてんだ。今の作品で言うなら、EOCっていうゲームが大ヒットしたな」


 あ、だからか。だから僕はいろはグループっていう会社に聞き覚えがあったのか。……いや、随分昔に聞いた覚えがある気もするけど……んー、思い出せない。


「で、そのゲームは何が最新『式』なの? タッチパネル使ったゲームだとか?」

「いやいや、そんなレベルじゃない。確かに体感型ゲームが最近は流行っているけど、その体感って段階を二段飛ばししたくらいに凄まじい奴さ」


 もったいぶるように、含みのある言い方を続ける勝郎。

 そして、ようやく確信を明かした。


「ゲームの世界に入れるんだよ」


 ろくにゲームで遊ばない僕には、それがどういう意味を持つのか、すぐには理解できなかった。

 呆けた顔を浮かべつつその意味を考えながら、僕は問い続けた。


「なにそれ、没頭しちゃうくらい面白いってこと?」

「いや、だから文字通りの意味だよ。ゲーム内のファンタジーな世界で、意識を持って活動できるんだってさ」

「……いや、ちょっとまだわからない。そういったアトラクションがある施設ってことなの? そのゲームは」

「家庭用ハードだよ。自宅にいながら、別世界に行けるのさ」

「どうやって? 無理でしょ、そんなの」

「ヘルメットみたいなのをかぶって、仮眠状態になった後、意識だけは別世界に飛ばされる。つまり、手でコントローラやマウスを握る操作じゃなくて、脳で遊ぶゲームなのさ。詳しい原理なんかは知んねーけど」

「はあ……」


 ファンタジーな別世界に行ける。

 それは、説明されても想像できない。

 そりゃそうだ。

 戦争もない国に住んでいる僕らが、ドラゴンを前に剣や魔法を駆使して戦うことができるのか?

 突拍子もない話だ。

 物語の登場人物……妖精や天使、神の類にあえるのか?

 馬鹿らしい話だ。


「…………」


 突拍子もなくて、馬鹿らしい。

 けれど。


「…………へえ」


 だけれども。もし。


 もし、それが本当なのだとしたらーーーーちょっと、やってみたいかもしれない。


「な? 面白そうじゃね? やってみたくね?」

「よしなよ、バカツロー。妄想ごっこはボクも好きだけどさ、実際期待外れな出来栄えだと思うよ? それに、あれメチャクチャに高いんでしょ? たしか、二十万円以上しなかったっけ」

「に、二十万えん!?」


 急に現実味を帯びた話を突きつけられ、僕は我に返った。


「ゲームに二十万!? その会社バカじゃないの!? 本気で売れると思ったの!? 僕だったら二十万あったら、洗濯機と冷蔵庫買い換えるわ!」

「いや、シズク……男子高校生の使い道としてどーなん、ソレ」

「それに、お前この国の娯楽に対する情熱なめんなよ。即日完売したらしいぞ? 初回出荷分一万本」

「え、マジで!?」


 二十万かけるの一万って……えっと、ゼロをよっつ付けるから……二百億か。二百億!? あれ、さすがに多すぎる、じゃあ二十億!? いや、これも多いな、ん!? よくわからん!


「シズク、百面相してないで現実にもどっておいでー。そのままのキミが一番かわいいよー」


 要のその言葉で再び僕は我に返った。


「……とりあえず、一つだけ言えるのは」

「うん」

「ウチの家族には、絶っ対に買わせないってことだね」


 頭に浮かぶは、愛すべきマイファミリーの面々。ゲーム内のファンタジー世界にいる時間が生活の半分以上の比重を占めている、ダメ人間の集まりだ。

 安く見積もって、そのゲームが二十万だとしても、六人分で百二十万。どうせそこから廃課金に励むんだから、お金はいくらあっても足りやしない。

 ……これはスクラムを、包囲網を形成しなければ。ダブルおじいちゃんとダブルおばあちゃんに連絡を取り、金銭援助を断ち切らなければ。そして彼らがこのゲームの事を知らないケースに希望を持ち、絶対に知られないようにしなければなるまい。


「ま、不幸中の幸いっていうか、ウチの家族は今別のゲームに夢中だからね。ほら、さっきカツローが言った、EOC。二人とも、ウチの家族のゲーマーっぷりは知ってるでしょう? だから絶対その情報を漏らさないようにしてね」

「あ? シズク、それも知んねーの?」

「え? なにを?」


 そして、カツローはなんでもないような口調で僕に爆弾を落とした。


「EOC、サービス終了するぞ?」


 繰り返すが、僕はあまり、というか全くと言って差し支えないほどに、ゲームをしない。だからこの場合のサービスというのがどういった意味を持つのかは分からない。

 ただ、その後に続く終了の二文字が、僕に絶望のイメージを突きつけた。


「つまり、終わっちゃうってこと? え、え、だって、大人気なんでしょ? そのEOCってゲーム。なんで、終わっちゃうの?」

「いや、だからEOCも、今度サービス開始するゾディアックゲームも、いろはグループの干支組ってやつらが手掛けてんだよ。さすがに、前代未聞のサービスを始めようってんのに、二足の草鞋を履いての運営はキツイんだろ」


 マジかよ。奴ら、あのゲーム無くなった後、生きていけんのかなぁ……

 ほんと、このゲームだけはどうにか避けてほしいなぁ……


「まあ、気にしないでいーと思うよ? 既に初回出荷分は完売してんだし、オークションにも出回ってないってんだから、お義父さんたちが入手できんのは次回出荷の時だし。それまでに対策を立てりゃ無問題だよ。だいたい、ボクらみたいな一般ピーポーには手の届かないもんだしね」

「うん……そうだよね……おとうさんってフレーズに違和感があったけど、手に入る可能性の方がよっぽど低いよね」


 要の言うように、とりあえずは気にしないでも大丈夫なように思えた。ウチのみんなだって、このゲームをどうしてもやりたいって言ってるわけじゃないんだし。入手できないだろうし。……できない、よね?

 まあ、確かに僕自身もちょっとやってみたいと思ったけど、二十万も払ってまではやりたいとは思わない。

 話を聞くかぎり、競争率だって、かなり高いのだろう。

 第一、僕は受験生だ。学費は奨学金でまかなうとしても、入学金や現在の生活費を得るためにバイトだってやっている。目の前のふたりならまだしも、校内平均グループに属する学力所持者のこの僕は、遊びに現を抜かしている余裕なんてありはしない。


「おいおい、なんで俺がわざわざこんな話を持ちかけてきたと思う?」


 勝郎が得意げに、大仰に手を広げ、声高らかに言った。


「ちぃっと話が遠回りになっちまったが……お前ら喜べ! そして敬え! シズクは俺に惚れろ!

 なんと! この度俺は、入手困難なその『ゾディアックゲーム』を三本! 手に入れちまいました!」

「へー」

「え、うそ、マジで!?」


 勝郎のふざけた態度が気に食わなかった僕が月並みな相槌を打つ中、要は本当に驚いているようだった。普段、ひょうひょうとした態度を崩さない要が驚くのは、とても珍しい。どうやら僕が漠然と思っているよりも、勝郎の功績は凄いことだったらしい。


「カツロー、本当に? どんなコネ使ったのさ。だってそんなの、ボクですら犯罪に手を染めなきゃ……あぁ、カツロー。もういいわかったみなまで言うな。幸いにもおまえはまだ未成年だ。シズクはボクに任せて、おまえはブタ箱で不味いメシを喰らってこい」

「ちげーよ!? 俺をシズクから遠ざけようとすんな! ……ほら、ウチの親父が道場やってるだろ? ちょっと前まで世話してた生徒に、ケンゴって奴がいてさ。そいつが……」

「そいつを脅しつけて代わりに罪を犯させた、と。……脅迫、そして犯罪教唆だね。これはもうシズクを僕に任せて、おまえは黙ってブタ箱で不味いメシを喰らうしかないね」

「だからちげーって! それにどうせ食うなら、シズクの手料理食いたいわ!」

「ボクも食いたい!」

「だろぉ!?」

「その結果ブタ箱に入れられても文句はない!」

「だよなぁ!」

「あ、僕もう帰るね。そんじゃ二人とも、おつかれー。今後は他人のフリをするから、二度と話しかけないでね」


 荷物をまとめて帰宅の準備をする僕を、まてまてゴメンゴメンと二人が頭を下げて引き止めた。

 僕だって、怒るときは起こる。今日はちょっと、二人ともふざけすぎだった。


「はぁ……で? そのケンゴ君が三つ買ってくれたの?」

「いや、そうじゃなくってさ。そいつ、公式の大会には出ないんだけど、クッソ強いんだよな。この俺が一本も取れないくらいに。で、どうやってか知らんけどいろはグループの人がケンゴの噂聞いたみたいで、モニターかなんかの誘いを受けたんだってさ。ケンゴが」


 勝郎のお父さんは剣道場を開いていて、ここらでは一番有名な先生だ。勝郎自身もバスケ部に滞在してはいるが、剣道の腕は中学時代に全国大会出場を果たした程に優秀である。

 ちなみに、要のお父さんは大病院の院長先生。僕のお父さんは暗黒拳闘士をしている。


「でも、そいつ本当に剣道しか興味ない奴でさ。……ここまで言やぁ、分かんだろ? オマケも含めモニター用に三本も高額なゲームを手に入れはしたものの、ケンゴにはプレイする気がない。しかし希少価値のあるものだから放っておくのも落ち着かない。貰い物である以上売りに出すのはあいつの矜持に反した。そこで、以前世話になった道場主の息子であり、個人的な面識もあった俺に白羽の矢が立った。ケンゴにゲームを渡した人曰く、『これは本当に面白いゲームだ。君の価値観を、人生観を、大きく覆すことになるだろう。もし、これだけオレの話を聞いてもやる気が起きなければ、適当な知り合いにでもあげるといい。後に悔やむことになるだろうけれど』、らしい。それが昨日の話。そんで今朝の五時にあいつがウチに来て、全部くれた。終わり」


 説明を終えると、勝郎はドリンクバーに向かった。コーラを注いでいる。僕も要もしゃべらない。

 勝郎が戻ってきた。喉が渇いたのか、コーラを一気に半分近く飲み込むと、舌なめずり。

 そして、再び口を開いた。


「サービス開始は、三日後の海の日になった瞬間。それまでは、キャラクターメイクをしたり、ガイダンスを受けたりできるらしい。な、せっかくこんなオモロそうなもん手に入ったんだ。一緒にやろうぜ? 勿論、タダで渡すから」


 勝郎は興奮気味に、軽く身を乗り出しつつ僕らを見やる。

 隣に座る要は、まんざらでもなさそうに答えた。


「ボクは乗った。世界初のサービス。それを初日から体験できるなんて、びっくりだね。ちょーどいー勉強の息抜きになりそーだし。久しぶりに、カツローに感謝してあげるよ」

「そりゃどーも。シズクもやろう! ……そりゃあ、シズクがゲームを嫌ってんのは知ってるけどよ、こんな機会滅多にねーって! な!」


 ああ、やっぱり、勝郎は優しい奴だなと、僕は思った。

 僕の家庭事情を分かっていて、僕がゲームに忌避感を抱いていると知りつつも、誘い込むことで自分が嫌われるかもしれないという恐れを断ち切って、僕に楽しい思いをさせようとしてくれている。

 明るく、なんでもないように話しかけてはくれているけれど、内心ではきっと難しいことをゴチャゴチャ考えているに違いない。


「……ごめん」


 そしてそれが分かっていながらも、こんないい奴の誘いを断るこの僕は、きっと最低な人間なんだろう。


「遊びに誘ってくれるのは、本当に嬉しいよ? 正直、僕もやってみたいって思ってるし。でも、僕は受験生だし、二人みたいに余裕、ないから」


 きちんと大学に進学して、少しでもお給料のいい、自宅通勤のできる職場に就職する。

 どうしようもないダメ人間の集まりだけど、それでも愛してやまない家族のために、僕ができるのはそれくらいだから。

 それを叶えるためだったら、僕は、遊ばなくたってーーーー遊べなくたって、構わない。


 少しの沈黙。勝郎は目を閉じ、要は横目に僕と勝郎へ目配せしている。

 その沈黙は。


「……そっか」


 そんな勝郎の返事で破られた。


「いやー、勿体ねぇな! どーする、カナメ? 悔しいか?」

「いいや? まったく。サービス初日に楽しむより、シズクと同時期に楽しむほうが、よっぽど魅力的でしょ」

「だな」


 ……ん?


「えっと、それ、どういう……?」

「あ? だから、シズクが大学に合格すりゃあ、遊べるってことだろ?」

「ボクらもお預け食らうんだし、ちゃーんと、ゼッタイ、一緒に遊んでもらうよ?」

「俺らはお前に救われた」

「そんな恩人が楽しめないのに、ボクらだけ楽しむなんてマネは、死んでもできないね」

「恩人って、そんな……」

「あー、いやいや、お前がどんなに否定しても、俺らはお前に恩がある。一生を賭しても返し切れるか怪しいくらいに、大きな恩がな」

「そーそー。まっ、シズクはしっかり者だし、ボクらの助けなんてむしろ重石になるだけかもしんないけどね」


 朗らかに、二人は優しい言葉を口にする。僕は、本当に、大したことはしていないのに。

 あの行いのせいで二人の生き方を縛ってしまっているのだとすれば、申し訳の無さに潰されてしまいそうだった。


 だから。


「うん、わかった」


 だからせめて、この二人の期待には応えよう。


「大学合格したら、絶対やろう。楽しみにしとくね」

「おう、それまで盗まれないように、しっかり保管しとくからな」

「そんじゃ、勉強再開しますかー。……でもさぁ」


 各々がシャーペンを握り、テキストを開く。ついでと言わんばかりに、要も疑問に口を開いた。


「どうなんだろうね、実際。自分で魔法を使える感じって」

「おいおい、ゲームの話はもう置いとこうぜ。……でも、まあ、気にはなるよな」

「空を飛ぶってのは、定番だよね」

「あと、火。ファイアー!ってやつ」

「それよりは、波ァー!ってやつじゃない?」

「あー、わかる。あと、回復な」

「そうそう。バフなんかも鉄板だよね」

「……そういや、あのゲームで死って、どうなんだろうな」

「単純に考えて、デスペナ受けて復活ってのがパターンじゃないの?」

「だよなあ。いや、対人戦がメインって噂じゃん? なんか、こう、殺す感覚があるんなら、やっぱちょっとコエーっつーかさ」

「んー、でもそこらへんは……」

「二人とも」


 勉強の流れが早くも反れてきたので、僕は再度注意を促した。


「ほら、ゲームの話はもう終わり。さっさと僕に英語を分かり易く教えなさい」

「なんだよー、シズクも男の子だろ? 魔法とか、使ってみたい! って、思うだろ?」

「シズクはどう? どんな魔法を使ってみたいの?」

「どう、って……別に、魔法なんて……」

「あれ? マジで興味ない?」

「ゲームはしないにしてもさぁ、マンガとか読んでると、こう、グってきちゃうもんがあるでしょう?」

「い、いや……だから、その……」


 や、やばい。

 つまらない奴だと思われてしまう。なんとかしてこの窮地を脱さなければ……!


「…………っ!」


 ふと、そこでテーブルの上にある、ポテトフライに目が留った。それが神の天恵のように思えた。


「あ、ほら! 例えばこのポテトに、こう……」


 そして、横にあったケチャップを付ける。そのまま、パクリ。


「ほら! たったこれだけでポテトがおいしくなった! ね? なんか、こんなのでも魔法みたいな……なにしてんの二人とも」 


 二人は机に頭を付けるようにうずくまり、もだえ震えていた。


「……やばい……可愛すぎるっ……!」

「シズクは魔法が使えたんだね……最上級の『魅了』をっ……!」

「う……うっさいなぁ! ほら、次のページ! 仮定法過去!」


 頭のいい、馬鹿なふたり。そして、僕の親友とも言うべきふたり。

 大学まで同じところを選んでいたのに、その受験前に別れが来るなんて、いったい誰が想像できただろうか。

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