ゾディアックゲーム

@doxob

我が家の日常

 僕には丁度いいけれど、みんなには少し薄いのかもしれない。完成間近の味噌汁を味見して、そんな感想を僕は抱いた。

 グリルではあと3分で鮭が焼き上がる。昨日のタイムセールで得た戦利品だ。3尾で200円。おひとり様3尾限り。運よく、2周できて6尾手に入った。僕の分は無い。納豆の賞味期限が切れそうなので、それを消費する予定だ。7人家族。そういった帳尻合わせも必要になる。


「……あ、卵も危ないんだっけ」


 ふと、そんな気がしたので期限を確認する。今日中に切れるものが、8個。


「ちゅーとはんぱだなぁ……」


 とりあえず、4個使うことにする。期限内だけど、生で食すのは論外。ボウルに4個全てを割り入れ、菜箸でかき混ぜる。砂糖は多めに、塩は少々。出汁醤油で味を調え、平型のフライパンを取り出す。


「さて、と」


 薄く油を敷いたフライパンを中火にかけ、熱されるのを待つ。鮭の焼き上がりはあと30秒。その間にお皿を6枚並べ、おろしがねを出しておくことを忘れない。ピー、という電子音と共に、焼鮭の完成。お皿に移し、グリルを水に漬けておく。火元を離れたついでに、冷蔵庫へ。野菜室から大根を、冷蔵室からパック詰めされたひじきの煮物を手にし、急いで戻った。


「よし」


 フライパンを弱火にして、卵を四分の一ほど注ぐ。この時菜箸で空気を混ぜてやるのがコツなのだ、と祖母から教わり、それを信じて疑わない僕は、少し焼き固まるまで卵を混ぜる。形が出来てきたので、菜箸を使い、奥から巻いていく。少し足を残し、その足に同じ量の卵を注ぎ足し、洗い場へ。大根を使う分だけ切り取り、水洗い。ピーラーを使い、3秒で皮むきを済ませる。……余談だけれど、僕の父と兄は、味噌汁に大根が入る事を許さない。そのくせ彼らは焼き魚に大根おろしがないと文句をいうのだから、やってられない。作り手側の見解としては、大根を最初から使い具材に生かせれば手間が楽になるのでそんなワガママを聞いてあげる必要もないし、ましてやウチにはあまりワガママを聞く余裕もないのだけれど、そうすると今度彼らは泣きじゃくるので、そんな彼らの相手をする方が正直面倒な僕はあきらめることにしている。ちなみに、今日の味噌汁の具は豆腐と玉ねぎだ。


「はぁ……」


 菜箸を持ち、玉子焼きを完成させる。更に余談……というか蛇足だけれど、食材の状態を卵、料理になると玉子、と漢字の表記が変わるらしい。これは僕の姉に聞いた。ウチの家族は本当に無駄なことに博識である。玉子焼きを七等分してお皿に盛り、フライパンに油を敷き直す。まとめて大きい玉子焼きを一つ作ってもよかったけど、大きい一個より小さい二個お皿に盛ってあった方が、見栄えが良いだろうしね。

 玉子焼きを作る片手間に、大根をおろす。ギリギリまで冷蔵庫に入れて冷やしておかないと、彼らが泣きじゃく……もとい、いやもとわない。本当に泣きやがるからね、彼ら。

 ピピピと、炊飯器が高い声を上げた。どうやらお米が炊けたらしい。しゃもじにラップを巻いて、蓋のプッシュボタンに手をかけ、いざ開かん。


「……ん~~! いー匂い!」


 炊きたてのご飯の香りが、僕の鼻孔を優しくくすぐる。しゃもじですくう様に混ぜほぐすと、そのかぐわしさは一層強く僕を襲い、叱咤するかの如く余った眠気を吹き飛ばしてくれた。

 どん、と鮭が居座るお皿のふちに、ひじきの煮物、大根おろし、そして玉子焼きを飾る。後はお味噌汁を注つぐだけだ。


「………………」


 少しばかりの、逡巡。己の権利と、自己犠牲の葛藤。

 その結果。


「……もう少し、濃くしようかな」


 僕は合わせ麹こうじといりこ出汁に手を伸ばした。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「朝ご飯ができたので、みんな食卓に集まってくださーい」


 椅子に腰かけ、据え置き電話の子機を手に持ち、内線を繋げアナウンスをする。これはちょっと凝った仕掛けになっており、簡潔に言えば病院のナースコールの仕様に近い。家族それぞれの部屋、そしてリビングや浴室といった主要箇所に備えつけの子機がある。ちなみに、現在時刻は朝の六時ジャスト。……健康的な家庭だって? 違う違う、まさに不健康ここに極まれりといったような、ダメ人間の集まりなのだ、ウチの家庭は。


「……早く来ないと、おあずけですよー」


 駄目もとで、もう一度アナウンス。……うん、ゼッタイ聞いてない。僕以外の全員がヘッドフォンを装着してやがる。まったくイカレた一家だぜ!


「……ハァ」


 携帯電話を取り出し、メール作成画面を開く。カコカコと、時代遅れと言われそうな二つ折り携帯を操作し(まさに過去過去!)……いかんな、まだ寝ぼけてやがるのか僕は。と、とにかく、文面を打ちこみ、家族全員へ一斉送信。


『あさごはんですよー

 さめないうちに、あつまって!

 ごちそうなんだけどなー

 はやくこないとおあずけですよ?

 んー! おいしい!』


 よし、完璧だ。インターネットには疎い僕だけれども、これは上出来じゃあないかな。


 ブブブ、というバイブが僕に早速の受信を知らせる。ちなみに、僕は携帯電話を手にしてこのかた一度もマナーモードを解除したことがない。テストの時だったり電車に乗った時だったり、いちいち設定するの面倒くさいじゃん。


『縦読みがつまんない やり直し』


 差出人は姉だった。この野郎……僕の精一杯の頑張りを一蹴しやがって……。


『いいから早く来てよ! せっかくの鮭が冷めちゃうよ!』


 もはや何の衒てらいも無しに、ストレートな文章を再送信。


『今ギルマスと一緒にレベリングしてるからちょっと待って』


 ギルマスって何ですか……?


『雫にわかりやすくゆーなら、ネトゲ中』


 ああ、ネトゲね。そりゃあ僕のアナウンス聞こえないよね。うん、まあネトゲ中ならしょうがないね。

 そう思いつつ腰を上げるのと同時に、メールを受信。差出人は父だった。


『雫! 父さんと聖は今とてつもないピンチに遭遇している! デンジャラスだ! 早急に大根おろしを冷蔵庫にしまい、味噌汁に豚肉を投入するのだ!』


 デンジャラスなのはお前の頭だ。そう返信しようとすると、もう一通メールを受信。差出人は兄だった。


『すまねぇな、雫……どうやら親父と俺はもうダメみたいだ。この美しい世界を救うことができなかった俺らを許してくれ。あわよくば、大根おろしを冷蔵庫にしまい、味噌汁を豚汁にランクアップさせてやってくれ。おっと、ニンニクを入れるのは最後だからな。忘れるんじゃあ、ないぞ?』


 滅んじまえよそんな世界。二人してなにしてやがるんだ。


『この戦いを制し、今宵我らはEOCの英雄となってみせる!』

『いくぜぇ、親父! まずはあの斧を持ったゴッツい悪魔を片付ける!』


 もう朝だよバカ。そしてまずお前らは自分の部屋を片付けろ。

 そう思いつつ、EOCとは何ぞや、と気になった。

 ケータイ→検索→ヨーロッパオリンピック委員会……違うな。

 次候補→エンド・オブ・カタストロフィ→廃人御用達のネトゲ→あ、これだ。

 なーんだ、二人ともネトゲ中だったんだ。そりゃあ僕のアナウンスも聞こえないよね。

 仕方ない仕方ないとぼやきつつ、台所を離れ廊下に出ると、メールを受信。差出人は母だった。


『しずくぉにーちゃん、ぉはよー☆\(>w<)/☆ つぼみわぁ、いまたからものをみっけにいってるの(*^w^*)エヘヘ だからいまからおなかぺこぺこにしてくるからあとからたべるねー!』


 ……すごい。もう、なんか、すごい。ここまでくると呆れとか苛立ちではなく、尊敬の念すら抱いてしまう。他に尊敬すべき点がないのがなんとも残念だけど。……ん? 宝探し? ああ、よかった。父や兄とは違い、母は部屋の片づけの最中だったのか。しかしそれは後でもできる。今はご飯が冷める前に食べに来てもらいたい。


『探し物は一旦置いといて、先にご飯に来てくれない?』

『んーん、いまじゃないとだめなの。いにしえよりつたわりしわざわいのつるぎをみかぐらのほこらまでとりにいかなきゃだめなの。みかぐらのほこらはけんじんりゅうじゃぎるでぃうすをたおしてからいちじかんしかひらかないの』


 ……もう、この文章を解読するには、専門の学者の力が必要なんじゃないだろうか。僕には少し難解すぎる文章だ。きっと日本語に精通した文学者でもこれを見れば卒倒するに違いない。

 しかし僕には『けんじんりゅうじゃぎるでぃうす』というフレーズには見覚えがあった。ていうか、つい二分ほど前に見た。EOCとかいうネトゲを調べた際、そのページのトップに『終焉を告げる存在、剣神竜ジャギルディウス降臨!』と、でかでかと表示されていたのだ。つまるところ母は、ああ、そっか。ネトゲ中か。だったら僕のアナウンスなんか聞こえるわけないよね。いやあこれは失敗したなあ。

 そう感慨深く思いを馳せつつ、廊下の隅に置いてある脚立式の踏み台を手にする。所定の位置にそれを置いたところで、メールを受信。差出人は妹だった。


『いま雑魚の掃除してっから、ちーと待って。できれば赤マル1カートンとライター一本買っといて』


 悪魔かお前は。いや、まあ本当は天使なんだけど。兄をパシらせて、なおかつ未成年の分際でタバコなんて吸うんじゃない。


『蛍ちゃん、タバコなんてやめなさい。そして雑魚掃除だなんて、口の悪い言い方はやめなさい』

『ん、じゃあ、始と聖をボコボコにしたってる』


 斧を持ったゴッツい悪魔はお前か。本当に悪魔だったのか。そして父と兄よ、ネトゲとはいえ17の少女に二人がかりでやられてんじゃねーよ。

 あれ? ということは、だよ。y=3x+bという数式にx=4、y=29をそれぞれ代入してみると、b=17になるから……なんてことだ! 妹はネトゲをしている最中だったのか! 僕のアナウンスなんて聞こえるわけないじゃないか!

 美しき数学の神秘に浸りつつ踏み台の上に足をかけ、屋内全ての電力供給をつかさどるブレーカーに手をかけたところで、背後から声をかけられた。


「しずく兄にい、おはよー。あいかわらず……ング……っぷは、早いねー」


 後ろを振り向く。そこには僕の弟、満がいた。

 僕より年はふたつ下なのに、身長は頭ひとつ僕より高い。ぽっちゃり、というよりはどっしり、という形容が似合う体格をしている。バリカンで坊主にした頭。白い半袖シャツに黒ジャージズボン。右手にはスポーツドリンクのペットボトル(2ℓ)を持ち、左手にはのりしお味のポテチをこしらえていた。


「おはよう、満。朝ごはんの時間だから降りてきたの?」

「そーだよー。もう、おいらお腹ペッコペコでさぁ、メールしてくれて助かるよ」


 バリボリと、のりしおポテチをほお張りながら弟はそんな狂気じみたセリフを吐いた。


「こんだ……ごくん。献立はなぁに?」

「……鮭の塩焼きと玉子焼き。それと、お味噌汁。ちょっと手抜きでゴメンね」

「いーよぉ。しずくの作るごはんはなんでもおいしいからさぁ。ちょーどいいトコでログアウトできたし……じゃあ、おいら先に食べるね」


 のっしのっしと、食卓へ脚を向け満は姿を消した。……そう、思い返してみてください。彼は先ほど、のりしお味のポテチを手にしていた。しかし彼が今まで寝ていたのならば、これは非常におかしいワケですよ。なぜならば、彼はいつも4袋目にのりしおを選ぶからです。王道のうすしおから始まり、九州しょうゆ、コンソメと段階を経て、のりしおで〆るのが彼の無意識な癖なんです。数年前からのルーチンをこのタイミングで崩すのは、あまりにも不自然極まりない。それに彼は、メールにて朝食の時間を知ったと言いました。つまり、僕のアナウンスは聞こえていなかったということです。これに『ログアウトした』というフレーズを噛み合わせると……わかりましたよ、刑事さん。満は先ほどまで寝ていたのではなく、ネトゲをしていたということが!

 圧倒的論理思考。ロジックのその向こう側に広がる世界を目の当たりにして、僕はまたつまらぬ事件を…………って!


「全員ネトゲしてんじゃねーーよぉ!!」


 早朝から大声を出すことでかかるお隣さんへの迷惑、くどいリフレインに対する葛藤。そしてダメ人間の集まりである我が加藤一家への怒りを指先へ秘めて、僕はブレーカーを落とした。

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