加藤家の食卓
「雫……父さんは悲しいぞ。お前が他人の迷惑をかえりみないような子に育ってしまったことがな」
父よ、僕は悲しいです。労働に勤しむこともせず、昼夜逆転の生活を送り、ネトゲ漬けの毎日を送られていることが。
筋肉質な体。186cmという高身長。某有名国立大卒という昔取った杵柄。それらのスペックをばっさりと切り捨てる生活を選んだ我が加藤家の主、
「お父さんの言う通りよ、雫。お母さんもね、あなたが普段もこんな風に他人様に迷惑をかけているんじゃないかと思うとっ……し、心配で……っ!」
啜り泣きを演じながら僕を諭す母、
「まったくだな。EOCがオートセーブだったからまだよかったものの、そうじゃなければ今頃お前は地に足を付けていないぜ?」
玉子焼きに辛子マヨネーズを付けているこの頭のおかしな男は僕の兄、
「いや、ない。マジありえないし。暗黒猫さんになんて謝ればいいんだろ……」
ぶつくさと文句を言いつつ、箸で味噌汁をかき混ぜているのは
確かに外見みてくれは良いのだろう。母よりも父の遺伝なのか、171cmという僕よりも高い身長。腰のくびれが映える整ったプロモーション。その体格に合ったさらさらの長い髪。髪の色や形は頻繁に変わるけれど、今のウェーブがかったブロンドは確かに姉によく似合っている。
まあそんな姉とは比べ物にならないくらい可憐で愛らしく目に入れても痛くないような存在が我が家にはいるのだけれど。
そう! それは僕の妹!
真っ先に目を奪われるのは、その瞳。二重の瞼に覆われた、宝石のように輝く赤みを帯びた瞳はどこまでも美しい。鼻立ちの通った線対象なその聖顔は、人工的に創らなければ有り得ないような、まさに西洋人形を彷彿させる造形美。それを優しく抱く頭髪は、暮れなずむ日の様な儚さを含んだ朱色を努め、彼女のやんちゃな性格を体現しているかのようにぶっきらぼうに肩まで伸ばし、せっかくのお人形さんのように小さく整っている綺麗な顔立ちは、勿体無い事に覆い隠されている。しかし蛍ちゃんの肌は、西洋人形にはおそらく相応しくないのだろう。肉食獣の頂点ライオンを彷彿させる、美しいまでに絹やかな、薄い褐色を帯びていた。左耳に青白く光る二つのピアスが、それを一層印象付ける。何をしても可愛い。どこにいても可愛い。そんな、神がこの世に気まぐれで与え給うたような天使のような存在、それが僕の妹、蛍ちゃん!
「……こっち見んなよ。ひっさびさに雫にイラっとしたからさ」
終わりだ。もう生きていけない。蛍ちゃんに否定されるということは、世界という大きな集合に否定されることと同義、いや、それ以上の孤独感に苛まれてしまうのだ。
ああ、蛍ちゃん。鮭の皮をもそもそと食べるその御身の可愛らしいこと。職員一同を絶望的にまで悩ませていたヤンキー集団をフルボッコにしたあげく退学となったように、ちょっぴり茶目っ気があるのもまた可愛い。中学の美術で『修学旅行の楽しかった思い出を絵にしましょう』という課題に対し、あんましおもろくなかったからという理由でその課題を白紙提出したあげく三者面談を設けられたのはいい思い出だ。ちなみにウチの両親は魔大陸の地下遺跡に閉じ込められて出てこれなかったらしく、それには僕が参加した。
っと、いかんいかん。この程度では蛍ちゃんの可愛さを言い表せないが、僕は皆と違って時間がない。今日はお昼までだからお弁当は作らずに済んだとはいえ、いかんせん時間は有限だ。
「ごちそうさま」
両手を合わせ、食器をシンクに浸ける。歯を磨くため台所を離れ、洗面所へ。なっとうの粘りによる支配を受けていた口内に平和をもたらし……ああ、思考回路が家族と並列つなぎになっていやがる。どうせなら蛍ちゃんと並列つなぎになりたい。むしろ直列つなぎになりたい。
そう、蛍ちゃん。小学生のころ、家庭科の調理実習で『作りたいお菓子について調べて、それを作って食べよう!』というイベントがあったらしい。他の子たちは定番のケーキやらクッキー、少し変わった子は大福や芋飴など、それぞれが様々なお菓子を調べ、調理したという。
そんな中、我が加藤家の誇る天使、蛍ちゃんは何をチョイスしたか。
柿ピーだ。
いや、凄くない!? そんな小学生は蛍ちゃんだけだよ! ああ可愛いよ蛍ちゃん! 東北のおじいちゃん家から落花生とお米を取り寄せて実際に行動に移すところがまた可愛いよ! 上手くできなかったみたいだけどね! その後家で僕が作った柿ピーを食べて「あ、しずくの柿ピーちょうウマい」と美の女神すらもしっぽを巻いて逃げ出すほどの笑顔を浮かべながら言ってくれた蛍ちゃん! 可愛すぎるっ!! 追加で取り寄せて十キロ作ったあたりで「調子のんな」と叱ってくれた蛍ちゃんもまた……
「しずく兄ー、着替えなくていーのー?」
食卓からそんな満の声が聞こえる。あいつ、いたのか。っていうかまだ食べてたのか。
しかし満が言うことも事実。そろそろ行かねば遅刻してしまう。思ったよりも時間をロスしてしまった。蛍ちゃんが可愛すぎるせいだ。可愛いは正義、そして、可愛いは罪なのだ。
トントンと、少し急ぎ足で階段を上り、自室へ。ハンガーにかけてあるシャツとスラックスに手を伸ばし、それに着替え始める。その時。
『ピンポーン』
乾いたチャイムが、家中に響いた。もちろん玄関の扉は鍵がかかっているので、誰かが応対しなければならない。しかし、階下からの足音は聞こえてこない。
『ピンポーン』
再度、チャイムが鳴る。しかし先ほどの食卓では饒舌だった家族たちは、嘘みたいに行動を起こす気配がなかった。
すると、僕の部屋に内線が繋がった。
『雫! 何をしている! 今の状況が分かっているのか!? デンジャラスだ! 招かれざる客の相手は、お前でないと務まらない!』
父だった。コミュ症な我が家の主だった。何をしていると言いたいのはこちらの方だった。
『宅配の方だったらどうする!? ご迷惑をお掛けするようなマネはよすんだ!』
……少なくとも僕はネット通販の類を一切利用したことがないので、仮に宅配便だったとしても困らない。なにより昨今の宅配サービス事情にはあまり詳しくないが、こんな早朝から業務にあたる会社があるとは思えないのでその線はないと思う。ていうか実のところ僕はこの来客が誰なのか、否、誰と誰なのかは分かっていた。
スラックスを着用した後、玄関先で待たせてしまっている罪悪感など微塵も覚えずに、僕の部屋に備え付けられている受話器を手にとる。
「はい、どちら様でしょうか」
『好きです! 結婚を前提につきあってください!』
「帰れ」
即座に受話器を戻す。ケータイとお財布をポケットに入れたことを確認すると、学校指定の通学鞄を手に部屋を後にした。
トントンと、階段を降りて食卓に顔を出す。
「友達が迎えに来たから、僕、もう行くね。今日は学校昼までだけど、友達と一緒に勉強する予定だから帰りは少し遅れると思う。もし寝ずにお昼ご飯食べるつもりなら、適当にカップ麺か冷凍食品で済ませてね。バイトは今日休みだから晩ご飯はちゃんと作るよ。でも多分、手抜き。今の予定じゃ親子丼かな? わかった?」
いつもなら、はーい、というやる気のない返事をいただけるのだが、今日はそれがない。我が家の食いしん坊担当の満からも返事がないという事は……コイツら、何か企んでやがるな。
「……絶対に、お昼に出前なんて頼んじゃダメだからね」
ふと、釘を刺してみる。すると案の定、一斉に僕に視線が集まり、猛ブーイングの嵐が吹き荒んだ。
「そんな殺生な!」
「雫、それはあんまりじゃない?」
「今日は大事な日なんだ。戦士にはたまにの褒美が必要ってなもんだぜ?」
「カップ麺に冷凍食品って……私の美容健康損ねたら、責任とってくれんの?」
「よろしい、ならばおいらがそれを喰い尽くそう。兵糧攻めは戦の定石なり」
上から、父、母、兄、姉、弟の訴えである。
「ええい! ダメなものはダメなの! それに満、カップ麺のストック食べ尽くしたら本当に怒るからね! 先月の満の誕生日に今月分の食費いくらか回したから、本当に切り詰めてるんだからね!?」
もしお隣さんが玄関先で掃き掃除をされていたら、誠心誠意をもって謝ろう。しかしここは譲れないのだ。我が家の財布は僕が握っているのだから。
「みんなの娯楽費から出すならまだしも、今日のお昼ご飯代はウチの食費からは一切出しません! ……いや、今日は朝のペナルティとして娯楽費からも禁止します! だいたい、出前ってコストパフォーマンス悪すぎるんだよ! メインとご飯と付け合せ野菜のから揚げ弁当が500円って、馬鹿にしてんのか!? ピザのオプション、チーズ増量250円って、足元見すぎだろ! ラーメンだってそうだよ! 僕が作れば7人前のラーメン・餃子に、替え玉やチャーハン用意しても、3000円で収めてみせるね!」
ガミガミと叱る僕を見るみんなの目は、「あ~、はいはい」としたもので、びっくりするほど真剣みを帯びていない。
きっと彼らは、どうせ僕が外出さえしていればどうとでもなると思っているのだろう。出前先への通話履歴なんかごまかすだろうし、最近ではネットで注文できるとも聞いたことがあるからだ。……甘い。甘いよ加藤さん。僕にはみんなが習得していない、『ご近所付き合い』というスキルを手に入れている! その情報網を駆使すれば、ウチに出前が来たのかどうかなんて一発だ! それが発覚したあかつきには……一週間、ネトゲ禁止令を施行させていただこうかぁ!
その旨を宣言しようとしたまさにその時――――天使の声が聞こえた。
「おにーちゃん、あたし、今日はどうしても出前頼みたかったんだけどなー……」
「もう、しょうがないなぁ。はい! 5000円あったら、十分足り――――」
「え……? あ、うん……そっか、そうだよね……うん……ありが……」
「――――っとぉぉお! 間違えたぁ! ゴメンゴメンこっちこっち! はい! 勿論おつりはいらないからね!」
「わぁ! 諭吉さんだぁ! でも、いいの? さっきおにいちゃんが、今日は出前禁止って……」
「いいのいいの! 気にしないで! 蛍ちゃんが笑顔になるためだったら、お兄ちゃん、なんだってやっちゃうから!」
「やったー! ……おにいちゃん、今朝はゴメンね。あたし、ちょっと夢中になっちゃって……」
「全ッ然! むしろ僕こそゴメンね! 今度からはもっと気をつけるようにするからさ!」
「ありがとう! おにいちゃん、大好きー!」
きっと、今の僕の顔は真っ赤でだらしなくデッレンデレンに緩くなっていることだろう。なにせ蛍ちゃんから「大好き」だなんて言われたのは67日ぶりにもなるからだ。
そんな僕を見るみんなの目は「あ~、はいはい」としたもので、びっくりするほど真剣みを帯びていない。
きっと彼らは、蛍ちゃんが僕にちょっとお願いすればどうとでもなると思っていたのだろう。それは僕が蛍ちゃんの頼みを断ったことがないという統計上の理由でもあるし、なにより蛍ちゃんが可愛すぎるからだ。……甘い。甘いよ加藤さん。いや、この場合の加藤さんは僕のことなんだけど。……そうだよ、なんだよ、悪いのかよ。妹に甘くてなにがいけないんだよ。妹に優しい兄、素晴らしいじゃないか! 蛍ちゃんに大好きと言ってもらえて、あんなあどけない優しげな笑顔が見れたんだ。どう見てもこれは僕の勝ちだろ!? いや、一体何と戦っているんだ僕は!?
「おにいちゃん、家の前にお友達待たせているんでしょう? 早く行ってあげなよ」
あぁ、なんて蛍ちゃんは優しいんだろう。こんな可愛い妹に気を使わせるだなんて、兄失格だな、僕は。
「それじゃ、行ってきます。おひつが空になったら、ご飯だけ炊いといてもらうと助かるな」
「うん! あたしがやっとくよ! でもどうせなら親子丼より、カツ丼がいいな!」
「え!? いや、いま豚肉は切らしてて……ううん! 今日はカツ丼! はいきまりー! だからそんな悲しそうな顔はしないで蛍ちゃん!」
「ありがとう! それじゃ、いってらっしゃーい!」
「はーい! いってきまーす!」
僕は廊下に出て、リビングに繋がるドアを閉める。玄関扉に手をかける際に「チョロイな、雫」という蛍ちゃんの声に似た何かが聞こえた気がしたが、浮かれていた僕は全く気にせず家を出た。
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