「穴」

   


 夜遅く。私はいつもの帰り道を歩いていた。その日は特に疲れが溜まっていたので、いつもより近道の寂れているシャッター通りを抜けることにした。


 普段この道を使わないのは言うまでもなく、人気がなく不気味だからだ。近頃では人が行方不明になるなど物騒な話も聞くため、なおの事本来なら近づかない場所なのだが……それは多分きっと、つかれていたからだろう。


 コツ、コツ、と私の足音だけがシャッター通りで響いている。やはり私以外に誰もいない。等間隔に置かれた電柱が道を照らし、羽虫がその光に誘き寄せられ集っていた。

 昼だろうと夜だろうと変らぬ不気味さに私は自然と足取りを速める。

 このシャッター通りは精々100メートルくらいのものだが、その時はいつもよりも長く歩いているように思えた。

 心臓の鼓動が高まり、段々と息も荒くなってくる。もうそろそろ出口だろうと思った瞬間、思わず足を止めた。


 街灯に照らされた男が一人立ち止まっているのだ。ただ立ち止まっているのではなく、何かをじっと見つめていた。


 その様子に不気味さを覚え、不審者のたぐいかと思った私は気づかれないように電柱の陰に隠れて様子をうかがうことにした。

 先ほどと同じように男はただひたすらに一点を見つめて動かない。遠目からではマネキンが立っているかのようにも見える。まるで写真として切り取られたかのようなその光景を陰で見つめている私は傍目から見れば容疑者の後を尾行する刑事か、探偵にでも見えただろう。

 どれくらいの時間が経っただろうか、男は暫くすると何事もなかったかのようにまた再び歩きだす。


 男が消えていくのを確認した私はこそこそと男の居た場所へと近づいた。ちょうど男が立っていたのと同じ場所で同じように男が向いていた方向を見ると、特にこれといったものはない。閉じ切ったシャッターがあるだけだった。特に何か張り紙がついている訳でもなければ若者がスプレーで落書きをしているわけでもない。

 なぜあの男はこのシャッターをじっと見つめて居たのだろうと首をかしげていたが、その時にあるものが目に見えた。


 穴。シャッターに穴が開いていたのだ。ちょうど大きさはペットボトルの蓋くらいならすんなりと入ってしまいそうな穴だ。


 ―――覗いてみたい。


 そんな欲求がふつふつと沸き立つ。何故だかわからない。きっとつかれているせいだ。

 ゆっくりと顔を穴に近づけていく。黒い穴がこちらを見ている。この中に吸い込まれてしまいそうだ。


 もう少し、もう少しで穴の先の“モノ“が見える―――


「あの、何をしているのですか?」


 ハッとなり私が振り返ると、そこには一人の警官が立っていた。いぶかしげな表情でこちらを見つめるその様子は、まさしく私が何かやましい事をしているのだろうと疑っているに違いない。


「いえ、穴が開いていたもので」

 思わず咄嗟に私は馬鹿正直に答えてしまった。警官は胡散臭そうに私の顔を見つめながらシャッターを一目見ると、確かに穴があるなと呟いた。その後2,3質問を受け答えすると特に怪しい人間ではないと分かってもらえたらしい。


「とりあえず、最近ここら辺も物騒なので気を付けてください」

 私は曖昧に相槌を打ちながらそそくさとその場を後にした。シャッター通りを抜けた頃には、ホッとした反面、あの穴の中を除けないことに少々の残念さを覚えていた事に自分でも驚いていた。


 それから数日は何ともなく毎日を過ごしていたが、頭の中の片隅にはあのシャッターの穴の先の事を思い浮かべている。

 あの穴は一体何なのか。たかが穴なのに、なぜ私はここまで惹きつけられているのか……。


 たまにあの穴を探しにシャッター通りに出向いては見たがどのシャッターも穴一つ無い。おかしいと思って通りの始まりから終わりまで一通り回ってみもしたが、見つかることはなかった。


 そうしてモヤモヤとした日々を送り、今日もまた遅くまで帰ろうとした時、スマートフォンが震えた。確認してみると、いつものニュースの情報を受信したらしい。

 何の気なしに見た途端、私は胸の高鳴りを覚えた。


『謎の失踪相次ぐ。今度は警察官』


 この見出しと共に行方不明になった警察官の顔写真が載っていた。そう、この写真の人物こそ私とあの場所で話をした警官だったのだ。連絡が取れなくなった日もあの日で一致している。


 きっと、何かが関係している。あの穴と。あの警官は私が去った後、あの穴を覗いたに違いない。

 たまらず私は駆け出して件のシャッター通りへと向かう。あの穴の正体は何なのか。知りたい。それ以外はどうだっていい、そう思えるほどに狂おしい。


 あった、あの穴だ。私を迎え入れてくれるかのように、そこにはあの穴があった。


 ゆっくりと顔を近づけ、その中を覗く。中はどこまでも暗く、そして落ち着く。

 そうだ、中へ入りたい。ここならいつまで居ても飽きないだろう。私を招く人々もいる。私は歓迎されているのだ。入りたい。


 そう念じた途端、身体が溶けていくような気がした。そして心が安らいでいく。 

ああ、ここはなんて居心地がいいのだろう。今の私はまるで母親の中で眠る胎児のようだ。

ここは何と素晴らしく、安らかで、落ち着いて―――


 ―――寒いのだろう。



『またもや失踪。今度は会社員』

                   了

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モノノケ夜話 @koke_marimo

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