揺れる空の下でキミの温もりを
@ryo-takahashi
第1話 アカリとの出会い
「ったく誰だよ。憲法を変えなけりゃ戦争に巻き込まれないって言ってたバカは」
「そのおバカさんは死んじまってんじゃね?東京はあの有り様だ。自業自得だよ」
僕は教室の席に座ってぼんやりと外を眺めながら、時々聞こえるクラスメイトの会話に耳を傾ける。
そう、東京は消滅した。
ある日何の前兆もなく核が東京に落とされた。
かつて東京だった場所は廃墟となっていて放射能の影響で誰も近づくことができない。
政府が消し飛んだため日本はコントロールを失った。
誰も現状を把握できずに右往左往していると大陸からの軍隊が上陸して行政機関を代行した。
それから半年。
止っていたテレビ放送が再開された。そのおかげで現状が認識できようになった。
日本は開戦する間もなく敗戦した事が分かった。
そして敵国の植民地になったことも分かった。
世界は第三次世界大戦に突入していた。
いったい誰が戦争が始まるなんて思っただろう。
これからどうなるんだろう。
頭の奥底から答えのない問が流れ出ては僕をかき乱して消えて行く。
僕は香川県の片田舎に住む高校三年生。
ここは幸いにも戦争の影響を受けなかった。だから皆、これまで通りに仕事をして学校に通う。
「おはよう」
女の子が僕に声をかけた。彼女の名前はアカリ。僕の隣の席が彼女だ。
「おはよう」
僕は寝起きのようなぼーっとした顔を彼女に向けて答える。
腰まで伸びるアカリの黒髪が風でなびいていてた。
アカリは上品な雰囲気が漂う少女だ。キリリとした二重の目が印象的で、目が合うと魂が抜き取られそうな気がする。
男友達はアカリを可愛いと言う。だからアカリの隣になれて幸せだな、と友達は言うんだ。
可愛いのは認めよう。僕より頭が良いのも認めよう。ただ性格はなぁ、悪くはないんだ。時々、僕のプライドを打ち砕くような事をさらりと言うのが気に入らないというか、何というか…。惚れるには何かが足りない。
アカリは立ったまま机に寝そべる僕を見下して話しかける。
「ハヤト君、今日もひどい顔。寝てないの?」
「失礼だな。寝てないのは認める。ひどい顔は認めない」
「ふふっ。謝るわ。いつもどおりのシブい顔ねっ」
僕はとびきりの笑顔のアカリを目の当たりにして反論する気を失った。
アカリは半年前にこの学校に転校して来た。前は関東に居たそうだ。
転校生は珍しく無かった。放射能に汚染された関東は人が住める所では無くなっていた。そのため、田舎に転校してくる生徒が多かった。
関東からの転校生は一目で分かる。雰囲気が違うんだ。死神に取り憑かれたような暗い影を引いて歩いているんだ。
アカリもそうだった。
僕はアカリのことをあまり知らなかった。けれどもクラスメイトの誰よりもアカリを知っていると思う。
関東からの転校生は住む場所や家族を失っていた。そのため家族の事やこれまでの生活を聞くことは暗黙の了解でタブーとなっている。お前のオヤジは何してるの?と聞いて泣き出されてたら堪ったものではない。だからアカリとは込み入った話はしない。そう、僕たちは話をする仲なんだ。
アカリと仲良くなったのは最近の事だ。それまでは同じ教室を共有するただの他人だった。挨拶くらいはしたけれど、話をする仲では無かった。
ある日、席替えがあった。先生は言わなかったけれど、中間テストの成績の良い順に後ろから並べたに違いなかった。そうして僕はアカリの隣の、アカリよりも一つランクの低い場所に席を構えた。
男にとってアカリの隣に座れる事は光栄な事らしい。そういう意味で悪い気はしなかった。ただ僕は一番前の席でも良いので誰にも干渉されずにそっとしておいてほしかった。
僕はせっかくなのでアカリを観察した。変態的な意味で解釈しないでほしい。なぜ彼女が男の間で人気なのか分析したいだけだから。
授業中アカリは真面目に勉強しているようだった。僕はやる気を無くして授業が上の空だった。明日がどうなるか分からない状況で勉強して何になるんだろうと思った。
僕は授業の暇つぶしに、図書室から借りて来たトラ技〔「トランジスタ技術」の略。電子工作の雑誌。〕のバックナンバーを読んだ。僕は電気工作が好きなんだ。電気回路の完成された美しさが好きだ。電気は物理現象で嘘をつかない。完璧に機能するんだ。聞いてもらいたい事は山のようにあるけれどこの話はこの辺りでやめておくよ。オタクだとは思われたくないんだ。
僕は好きだった女の子に告白したものの、オタクは嫌いだと言われて振られた過去を持つ。そんな辛い過去に反省してオタクな話はしない事にしたんだ。
ただ、アカリを除いては。
アカリはオタクな話ができる唯一の相手なんだ。なぜそうなったのかを話しておこうと思う。僕にとってもこの物語にとっても重要なことなんだ。このきっかけがなければ僕とアカリは仲良くならなかっただろう。僕たちが仲良くならなかったら、僕もアカリも、そして、この国も死んでいたはずだ。
話を戻そう。僕が授業中にトラ技を読んでいたのを席替え後すぐのアカリは見ていたんだと思う。休み時間にアカリが話かけてきた。
「ハヤト君、さっき読んでた本おもしろいの?」
今の時代、紙の本は授業で使わない。教科書もノートもタブレットだ。紙の本を読むのは読書好きだけだった。そういう意味でアカリは僕に興味を示したのだと思った。アカリと会話できるチャンスが来たのは嬉しい。だがこの本は小説じゃないし女の子受けする内容のものでもない。ましてやオタクのレッテルを貼られて白い目で見られるのが怖い。僕はどうしたものかと思いながら当たり障りのない返事をした。
「おもしろいよ。俺の中ではね」
遠回しに君には面白くないであろうことを主張したつもりだったけれどアカリには通じなかったみたいだ。
「私も本は好きよ。どんな本読んでるの?」
「読んでみる?たぶん、めまいがするだけだと思うけどね」
喰らいついてくるアカリに戸惑いながらもトラ技を渡した。授業が始まるとアカリはトラ技をパラパラとめくった。すぐに閉じられると思っていた本はアカリの手の中でいつまでも広げられていた。何にでも興味を示すところが男受けするのかもしれないなぁと漠然と思いつつ、トラ技を失ってやることが無くなった僕は眠りに落ちた。
チャイムが僕を現実に引き戻した。
机に垂らしたらヨダレを誰にもバレないように拭き取りながら顔をあげる。下校の時間らしい。クラスメイトの半分は消えていてアカリもいなかった。
僕も家に帰ろうと机の横に吊るしてあるカバンを引き上げて中を見た。中にはアカリに貸したトラ技が押し込められていた。机の上は僕が占領していたので仕方なくカバンに突っ込んだのだろう。
家に帰ったからといってこれといった娯楽が有るわけではない。
テレビは放送されていたけれどひどい内容で観る気がしなかった。占領軍による国営放送で日本人の罪を永遠と責め立てていた。
僕はまっすぐに自分の部屋へ向かいアカリに貸していたトラ技をめくった。これだけが唯一の楽しみなんだ。
アカリがめくっていた辺りのページを開いて同じくらいのペースでパラパラとページをめくった。しばらくページを進めると青いボールペーンで落書きされたページを見つけた。僕が図書室から借りて来た時には落書きなんて無かったはずだ。僕は落書きのページを押し付けて開げて内容に目をやった。
暗号化回路の特集ページだった。あらゆる機器がインターネットに接続されるようになった今では、通信内容や個人情報を確実に暗号化する技術が求められている。特集ページには、新しい暗号化技術の説明とそれを実現するための回路図が記載されていた。
暗号は暗号化技術とそれを解読するための復号化技術で機能する。特集は二十ページあった。落書きは暗号を解読するための復号化回路のページにある。回路図が青いボールペンで修正されており、印刷された黒い活字を無視するように手書きの文字が殴り書きにされていた。文字は千二四文字のランダムな英数字で八桁毎にスペースがあけられている。雑な文字ではあったけれども数字の0と大文字のOのように区別がつきにくい文字ははっきりと書かれていたため読み取る事ができた。
暗号だ。僕はすぐに理解して興奮した。本の間から宝の隠し場所を示した暗号が出てきたようなものだ。誰だか分からないけど粋なことをするもんだと息を荒げた。
タブレットにインストールしてあるプロ用の電気回路シミュレータを立ち上げた。そして、トラ技に描かれた回路図を入力した。シミュレータを使えば、半田ごて片手に回路を作らなくても動きを確認する事ができる。
ひたすら回路を入力した。どれくらい時間がかかっただろう。回路が完成したのは深夜だった。
ワクワクしながらシミュレータに作られた仮想の電気回路に電源を入れる。回路は正常に動いてるようだ。やった。
次にこの回路に暗号を流し込む。青いボールペンで書かれた暗号を、電気回路が理解できるニ進数に変換して回路に入力して結果を待った。
なかなか結果は出ない。シミュレータは実際の回路の千倍は遅いんだ。
その間、誰がこんな落書きをしたのか考えた。僕がトラ技を借りた時に落書きは無かったはずだ。そうなると、アカリが犯人のようにも思えた。でもアカリが?その疑問を拭うことはできない。まともに使える暗号化技術を高校生が作り出せる時代はとっくの昔に終わっている。さすがの僕もここまでできる自信は無い。いや、無理だ。
一時間ほど経って暗号化される前の文字がシミュレータに表示された。
「DlInYourSchool://52:54:00:d9:a9:14」
結果はURLだった。学校で52:54:00:d9:a9:14のサーバにアクセスしろ、という意味のようだ。ワクワクした。ここまで手の込んだ事をしておいて、そこには何があるんだろうか。早く学校に行きたい。そして何があるのか確かめたかった。
翌日僕は急いで学校に向かった。と言っても、寝坊してしまい、遅刻して学校に向かったわけだが。
一限目の授業が始まっていた。教室の後ろのドアから静かに入り自分の席に向かう。まずはアカリにトラ技の落書きの件を聞きたかった。キミの仕業なのか?と問いたかった。けれども、シーンとした教室でアカリに話かける事は不可能だった。僕はアカリにコンタクトをとる事を早々に諦めた。
何よりも僕にはやる事がある。昨夜解読したサーバにアクセスすることだ。カバンからタブレットを取り出して学内ネットワークに接続し、ブラウザにURLを入力した。
何も書かれていない真っ白なウェブページが表示された。ページを下にスクロールすると何かあるかもしれない。そう思い画面をスワイプした。指を画面から離した途端、知らないアプリのダウンロードが始まった。一瞬焦ったがすぐに冷静さを取り戻した。正体不明のアプリがダウンロードされたとしても、インストールを拒否すれば良いだけの話だ。そう自分に言い聞かせている間もなくアプリのインストールが始まった。
僕は真っ青になった。
ウイルスだ。タブレットのセキュリティ機能を回避してウイルスがタブレットに入ろうとしている。やばい、個人情報が流出する。自分の氏名、連絡先、撮影した写真、そしてネットサーフィンした履歴の数々。脳裏に最悪な事態で満たされた。
焦る僕を気にする事もなくインストールされたプログラムが動き始めた。黒い画面が立ち上がり、何かしらの処理が実行されていた。僕は授業で習ったウイルスに感染した場合の対処方法を急いで実施した。まずはネットワークからウイルスに感染した端末を切り離すんだ。そのためには電源を切るしかない。電源ボタンを長押ししてタブレットのシャットダウンが始まるのを待ったが始まらない。タブレットの操作は受け付けないのにウイルスらしきプログラムは動き続けていた。完全に乗っ取られていた。
こうなるとタブレットを破壊するしかない。成人向けサイトの徘徊記録が漏れるくらいなら何だってする。その気持ちは分かって貰えると思う。
タブレットを二つに折り曲げようとした時、画面が元に戻った。そして見慣れないアプリがポップアップ表示された。そこにはメッセージが書かれていた。
“Hello World. by アカリ”
僕は一気に血の気が引いた。アカリ?やはりあのトラ技の落書きは君なのか。緊張している体をぎこちなく動かして動きで隣に座るアカリを見た。
アカリは長い髪をかきあげて耳にかけ、こちらをチラリと見て微笑んだ。周りの人がみたら天使のようなほほ笑みを僕に投げかけていると思うに違いない。でも僕にはそれが悪魔の微笑みにしか見えなかった。
これがアカリと僕が仲良くなる始まりだ。アカリは僕を試したんだ。何のために?それが分かったら苦労しない。今ではこれがアカリの個性だと前向きに理解することにしている。
アカリにトラ技に書かれた落書きの事を聞いたが知らないとしか答えなかった。そして、私の字と違うでしょ、と言って綺麗で可愛い文字を見せた。否定しても他に犯人は居ないんだが。他の人にもこんな事をやっているのか聞いてみても何のか分からないと軽くあしらわれた。
僕がこんな得体の知れないアカリに恋心を抱かない理由を分かってもらえたと思う。
アカリは僕以上にオタクだった。
アカリはとにかく頭が良かった。僕の隣に座るにしては頭が良すぎた。
アカリは数学が好きだった。僕も数学は好きだった。電気回路は数学そのものだった。
僕は一応、可愛いオタク仲間を見つけることができたことを喜んだ。彼女は僕がどんなにマニアックな話をしても邪悪な目で見ることはなかった。僕を理解できるのはアカリしか居なかったし、アカリを理解できるのも僕しか居なかった。時々、数式がギッシリと書かれたメモを見せられてウンザリしたりもする。ただ僕以外の人に見せたりはしないので悪い気はしなかった。
ウイルスかと思われたアプリはアカリが作ったものだと後で知った。タブレットにある近距離無線通信機能を使ったメッセージ交換アプリで通信内容は暗号化されているそうだ。はじめは驚いたけれど、最近ではアカリらしいなと思うようになってしまった。慣れとは怖いものだ。
僕たちはアカリの作ったその怪しいアプリで授業中にメッセージ交換をした。この事は僕たちだけの秘密だった。仮に誰かに話しても理解されないだろうけれどね。きっと僕が白い目で見られて終わると思う。
アカリは数学の力で占領軍をどうにか追い払えないか考えているようだった。
「あいつらは私たちを根絶やしにするつもりよ。早く何とかしないと」
アカリは事ある毎にそんなメッセージを送ってきていた。僕にはアカリがなぜそういう事を言うのか理解できなかった。
日本は占領されたものの、それなりに平和だった。
揺れる空の下でキミの温もりを @ryo-takahashi
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