モノノケ夜話

@koke_marimo

夜一番

 マヨヒガを知っているかい? その家に招かれた人は物を一つ、持って帰ってもいいんだ。そしてその物はその人に富を与える。

 羨ましい? ただね、気をつけたほうがいい。そこはこの世とは限らない場所だ。

 もしそんなこの世ともあの世とも分からない場所に招かれ歓待を受けたとしても、何も食べちゃいけない、土産物みやげものも帰りにおいて帰るんだ。

 黄泉竈食 よもつへぐいはしちゃいけない―――



                   ※



 あの夜のことは忘れるはずがなかった。ざぁざぁと降るわけでもない、かといって、小雨のような雨でもない夜の出来事だ。


 しがない貧乏旅を続けていた私は道に迷い、どことも見当のつかない田舎町の中、とにかく雨宿りのできる場所を探していた。

 手当たり次第に訪ねてみたが、もちろん、素性も判らないみずぼらしい格好をした人間を泊めてくれる程の親切な家はない。中には盗人を見るような目でこちらを睨む家人まで居たほどだ。

 かといって宿屋などというものが在るほど、他所から人が流れ来るような場所ではない。あったのならば、真っ先に私は先に尋ねただろう。

 ともかく、来てしまい、私は自分の不幸を恨んだ。しかし恨んだだけでは身の冷たさと濡れた服を温めることも、乾かすこともできない。


 仕方なく、何処ぞ雨風が防げそうなあばら屋でも探そうとしたその時だった。

「もし、貴方様はお宿をお探しでございましょうか」

 着物を着た若い女性がそう私に話しかけた。うつむきがちな顔は傘に隠れ、より一層と不気味さをかもし出している。

「ええ、まあそんなところです」

 そう応えたものの、どうにも私はこんな所で一晩を明かしたくはなかった。人々の不親切さに触れたのもその原因のひとつではあるが、なにより雨降る夜中に不用心にも一人で歩いている女性に不気味さを感じたのだ。


 しかし女は、そうですか、と言うと私のそばを通り過ぎていく。

 私はを裏切られたことに対する苛立ちを覚えた反面、これでいいのだという安堵もしていた。

 何事もなかったかのように歩こうとすると、

「よろしければ、私の家へと来てはいただけないでしょうか」

 そんな声が背後から聞こえた。ぎょっとして動かそうとした足を止め、後ろを向く。女はこちらに背を向け、まるで鏡に我が身を映したかのようにぴたりと立ち止まっている。


「よろしいのですか?」

 私はすぐにそう言ってしまった。

 今となってしまえば、はなはだ不思議なことである。女が私のそばを通り過ぎる時にはこうもすぐに返答は出せなかっただろう。

 だというのに、私は尋ねられた瞬間、そういったことを言ってしまったのだ。


「ええ」

 女はそう短くこちらを向かずに言うと私は女のそばに近づき、頭を下げて

「では、お世話になります」

 と返事を返しているのだ。何かに私は魅入られてしまったのだろうか。

 女はその言葉を聞くと黙って歩みを進めた。その後を歩く私はまるで、女の後をついていくだけの人形と化してしまったかのようであった。


 女の家は他の家が集まり住んでいる場所とは少し離れた場所にある。 

その場所一帯の土地がその家の所有する領地なのか、塀のようなものが見あたらない。家のすぐそばには池があった。苔むした石灯篭や蛙の石像が年季の入りようをかもし出している。

 女に連れられて家に入ると、中は心なしか外よりも湿っているような生暖かい空気が私の体を包み込んだ。明かりが照らす玄関も、妙に薄暗い。


 しかしそれは気味が悪かろうとも、私は冷たくないというだけで幾分かありがたいもののように感じていた。

「どうぞ、ここに外套がいとうをおかけください」

 女の言う服掛けにかけようと触れると、やはり雨のせいなのか木の質感がやけにしっとりとして、どこか肌にまとわりつくような触り心地がした。


 縁側を通り、女に連れられた部屋は実に簡素なものであった。何か物があるというわけでもなく、ただ8畳ほどの空間に布団がぽつねんと一枚敷かれてあるだけだ。ふすまは縁側から入って左側と右側に在り、奥は壁となっている。

「ここをお使いください。私どもは一晩ここを空けてしまいます。朝までには戻ってきますが幼い弟が眠っておりますので、起こさぬよう宜しくお願いします」

 女はそう頭を下げると、いそいそと退出した。


 私は女の足音が遠ざかっていくのを確認すると、ふうっ、とため息を漏らした。

 もう雨露に気にする心配はないという安心もあり、心に余裕の出来た私は縁側に出た。部屋を出たすぐそこにはあの池がちょうど視界の中心に目に入るようになっている。

 私には風流というものを理解する程の感性は持ち合わせてはいなかったが、なるほど、これはこれで味のあるものではないか。

 苔の生した岩や池に雨粒が当たり、その水が滴や波紋となり消え去っていく。

 ――こういった情景を古く昔、平安の殿上人や風流人は“あはれ”としていたのだろうか。

 しみじみと池を眺めながらそう思いふけっていると、何かが池で跳ね上がるような音がした。


 その音で一瞬我に帰った私はぎょっとした。

 私は気づけば池のすぐ前まで立っていたのだ。濡れることすらいとわず、足も泥にまみれている。

 どうにも私は疲れていると思い、そのまま戻るついでに池を覗き込んでみる。月光も無いこの夜では池は深淵、あるいは何処かこの世ならざる場所へと繋がる暗い穴のようである。

 縁側に上がる前に泥を拭うと、私はそのままさっさと寝てしまうことにした。

 布団は上質なものではないが軟らかく、すぐに私は眠りについた。


                  ※


 ―――丑三つ時だろうか。とにかく夜もすっかり更けきり、片手で数えるほどの時間で日も昇るような、いわゆる未明の時間帯に私は目が覚めた。

 ふと用を足したくなったのである。

 腫れぼったい目を開けながらふらふらと部屋を出たとき、私は思わず“アッ”と声を漏らした。

 かわやの場所を聞きそびれてしまったのだ。まさか私も深夜に厠に行くとは思いもせずに、何よりあまり話をしたくないという感情もあったのだ。

 仕方なく、私はかわやを探すことにした。

 雨はすっかりと止んでしまっており、辺り一体はしんと静まり返っている。雨上がりのせいか鳴く虫もいない。


 唯一聞こえるとすれば、床板を踏み軋む音だけだ。


 ―――いざとなったらそこらで済ませてしまおう。

 そんなことを思いながら角を曲がると、突き当りに一つ扉があった。

 開けてみると、どうやらこれがかわやで正解らしい。

 多少汚い話になってしまうが、溜め込んでしまったせいか私はその開放感にしばし浸っていた。すると、私は喉が渇いていることに気づいた。


 若干の寝汗にこの用足しで体から水分を放出しすぎたせいだろうか。

 用足しを済ませた私は次に台所へ水を飲みに行くことにした。

 相も変わらぬ静かな縁側を歩いていく。外を覗いてみると、綺麗な満月が穏やかに月光を放ち佇んでいた。


 どことなくぼやけているようで、しかしやはり輪郭がはっきりとしている――そういった満月に私は思わず見入ってしまい、意識は完全に満月へと向いてしまっているその時だ。


「客人はもう寝たころかねぇ?」

 隣の部屋からそんな声が聞こえてきたのだ。

 私は不意を打たれ思わず叫びそうになったのを堪え、耳を済ませた。

「さあ、どうだろうねぇ。もう寝ているかもしれないし、まだ起きているかもしれない。なにせ今日は満月だから」

「ああ、日が昇ってしまわないか心配だよ」

 何気ない普通の会話だが、私にとっては不気味にしか感じられなかった。

 

 ――声が、一人分の声しか聞こえないのだ。そしてその声は、とても幼い。つまり口調と年齢が全く一致していない。この二つの違和感に気づいた瞬間、ぞくぞくと私の背筋を何かがねっとりと撫で上げるような気持ち悪さとおぞましさが襲い掛かった。

 額からは嫌な汗がじっとりと浮き出て、手は紙を持っていたのならば使い物にならなくなる程の量の手汗を握り締めるようにしてしまっている。

 私は隣の部屋に居る“”に気取られぬよう足音を限界まで抑え部屋へと戻った。

 手や額の汗を服で拭い去ると、荷をまとめ“”に気づかれないうちにさっさとここを出ることにした。


 寝巻きからいつもの旅服へと着替え終えたそのとき、こちらの方へと向かってくる足音が聞こえた。

 慌てた私は咄嗟に布団の中へ入り込む。

「そろそろ良い頃合だと思うんだけどねぇ……」

「姉さんが用意したんだ、失敗は許されないよ」

 そんな声が足音が近づくにつれ聞こえてくる。

 うっかり起きていることを悟られないために私はさらに頭を布団の中に隠しこんだ。


 足音は近づいてくると、ぴたりと止まった。

 私は必死に声を押し殺し、““が過ぎ去ってくるのを待つ。

「どうだろう、しっかり寝付いたか?」

「寝癖が悪いねぇ、布団の中に丸まってちゃ顔が見えないだろうに」

 ぼそぼそとそう呟く“”に対し、私はただただ恐ろしさとおぞましさを覚えていた。


 ―――なぜ私はこんな目に。

 身体が震えるのを抑え、早く行ってくれと無我夢中で祈っていると足音が次第に遠ざかっていくのが聞こえた。

「あれじゃあ今手を出したら起きるかどうか分からないねぇ」

「もう少し待ってからにしようか」

 そんな声が聞こえた少し後に、足音が聞こえなくなったのを確認した私は跳ね上がるようにして布団から起き上がった。


 ―――もうここに留まってはいられない、逃げねば!

 その一心で私は荷物を背負い抱えて外に飛び出る。

 すると、その瞬間私は非常に苦しく耐え難いほどの喉の渇きを覚えたのだ。

 確かに目覚めた後に喉の渇きは覚えたもののこれほどのものではなかった。

 思わず私は立ち止まり、肩で息をつく。激しく息を吸い吐きする度に喉に粘膜が貼り付く不快感と虚脱感が襲い掛かった。


 ―――水がほしい。一滴でもいいから……。

 顔を上げてみると、目の前には池が私を受け入れてくれるように存在していた。

 たとい、それが雨で濁った池の水であろうと私にとっては砂漠のオアシスにある、清水が溢れんばかりに湧き出る泉のように見えた。


 ―――一口だけ、一口だけでいい。それだけで十分だから。

 そう思った次の瞬間には私は荷を捨て池へと一歩一歩と歩みを進めていってしまっていた。

 そして池と文字通り目と鼻の先ほどのところまで私は顔を近づけたその時、気づいてしまったのだ。

 どこまでも黒く深いような池。その黒さは闇の黒ではなかった。


 


 例えるのなら、そう。が、何千、何万と蠢き、ひしめき合いながら泳いでいたのだ。

「ああああああっ!?」

 私は思わず叫んでしまった。そして瞬間、しまったと慌てて口をふさいだ。

「起きているじゃないか!」

「あの時本当は寝てなかったんだ、あいつ欺きやがった!」


 この世のものとも思えないようなけたたましい怒号が後ろから響き渡る。

 私は荷物に目もくれず、裸足のまま一気に走りだした。

 その最中、後ろからは何か喚くような声が聞こえるが私は振り向かずに必死に逃げた。

 私を追う何かはどんどんと私に近づき、それにつれて満月で映し出された影が大きくなり私を飲み込まんとしているのだ。

 その影は一人分だというのに頭が二つ見える。私は改めて今私を追いかけている存在が人外なのだと認識させられた。

 どれほど走っただろうか。もう喉の渇きなどは気にもならなかった。

記憶にはないが、どうやら私は村の家のひとつに駆け込み、そのまま気絶してしまったらしい。

 

 翌朝、私は親切にも気絶した私を看病してくれた人に頼み、昨日と待った家まで一緒に行ってもらうと、そこに一軒家などというものはなかった。

 ただ、池のそばに巨大な岩があるのみだった。私の荷物は池のそばに、外套がいとうはお粗末にも枯れ朽ちた木に引っ掛けて、靴はそのすぐそばに置いてある。

 私は何も考えずに靴を履き、外套がいとうを羽織った。

荷物を取ろうとするとき、私は一匹の蛇が小さな魚を丸呑みにしているところを見た。


 私は昨日の魚を思い出しながら荷物を持ち、何もいわずにただ付き添ってくれた人に一つ頭を下げると向こうも何も言わずに頭を下げる。

 彼は恐らく何か知っているのだろうが、私はそれを知ろうとも、また相手方も教えようとも思わなかった。それだけのことだったのだ。


 帰る道の途中、私は一匹の珍しい蛇が死んでいるのを見つけた。

 とても痩せ細っており、恐らくは餓死したのだろう。

 しかし、それ以上に目を引くのがこの蛇は頭が二つあるのだ。そのせいか二つに分かれた頭を支える首はもはやマッチ棒のように細く、何も食べることすら出来ないようだった。

 

 そっとその骸を手に取り、私は先ほどまで来た道を帰る。

 そしてその骸を巨大な岩の近くに埋めてやった。

 立ち去るとき、ふと振り返ってみると私を先ほどの魚を丸呑みにした蛇が見つめているような気がした。

 いや、そんな気のしただけだろう。ただあくまで私がそう感じただけのことだ。


 ただ今でも私はふと、たまに思うのだ。


 もし、あの池の水をそのまま飲んでしまっていたら―――と。

                                 

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